松下政経塾 The Matsushita Institute of
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人間観
2012年8月

塾生レポート

人間の持てる力とは
林俊輔/卒塾生

入塾以来、約5か月が経過しようとしている今、松下幸之助塾主の提唱した「新しい人間観」を基に人間について改めて考え、これから目指すべき自らの姿を確立していく上での決意とする。

 

1)人間の持てる力を自覚せよ

“人間は万物の王者となり、その支配者となる”

 松下幸之助塾主は「新しい人間観の提唱」の中で、人間をこの強烈なフレーズを用いて評している。私自身、この「新しい人間観の提唱」文を一読した際にやはり、このフレーズが最も引っ掛かり、最も心に残った。
 一見すると、非常に傲慢で、人間本位な考え方のようにも思える。しかし、私自身、この言葉について考えるに、人間は万物を支配しうる能力を備えた存在であることを自覚することが何よりも重要なのであって、そのことを理解しない限り、人間の力はやはり発揮することができないのではないか。人間はまさに霊長であり、他の生物には備わっていない力が、幸か不幸か、身についていることを正しく認識することが必要なのだと思う。人間だけが正にも負にもなりうる“力”を、“作用”させることが可能であり、その作用により、結果的には人間や他の生物を含む地球、宇宙全体へ大きく影響してしまう。これを認識せず、他の生物同様に生物としての本能のママに活動することは許されない。
 当然、他の生物の活動や自然現象など、地球、宇宙全体へ作用する力は他にも様々に存在しうるだろう。本能のみに従っている人間以外の他の生物の営みと決定的に異なるのは、人間の活動は意思を持って行われているという点である。そしてこれこそが、松下塾主が「新しい人間観の提唱」の中で、劇的な言葉を用いて人間自身に自覚させようとしたことの本質なのではないだろうか。

“人間にはこの宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。”
“かかる人間の特性は自然の理法によって与えられた天命である”

 提唱文の中で、人間の特性は“天命”であると明確に述べられている。この天命を知らずして、人間を単なる自然の一部、動物の一種として捉え、自らの力を自覚せず、力を振るう現代の人間の姿こそ、危険極まりない。まさに自らを律することができない子供に武器を持たせているようなものと言えるのではないだろうか。冒頭に述べた通り、本提唱文を一読すると非常に不遜に思える表現ではあるが、むしろ現代社会においては、ある種、人間を中心に考え、人間の論理を一方的に展開する場面の方が多いように感じられる。逆説的な表現になるが、この天から与えられた人間の“本分”“力”を認識するところから始めることが、人間を含むこの宇宙に秩序をもたらし、さらなる生成発展に向かっていくために必要なのではないだろうか。

“文化が進み、文明が発達してきたにもかかわらず、人間は同じような不幸をくり返している、というよりも、文明の進歩に反して不幸が大きくなってきている面さえみられるわけです”
“人間は本来もっとすぐれたものである、調和ある繁栄、平和、幸福を実現し得るものである~中略~人間の本質を正しく自覚するならば、人間の共同生活は必ず好ましいものになるのだ、と、そう思うのです”

 松下塾主は、人間の持つ力と可能性を最も信じていた人物の一人であることは間違いないだろう。しかし、人間はその天から与えられた力を持っていながら、現代のこの貧困や戦争等好ましくない状況が多発し、自然の理法にすら抗おうとするその姿に、強い危機感と苛立ちを覚えたものであろう。人間が自らの力を自覚し、人間自らを信じ続けることこそ、世界の繁栄、平和、幸福への近道と言っても過言ではないだろう。

2)信じることから力は生まれる

“つねに前向きに物を考えていくことが大事”
“一つの失敗があって大ぜいの人びとに迷惑をかけたことは、大いに反省し改善して今後の過ちなきを期していかなければなりませんが、しかしだからといって、物を否定的消極的にばかり考えてはいけないと思うのです”

 同じものごとを捉えるにしても、否定的な見方をしてしまえば、そこでその現象を捉え続けることは積極的には行われず、むしろその事象自体をなかったことにしてしまうようなことが多々あるが、そのようなことでは、やはり進歩には繋がらないように思う。今現在できていないこと、排除すべきことについても、適切な処置、処遇の方策を生み出し、活用することにより、万物を善用することができる、こう考えなければすべての思考は停止し、努力や実践は生まれてこない。必ずすべてのものには役割、すなわち、天命が存在する。その天命を全うするために、生活、活動が行われている。このように考えて、意識しながら努力を重ねることがよい結果をいずれもたらすことに繋がるのではないだろうか。

 松下塾主は一代で「経営の神様」と称されるまでに大成したわけであるが、その成功の要因を「お金がない」「学がない」「健康でない」と、本来成功するために必要なものが3つともなかったからだと自らを評している。家が貧しかったが故に、限られた資源を大切にした。学問がないから、皆の意見に耳を傾けるようになり、おのずと衆知が集まった。体が弱いから、自分の代わりになってくれる人を育てようと思った。と、通常であれば、自らの置かれている状況に悲嘆にくれてもよさそうなものであるが、その状況に屈することなく、むしろ逆手に取って前向きに挑戦し続けることで成功を収めたのである。
 またその昔、中小企業であった頃から、ヒト・モノ・カネの経営資源が潤沢ではなかったこともあり、これらの資源を最大限有効に活用せざるを得ない状況でもあった。そのため、今ある持てる戦力を最大限使いこなそうとする意識が強く、必ずできると信じて任せることで人間の力を更に引き出してきた。そうした成功体験を通して、人間の力を信じること、人間の可能性を信じることに繋がっていったのではないだろうか。この究極的なポジティブ思考こそが、人間をはじめとした資源を最大限にいかす秘訣であり、生成発展のポイントなのだと思う。

「一晩あれば大概のことはできる」

 これは私が印刷業の企画部門で働いていた前職時代に、仕事とは何かをすべて叩き込まれた大先輩から言われた一言である。時々刻々と市場が変化する中、定型の仕事は存在せず、非常に短い期間に得意先の要望に応じた多種多様な仕事に追われる状況下で、心が折れそうになった時の言葉だ。受注産業ならではの得意先の要求に応えること、納期を死守することが絶対である仕事文化の中から生まれてきた言葉だが、必ずできると信じて取り組めば、できないと思ったことも達成できる、人間の力を引き出すことができることを体感した貴重な体験として、今も心に刻み込まれている。

 塾主は人間、特に日本人は勤勉で、仕事をすることに喜びを感じると述べているが、自分の経験に照らし合わせると、むしろ人間は怠惰で、心の弱い生き物と言える面も大きいのではないかと考えている。自ら高い目標を掲げ、自らを律し、突き進んでいける類の人間は、特にプロスポーツ選手や経営者等に少なくはないが、多くの人々の場合、明確な意思を持たないままに、状況に流れ、流され、時代に翻弄されているのではないだろうか。一面、これが自らに課せられた天命を理解せず、自らの持てる力に自覚を持たないままの、人間のあるがままの姿ではないかと思う。自分自身に照らし合わせてみても、ただ生きていく上では、困難から逃げてしまいたい衝動に駆られたり、何事もなければ平穏に怠惰に過ごしたいと思ったりと、心根の弱い部分は存分に持ち合わせており、おそらく社会の共同生活における自覚がなければ、その部分の方が強く出てしまうのだろう。そして、このような感情は大勢からさほど外れたものではないのではないだろうか。人間、できない理由を並べ立て、言いわけを考えることは簡単であり、ついついそちらへ流れたくなるものであるが、先の例のように、できると信じ、高い目標に向かって挑戦すること、それが自らの可能性を引き出し、生きる力を生み出していくことも一面の真実であろう。

 また、人間は見えない目標や経験したことがないことに向かって挑戦することは、本質的に苦手なのではないかと思う。しかし、世界は生成発展しており、未経験の連続から新たな世界が生まれるのである。だからこそ、元来、世界を生成発展させる本質的な能力を有していながら、自発的にはなかなか動くことができない、か弱く、臆病な存在である人間自らを力強く先導する指導者、リーダーの存在が不可欠なのである。そして個々は弱くとも、その力が結集し、発揮される時に、新しい世界に向かう正しい大きなエネルギーとなるのであろう。
 私自身が幼少から取り組んできたスポーツにおいても、同様のことを経験してきた。強烈なリーダーシップを発揮するリーダー、指導者に導かれ、皆の思いが明確に一つになる時、持てる力以上の可能性が引き出されていくのである。しかし、その逆もまたしかりで、「何故頑張らないのか?」「何故必死になれないのか?」と問うだけでは、元来、そうしたいと強い意志を持っていない人間の力を引き出すことはできない。ひょっとすると、私がこれまで振りかざしてきたリーダーシップとは、人員の力を信じ、引き出すものではなく、動こうとしない者を無理矢理動かそうとすることに他ならなかったのではないかと反省する。そこにはやはり導かれる側の心の動き、人情の機微を捉えることが欠けていたように思う。
 人間はともすれば弱い存在であるが、目指すべき理念、目標を明確に見据えることと、自覚を持つことの如何によって、いかようにも成長できる強い力を発揮しうるのである。

3)持てる力を発揮するために

 人間が自らの持てる天命を自覚し、万物の王者たるには衆知を集めなければならないと松下塾主は説いている。この衆知こそが他の本能でのみ行動している動物と異なり、人間のみに備わっている才覚である。そして、この衆知を集めるために何よりも重要なものが「素直な心」である。

“「素直な心」とは単におとなしく従順であり、何でも人のいうことを聞いて、よかれあしかれ、いわれた通り動くということではなく、私心なくくもりのない心であり、一つのことにとらわれず物事をあるがままにみようとする心であり、そこから物事の実相をつかむ力が生まれてきて、なすべきことをなし、なすべきでないことを排する勇気が湧いてくる”

 素直な心になる。これが生成発展に向けて人間が人間然たる力を発揮していく上で、最も基本的、且つ重要なことであると同時に、最も我々現代人にとって難しいことの一つのように感じている。当然、社会において、お互いを認め合い、感謝の念を持ってして臨む方が、社会全体がスムーズに回ることを否定する人間はいないであろう。しかし、そのことは各々頭では理解しているが、社会生活においては自と他、自分の所属する集団と他の集団とが存在する中で、自他の利益を自らの立ち位置のみに立脚して主張したり、自他を比較したり、妬みや嫉みから穿った見方、先入観を持つことが多々あるのが事実である。

 入塾以来5か月間の研修の中でも、自分自身、このことの難しさを痛感している。例えば研修にて訪れた海外の国でのこと。その国では車は道路を縦横な尽に我先にと蛇行し、電車やバスを待つ人々も整列することなくドアが開いた瞬間に群がるといった状況である。この光景を見た私は何て無秩序なのだ、と感じたものである。しかし、とあるその国に造詣が深い人曰く、急ぎたい者は単純に急ぐ、そんな行動原理とも言うべき暗黙のルールに基づいた秩序立った行動なのだそうだ。自分の持っている価値観からしか物事を捉えることができなければ、その瞬間に思考停止に陥ってしまうのである。これまでの様々な研修において、ついつい人種の違い、文化の違いに基づく既成概念、これまでの仕事や学校での経験に依拠した行動様式、自らの生まれ育った環境や風土により形作られた思考様式など様々なフィルターに遮られた色眼鏡を用いて、体験、経験をしてきてしまった部分が大きかったように思う。結果として、フィルターを通して見えた世界は非常に狭く、本来得られるはずの可能性が100だとすると、目の前の2、3程度で満足してしまっていたのではないだろうか。
 人間は自分の経験したことのないこと、自分の頭で想像できないことというのは、その不安定さから、ある種認めたくない感情に左右され、否定したくなるものである。しかし、この自分本位な考えだけでは、到底、衆知は集まらないし、結果的には人間の持てる力を削いでしまうことにも繋がってしまう。
 いっさいのものをすべてあるがままに認める、容認することは簡単なようで非常に難しい。私心を捨てる、これがまず初めになすべきことだと思う。私心が成長、生成発展の妨げになっていることを自覚し、素直な心を養っていくことが肝要と心得ていきたい。

 この素直な心で物事、人を捉えることが、「なすべきでないことを排する勇気」を持つことへと繋がっており、これがリーダーに求められる最も重要な要件の一つではないかと思う。共同生活を営む人間に対して影響を及ぼすべきリーダーは、その社会全体の生成発展のために正しい価値判断をすることが常に求められる。その時に、ある一集団の利益に偏ったり、ある一面だけを見て事の本質を見逃したりしないようにするためにも、物事のありのままの姿、道理、真実を見ること、見抜くことがいかに重要であるかが理解できる。特にリーダーにとって「素直な心で衆知を集める」、この当たり前のことをいかに実践できるかが問われるのだと自覚したい。

4)目指すべくは…

“かかる人間の現実の姿こそ、みずからに与えられた天命を悟らず、個々の利害損失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする結果にほかならない”
“長久なる人間の使命は、この天命を自覚実践することにある”

 まさに現代社会における問題の本質を端的かつ的確に言い表している言葉ではないかと思う。現代において、考え方の起点は個に集約されることが多く、自らの生きる理由が自らの富、栄誉など個にとらわれ過ぎてしまっているように思える。ここから脱却し、人間自らが生きる使命、天命を自覚することがこれからの現代社会に最も必要とされることではないだろうか。そして、自分自身もその天命を自覚し、自分に与えられた天分を全うするために、今ここにいるのだと信じている。

 そして、いずれにしても、やはり、全ての活動は人間の幸せを求めることに帰結するのだと思う。個々の人間が生きる理由もここに集約されるであろうし、生きている限りは幸せになりたいと人間はどこかで必ず願っているものであろう。

 松下塾主は幸せを

幸せとは、人間としての天分・天命を発揮すること

と定義している。
そして、その幸せの条件として以下の3つを挙げている。

1)自分が幸せだと思うこと
2)周囲がその幸せを認めること
3)幸せが自然の理法に適っていること

 ここでも現代社会の問題点が浮き彫りになっているのではないだろうか。人間が共同生活を営んでいる事実が軽んじられ、一つ目の「自分」の幸せのみを追求した社会が形成されつつあることが、大きな歪みを生じさせている一因となっているように感じられてならない。当然、個の幸せが前提条件となり、社会全体の幸せは形成されるべきものであるはずだが、個々の幸せは必要条件であって、必要十分条件にはなりえず、個々の幸せの積み上げによる総和は単純に、全体の幸せの形とはならないのである。
 二つ目の周囲を含める社会から認められること、そして三つ目の自分本位、人間本位にならず、自然の理法に従い、宇宙全体の生成発展の流れの中において幸せを感じることが、今一度我々が考えなくてはならないことではないだろうか。
 確かに現時点で個々を見れば、人間は利己的で、弱い存在とも言える。自分もそうである。しかし、人間が持っている“力”を自覚し、その持てる個々の力を引き出し、正しく導くことができれば、必ずや人間を含める社会全体は良い方向、つまり繁栄、平和、幸福へと向かっていくはずである。そして自らがその一翼を担うべく強い決意と、素直な心を持って自己研鑽を続けていきたい。自らの天命を信じ、力を信じて歩んでいく。

参考文献:

松下幸之助『人間を考える 第一巻』PHP研究所 1975年
松下幸之助『人間を考える 第二巻』PHP研究所 1982年
松下幸之助『素直な心になるために』PHP研究所 1976年

2012年8月 執筆
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