論考

Thesis

私の歴史観

今回は歴史観について考察してみたい。前回の国家観のレポートでは人間観と国家観が不可分であることを知った。今回のレポートを通じて歴史観も人間観と不可分であることを知った。そこで、前回の私の人間観を更に整理して、歴史について考察した。

歴史を学ぶ意義

 私は、祖父母の故郷(福岡県京都郡みやこ町犀川喜多良)で進行している過疎化をどうにか止められないものか、との思いで松下政経塾に入塾した。今年の九月より本格的に過疎問題に取り組みはじめ、このレポートを作成している現在はみやこ町で活動している。

 活動といっても、過疎の原因や解決策を見つけて即アクション、というわけではない。それも大切だが、まずは、みやこ町がどんなところなのかをインプットしている最中である。

 実際に調査してみて、町の見方にもいろいろあることが分かる。はじめに取り掛かりやすいのは、地理的な特徴や産業面での特徴を調べること。現在進行中の物事を平面的に把握するという見方である。車を走らせて実際に目で確認できるので行動しやすく、分かりやすい。町の規模はこれくらい、どういう地形的特徴があって、どういう産業が主で、どのような幹線道路があって、どのような市場があるのかなど。しかしこれだけではせいぜい現状把握にすぎない。一番大切な、一番知りたい問い、なぜそこに人が住み、なぜその生業で人が生きているのかについて理解することは難しい。この根本を理解するには時間軸からの見方、つまり歴史の調査が欠かせない。大変地道な作業だが、重要な作業でもある。

 現在の姿をみて疑問をもち、町誌やその他資料をめくり、そしてそこに住む方々の話を聞き、再度現在を振り返ることで初めて過去のストーリーと現在の姿が一致し、理解できる。歴史家E.H.カーは「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」(『歴史とは何か』清水幾太郎訳、岩波新書)と述べている。私は歴史家ではないが、現在の「何故」と過去の事実を見比べ続けて初めて歴史が見え、そして現在を理解することができるというのは活動を通じての実感である。

 このように考えていくと、次に「なぜ現在を理解したいのか」という問いも自然に浮かんでくる。個人的目的でいえば、過疎問題を解決するためである。解決するために、何か行動が必要になる。その行動について、当然なんでもいいことはないだろう。そして、他の地域で成功しているから必ずここでも成功するとは思われない。その地にあった何か「正しい」方法、「道理にかなった」方法があるはずで、それはいわばその土地の文脈に沿った自然な、連続的な流れの中にあるべきではないかと考えている。それこそが未来にむけて打つべき一手であり、その一手のために現在を理解する必要があり、更に、現在を理解するために過去との対話が必要になるのではないだろうか。そのためにはまずは特定地域の歴史ではなく、より大きな歴史の流れを把握する必要がある。

西欧の歴史観

 近代において歴史はどのように認識されてきたのだろうか。代表的なものにカール・マルクスが唱えた唯物論的歴史観がある。詳細については私の能力に適わないため専門書に譲りたい。

 さて、マルクスの歴史観は「ヘーゲルの弁証法」に基礎をおいているといわれているが、この「ヘーゲルの弁証法」なるものを広辞苑で調べてみると、

「思考活動の重要な契機として、抽象的・悟性的認識を、思弁的・肯定的認識へ高めるための否定理性の働き」

と解説されている。もっと入門的で噛み砕いて解説してくれている以下の図書によると、

「テーゼ(最初の命題)、アンチテーゼ(その命題と対立したり矛盾したりする命題)、ジンテーゼ(両者を踏まえた、より高次の命題)、へと進んでいく」「動的なプロセス」

と説明されている。(橋爪大三郎著『労働者の味方 マルクス』現代書館より)

 そして、このプロセスを経て歴史は動いていくというのがヘーゲルの歴史認識であり、「階級社会」の存在をアンチテーゼととらえて弁証法的に歴史の発展を見たのがマルクスだ。つまり、古代の奴隷制度、中世の封建制度、近代の資本主義制度という歴史の流れの中には必ず階級社会が存在し、一部の権力者が大部分の人民を抑圧するという構図が存在した。そして人間には抑圧から逃れたいという自由を求める心が本性として備わっているため、社会の抑圧者を打倒して、次の新しい社会を目指していく。しかし、どうしても人間には弱い人もいれば強い人もいるので、社会の安定のために権力を掌握し統制する集団が必ず生まれ、階級社会が現れる。そして、再び生まれた階級社会の解消を目指して歴史が発展していく。そして、ついに世界は資本主義社会にまで発展し、その階級社会に君臨する資本家がプロレタリアによって打倒され、階級闘争の歴史に決着をつけるというのがマルクスの歴史認識だ。

 以上のように、マルクスの唯物論的歴史観では、人間が束縛を逃れ自由を求める本性が社会に自己矛盾を生みだし、それが原動力となって歴史が発展するとみている。前回の国家観に引き続き、歴史観でも重要なのは人間観である。

 それでは、日本の歴史はどうだろうか。

私の歴史観 ~問題提起~

 日本の歴史を近世から振り返るとざっと次のようになる。

 徳川治世の封建時代、明治維新後の藩閥政治、やがて軍部が台頭し第二次世界大戦を経て敗戦へ。一方では、倒幕のため、藩閥政治の打倒のため、ファシズム打倒のため、思想家や政治家などの運動があった。この意味で、日本の歴史においても弁証法的歴史展開、つまり自由をもとめるための権力打倒が結果的に新しい権力集団を生み出し、またその権力を打倒するということが繰り返され、歴史が発展してきたとみることができる。

 ところで、私は前回の国家観レポートにおいて、果たして人間が自由をもとめることが自明かどうか疑問であることを述べた。しかし今、日本の歴史の概略を振り返っただけでも、そのレポート作成時点での「自由」への理解は不十分であったといわざるを得ない。「自由」という言葉の裏には実に多くの想定が隠されている。それを詳らかにして、何からの「自由」なのかを明確にしなければ誤解を招く。

 人間は権力や抑圧からの自由はもとめるものである。また、私は人間観のレポートの中で人は自立を望むものだとも述べた。これも自由を求める人間の姿だと考える。自らの求める道を自ら進みたいというのは人間の本性だと思うからだ。

 私が主張したいことを整理すると次の通りである。人間は抑圧や圧政から逃れ、自立したい、という意味での自由については、いかなる時代においても人間の本性として認められる。しかし一方で、日本人について言うと、「自由」への無制限な希求はむしろ周囲との調和を崩してしまい、社会の安定を損ねてしまうことを本能的、もしくは経験的に知っているために自己抑制に努めているのではないか。前回のレポートではこの自己抑制の動機を「世間様に生かされている」や「この世のものは借り物」と思う心であるとした。これらのみが日本人の自己抑制の動機ではないが、私にとって比較的に会話や図書などで多く出会う言葉だったので、この二つを選んだ。

 さて、日本においても自由を求める人間の本性(ただし上述の通り圧政からの自由という意味だが)が原動力となって、社会の自己矛盾の解消に向かって歴史が発展している、という見方はあてはまるように思われるが、戦後については上述とは別の意味の自由が、日本の歴史発展の主たる原動力に代わったのではないかという問題提起を行いたい。それは、戦後民主主義制度の導入によって、戦前に比べて権力からの圧政を感じることが少なくなったのではないかと察せられるからだ。

 つまり、戦後の歴史発展の原動力は圧政や抑圧からの自由への希求よりもむしろ、生きることそのものに伴う苦痛からの自由を望むことに軸足が移ったのではないかと思われる。いいかえれば安定を求め、便利を追い求める姿である。当然、戦前においても生活苦から逃れたいと望む思いは誰しも持っていたと思う。しかし、その生活苦の元凶は圧政を揮う権力にあり、したがって解消すべき対象は権力そのものであり、その権力さえ解消すれば生活苦も克服される、と。

 しかし現在において、生活苦を克服するために解消すべき対象が明確にあるだろうか。確かに政治が安定しないため、安定した「よりよい政治」になればもっと生活が楽になるかもしれないし、経済システムやその構造が更によくなれば、生活水準も改善されると期待できる。しかし、戦前までのように権力による圧政も遠のいてしまった今、打倒する相手が今ひとつ明確にならない。歴史を振り返って、現代ほど自由を謳歌している時代はないだろう。これから先、我々は何からの自由を求めていくのだろうか。それとも、最早求める自由はないのだろうか。そうであるならば、少なくとも日本において、歴史は止まってしまったのだろうか。

 以上のことを考えたとき、私は戦後の歴史発展の原動力が圧政や抑圧からの自由を求める態度から、生きることそのものに伴う苦痛からの自由を求める態度(安定や便利さを求める態度)に変わったのではないかと思うのである。この人間観が戦後社会の自己矛盾を生み、歴史発展へとつながっているのではないだろうか。

私の歴史観 ~新たな人間観への望み~

 たとえば、環境問題はまさに生活苦からの解放のため、経済活動が生み出した大きな自己矛盾である。生活苦(つまり不便さ、肉体的辛さ)から逃れようとすればするほど、経済活動は盛んになり、環境は悪化し、社会的負担が生み出されていく。そうだからといって、生きる苦痛から人間を解放してきた資本主義経済はその功績によって、マルクスが予言したように必ずしも資本家が悪とはならず、打倒の対象としての正当性を見出せない。

 しかし、もし、生きることそのものに伴う苦痛からの自由を求めるという人間観が、今後も変わらぬ歴史の原動力だと認めてしまうと、私は過疎化や農業の衰退についてあきらめざるを得ない。しかし、そうだとすると以下のようなことも考えられる。

 生活の便利や安定を求めれば求めるほど、その見返りとして自ら進んで自由を差し出さざるを得なくなる。いや、それは当然のことだろう。しかし、その便利や安定を求める相手が、国家や企業であればどうか。それはいわば現代版の社会契約論である。便利や安定にはお金が必要であり、ルールが必要だ。そのために要求される税金は増え、順守すべき法は増え、提供すべき労働は増えていき、国家や企業への依存の度合いは強まり、ますます自由が奪われる社会になるのではないかとかえって危惧される。また先にも述べたように、環境の悪化という自己矛盾を解消することはできない。

 歴史は「あるべき」論ではない。こうあるべきでは歴史は動かずに、むしろ人間の本性によって歴史が形作られる。ゆえに、歴史を語るうえでこうあるべきといっても仕方がない。しかし望みは語りたい。もし、苦痛(不便)からは不幸しか生まれないという考え方から、苦痛(不便)は幸せをも生み出しうるということを見出すことができるならば、そして多くの人がこの考えを共有し、新たな人間観として認められるならば、これからの新たな歴史の原動力になりはしまいか。当然、あまりに肉体的に苛酷であればそれは辛い。しかし、なにかしら「適度な」不便がかえって人々に生きがいを与えるという価値観を見出し、共有することができるのではないかと、一縷の望みをもって活動している。

 それは、昨今若い人達が農業に従事し、農山村での生活を望む人が徐々にではあるが増えつつあり、彼らが「適度な」不便が必ずしも辛いこと、不幸なことではなく、むしろ生きがいや幸せにつながっていると気づいているからではないだろうかと考えられるからである。

 私は歴史との対話を通じて、過去の生活を振り返り、歴史に埋もれたであろう、これからの歴史がより良い方向へ発展するのに必要な新たな価値観、人間観を見出したい。その中には安定や便利だけには見いだせない生きがいや幸せのヒントがきっとあるはずだ。そして、その価値観が次代の人間の本性とみとめられ、社会の中で一定の流れになり、歴史として形成されるには、個々人が歴史に学び続ける姿勢を持つことが重要であり、何より未来世代に対する歴史の教育は極めて重要だ。そして、歴史を国家の歴史のみに限らず、故郷の歴史、身近な過去の人生の積み重ねととらえることも大切ではないだろうか。身近な過去の記憶にこそ、よりよい未来へのヒントがあると思うからだ。

 私は冒頭で一番大切な、一番知りたい問いとして「なぜそこに人が住み、なぜその生業で生きているのか」を挙げた。それはこの問いの中に、新たな人間観があるのではないかと期待するからである。

 過疎をとめ、農業衰退をとめ、先の見えない社会に一条の光を見出すため、これからも歴史との対話を続けたいと思う。

参考文献

E.H.カー著、清水幾太郎訳、『歴史とは何か』岩波新書
橋爪大三郎著、『FOR BEGINNES 労働者の味方 マルクス』

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内田直志の論考

Thesis

Tadashi Uchida

内田直志

第31期

内田 直志

うちだ・ただし

福岡県みやこ町長/無所属

Mission

過疎対策および地方経済の活性化策の研究

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