論考

Thesis

日本の伝統精神の行方

人間社会のルールや制度をつくるうえで、人間の性質を理解することは欠かせない。就中、個々の民族の性質を理解しなければその国固有の特色を活かすことは難しいだろう。では、我々日本人の現代的な固有の精神とは一体どのようなものなのだろうか。時代背景に基づいて考察した。

はじめに

 人間社会の法や制度はその倫理観、道徳、正義など精神的諸原理に基づいてつくられる。この諸原理には万国共通のものと民族固有のものに分けられるだろう。従って、法や制度をつくるうえで人間のもつ精神的諸原理を両面にわたって理解することは重要である。松下幸之助(以下塾主)も著書「日本の伝統精神 日本と日本人について」の中で次の旨を述べている。つまり、政治、経済、教育の在り方などについて研究するには、それに先立ち、日本とはどういう国なのか、その伝統、国民性、精神というものについて正しく知る必要がある、と。
 人間がもつ普遍的精神の考察は極めて重要なのだが、それは別稿に譲るとして、本稿では後者に焦点を当て、我々日本人がどのような伝統的精神をもつ民族なのかについて考察したい。そして日本が近代国家成立から今日までに取り入れた新たな精神について考察し、日本の伝統精神が近代において変容したのか否か、さらには伝統精神を今後も維持、継続するにはどうすればよいのか、について考察した。

農村社会から見える日本の伝統精神

 「伝統」というからには歴史を経た精神であり、且つ多くの日本人が納得するものでなければその正統性はみとめられないだろう。あなたにとって日本の伝統精神とは何ですか?の問いに対して、何を候補に挙げるだろうか。私の場合は「侘び・寂びの心」がまず心に浮かぶ。歴史的にどうかと思い、一千年前の和歌集を開くとそこは正に「侘び寂び」の世界がひろがっていた。ただ、あなたに「侘び寂びの心」が分かるのかと問われれば、汗顔の至りなのだが。
 いずれにせよ、日本の歴史の中で連綿と受け継がれてきた精神は必ずあるはずで、多くの先達がそれを明らかにしてきた。塾主もその一人であり、今回は塾主の唱える日本の伝統精神に基づいて考察をすすめたい。また、私は「過疎化」や「農業振興」を研究テーマとして中山間地で活動しているので、そこでの経験と照らし合わせながら塾主の唱える伝統精神について考える。
 塾主の唱える伝統精神は以下の3つである。

和を尊ぶ
衆知を集める
主座を保つ

(一)まずは「和を尊ぶ」である。争いは極力避ける、避けたい、という態度を表すものである。それを達成するには少なくとも二通りの方法があるだろう。一つは他者への無関心。もう一つは積極的に他者にかかわったうえで調和を図る、というものだ。当然日本の場合は後者だろう。農村において他者に無関心で生きていくことは不可能だからである。今日のように機械化が進んでいない時代では肉体労働に頼らざるを得ないが、それを一人でやり続けることは相当な困難を伴う。田植え然り、稲刈り然り、草刈り然り。従って互いに助け合うことが基本なのだ。私自身、研修としてやっている農作業を近所の方に手伝っていただくことがある。その方は特に見返りを求めているわけではない。しかし、やってもらったからにはお返しをしたい。自然にそういう思いになってくる。農村社会はその繰り返し、積み重ねの中で「和を尊ぶ」ことが自然な態度になり、精神になったのではないだろうか。そこには自己犠牲の精神も垣間見ることができる。
(二)次は「衆知を集める」である。様々な意見を求める、という意味だが言い換えれば「独断を避ける」ということである。ここから見えるのは「慎重さ」や「経験主義」である。農業は工業と異なり自然が相手である。決められた方程式があるわけではないので、ある変数に何かをあてがえば答えがでるわけではない。従って、ある行動に対して結果を予想するのは極めて困難である。ただし、唯一予想可能な手段がある。それはすでに経験した人(特に年長者)の意見を聞くことである。もし、農業において結果を求めるための科学的原理とそれに基づく方法論が確立されていれば何人も独立して農業を営めただろうが、土の性質、水温、日照時間、肥料の具合、どれをとっても一様でない環境下においては、やろうとする一手がどのような結果を生むのか予想することは困難である。しかも失敗すれば作物は思うように取れず、生活を苦しめることになる。ましていわんや誰もやったことがないことをするのは極めてリスクが高い危険な行為になる。家族のためにも慎重に慎重を重ね経験を重視する、という態度が「衆知を集める」ということになったのではないだろうか。今でこそ農業も科学・技術の恩恵を受けて、ある程度予測可能になっているが、窒素、リン、カリも知られていない時代にとって、何をどれくらい農地に投入すればよいか、経験に拠る以外にすべはなかったに違いない。
(三)最後は「主座を保つ」である。「主座」という言葉は辞書になく、塾主独特の言い回しなのだが、つまり、よいものは取り入れるが、しかし、己の守るべきものはしっかりと守る、という態度を表す言葉である。先ほど「衆知を集める」は「経験主義」から生まれたものではないかとの説明したが、経験が尊いからといって全て経験に従うこともできない。なぜなら、気候ひとつとっても同じ日はなく、畑で何を作ってきたのか栽培履歴も異なるだろうし(輪作障害の危険)、とにかく、その時々の状況は過去と全く同じということはありえず、今の状況をよく知っているのは今まさに行おうとする当事者のみに限られるからである。全てを他者にゆだねることは無理なのである(さもなくば一人前とは認められないだろう)。今の状況を把握したうえで、類似の経験を尋ねて活かす。己の軸を定めたうえで、他者の意見を受け入れる。ここから「主座を保つ」という態度なり精神が生まれたのではないか。

 以上、塾主が唱える三つの日本の伝統精神を農村での経験を踏まえて考察した。こうしてみてみると、日本の伝統精神(東洋の精神ともいえるかもしれないが)は、個人や個別が持つ論理よりも、他者や自然との関係に注目し、どうすれば全体に調和して生きていくことができるのかということに価値をおいているようにみえる。そしてそのために、人間社会を含む全宇宙にはどのような論理が潜んでいるのか、その「理」(理法)を見出してそれに従って生きていく、という具合に精神が昇華されたように思われる。このことは、全体(自分を取り巻く環境、全宇宙)を所与の条件として認識しているため、自分を取り巻く環境は受け入れる、という受容の態度にもつながっているのではないだろうか。
 ところで、以上のように考察をすすめていくと個々の精神はネガティブな側面も同時に含んでいることを痛感した。例えば、「和を尊ぶ」あまり本音を言いづらい、「衆知を集める」ことに徹して決定も遅く、新しいことに挑みにくい、責任の所在が見えない、「主座を保つ」ために他を排する恐れあり、また、全体に潜む「理」を重んじるため、個別(個人)の要素が持つ「理」や原理に対して無頓着、などが考えられる。万事において二面性があるのは真理だろう。いかに素晴らしい伝統精神でも、そこには負の側面も同時に含まれていることを心しておくこともまた大切ではないだろうか。

近代精神の導入と特徴

 前節において塾主が唱える日本の伝統精神を農村社会と照らし合わせて考察した。もし、日本の伝統精神が農村社会から生まれたものならば、その精神が間違いなく生きていた時代は、農村社会が日本において主要な社会形態だったときに違いない。それはいつごろまでだろうか。農村の人口推移についてはっきりと線引きすることは難しいがおよそ1960年代(昭和30~40年代)の高度経済成長期までといえそうである。それではそれ以降、日本の伝統精神の担い手だった農村社会が衰退していくなかで、伝統精神は今でも「伝統精神」であり続けているといえるのだろうか。そして、近代に入って新しい価値観、精神が西洋から移入されたといわれるが、その影響はなかったのだろうか。まずは、日本に「近代」という新たな精神が導入された過程についてみてみる。
 私たちが生きている「近代」は、18世紀にヨーロッパにおいて主権国家という概念と制度が生まれた頃までさかのぼることができる。近代国家の発展過程とその特徴について、ドイツのプロテスタント神学者、エルンスト・トレルチは次のように述べている。

Ⅰ 「国家は人間の知性と予見の最高の芸術作品であって、人間は大いなる自然の暴力と自然の衝動に翻弄されるあわれな存在であるという原初的感情を拭い去る。自然の力と衝動は中世のちっぽけな権力では立ち向かうすべもなく、その苦しみは教会の愛のわざや修道院の諦念でいやすほかなかったものである。近代国家は非合理的な神の摂理に代わる合理的な此岸的摂理である。」

 ここで出てくる「此岸的」というのは理想的な神の世界「彼岸」に対する世俗的世界を表す。ヨーロッパにおいて近代国家への歩みは教会権威からの離脱、世俗的合理化からはじまった。そしてさらなる国家の展開についても指摘する。

Ⅱ 「あるいは自ら霊的に貧しくなってしまったと感じた場合、あるいはそもそも最高の価値のこの並立の中にひそむ緊張を自覚した場合、国家は精神(エートス)と宗教の全体を自分自身の中に取り込み、単に主権をもつ力の組織としてだけでなく、あらゆる文化と理性の全体性としての自己を確立しようと試みた。」

 さて、日本の場合はどうか。明治期において近代国家を導入したが、官僚制度の確立のみならず、「国家神道」という形で国家に「日本の精神」を取り込み国民の統合を図ったという意味で、Ⅱの形態を導入したといえないだろうか。つまり、日本では西洋におけるⅠの世俗化の過程がなかったこと、そして当時、神道と深いかかわりをもって社会が営まれていたであろうことを鑑みると、円滑な国民統合を図る上で、Ⅱの形態を導入したことは自然な流れだったと推察される。この近代国家導入の根底にある精神は

「個々人の自然的平等という一般的概念と国家総体の合理的構成」があればこそ、「個人の生の諸目的が国家を通して、できる限り個人のために、個人によって実現する」である(「ルソー的民主主義」)。

 繰り返しになるが、この合理的精神だけでは国民統合の達成は困難であるとの理解が「国家神道」を生み出したが、その判断にこそ西洋と異なる、少なくともその当時の日本国民特有の精神を窺い知ることができる。
 その後二度にわたる世界大戦を経たのちに政教分離を果たして新たな国家体制を構築したが、上述の原理的精神は残り、時代を経るに従って一層鮮明になった。因みにトレルチは「ルソー的民主主義」の精神と併せ「アングロ・サクソン的民主主義」の精神についても次のように述べている。

「生の非合理的な自由と運動という前提が支配的であって、これこそが国家の全能に抗して守られねばならず、展開されねばならぬものであるが、このことは、個々人が国家の指導をたえずこの自由の保持のために制御し規制できるときにのみ可能である。」

 果たして現代日本はこの「ルソー的民主主義」と「アングロ・サクソン的民主主義」のどちらに親和性があるだろうか。私は基本的に前者のほうが現代日本人の精神に近い気がする。但し、そこに「アングロ・サクソン的民主主義」に含まれる「自由」を強く求める精神が強調され加味されたものがより正確だと思う。
 以上のように、近代国家の誕生とともに日本には、合理主義(科学主義を伴う)、個人主義、自由主義という新たな精神が導入された。他者との関係や全体に潜む「理」を大切にする日本の伝統精神に対して、近代の精神は個人(アトム)が有している「理」(原理)を見出し、そこからの積み上げ(合理)に価値をおいている。
 この近代精神は日本の伝統精神にどのような影響をおよぼしたのだろうか。そして、私たちは近代精神と日本の伝統精神とどのように向き合い、どのように引き継いでいくべきだろうか。

日本の伝統精神についての再考

 昨今巷で、近代精神への批判を耳目にすることが多い。それは個別(個人)がもつ理に基づく「合理」に重きを置きすぎたために、全体の調和を乱しているのではないか、という主旨だと理解している。しかし、それは日本の伝統的精神がそうだったように、近代精神に存する二面性のうち片面のみが批判されているに違いない。単に悲観的にとらえるだけでなく、日本の伝統精神と近代精神が互いに補完しあい、高めあうかたちで日本人の新たな精神としてとらえなおすことができないだろうか。
 まず日本の伝統精神として本稿では以下3つの精神を挙げた。

和を尊ぶ
衆知を集める
主座を保つ

 各々のよいところは先述の通りだが、そのネガティブな面を近代精神によって克服する方法について簡単に述べてみたい。

(一)「和を尊ぶ」あまり本音が言えなくならないように、個々人には自由があることを認め、それを求めることに対しては寛容になる。「和を尊ぶ」ことで、もとめるべき真実に覆いがされ、結果的に全体が損なわれることはあってはならないからだ。この寛容の態度が個人に活力を与え、全体の生成発展に寄与するはずだ。当然、自由を行使する側はその自由が全体に資するものだ、という信念を忘れるべきではない。両者の歩み寄りが大切になる。
(二)「衆知を集める」ことに徹して決定も遅く、新しいことに挑みにくく、責任の所在が見えなくならないように、ある程度、合理的、科学的手法を取り入れる。いまや「経験」だけが未来を予想できる手段ではなく、合理的科学的手法もある程度未来への道程を示してくれることが明らかになったからだ。但し、トレルチが指摘するように「方法の全能への信仰」という陥穽には気をつけなればならない。飽くまで方法は方法という割り切った付き合い方をするべきで、盲目的に信頼することは危険である。
(三)最後に、「主座を保」った結果排他的にならないために、相手を理解し、互いを認め合う努力をする。10人いれば10様の「主座」があるはずである。一概に否定できるものなど存在しない。それぞれに必ず理由や背景があるからだ。そもそも、相手を知る努力をして互いを認めあい、「主座を保つ」(個を確立する)ことこそ、本来意味するところの個人主義であるはずだ。

 同じように近代精神のネガティブな側面は日本の伝統精神で補完できるはずだ。個と全体。両者に含まれる「理」に向き合うことが今後の日本の「伝統精神」として紡ぎなおすヒントになるのかもしれない。

日本の伝統精神を引き継ぎ、伝えるために

 私たちの精神は時代の流れ、外的要因よって様々に変化しうるものである。しかし、不易流行という言葉があるように、変わるもの、変わってよいものには固執する必要はないが、よいものはそのエッセンスが何かを見極めて残すべきである。私は戦前教育を受けた祖父、そして戦後教育を受けた父の後ろ姿をみて、いささか混乱してきた。日本人の精神、価値観とはなんだろう。祖父の、父のどちらが「正しい」精神なのだろうか、と。それを整理する意味も込めて本稿作成に取り組んだ。間違った認識もあるかもしれないが、以前よりは整理されたと思う。万事において二面性があり、よいところ、悪いところがある。全てを否定することはできない。当然、祖父、父両方に共通する不易の精神もある。
 核家族が指摘されて久しいが、このような社会状態のなかで私たちはどうやって日本人の伝統精神を引き継ぎ、咀嚼して、そして次に伝えたらよいのだろうか。あれこれ考えても結局はコミュニケーション、特に世代間のコミュニケーションではないか、という結論に行きつく。核家族によって世代のつながりが疎くなった現代だからこそ、積極的に世代間のコミュニケーションを図っていく必要があるのではないだろうか。最近、各地において地域教育という取り組みが盛んになってきた。地域教育は、日本人の伝統的精神と、時代とともに現れる新たな精神をうまく調和させ、それを次世代に伝える手段としても非常に有効なのではないか。
 日本の伝統精神とは何か。私もわが子に背中で伝えられるように、人生の先輩としっかりと向き合っていきたいと思う。

参考文献

松下幸之助著「日本の伝統精神 日本と日本人について」 PHP研究所 1982年
エルンスト・トレルチ著(小林謙一訳)「トレルチ著作集10 近代精神の本質」 ヨルダン社 1981年

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内田直志の論考

Thesis

Tadashi Uchida

内田直志

第31期

内田 直志

うちだ・ただし

福岡県みやこ町長/無所属

Mission

過疎対策および地方経済の活性化策の研究

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