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外交・防衛
2012年10月

日本人の意識と安全
江口元気/卒塾生

32期生は共同研究をはじめ、自衛隊研修、外交安全保障講座等々、外交や安全保障に関する研修を行ってきた。そこで我々が痛感したことは、国民がこれらの分野に関心がないということであった。本論文は人々の意識というところに焦点をあて、なぜ日本人が安全に興味がないかを明らかにする。

 

1.はじめに

 2001年9月11日同時多発テロ。私はこの事件から半年後にニューヨークのグランド・ゼロにいた。実は、私の身近だった人が、この事件によって命を奪われ、非常にショックを受け、突き動かされるように私はグランド・ゼロに足を運んだのである。事件から半年という月日が経っても、騒然とした状態で、かつてワールド・トレード・センターがあった場所を前に泣き崩れている人、行方不明者を探してくれというビラを配っている人、平和活動の署名運動をしている人がいた。私は3泊ニューヨークに滞在したのだが、毎日この光景は続いていた。

 「これは対岸の火事ではない」。身近な人が巻き込まれたということもあってか、この光景が遠いニューヨークでの出来事だとは思わなくなっていた。日本人が「当たり前」だと思っていた平和な日常は実は「当たり前」でなく、危機と隣り合わせなのではないか。このように私は考えるようになった。私が政治に興味を持った原点はこの経験である。

2.水と安全のコスト

 作家の山本七平がイザヤ・ベンダサンのペンネームで書いた『日本人とユダヤ人』の「安全と自由と水のコスト」の項に興味深い指摘がある。日本人K氏がニューヨーク滞在中に泊まっていた格式のある豪華なホテルにユダヤ人の家族が暮らしていた。しかし、このユダヤ人の生活は実に質素で、一銭一厘といえども疎かにせず、服装や身の廻りの物、全てに不必要な物がない。贅沢と言う贅沢は何一つしていなかった。郊外の住宅を選べば、ここまでの節約生活をする必要がない。もっと快適で楽しい生活ができるはずである。なぜこんな高価なホテルに泊まっているのだろうか。不思議に思ったK氏がユダヤ人に質問をする。「なぜあなたたちが、こんな豪華なホテルに泊まっているのですか」、と。そこでユダヤ人は「ここは安全だから」と即答するのである。日本人のK氏は呆気にとられ、最後までこの意味がわからなかった。

 このエピソードに日本人の安全に対する考え方が隠されているのではないかと私は思う。ニューヨークの中心部にある国賓が泊まるようなホテルであれば、常時警察が特別の警戒をしているし、ホテルも一流の警備会社と契約をしている。ホテル自身にも警備員やガードマンを雇っている。なるほどこれ以上安全な場所はないと言える。郊外の住宅に住めば、このような特別なサービスはない。この世のあらゆることは生命の安全があってはじめてできることであり、生命がなければ豪華な生活も無意味になってしまう。だからこそ、ユダヤ人たちは郊外の住宅の快適な生活を犠牲にしても、ホテルで生活をしているのである。

 しかし、日本人にはこれが理解できない。日本にもホテルで生活をしている人はいるにはいるが、多くの場合それは優雅な生活を楽しみたいか、虚栄を張っているものである。貧乏人で敢えてこのような生活を選ぶ者は少ない。こういった状態は世界では一般的なことでも、日本人にとって「当たり前」とは言えない。

 同じような理由で、水のことも取り上げている。人類が生命を維持するために水は必要不可欠なものである。しかしながら、水は決して高価なものではない。豊富が故に、あって「当たり前」で希少価値がないからである。松下幸之助塾主の「水道哲学」を採り上げるまでもなく、これは日本人としては「当たり前」である。レストランでテーブルに座った際に出てくる水に「これは生命を維持するために必要な物質だから10万円いただく」などという者は誰もいない。しかし、これが砂漠の国であったなら、どうであろうか。話は変わってくる。日本人の「当たり前」は世界では決して「当たり前」でないのである。

 安全も水と同じことが言える。かつて日本において安全であるのは「当たり前」であった。安全を確保するための国の防衛費に関して、戦闘機が一機10億円などという記事が新聞に出ると、まるで水に10万円請求されるようなクレームを言う民族は日本人くらいではなかろうか。
 日本人の「当たり前」と世界の「当たり前」は違うのである。

3.四つの「防」

 私が世界の「当たり前」に触れたのは、冒頭に触れた9.11の体験である。我々が「当たり前」だと思っている日常は一瞬にして崩壊する。そして、我々の「当たり前」は決して当たり前ではないことに気付かされた。

 この後、私は佐々淳行氏主催の総合危機管理講座のスタッフを経験した。佐々氏曰く「国家が行なうべき危機管理は四つの“防”」だという。四つの防とは“防衛”、“防災”、“防犯”、“防疫”である。これらを概観してみたい。

(1)防衛
 新興国の台頭により、米国一国支配の時代が終わりを迎え、世界は多極化の時代になろうとしている。特にわが国が拠を置く東アジア地域に関しては、中国の存在を抜きにして語ることはできない。20年間継続して不透明な軍事費拡張を行い、昨今は東シナ海におけるわが国への不法行為、南シナ海における領土紛争といった地域の安定に対する挑戦とも言える行為を繰り返している。またインド洋を中心として真珠の首飾り戦略と称する海上交通路の確保に乗り出しており、地域のシーレーン、海洋安全保障に対する懸念材料として認識されるに至っている。
 また所謂「ならずもの国家」とされる北朝鮮の存在もある。核開発や弾道ミサイルの能力などを含め、北朝鮮に関して不透明な部分があまりにも多い。
 9.11以降、新たな脅威が顕在化した。テロの存在である。我々の安全に対する脅威は国家に限定されることなく非対称の脅威もあるということである。軍事力で優位に立てば、安全が確保されるとする従来の考え方が通用しなくなった。少数のテロリストで簡単に日常を崩壊させることが頻発するようになった。こうした新たな脅威に対する備えも急務である。

(2)防災
 地震、集中豪雨、火山噴火、台風、津波、土砂災害等々、わが国は「災害のデパート」と呼ばれる程の災害大国である。4つのプレートが犇めき合い、活断層は2,000を超え、秋には台風もやってくる。これ程災害の多い国は世界でも稀である。阪神大震災や東日本大震災など大規模災害も発生しており、今後もこうした災害は避けられないのが現状だ。

(3)防犯
 日常の治安の維持や凶悪犯罪などから市民を守るのは防犯の範疇である。世界初の化学テロとなってしまった地下鉄サリン事件など、凶悪化が目立っている。こうした対策も重要である。

(4)防疫
 鳥インフルエンザやSARSなど強毒性のインフルエンザが大流行することも想定しうる危機である。一度流行が収まってもウイルスは変異を繰り返す。いつ強毒性になってもいいよう対策を講じる必要がある。

4.それでも危機に対して備えられない理由

 以上、見てきたように、わが国を取り巻く状況は、決して楽観視できる状況ではない。しかしながら、日本人の安全に対する意識は大きくない。今度は別の角度から眺めてみたい。

 広瀬弘忠著『無防備な日本人』によれば、人間の心理には無意識に様々なバイアスがかかっていて、その中でも日本人には以下に述べる三つのバイアスが顕著であるという。正常性バイアス、同調性バイアス、同化性バイアスの三つのバイアスである。

 正常性バイアスとは、危険なものであっても、それが危険でない、正常なものだと考えてしまう傾向のこと、また一度正常なものと誤って認識するとさらなる正常の逸脱であっても正常の範囲内であると思い込んでしまう傾向のことである。人々の注意は、すばやく動くものに対して多く向けられる。しかしながら、ゆっくり、じわじわ近寄ってくる脅威には無頓着である。これを正常と捉えると取り返しのつかないことになる。これは火事の現場で時折起こるバイアスである。多くの人が臭いや煙に気付いていても「魚を焼いているのだろう」、「バルサン(殺虫剤)を炊いているのだろう」などと判断し、初期消火に失敗してしまうことがある。これは典型的な正常性バイアスである。

 同調性バイアスとは、まわりの人々に強く影響されるバイアスのことである。危険が近寄ってきたとき、まわりの人々が動けば、自分自身が感じていた「変だな」という感情が確認され、人間は避難行動に移ることができるという傾向である。逆に、自分自身が危険を察知しても、まわりの人々が動かなかった場合、「自分は取り違いをしたのかな」と思ってしまうことがあるということである。集団志向の強い日本人には特にこの傾向が強い。津波到来時に我先に逃げる重要性は、このバイアスから見ても正しい。

 同化性バイアスとは、異常を背景の中に埋没させてしまう傾向のことである。異常を発見してもシルエットのように背景に埋没させ、無意識のうちに心理的負担を軽減させてしまうのである。これによって異常であることに気付かず、被害を大きくしてしまうことがある。日常から意識的にリスクを発見できる能力がないと、このバイアスは乗り越えられない。

 平和慣れしてしまっている日本人にはこの三つのバイアスが特徴的で、危機に対して脆い傾向にある。

5.危機対する備え

 以上、見てきたように、わが国を取り巻く情勢が非常にリスクをはらんでいるにもかかわらず、日本人の安全に対する意識は非常に希薄である。外交や安全保障、危機管理に関する施策をいくら議論しても、なかなか実行に移れないのは、こうした人々の意識が根底にあるのではないだろうか。我々が「当たり前」だと思っている日常は決して所与のものではなく、極めて不安定なバランスの上に成立しているのである。従って、不断にそれを守るための努力を傾注しなければならないのである。そのためには人々の意識から変えていかなければならない。これが本稿で一番言いたかったことである。私は今後生涯をかけて、この人々の意識に挑戦していきたいと考えている。

 『指導者の条件』の中で松下幸之助塾主も「治にいて乱を忘れず」という言葉を挙げている。指導者というものは治にいて治に溺れるようではいけない。常に最悪の事態を想定し、それでも対処できるようにするのが指導者の役割である。石破茂氏は著書『国防』の中で「安全保障に携わる人間というのは、心配して、心配して、心配して、それで何事もなかった、そういうことでいい」と述べている。また佐々淳行氏は「危機管理は価値ある無駄」と述べている。保険が「掛け捨て」になったときが一番いいように、安全保障も心配しすぎる方がいいのである。全国民にこうした意識が浸透すれば、この国の安全は確実なものになるであろう。

 最後に『孟子』の告子章句編にある言葉で締めくくりたいと思う。常に危機のことを考え続けることこそ、国を存続する唯一の道なのである。

無敵國外患者、國恒亡、然後知生於憂患而死於安楽
(敵国外患なき者は、国恒に滅ぶ。然る後に憂患に生じて安楽に死するを知るなり)
(対抗する国や外国からの脅威がない場合にはしぜん安逸にながれて、遂には必ず滅亡するものである。国家にせよ、個人にせよ、憂患の中にあってこそはじめて生き抜くことができ、安楽にふければ必ず死を招くということがよくわかるのである。)


<参考文献>

イザヤ・ベンダサン(山本七平) 『日本人とユダヤ人』 角川書店 1971年
佐々淳行 『軍師佐々淳行「反省しろよ慎太郎だけどやっぱり慎太郎」』 文藝春秋 2007年
志方俊之 『危機』 海竜社 2012年
石破茂 『国防』 新潮社 2005年
広瀬弘忠 『無防備な日本人』 ちくま新書 2006年

2012年10月 執筆
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