論考

Thesis

ふと使う、あの言葉の中に

自然と、すうっと耳に入ってくる言葉、実は探ってみると多くの意味がこめられている。松下幸之助はそんな自然体の言葉をたくさん使いながら、非常に奥深く、私たちが忘れてはいけない大切なものを教えてくれている。

 夜、ベッドに横になり、薄暗い部屋の中で携帯電話をカチャッと開く。一日の終わり近く、眠りにつく前に友人がくれた連絡に返事を送ったり、連絡を忘れていたことを思い出してせっせと文章をつくる。そして、最後に最近受けたり送ったりした文章をぼうっと見てみる。文の形など気にしないでつくっているこれらの文章たち、最後はだいたいこの言葉で締めくくられている。<

「お互い、気合い入れていこう!」
「お互い、ゆっくり休むことも大切だよ」
「お互い、明日も一日がんばろうね」

 「お互い」―。この言葉を何度となく使っているのだ。しかも、無意識のうちに。なぜ私がこの言葉をこんなに使うのかと考えてみると、私にとって「お互い」は、自分だけでなく相手を思いやる気持ち、“自分は一人じゃない”と信じる気持ち、誰かが自分と同じ思いで毎日を過ごしていることを心強く思う気持ち、相手を応援し支えたい気持ち、何かを目指すための一体感を感じる気持ち、相手も自分も幸せな日々を過ごしたいと願う気持ちなど、本当にさまざまな気持ちがこめられていることに気づく。そんな気持ちを表現するために、「お互い」という言葉は私の日常にすうっと入ってきているのだ。口にすればたった1秒か2秒で終わってしまい、どちらかというと飾りのような言葉だが、自分で意識している以上に深い想いがつまっている。

 実は、塾主・松下幸之助もこの言葉を話の中にたくさん散りばめていた。私のように日常生活のある場面で使うというよりも、彼は何かとても大切な指針を明らかにする時、「お互い」を多用しているように思う。一体、彼はどんな想いをこめていたのだろうか。私は、きっとそこに松下が長年考え続け、また晩年に力強く唱えた「人間観」の根源があると考えている。

 私がいつも何気なく使う「お互い」という言葉。松下幸之助が大切に、そして確実に使い続けた「お互い」の意味。何か共通点があるのではないか―。このちょっとした気づきが、塾主研究をしている間ずっと私の心の中を占領していた。だから今、その手がかりを見つけたいと思うのである。

「お互い人間にとっての成功というのは、そういう社会的地位とか名誉とか財産ではかれるような狭いものではなく、もっと広くもっと深い意味があるのではないかと、ぼくはいつの頃からか思うようになりました。
 一人ひとり顔貌が異なるように、人にはおのおの皆異なった天分、特質というものが与えられているのです。この地球上に五十億人の人がいるとしても、一人ひとり皆違うものを持って生まれついています。性格にしても、素質、才能にしても、誰一人同じものはない、人によって皆異なっているわけですよ。天は二物を与えず、という諺がありましょう。これは裏をかえせば、天は必ず一物は与えてくれているということだと思うのですね。(中略)
 お互い人間というものは、自分の天分、持ち味を生かし切るとき、初めてほんとうの生きがいや幸せというものが味わえると思うのです。つまり、人間としての成功は人間としての幸福につながっている。もしも、社会的な地位や財産を得ることが唯一の成功だと考えてしまいますと、お互いに非常にムリな努力をして、自分の天分、特質というものを歪め、損なう場合もきっと出てくるでしょうね。また、そういうものがなかなか得られないと劣等感を覚えて生きる張り合いを失ってしまうかもしれません。
 いくら努力したところで、すべての人が総理大臣になることはできないのですよ。皆が社長になることも資産家になることもむずかしい。しかし天分に生きる人間の幸せ、喜びというものは、考え方によりますと全員がつかめると思います。また、人それぞれの天分が発揮されることによって、お互いの共同生活に彩と豊かさが生まれ、生き生きとした百花繚乱の姿が見られるのではないかと思うのですよ」

 この文は、『人生談義』という本に納められた松下幸之助の言葉だ。私は、この文に松下の人間に対する想いを強く感じる。特に、三つの点について考えるのだが、一つ目は人間とはどんな存在かということ、二つ目は人間の存在価値について、そして最後にこれまでも書いている「お互い」についてである。この三つの点を見ていくと、最終的に「お互い」という言葉を使い続けた松下の本当に意味するところが見えてくるのかもしれない。順を追って、時に松下が提唱した「新しい人間観」から一部抜粋しつつ、また彼の経営哲学にもふれながら紐解いていくことにしよう。

 一つ目、「人間とはどのような存在か」―。こう聞かれて、すぐさま明確な答えができる人はなかなかいないだろう。私たちは日々、「他者」という人間や「私」という人間が形成する集合体の中で生活している。とても身近で多くの人間とふれあっているのに、「人間とはどのような存在か」という問いはかなりの難題である。つまり、それだけ人間を知ることは奥深く、時間を要する尊い作業なのである。

 では、松下幸之助はこの問いにどう答えているか。著書『人間を考える』の中の「新しい人間観の提唱」で、松下は人間について次のように述べている。

「人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる。すなわち人間は、この天命に基づいて善悪を判断し、是非を定め、いっさいのものの存在理由を明らかにする。そしてなにものもかかる人間の判定を否定することはできない。まことに人間は崇高にして偉大な存在である」

 人間が「万物の王者」だというのは少々乱暴にも聞こえるし、実際のところ人間は強さだけを有しているのではなく、弱い部分も確実にもっている。宇宙の動きを正確に読み、常に支配者たる行動ができるかというと、それも定かではない。しかし、それでもなお松下は人間こそが王者であり、だからこそこの宇宙に対する責任をもち、王者にふさわしい行動をしていかなければならないと言っている。松下の言う「王者」というのは、おそらく私利私欲にとらわれず、正しく物事の価値を見抜ける力を身につけるよう努力し、常に万物との共存共栄を考えて、それぞれの特性を生かしながら発展させていくべき存在だ、ということではないだろうか。

 二つ目、「人間の存在価値とは何か」―。松下幸之助は人間の存在価値をどこに見出していたのか。そう考える時、私は「適材適所でみんなが生きる」という彼の理念を思い出す。

 私たちは普段、何かに対して何らかの価値判断をしようとする。出身大学や職業、資産の有無など、とても単純なことで人やものに価値をつけている。しかし、本当の価値はそんなところにはない。いや、少なくとも松下はそう考えていない。人間には人それぞれの特性や個性があって、役に立たない人など一人もいない。そんな松下の考えは、以下の文からも読み取ることができる。

「真に人を生かして使おうと思えば、そのような一人ひとりの個性、持ち味に合った使い方をしなくてはならない。(中略)適材が適所につけば、その人自身にとっても自分の持ち味が生かされるから、喜びも大きい。そして仕事の成果もあがるから、それは他の人にとってもプラスになる。だから、適材適所は自他ともの幸せを生むものであり、人を使う立場の者としてはぜひとも心がけなくてはならない」

 私たち人間は生まれながらにしてみな何らかの目的をもっていて、目的の大小にかかわらず、今ここに存在していることこそが誰にも真似できない“存在価値”なのである。私たちはもう生まれてきた時点で自分にしかない存在価値をもった、「磨けば光るダイヤモンド」なのである。この考え方こそが、松下幸之助の人間に対する想いを象徴しているといえるだろう。

 三つ目、「お互い」という言葉に込められた本当の意味―。これを探っていくと、私は松下幸之助の想いを二つの点から考えることができると感じている。

 まず一つは、松下のPHP活動に対する想いの深さである。PHPとは「Peace and Happiness through Prosperity」(繁栄を通して平和と幸福を実現する)というフレーズの頭文字をとったものであり、戦後松下は「どうして人がこれほどまでに貧困に苦しみ、悲しまないといけないのか」と痛切に感じ、その中で“物心一如の繁栄”が人を幸せにするという思いに至った。「お互いに責め合い、非難し合って暗い心で生きていくよりも、心を通わせ励まし合いながら生きていこう。そして、大きな幸福と繁栄を求めよう」という松下のPHP活動に対する思い入れは非常に強く、PHP研究所設立からわずか2ヶ月で30回以上もの講演をこなしたというエピソードもある。つまり、松下は自分や自分に近しい人だけが幸せであっても意味がなく、日本という国、ひいては世界全体が繁栄しながら平和と幸せを噛みしめられるような世の中をつくりたかったのである。だからこそ、「お互いに」という言葉にひときわのこだわりをもっていたのではないだろうか。

 もう一つは、松下幸之助の経営者としての哲学である。経営のどこに「お互い」という言葉や人間観が必要なのか、という人もいるかもしれないが、松下が体得していった経営哲学にはその二つの要素が組み込まれ、それは理論としてきちんと成り立っている。元マサチューセッツ工科大学経営学部教授、ダグラス・マグレガーがそれを証明してくれている。少し彼の理論を考察してみよう。

 ダグラス・マグレガー(1906-64)は晩年に出版した著書『企業の人間的側面』の中で、X理論とY理論を紹介している。X理論とは「人間は本来怠惰な生き物で、自ら責任を取ろうとせず、放っておくと仕事をしなくなる」という考え方で、性悪説を前提とした管理者の態度を表す。Y理論とは「人間は本来働くのが好きであり、自己実現のために自ら貢献する意欲がある」という考え方で、性善説を前提としたものの見方を表す。いずれの見方をもつかによって、管理者の部下に対する態度は180度変わってくる。彼によると、実際にはX理論に従って行動する経営者や上司の方が多いそうだが、成功している組織を見ると、経営者や上司がY理論に従って行動している場合がほとんどだという。

 たとえば、社員の行動特性とマッチした職務に配置したり、関連する職務や部署との間で連携関係や権限を見直したりすることにより、同じ労力で生み出される成果を高めることが可能になるだろう。Y理論が描く世界を実現するためには、適切なアプローチを正しく選択することが重要になってくるわけだ。

 「X理論」と「Y理論」。どんな状況にあっても、それぞれの人間がもつ能力を大きく広く見て最大限に伸ばすことこそ経営に必要な視点であり、そうすれば自ずと人間は日々成長していくのである。そして、そこには自分を認めてくれ、また信頼に値する他者の存在もなくてはならない。自分を信じ、相手を信じることができてこそ、人間は真に主体性をもって行動できるのではないだろうか。このような松下の経営者としての哲学を、私はダグラス・マグレガーの理論に見出すことができた。

 松下幸之助は知っていた。気づいていたのだ。今の世の中、人間はいろいろなものから、そしてそれぞれに断絶した存在となり、これほどまでに街に人があふれていてもどこか孤独を感じながら生きている。「人間を信じたい、信じて誰かと一緒に生きていきたい」と強く願っているのに、その思いを遂げることができない。支えてもらうことで弱さを強さに変えたいのに、それもなかなかかなわない。なんとも寂しい時代。でも、だからこそ、「お互い」の精神が必要なのではないか、と。

 先にも記したように、人間はみな違う本性をもっている。同じではないから、他者と自分とを認識することができる。他者の存在があってこそ、「自分」という存在が成り立つ。つまり、“人間”を意識する時、私たちは知らず知らずのうちに「お互い」というものの見方をしているのだ。お互いの存在を認識し、お互いの価値を尊重し、お互いの能力を生かし、お互いに繁栄し、お互いに幸せになっていく―。補い合いながら成長することは、人間だからこそできることであり、「お互い」を意識すれば人間はそれぞれが最大の能力を発揮することができるはずだ。単純だが、そうした考えの中に松下が最終的にたどりついた「人間観」の根源があるように思う。

 私は今日も、「お互い」という言葉を文字にし、口にする。でも、これまでとは違って、何気なくではなく、無意識ではなく、ずっと気持ちをこめて。自分だけでなく誰かを思いやる時、“自分は一人じゃない”と信じる時、誰かが自分と同じ思いで毎日を過ごしていることを心強く思う時、誰かを応援し支えたい時、何かを目指すための一体感を感じる時、相手も自分も幸せな日々を過ごしたいと願う時―。きっと、私はこれからも自分と、そして自分ではない誰かのことを想いながらこの言葉を使っていくだろう。「お互い」というこの言葉の奥底には、これからの生活の中で私が忘れてはいけない、とても大切な意味と想いが眠っているから。

【参考文献】

松下幸之助 『人間を考える』 (1995年/PHP文庫)
松下幸之助 『人間を考える 第二巻』 (1982年/PHP研究所)
松下幸之助 『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』 (1994年/PHP文庫)
松下幸之助 『人生談義』 (1990年/PHP研究所)
松下幸之助 『人事万華鏡』 (1977年/PHP研究所)
PHP総合研究所編『松下幸之助「一日一話」』 (1999年/PHP文庫)
ダグラス・マグレガー著・高橋達夫訳『企業と人間的側面』 (1970年/産能大学出版部)

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宮川典子の論考

Thesis

Noriko Miyagawa

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第28期

宮川 典子

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