松下政経塾 The Matsushita Institute of
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国家観
2009年4月

塾生レポート

国家形成者としての気概をもて!
宮川典子/卒塾生

生涯、無位無冠の一市民であることを貫き、「異端」と見られても思ったことを堂々と述べる勇気と気品をもった思想家・福澤諭吉。彼が説いた「独立自尊」の精神が、現代の日本に投げかける意味とは、一体何なのだろうか―。福澤が遺した、潔く尊い愛国心に迫る!

 

 「アメリカが変われば日本が変わるんです!だから、オバマ大統領がアメリカだけでなく、日本をも“CHANGE”させてくれると信じています!」

 公共の電波を使って、なんと情けないことを言っているのだ!そして、この放送を見て、一体何人の日本人が「ホントそうだよね~」と共感しているだろうか・・・。落胆せずにはいられなかった。

 「我々一人ひとりの力で、この国を変えていこう!」とアメリカ合衆国第44代大統領・バラク=オバマは声高らかに宣言した。世界を“牛耳る”国・アメリカにも大変革の時が迫っている。「60年前はレストランに入ることすら許されなかった男の息子が、大統領になることなど誰が予想しただろうか」と彼自身が振り返るように、厳しい差別の歴史と闘い続けてきた黒色人種にとっては、目の前の厚く重い霧が一瞬にして晴れたような、何とも清々しい気分であっただろう。他国から見ても、すでに何かが変わっていっている気がしてしまうのは、きっと私だけではないはずだ。しかしその反面、愛する我が国はどうなっているのか。国会という重要な時間の中で、首相が漢字テストをされている。それをメディアが面白おかしく報道し、街中の人々は「いや~、マジ情けないっすよね~」と脱力しそうなコメントを並べる。アメリカに対して他力本願する人間もいれば、本気で国のことなど考えない政治家や市民がわんさかいる日本。「いや~、マジ情けないっすよね~」と言いたいのは、こっちのほうである。

 そんな沸騰状態の心を抱えながら大学時代の県人会の新年行事に参加した私は、大学の創立者の精神にふれ、自分の気持ちは決しておかしいものではないと確信した。

 福澤諭吉―。この人こそ、私が敬愛する我が師である。

 福澤諭吉は天保五年12月12日(1835年1月10日)、大阪堂島の中津藩蔵屋敷に生まれた。生後1年半で父の病死に遭い、一家は郷里中津に帰る。しかし、封建の門閥制度に矛盾を痛感した彼は、青年期に入るや、まず学問の新天地を求めて長崎に赴き、ついで大阪の蘭学の大家・緒方洪庵の塾に入って、蘭学の修業に励んだ。安政5年(1858年)、江戸に出て、築地の中津藩邸内に塾を開くが、これは後の慶應義塾のもととなったものである。ほどなく彼は、すでに蘭学が時代に適せぬことを知って英学に転じ、独学で英学の先駆者となった。幕府の遣外使節団に随行して3回洋行した経験や、原書の知識に基づき、『西洋事情』(慶応2~明治3年刊)以下、多くの西洋紹介書を公にしてその名を天下に知られるに至る。明治維新(1868年)の時、新政府から再三出仕を勧められたが受けず、もっぱら民間にあって、慶應義塾の教育と、国民啓蒙のための著作とを使命とする態度を変えなかった。慶應義塾は日本最大の洋学校たる地位を確立、出身者は全国新文明の指導者となった者が多い。また、『学問のすゝめ』(明治5年~9年刊)や『文明論之概略』(明治8年刊)などを通して、明治初年から10年ごろまでのわが国開明の気運は、福澤によって指導されたといっても過言ではない。明治15年(1882年)には『時事新報』を創刊して、新聞人としても多大な成功を収めた。晩年の著作の『福翁自伝』(明治32年刊)は、日本人の自伝文学の最高峰として定評がある。明治34年(1901年)2月3日、数え年68歳で没した。

 福澤の人生をまとめれば、ざっとこんなところである。生涯一市民であることを誇りとしていた彼の経歴は、いささか寂しささえ漂うが、しかしこれが福澤諭吉という人の、清廉潔白な生き様そのものだとも言える。中津藩の下級武士の家に生まれたが故に封建社会に強い嫌悪感をもち、生涯「自由・平和・平等」を彼なりの視点から唱え、ついには日本を揺り動かすような思想家となった福澤は、「一身独立して一国独立す」の精神を貫き通した。西洋の学問にいち早く目覚めたことから、彼のことを西洋かぶれだと言う人もいるが、私は彼ほど冷静沈着かつ深い愛国心をもった人間はいないと私は思っている。福澤が創立した大学で学ぶ機会を得た私は、初めて彼の著書にあたってまったくの共感と恥ずかしさを感じたことを思い出す。

「人間の権利が平等であるということは、人間の集まった国家においても同じである。もし仮に、自国の富強をいいことに、その勢いで貧弱な国へ、無理難題を押しつけることがあるとしたらどうだろう。それはまるで相撲取りが、腕力で病人の腕をへし折るようなものである。ゆえに、もし外国から国際道義に反して非道な仕打ちを受けたら、世界中を敵に回しても恐れることはない。日本国中の人民が一人残らず命を捨てて国家の名誉を守り抜くべきである。だから、日本国民もただちに学問に志し、気力を養い、まず個人としての独立を意図すべきである。そこから国の富強が生まれるのであり、そうでなければ西洋人の力も恐れることはない。つまり、個人が独立してこそ一国の独立も可能だ、というのはこのことをいう。

第一条、独立の精神がない国民は、国を愛する心も浅くいいかげんである。
第二条、独立の自覚なき者は、外国人と交わっても自己の権利を主張できない。
第三条、独立の気力なき者は、他人の権力に頼って悪に走る。」

 まず、共感できたのは「日本国中の人民が一人残らず命を捨てて国家の名誉を守り抜くべきである」という一文だった。自分が生きるこの国に対して、人の道にあるまじき攻撃が加えられた時には、もしくはこれからの未来を背負って生きる子どもたちに非情な圧力をかけるものがもしいるのなら、私はこの命も惜しくない。そう小さい頃から考えていたのだから、自分が選んだ大学の創設者が同じような思いを遺していたことに、無量の嬉しさを覚えた。しかし、その直後に恥ずかしさを痛感する破目になるのだが、「学問に志し、気力を養い、まず個人としての独立を意図するべきである」の部分には到底追いつけるはずもない自分の不勉強に、思わず本を閉じてしまいたくなったのである。福澤は、時に「暴政・悪政を生むのは国民の無知に起因する」とも言い、封建制度の傘の下で気骨な思いをもって努力することを忘れた日本人に戒めを与え、「真の武士道」ともいうべき姿勢を求め続けた。彼が多用した「独立」という言葉の意味を、私は「権力や社会風潮に流されない、何ものにも迎合しない態度」と捉えているが、当時の私はまだ「誰かがどうにかしてくれる」という依存心から明らかに抜け出せないでいた。そして今も、まだまだ福澤のように強い独立の精神を身につけることはできていないが、依存心だけは徐々に、確実に私の中から消えていっているような気はしているのである。

 では、福澤が著書『学問のすすめ』で言った「学問」とは、本当は一体何を指し示しているのだろうか。「学問」が諸々の学習(日本語の学習や、歴史や英語、剣術など)を指すことは疑うまでもないが、私はそれらを学んだことによって一人ひとりの中に生まれる「見識」こそ、福澤が言う「学問」だと思っている。彼が忌み嫌った封建社会では、見識がないからこそ権力に屈し、見識がないとみられるからこそ抑圧される。そんな関係性を目にするたびに、さまざまな勉学に励み、物事の真理を知ったならば自ずと「自由・平和・平等」が生まれると考えていたのではなかろうか。

 そうすると、私がテレビに向かって静かに腸を煮えくり返していた理由も見えてくる。最近の社会風潮に「見識」を感じないからである。「アメリカが変われば日本も変わる」発言は、もうすでに自国の努力を期待しない消極的な考え方であるし、いくらアメリカだって自分の国が苦しい時に日本など相手にしていられないのは少し考えればわかることだ。アメリカナイズされた社会がぼう大化し、日本の器では抱えきれないほどの飽和状態に来ていることもわかるだろうし、何しろ「国民一人ひとりで改革を!」と明言する国の余力に期待するなど、日本の無力さを認めたようなものである。国会において、くだらない漢字間違いを何度も何度も追及し、本来話し合われるべき事項は何一つ核心にたどり着いていない。これほどまでに日本がソフト面でもハード面でも危機に瀕しているというのに、危機感のない上げ足取り合戦は、一体いつまで続くのかぜひ聞いてみたいものである。国家の行く末を担う人間たちの、なんと低俗なことか! また、責任のない発言を繰り返し放送して、日本をレベルの低い国へと扇動しているマスメディアの品位に欠ける姿勢、そしてそれを鵜呑みにして自分の頭の中で判断することすら忘れた、私たち日本人。見識のないこの社会は、どこへ向かっていくのだろうか。私には想像もつかないし、想像したくもない。

 国家は、いい政治で良くなるのでもなく、安定した経済力で良くなるのでもない。
そして、他の誰かに良くしてもらうものでもない。

 国家は国民が創っていくしかない。国家の命は、私たち国民の手に委ねられているのである。

 繁栄していくのも、滅亡していくのも、すべては私たち次第なのである。

 私はずっと前から、日本の財産は「人」しかないと思っていた。その考えは、人心の荒廃を呆然と見つめ、もしかしたら、私自身も知らず知らずの間に国家の足を引っ張る人間になっているのではないかと恐れる気持ちは今もまったく変わらない。
見識を以て共に協力し、少しでも今よりよくなるために必死に考え行動し、次世代に少しでもいいバトンリレーをしてあげることが、私たち人間の最大の役目である。これは日本人だから・・・というわけではなく、それは人として生を受けた者すべての使命であり、国家はこの使命が強く結合したところに初めて成り立つものなのである。

 先日、ある研究団体で講演会をする機会を得た。私よりも2倍以上の年月を生きている人生のベテランたちに向かって、私は「皆さんが見識をもって、今行動しなければ、日本がつぶれていくのは目に見えています。ぜひ、頭でっかちの知識を追い求めるのではなく、その深い見識を世の中に残していってください。そして、私たち下の世代の人間に、正しく素直に世の中を推し量る知恵を授けてください」とお話した。20代の私の正直な意見であったが、それに対して60代・70代の皆さんが「若い人たちのやることに口を出すのは無粋、困った時はお金で支援、自分たちが経験してきた時代とは違うのだから・・・と、国を支える人間として見識をもつことを忘れていました。そして、すべてを人任せにしていました。しかし、それでは私たちはつぶれたかけた日本を自分の子どもや孫たちに遺すことになる。それではあまりにも忍びない。若かりし頃、『日本を素敵な国にして、いい国で子どもたちを生かしてやりたい』と思っていたことを思い出しました」と言ってくださったのは、何事にも代えがたい喜びだった。

 こんな危機的状況だからこそ、私たちは共に研鑽し合って、人間としての役目を、日本国民としての役目を果たしていかなければならない。福澤諭吉が生涯その言動をもって示し続けた言葉、「一身独立して一国独立す」を、私たちは今こそ心に留めるべきなのではなかろうか。

 国家形成者としての気概。
それは、「見識をもつための確かな眼力を備える努力を怠らないこと」。

 国家とは、そんな人間たちが創っていく、非常に崇高な共同体なのである。

 慶應義塾の構内には、福澤先生の息を感じる場所がいくつもある。学生の頃は何気なく通り過ぎていたあの場所この場所も、「日本を建て直す!」と意気込む今の私にとっては、魂を吸い込ませてくれる場所となっていることだろう。そして、彼の潔く尊い愛情が、今のこの乱世を救う最大のヒントをもっていると信じ、これからも我が師の想いとともに在りたいと、強く願う。

【参考文献】

・福沢諭吉 『学問のすすめ』
・福沢諭吉 『福翁自伝』

2009年4月 執筆
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