論考

Thesis

新しい人間観に基づく政治経営理念 「天分と指導者の役割」

昨年の人間観レポートで「天分」について論じた。今回は、第二弾として「新しい人間観に基づく政治経営の理念」を論じる。

1 それぞれの天分

 今回は人間観レポートの第二弾として、「新しい人間観に基づく政治経営の理念」というテーマで論じる。松下幸之助塾主の考える「新しい人間観」とは、著書『人間を考える』の冒頭にある「新しい人間観の提唱」に凝縮されている。端的に言うと「まことに人間は崇高にして偉大な存在である」、このことが塾主のもっとも言いたいことであろう。人間は偉大だとする塾主の考え方の根本は「宇宙に存在する全ての物には、それぞれ存在意義や役割があるが、人間だけがそれを生かし活用することができる」という点にある。

 それでは、「それを生かし活用する」ということはどういうことなのだろうか。塾主は続くところで、「人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人びとの知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである」と述べている。人間全体としては偉大な力を持っているが、人間一人一人を見れば、未完成であり、それぞれが力を合わせないと人間本来の力は発揮できないということである。

 このことは、昨年の人間観レポートで「それぞれの天分」と題し、野球のチームプレイを例に挙げ、人間一人一人には与えられた天分があるということを論じた。野球の試合において、投手には投手の、捕手には捕手の、内野手には内野手の、外野手には外野手の役割があり、各自が与えられた役割を全うしなければ勝つことができない。これと同様に、社会において、会社員には会社員の、公務員には公務員の、主婦には主婦の役割がある。各自の与えられた役割を全うしなければ、より良き共同生活は営めないのである。

 では先述の「幾多の人びとの知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき」というのはどういったときであろうか。
「新しい人間道の提唱」ではこのように述べている。「人間万物いっさいをあるがままにみとめ、容認するところからはじまる。(中略)一人一物たりともこれを容認し、排除してはならない」、と。高められ融合されるときというのは、人それぞれの素質が認められ、生かされ、この世に役に立たない人間はいないという前提がなされているときであるといえる。

 このような前提に基づいた人間観の塾主にまつわるエピソードがある。松下電器に根暗な社員がいたそうである。営業にも使えないし、内勤でも社内を暗くさせてしまう。困り果てた部長が、塾主に相談したそうである。それに対し、塾主は「そんなに暗かったら、ええなあ。ウチの会社も、お得意先も増え、葬式にでなければならんことおおなったしなあ。ほな、これから彼に葬祭の担当やってもらおう」と言ったそうである。真偽の程はわからないが、塾主の考えが凝縮されている言葉のように感じる。

 通常の発想では、使えない人は辞めさせるという発想になる。しかし、塾主の考え方によると、その社員が使えないのではなく、その社員をうまく生かしてない指導者に責任があるということになる。辞めさせたり、排除したりすることは非常に簡単であり、何も考えない短絡的な考え方である。どんな人間でも使いようによっては有用で、必ず生かす道がある。こうした考え方が、塾主の発想だ。

 人間は百人いれば百通りの生き方があり、天分がある。そのことを見つけていくことは非常に困難であり、容易なことではない。しかし、こうした考え方こそ必要な視点なのである。
 『PHPのことば』に以下の記述がある。

「凡そこの世に、同じものは一つもなく、同じ人間は一人もありません。おのおのその使命を異にし、その道を異にしております。
 すべての人を、同じ型にあてはめ、同じ道を歩ませようとすることは、自然の理にもとることとなります。人みな異色異行、そのままに天分を伸ばしてゆくところに、自分も生き、全体も生きる道があります。そこに真の自由が生まれ、真の繁栄、平和、幸福が築かれてまいります。」

 これは人間が陥りがちな、何でも邪魔なものは排除しようとする短絡的な考え方、長所よりも短所ばかりに目が行きがちになる人間の性、型にはまってしまいがちになる人間の発想を諌めているのである。異なった特質、個性、持ち味がそれぞれに発揮されれば、百花繚乱のごとき豊かな社会が実現されるのである。

 ではこのような新しい人間観に基づき、政治経営を行なう指導者はどう在るべきかという点を考察していきたい。

2 指導者の役割

 新しい人間観に基づく、全ての人間の天分を生かすには何が必要であろうか。そこで、問われるのが指導者の役割であり、在り方である。
 指導者に求められるのは、「全ての人間の天分を認め、それを生かせるように環境を整備していくこと」、この一点に尽きると私は考えている。
 松下幸之助塾主は『人間としての成功』で以下のように述べている。「それぞれの長所、特性をみとめ合い、それをともどもに生かす道を考えるということです」。
 ここで重要なのは二つのことであろう。まず第一に、全ての人の天分を生かすには、それぞれの特性を認めることである。生かせるようにしていかなければならないのである。イデオロギーなどで対立するのではなく、互いにその価値を認め合うことが肝要である。また世の中に無駄な職業はない。松下政経塾の研修において、塾生が様々な現場に足を運び、そこで実習を行なうのは、その仕事の一つ一つがどのような意味を持ち、それに従事する方々がどのような気持ちで仕事に取り組んでいるかを知るためであろう。

 そして、第二に重要なのは、全ての人が如何なく天分を発揮できるようにしていくことである。これには、そのような環境を整備し、天分を引き出していくということが必要である。そしてそのような環境とはどういった環境であるかということが政治経営の理念の根幹となってくる。

3 天分を生かすために

 全ての人の天分を生かすために指導者はどのようなことを考えなければならないだろうか。私の考えを以下にまとめたい。

(1)万人の特性を知る
 「たとえば一流の羊飼いは、羊を思うままに飼育し、立派な羊に育て上げる。その秘訣は何かというと、やはり羊の性質とか特徴をよく知り、これに即した飼育法を考えるからであろう。同じように、人間の繁栄、平和、幸福というものも、やはり人間の本質を見きわめ、これに基づいた生き方、考え方をしていくところに招来されると思うのである」、塾主は『私たちのPHP』の中でこのように語っている。羊飼いが羊の特性をよく理解しているように、人間を生かし活用していくためには、人間の特性をよく理解しなければならない。松下政経塾を設立したとき、塾主は「人間を知れ」と繰り返し塾生に説いていたという。古代ギリシアの哲学者ソクラテスも「汝みずからを知れ」と弟子たちに説いていた。人間を把握することが指導者にはもっとも重要なことである。人間の本質を正しく把握し、それぞれの個性を見きわめ、判断していくことが指導者に求められる一番の資質ではないだろうか。

(2)衆知を集める
 人間一人一人の力は高が知れている。様々な人の意見を取り入れてこそ、より良き理念・政策が生み出される。塾主は『指導者の条件』のなかで、武田勝頼の例を挙げている。信玄の代に諸国に恐れられていた武田氏は、勝頼の代になって跡形もなく滅びてしまった。織田信長・徳川家康連合軍に長篠の戦いで大敗を喫してしまったことが原因である。戦いの前、武田の老臣たちは勝頼に自軍の不利を説き、なんとか合戦を回避するよう思いとどまらせようとした。しかし、勝頼はそれを聞き入れず、最後は源氏の白旗と楯無の鎧兜に対して戦いの誓いを立ててしまったのである。武田家にとって、御旗楯無は絶対で、誰も口出しは許されない。その結果、合戦に入り、武田家は一方的な敗戦になったのである。勝頼は父の信玄以上に勇将であったとされているが、衆知を集められなかった結果、このようになってしまったのである。一人の知恵というのは、所詮衆知には及ばない。様々な人の意見に耳を傾け、信頼を寄せられる指導者にならなければならないのである。

(3)適材適所
 人間一人一人は皆、異なった持ち味を持っている。だから、異なった特性が生かされる場所につけられることによって、その持ち味が十分に生かされる。適材は適所についてはじめて生かされる。指導者はそれぞれの持っている特性を見きわめ、用いることが大事である。これをして組織は生きてくるのである。
 それとともにもう一つ重要な視点は、指導者自らが適材かどうかも常に自問自答しなければならない。自分以上の適材はいないかを判断の基準に入れておくことも非常に重要な視点であり、自らがその職責に相応しい人物になるため、日々の研鑽を忘れてはならない。

(4)素直な心
 指導者にとって素直な心はもっとも必要なことである。『実践経営哲学』に以下の記述がある。「経営者が経営を進めていく上での心がまえとして大切なことはいろいろあるが、いちばん根本になるものとして、私自身が考え、努めているのは素直な心ということである。」塾主の言う素直とは、一般に言われる素直とは、意味合いが違う。物事を捉われのない心でありのままに見ること、これを塾主は素直と言う。利害や感情、知識や先入観などがあると、どうしても人間はありのままに物事を見ることができない。そうした視点では、より良き政治経営は生まれない。何をなすべきか、何をなさざるべきかを判断するには、この視点がなければならない。素直な心の涵養こそ、全ての土俵であり、指導者がなすべきことである。

(5)治にいて乱を忘れず
 上記の四つとは些か趣は変わるが、人々が平和を謳歌し、天分を発揮していくためには、平時において指導者がもしもの備えをしていくことが大切である。これをしてはじめて、人々は安寧を得られ、どんなときにあっても天分を発揮できる環境にいられる。『指導者の条件』で塾主は加藤清正の例を挙げている。朝鮮出兵の折、前線で戦っていた清正が兵を引き、戸田高政の接待を受けることとなった。接待を受けた場所は日本軍が完全に制圧していて、治安の安定している場所であった。高政の側は当然、平生の格好で出迎えた。しかし、そんなときでも清正の軍は全員戦場へ行く恰好をしていたという。どんなに太平な世の中が続いても、決して乱を忘れず、それに対する備えをしていくことは、指導者に求められる資質ではないだろうか。

 以上、塾主の理念のなかでも、全ての人の天分を生かす上で、私が重要だと感じている五つの視点を述べた。

4 自分自身に照らし合わせてみて

 私は松下政経塾に、誰もが枕を高くして眠れる安心安全な社会を実現したいと考え入塾した。これは政治、経営はもちろんのこと人間が生活していく上での必須のゆるぎない基盤でもあり広義な視点から見ても人類の天分を生かす環境づくりであるとも考えている。
 そして、その安心安全を構築する上でも、上記に挙げた五つの要素が必要になってくる。

 今回、「新しい人間観に基づく政治経営の理念」というテーマを考えていった。新しい人間観に基づく政治経営の理念の探求に終わりはないものであろう。そして人間観の構築とは今ある松下政経塾での日々の生活にこそあると思っている。塾主の新しい人間観に基づく日々の生活の中において、これから私の目指すあるべき政治家の確固たる理念を強固な土台として築いていきたい。

<参考図書>

松下幸之助著『人間を考える』(PHP研究所、1975年)
松下幸之助著『PHPのことば』(PHP研究所、1975年)
松下幸之助著『人間としての成功』(PHP研究所、1994年)
松下幸之助著『指導者の条件』(PHP研究所、2006年)
松下幸之助著『実践経営哲学』(PHP研究所、2001年)

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江口元気の論考

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Genki Eguchi

江口元気

第32期

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