松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

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教育
2008年4月

塾生レポート

教師の成長が日本の未来を拓く
宮川典子/卒塾生

そろそろ一年が過ぎようとしている。松下政経塾に入って、最も口にした言葉はおそらく「志」だろう。「志とは・・・」「私の志は・・・」と話すたびに、自らの問題意識はどこにあるのかと再考する。そんな毎日を送ってきた。志の原点は問題意識にある。ここでもう一度だけ整理してみよう。

 

 「教育で日本を建て直す」とは、私の人生のゴールともいうべき大きな目標である。この目標をもつに至ったのは、言うまでもなく教育現場での経験があるからであり、今も「未来の子どもたちに笑顔を」と子どもたちの幸せに目を向けて政経塾での研修に臨んでいる。しかし、時に立ち止まって考えると、子どもたちにいろいろな変化を望むことは、実は問題解決の本質からはずれているのではないか、私が政経塾に入塾した「本当の理由」は何なのか、と思い悩むことも多く、なかなか前に進めずにいた。

 私が政経塾入塾を決意した、本当の理由。それは他でもない、二人の大切な生徒を失ってしまったからだ。どんな子どもに対しても「助けねば、支えねば」と最善を尽くしていたつもりだったが、結局は彼らの力になれなかった。この時々のショックは自分でも驚くほど大きなもので、心身ともに強くダメージを受けた。しかし、そのダメージの真の部分は、生徒がいなくなったことだけではなかった。彼らが最期に私たち教師に伝えたかったことが、同僚たちに響かなかったという事実を目の当たりにしたからだった。現場経験を通じて、私は生徒のことに懸命になれない教師がいるとは考えもしなかった。いや、確かにそう見える人は多くいるのだけど、心底では生徒のために自分の人生を尽くそうと考えていると信じて疑わなかったのだ。

 でも、現実は違った。彼らが遺した手紙を読む傍らで、居眠りや内職をする教師がいることにただ呆然とした。その時、私が確信したのは「今の教育が死んでいる、と言われるのは家庭や地域、社会のせいではない。子どもたちが無条件に信頼をおく私たち教師の質と教育者としての意識の低下が問題の根源だ」ということだった。そして、この出来事こそ、私が自らの人生を転回させるきっかけとなったものだった。自分の問題意識の核心部分を思い起こしたことによって、素志に対する方向性や諸問題の捉え方も少しずつ変わってきている。今回は今後の素志の方向性を明らかにし、それにかかわる問題についてまとめておきたい。

一、教育現場における教師の実態

 近年、盛んに「教師力の低下」が叫ばれている。教師力とは、教科の指導力はもちろんのこと、児童・生徒・保護者との対人関係構築の能力、社会的な知識・経験を踏まえた指導力などのことを指し示す。しかし、大学での教員養成課程では十分な教科指導方法を教えられないし、現代において他者との関わりが薄い生活を送っている人も多く、社会や地域とは断絶した個としての営みしかない人も少なくない。また、事務仕事や雑務、保護者への対応などに追われる教師は「サラリーマン教師」にならざるを得ず、現代の学校の先生は「教師」というよりも「教員」、学校事務職員と変わらない存在になってしまっている。

 教師としての自己向上を願っても、結局は時間と日々の細々した仕事に忙殺されるだけで、教師になりたての時にもっていた教育への熱意が薄れていくケースがほとんどである。また、教科指導にかける時間と事務処理にかける時間では、後者のほうが圧倒的に多くなっているというのも、現代教育現場が抱える実情である。

二、「『教育者』になりたいのになれない」―若手教師の悩み―

 いわゆる「団塊の世代」が次々に退職し、久しぶりに大勢の若手教師が採用される時代になってきた。それぞれの学校のリフレッシュ化が図られるとの期待があるが、実際は相当厳しい状況になるのではないかと私は考える。若手教師にとって学校生活は緊張の連続であり、自分の指導の仕方に自信をもつようになるまでには時間もかかる。これまではキャリアを積んだ先輩教師が「教育係」として若手にあれやこれやと教えたものだが、先述の通り、今の教師たちは自分のことで手一杯で、現場で教えられるものやつかめるものは減少していく一方である。そんな状況下で、自信をもてないまま日々の激務に追われ心身を病む若手教師も少なくない。着任早々に現場から去ってしまう人が多いのも、そんな理由からだろう。

 教師は着任当初から「教師」ではない。いろいろな経験を重ね、先輩からの叱咤激励を浴びて「教師になる」のである。教員養成課程の不十分な指導と現場での学びの不足が、熱意ある教師の卵を育てられずに終わってしまう現状を招いていることを、忘れてはならない。

三、学びを教える人に「学ぶ場」が欠けている

 二で言及したように、教師は「教師になって」いかなければならないのであるが、そのためには学びの場が必要である。現行制度では、初任者研修、3年目研修、5年目研修、10年目研修などと、各都道府県や各市町村の教育委員会が設定する研修があるが、それらは日常の実務と簡単に授業の様子などを意見交換して講演を聞く程度のものがほとんどである。つまり、本当の意味での「学びの場」にはなり得ていないのである。時間は拘束されるのに得るものが少ないのでは、時間を消費する分、教師たちの業務に負担をかけるだけなのである。

 子どもたちの知的好奇心は教師によって刺激されるところが多い。教師の能力が錆びつかず、意欲と指導力を高いレベルで維持していくことが不可欠だ。

四、子どもたちに「ヒント」を与えるのが教師の仕事

 教育現場でよく聞くのが、「一般的な社会経験が少ないのが悩み。視野が狭くなっていくような気がする」ということだ。大学を卒業してからすぐに学校という特殊な世界に入っていくわけで、仕事を始めて数年すると、ほとんどの人がこのような悩みにぶち当たる(事実、私もそうだった)。広い視野で物事を見なければいけない立場にありながら、経験の少なさからか、指導に迷いが出るケースは多々ある。子どもたちに対してもそうだが、保護者にも「社会経験がないからわからないんですね」などと言われてしまう始末、世の中全体が「教師という人種には社会経験が欠けている」と思っている証拠だろう。そして、それは強ち間違いではないから、余計に問題だと感じる。

 教壇に立った時、教師を輝かせ子どもたちの心を惹きつけるのは、教師の「引き出しの多さ」だと私は思っている。たくさんの経験に裏打ちされた話は何よりも子どもたちに伝わるし、本当の意味で彼らの知的好奇心を刺激する。教師の仕事は、子どもたちに「ヒント」を与えてあげること。一から十まで、隅から隅まで教える必要はない。子どもを自発的学習や目標探究のスタートラインまで連れていき、「考えて生きる」毎日を提供してあげられれば、教育の目的はほぼ達成されたといって過言ではないのである。

五、今後の展望

 以上の問題点を踏まえた上で、今後は「現役教師の研修制度の再構築」「教員養成課程のカリキュラムの見直し」という2点を中心課題として進めていきたい。近々は前者について第一次・第二次・第三次産業などの体験実習ができるようなシステム、また同時に指導法を実践を交えながら身につけていくような機会の増大などを視野に入れて、調査・研究をしていきたいと考えている。

2008年4月 執筆
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