論考

Thesis

「変化」について考える

松下幸之助塾主は、常日頃から「日に新た」「生成発展」を説き、「変化」することの重要性を強調していた。今回は「変化」ということをキーワードに論じていきたい。

1.はじめに

 昭和の創業者たちは様々な言葉を残している。シャープの創業者早川徳次は「まねされる商品をつくれ」と残した。花王の長瀬富郎は「すべて何事も順序を誤ってはならない」と残したそうだ。そんななか、松下幸之助塾主は次のような言葉を残している。「変化することを恐れるな」と。

 塾主は、生涯を通じて、変化ということを考えていた。「日に新た」や「生成発展」ということ常に言い続け、必死に従業員たちを鼓舞してきたのである。今回は「変化」をキーワードに論じていきたい。

2.変化する意味

 変化することがなぜ大切なのだろうか。私は大きく分けて三つあると感じている。第一に、環境に適応していかなければならないという点である。現代社会の環境は「ドッグイヤー」と言われるように、日々刻々と状況が変化している。環境が変われば、それに対応するように、組織も人も変わっていかなければならない。第二は、ベストなものは存在していないということだ。人間の価値判断は相対的なものである。仮に現時点でベストだと思っていても、次の段階でベストであるとは限らない。常にベターな選択をし続けていくのが、政策決定なのであろう。第三は、人間は飽きる生物だという点である。そのときは最適なことだと思い実行していても、いつしかそれが「当たり前」になってくると、慢性化し、そこからの新しい発想が欠乏してくる。また、革新的なアイディアは、いつまでも革新的であるわけではない。時代とともに陳腐化し、それ以上のものではなくなってくる。総じて、我々人間は、絶えざる変化をしていかなければならないのである。以下、この三点についてそれぞれ詳しく述べる。

3.環境の変化

 環境が変われば、人も組織も変わらなければならない。2000年に「破壊と創造」をスローガンに、聖域なき構造改革を行なった松下電器(現パナソニック)の中村邦夫社長(現会長)の改革がその実例だろう。事業部制は、迅速な意思決定ができ、部門ごとの採算管理が把握しやすく、各事業部長に事業を任せることによって責任感と創意工夫を促す松下電器の特徴でもあった制度である。しかし、この頃になるとむしろ縦割りの弊害が目立つようになってきた。規格の異なる同種の製品を複数事業部が同時に売り出したり、同じ商品を取り合うなどということが起こるようになっていた(※1)。この体制が重複部門や重複投資を生み、結果として身動きが取れなくなっていたのである。それを改革したのが、中村改革である。事業部制を廃止し、事業ドメイン制を採用、技術基盤の共通性によって再編成させた。これによって、松下電器は見事に再生、全社を挙げての海外進出も可能になった。

4.ベストは存在しない

 この世にベストなものは存在しない。これがよくわかる実例が、イチロー選手のバッティングフォームに見られるであろう。214本の安打を打った1994年には右足を大きく振り上げる「振り子打法」を採用していた(※2)。 2001年にメジャーに移籍すると、右足をほとんど上げない摺り足に変更している。2004年には、右足を一塁方向に開いて構えるオープンスタンス、さらには内角対策のためやや猫背に構えている。2007年には猫背をやめ、再び背筋を伸ばした構えになっている。このことから言えるのは、イチロー選手のバッティングフォームは常に変化があるということである。野球界のトッププレイヤーでさえも、日々進化しているのである。この世にベストというものは存在しない。常に今よりいいものを追い求めて進化していく。これ以外に方法はないのである。

5.飽き

 人間は飽きる生物である。一度いいものだと認識しても、それが永続するとは限らない。同じであるということは、刺激がなくなるということでもある。それは、仕事であるなら効率を落とし、商品であるなら人々から飽きられてしまうのではないだろうか。

 「モーニング娘。」というアイドルグループがある。1997年にデビューした女性アイドルグループだが、飽きさせない工夫をし、長く人気を得ていた。メンバーを定期的に入れ替えたり、「ミニモニ。」「タンポポ」といった期間限定のユニットを編成したりするなど、様々な飽きさせない工夫を常にしていたグループと言えるだろう。

6.変化をするために

 以上、見てきたように、変化するということは非常に重要なことである。しかし、一方で言えるのは、変化するのは難しいということだ。特に大きな組織では、組織が硬直化してしまうことがある。前例がない、時期尚早などという言葉とともに改革が進まないということが往々にしてある。過去大きな成功をしている組織であるほど、それを否定する力を失う。変化することは非常に難しいことでもある。

 この1年間、私は様々な研修先へ行き、実習をさせていただいた。それぞれの研修先で、「変化」に対して、どのような取り組みをしていたのかを書いていきたい。

 昨年は、4月から定期的に陸前高田市に入り、震災復興奉仕活動を行なった。文字通り日々刻々と変わる状況に、対応していかなければならず、変化することの難しさを痛感した。水道が通っていなかったため、現地でお風呂を提供するプロジェクトを行なった。初めの数回は被災者の方々が入浴されたが、水道が復旧するとむしろ施設は無駄なものと化してしまった。柔軟な対応を必要とすることを学んだ経験であった。

 5月、6月、9月には小田原市栢山にある報徳農場にて農業実習をした。水田の管理は天候との闘いである。毎年の状況に対応した管理をしなければならない。その考えは、この地の偉人二宮尊徳から脈々と受け継がれているものである。尊徳が、夏前に茄子を食べたところ秋茄子の味がしたことから、冷夏を予測し、村人に冷害に強いヒエを植えさせたのは有名な話である。世に言う天保の大飢饉に際しても、1人の餓死者も出さなかった。天候を予測し、迅速な対応をした結果である。
 我々のやった作業は田植えと雑草取り、稲刈りのみであったが、水量管理や水温調整など、天候に合ったやり方を毎年変えていかなければならないことを知った。

 7月には、いわゆる「町の電器屋さん」と言われるパナソニックの販売店で販売実習に取り組んだ。「絶えずお客さんのニーズに耳を傾けること」と社長さんは力強くおっしゃっていた。近年では家電量販店が進出し、販売店の状況は厳しさを増している。そのようななかにあっても、一瞬一瞬の顧客のニーズに対応することによって売上を伸ばすことはできる。私の研修させていただいた販売店では、従業員の方々が1軒1軒を回り、足繁く通うことによって、どんなサービスを受けたいかを的確に把握することに努めていた。家族構成、性格、電化製品の設置状況、買い替えの時期など情報は多岐にわたるため、柔軟な対応が求められる。しかしながら、家電量販店ではここまでの柔軟性はない。今後高齢化社会を迎え、街の電器屋さんの重要性はますます増すであろう。キーワードはやはり変化への柔軟性である。こうしたことができるのは、街の電器屋である。

6.終わりに

 「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」とはダーウィンの言葉である。現状を変えていくのは厳しいことかもしれない。しかし、状況に応じた変化をすることこそ重要なのである。変化に対応できないものは生き残れない。変わり続けることによって、力強い安定も生まれてくる。そこに我々の未来もあるのである。今こそ塾主の言う「変化することを恐れるな」という言葉を胸に刻んでおきたいと思う。

<参考文献>

(※1)
中村邦夫述 松下政経塾/PHP研究所共編『これからのリーダーに知っておいてほしいこと』(PHP研究所、2011年)
森一夫著『「幸之助神話」を壊した男』(日本経済新聞社、2006年)
(※2)
NHK「MLB2011日本人メジャーリーガーの群像~イチロー」(2012年1月1日放送)

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江口元気の論考

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Genki Eguchi

江口元気

第32期

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