論考

Thesis

安心安全な社会実現に向けて~志の原点と問題の所在

人々が「当たり前」だと思っていたことは一瞬にして非日常に変わる。今回は個別テーマ論文の第一弾として、私が志を抱いた背景と問題の所在を論じていきたい。

1 志の原点

(1) 三つの体験

 我々が「当たり前」だと思っている日常は一瞬にして非日常に変わる。「当たり前」の日常を守っていきたいと考えたことが、私が松下政経塾を受験した動機である。

 私はこの思いに至る背景として三つのことを経験した。
 第一は、2001年の同時多発テロである。私が最初に日常が一瞬にして非日常に変わるということを感じた経験であった。事件から半年後に私はニューヨークのグランド・ゼロにいた。実は、私の身近な人が、この事件によって命を奪われ、非常にショックを受け、突き動かされるように私はグランド・ゼロに足を運んだのである。事件から半年という月日が経っても、騒然とした状態で、かつてワールド・トレード・センターがあった場所を前に泣き崩れている人、行方不明者を探してくれというビラを配っている人、平和活動の署名運動をしている人がいた。私は三泊ニューヨークに滞在したのだが、毎日この光景は続いていた。日常は一瞬にして非日常に変わるということを初めて痛感した経験であった。

 第二は、2007年の中越沖地震の震災ボランティアの経験である。地震が発生し、被害が甚大だというニュースを聞き、居ても立ってもいられず、現地へ足を運び、避難所となっていた松浜小学校でボランティアをさせてもらった。家族を失ってしまった人、家を失ってしまった人、全てを一瞬にして失ってしまった人と接した日々であった。今までの「当たり前」だった何気ない日常に戻りたい、涙ながらに訴えている現地の人が痛烈に印象に残った。

 そして、第三は脳梗塞による母の急死である。両親が離婚してから、女手一つで私と弟を育てあげ、小さな不動産屋を経営していた母。その母が、会社経営や資金繰りに苦労し、ストレスが重なり合って一瞬にして亡くなったのであった。二人の息子には心配はかけまいと気丈を装っていた母。身近な人でさえ守れなかったという後悔の念ばかりが残った。今振り返って考えてみると、幼いころ両親と弟と私の家族四人で食卓を囲んでいた何気ない日常がどれだけ貴重な時間だったか。失ったときに、初めて気づかされたのである。それ以来、我々が「当たり前」だと思っている日常をどうしたら守ることができるかを真剣に考えるようになった。

(2) 入塾前後の体験

 入塾前に私は知人の紹介で、佐々淳行氏が主宰している「総合危機管理講座」のスタッフを経験した。講座には二年間関わらせてもらった。ここで危機管理の要諦を学ぶことができた。佐々氏曰く、危機管理は四つの「防」から成り立っていると言う。「防衛」、「防災」、「防犯」、「防疫」の四つである。このテーマに関し、それぞれの専門家から様々な知見を得た二年間だった。

 この講座の後、メンバーの一人から民間資格「防災士」の取得を薦められる。案内文にあった「災害の規模が大きければ大きいほど行政の初動対応には限界があり、地域に根ざした自助・共助の民間防災力の飛躍的な向上が喫緊の課題」というフレーズに魅かれ自分にもできることがあるのではないかと思い、受験した。そして、資格取得後は若干ではあるが、地元での活動もした。

 入塾直前に東日本大震災が発生。私は震災発生時立川市内の図書館にいたが、1分2分と経過しても止まる様子がない揺れ、これは大きな地震だと思い、揺れが収まると、自宅へ戻り、急いでテレビをつけた。そこで飛び込んできたのが例の津波の映像だった。人、家、街、暮らしを一瞬にして飲み込む映像。容赦のない自然の暴力に言葉を失った。

 何かできることはないかと考え、すぐに千葉県旭市(旧飯岡町)に行ってボランティアをする。その後、入塾。入塾後は陸前高田市において震災奉仕活動を約3週間行った。避難所となっている現地の小学校で被災者と寝食を共にし、昼間は社会福祉協議会においてボランティア登録をし、泥の掻き出し、瓦礫の処理、救援物資の仕分けなどに汗を流した。陸前高田は本当に甚大な被害であった。人口約2万3千人の町から死者行方不明者1700人以上という岩手県内最大の被害である。町の中心が海沿いにあったため市役所も警察署も消防署も病院も郵便局も津波の被害をもろに受け、町は原型を留めていない。最初に市街地を見たときには言葉に出来ない程の衝撃を受けた。日常を守りたいという志は抱いていたものの、何もできない自分。目の前の活動に明け暮れながらも、どうすればよいのか立ちすくむ自分がいた。

 そうした中、私の生まれ故郷である立川の危機が叫ばれるようになった。立川市には市の北西方向から南東方向に向かって、立川断層という活断層が走っている。立川断層とは、埼玉県飯能市から東京都府中市まで伸びる全長30キロ程の活断層で、断層が揺れると震度6強から7の揺れが予測されている。そして、2011年6月9日、政府の地震調査委員会が震災後、全国106断層帯への影響を分析した結果、宮城・福島両県の「双葉断層」、長野県の「牛伏寺(ごふくじ)断層」と共に「立川断層帯」も動きやすくなり、地震発生確率が従来の長期評価より高くなった可能性があると発表したのである。地元の危機に居ても立ってもいられず、この危機から生まれ故郷を救いたいという思いを強く持った。紆余曲折はあったが、地元立川の防災を考えることにより、安心安全を実現したいと思うようになった。

2 災害に対する備え~問題の所在

 地震から身を守る方策として、大きく分けて二つの方策がある。第一は、家屋の耐震化やインフラの整備などハード面を充実させること、第二は、避難場所の周知、住民の意識の向上などソフト面を充実させることである。

 阪神大震災の死者の約8割は家屋の倒壊による圧死・窒息死であった。死亡推定時刻も震災発生から約15分後までに亡くなった人が92%にものぼり 、「即死」した人が大半を占めた。このデータは耐震化などのハード面が如何に大切かを示すデータである。ここを充実させない限り、今後も被害は甚大になることは避けられないであろう。

 しかしながら、ハード面の充実のみによって、被害を抑えられるわけではない。相手が自然である以上、ハードが想定された以上の外力を受けたり、越年劣化など何らかの理由により期待する性能を有さなかったりすることはある。そうした場合に鍵となってくるのは、ソフト面である。災害発生時の救助の手段として、「三助」の効率的な組み合わせが重要ということが言われている。第一は自分の身は自分で助ける自助、第二は近隣社会が互いに助け合う共助、第三は警察や消防など公共機関による公助である。災害時にどの力がどれくらいの割合で必要になるか、一般的に言われている割合は「自助:共助:公助=7:2:1」が精々と言われている。いざというとき公の機関も被災することを考えると自助と共助の部分が非常に重要なのである。

 印象に残った言葉がある。東日本大震災で被災を受けた陸前高田市の佐藤一男さんの言葉だ。「津波に対して恐怖心を抱いていた人が生き残った。安心していた人は逃げられなかった」という言葉である。災害に対する備え、一人一人の意識向上の必要性を痛感した言葉だった。人々の頭の片隅に、0.1%でも防災のことがあれば救えた命はたくさんあった。このことが非常に印象に残った。

 また、共助の重要性も痛感した。津波が迫る中、消防団を中心に避難を促し、到達点において引き上げた方も多くいたという。市民が一体となって災害に対処していくことが重要である。また自助が7割の割合を占めているが、自助を補うのは共助の役割である。こうしたことが非常に重要になってくるのである。

 翻ってわが町立川を見た場合、災害に対する意識はどうであろうか。立川市のアンケート調査によると、首都圏直下型地震に「関心ある」と答えた人は8割になるが、旧耐震基準の家屋に居住している人で耐震診断を受診した人は一割未満、家具の固定をしていないひとも5割以上となっている。また、自分の住んでいる地域に自主防災組織があることを把握している人も2割弱程度であった。東日本大震災があり、以前より防災意識は高まってはいるが、依然行動には結びついていないことが課題として挙げられる。

 また、各組織間での連携という点も課題である。地域には行政の他、学校、自治会、NPO、専門家、民生委員など災害発生時にキーとなる組織がある。しかしながら、その連携も全国的に課題となっている。例えば、自治会と民生委員の意見の相違があった。要援護者救助のため情報を区長レベルまで開示したいとする自治会と、個人情報保護のため情報は開示したくないとする民生委員の意見の相違があった。要援護者を守りたいという点では同じ方向性を持っているのだが、立場の違いにより、方策が一致していない顕著な例である。

3 先進防災都市立川を目指して

 こうしたことを乗り越え、安心安全な社会を実現するには、防災意識の向上のための教育、普及活動などを通じ、自助を誘発し、さらに、防災に関わる各機関を統合するビジョンを提示することが不可欠であると考える。私のこれからの二年間はまさにこの方策を探求していきたいと思っている。

 人々が率先して災害に対処し、お互いの機関が連携し合っている。そんな理想の姿を目指していきたい。そうした町を全国に先駆けて作りたいと私は考えている。
 立川は震災の危険性の高い都市である。だからこそ、全国に先駆けて防災に取り組む必要がある。私は、生まれ育った「立川」を舞台に、塾生としての残り二年間の実践活動で、「立川」を先進防災都市にできるような将来ビジョンをつくりたい。そして、その成功モデルを全国に発信することによって、日本中を安心安全にしていきたいと考えている。

参考文献:

目黒公郎著『間違いだらけの地震対策』旬報社、2007年
山村武彦著『近助の精神』一般社団法人金融財政事情研究会、2012年
立川市防災会議「平成24年度立川市地域防災計画」

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江口元気の論考

Thesis

Genki Eguchi

江口元気

第32期

江口 元気

えぐち・げんき

東京都立川市議/自民党

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