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歴史観
2008年1月

塾生レポート

日本思想史今昔物語 -先人たちの足跡を追って-
宮川典子/卒塾生

「一本筋」―。私の好きな言葉だ。何があってもぶれない、そんな「一本筋」をもっている人間でありたいからである。では、私が生きる国・日本の「一本筋」とは何か。歴史を紐解くと、日本の歩んできた道が見えてくるようだ。そう、数々の先人たちによって創り上げられてきた確かな「一本筋」が、そこにはある。

 

  「『日本』ってどんな国ですか?」

 仕事で海外に行く機会に恵まれていた私は、外国人からこの手の質問をされることが少なくなかった。大抵、「日本はね、経済的には・・・で、国内の様子は・・・で、こんな建物や食べ物、風習があって・・・」と普通の生活の中で思いつくこと、海外に発信されている書物や映像で十分知り得てしまいそうなことを、さも得意気に話す。しかし、そんな話の後、さらに次のような質問をされることもある。

 「『日本』はどんな歴史を歩んできた国なのですか?」

 思わずドキッとしてしまう。気持ちが焦り出す。的確に答えられるだろうか、と急に頭の中でいろいろなことが駆け巡る。なぜなら、彼らが聞きたがっている“どんな歴史”とは、年表の上には書いていない、日本という国の根幹を成す「思想史」を指し示していることがほとんどだと感じるからだ。

 「思想」という言葉を辞書で引いてみる。
第一義、「考えること。考えつくこと」―。読んで字のごとく、そのままの意味である。
第二義、「単なる直観(直接に本質を見抜く)の内容に理論的な反省を施して得られた、まとまった体系的な思考内容」―。第一義に「直観」という視点が加わって、意味が精選された感がある。
第三義、「人がもつ、生きる世界や生き方についての、まとまりある見解。多く、社会的・政治的な性格をもつものをいう」―。これだ。この広義かつ深義な「思想」が、私をドキッとさせ焦らせるのだ。

 近世・近代西洋には啓蒙思想家や哲学者と呼ばれる人が多くいて、それぞれの国の歴史に大きな影響を与えてきた。「国家とは、国民とは何か」「我が国家はこうあるべきだ」「国家のあるべき姿を実現するためには~が必要なのだ」と、盛んに意見を交換し合っていた。そういう歴史を踏んできたところで暮らし生きる人々にとって、歴史はある部分で「思想史」であり、それは知っていて当たり前の国民としての基礎知識なのだろうと感じる。一方で、日本のことを考えると、これまでどんな思想が日本の歴史に影響を与えたのか、一体どこまで私たちは知っているだろうか。日本という国が創られていく中で、どんな人たちが何を考え、社会を牽引していったのか―。日本人として知っておくべきことだと私は常々思っているし、日本という国全体が中枢に据える思想を失いかけている今だからこそ、日本のために何かできないかと思い立って歩んでいる今だからこそ、自分なりに思想史を系統だって整理しておきたい。国家のあるべき姿を考える第一歩として、そして日本が有する大切な歴史の一部として、日本に社会的・政治的影響を与えた先人たちを頼りに、近世、近代の順で日本思想史を振り返ってみよう。

 近世日本の思想を語る上で、欠かせないのが「新儒教」と呼ばれる朱子学と陽明学である。ここでいう近世日本は特に江戸時代を指し示すが、そのころはちょうど中国が宋の時代に突入していった時代である。貴族制の消滅と新興地主層の台頭、能力主義の官僚制を基盤とした中央集権国家の樹立、貨幣経済の進展など、国家経営の基盤は大きく変容した。また、社会の指導層もそれまでの貴族から士大夫という新興階級に移り、その頂点に強力な権力をもつ皇帝が君臨していた。そんな中、国を支えてきた儒教にも変化が見られ、朱子学と陽明学とが勢力を二分する形となっていった。

 朱子学とは、朱熹によって始められた新儒教で、それまでの儒教は五経(易経・詩経・書経・春秋・礼記)を聖典としていたが、朱子は四書(論語・孟子・大学・中庸)を聖典とした。朱子学の倫理思想は「性即理」「居敬窮理」「格物致知」の3つに集約されるといえる。一方、陽明学とは、明の王陽明によって樹立された新儒教の一派である。その倫理思想は「心即理」「知行合一」に代表され、朱子学の主知的な態度を批判することで民衆の間で広く支持を得た。すなわち、朱子学の先知後行に対して、陽明学は先行後知を唱えたところから、両者が対立関係にあったことがわかるだろう。

 では、「新儒教」が江戸時代の日本に与えた影響はどこにあるかというと、朱子学の「性即理」の中に見出すことができる。人間社会における理の具体的な現れとして、君臣・父子の上下秩序を強調した「名分論」を特別に抽出、林羅山らによって日本に導入され、幕藩体制を支えるイデオロギー、いわゆる「徳川イデオロギー」として利用された。それまでの混乱多き世の中を治めるために、徳川家康は宗教ではない何かを探していた。仏教やキリスト教の勢力は幕藩体制の確立を阻害すると考えていた彼が行き着いたのが、儒学思想、とりわけ朱子学だったのだ。林羅山が「天は尊く地は卑しい。天は高く地は低い。天地に上下の差別があるように、人の世においてもまた君主の身分は尊く臣下の身分は卑しい」との一節を残していることから、当時の幕藩体制における身分制の厳しさがうかがえる。儒教という宗教ではない「思想」を政治に取り入れた初めての試みは、江戸時代にあったと言えるだろう。

 それと時を同じくして、日本国内では思想家たちの出現が相次ぎ、儒教精神と何らかの関係性をもつ学派が誕生する。古学派の山鹿素行、古義学の伊藤仁斎、古文辞学の荻生徂徠などがそれである。

 古学派は新儒教を否定し、古代儒教の研究とその精神への回帰を掲げた。原始儒教への復古運動を推し進め、民衆の間で盛んになった。観念的な理論よりも事実を重んじ、形式的な道徳よりも自然な人情を尊び、実生活での積極的な活動を重んじる方向性が、民衆の心をつかんだのだろう。また、山鹿素行は「士道」という考え方を提唱し、武士階級は戦闘者として死を恐れない勇気よりも、高潔な為政者として農工商の上に立って、彼らを道徳的に指導しなければならないとした。徳川幕藩体制という太平の世の到来により、武士がかつての戦国の時代の戦闘者としての地位から行政を担う官僚へと役割が変化する時代背景のなかで、 武士階級の新たな社会的意義を基礎づけた。

 古義学の伊藤仁斎は、「論語」や「孟子」こそが儒教の本質であると考え、他の儒教の教典(特に朱子学)を批判した。「論語」「孟子」の詳らかな研究を通じて、古代儒教のもつ素朴な倫理観に回帰するに至った。仁斎が大切にしたのは「愛」と「誠」 であったが、彼は「仁は徳のなかでも偉大なものである。しかしこれを一言で言えば、愛にほかならない」との主張を一貫してもっていた。社会体制が刻一刻と変わっていく中で、それでもなお人間がもつ人を愛することの尊さを説き、また同時にその根源は、私利私欲にとらわれない心の純真さこそが誠実さだとした。おそらく、どんな世の中になろうとも、人間の素はいくらも変わらないということを伝えたかったのだろう。仁斎が近世教育の中でも大きく取り上げられるのには、そんな側面が含まれているかもしれない。

 古文辞学は、さまざまな文献にあたることによって古代における用語の用い方を学び、その知識をもとにして、古代の社会制度と孔子の教えの意味するところを明らかにしようとした学派だ。荻生徂徠は「道」という言葉にこだわりをもち、具体的に整備された社会制度こそがそれだと言っていた。つまり、個人に対して道徳を教えこむことが重要なのではなく、有効な社会制度を定めることをもって、初めて世の中や民衆を救うことができると説いたのだ。仁斎が儒教の内面性を重要視したのとは反対に、徂徠は儒教が含有する社会統治の要素を重視し、儒教が教える使命は天下を案ずるという政治性であり、内面的な問題は儒学の範囲外とする画期的な思想を唱えたことでも知られている。

 先述の通り、江戸時代は「思想」の高揚著しい時代だったわけだが、「思想」発展の道はこれら3学派だけにとどまらなかった。商業行為の正当性と商人としての心構えを説きつつ、知足安分(士農工商は人間としての差別ではなく社会における分業のための区別であり、したがって人々はそれぞれ自分の職業を地位に満足してその仕事を全うしなければならない)という考え方をもち、それが後に「石門心学」と称された石田梅岩。近世において唯一儒教精神、すなわち封建社会を批判的にとらえ、「自然世」という身分差別もなくほとんどの人が農耕に従事する社会づくりを訴えた安藤昌益。いたるところの小学校に、四書の中の一冊である『大学』を読みながら薪を背負っている石像として置かれ、農業の推進に努めながら「報徳思想」(人間は勤労し合理的な生産を心がけ自然や祖先に報いなければならない)を提唱した二宮尊徳。民衆の生き方や国(ここでは幕府)のあり方を積極的に説いていく流れができ、このころから日本という国の方向性が真剣に論じられてきたといっても過言ではないのではないか。その意味では、徳川家康が儒教に国家形成の一翼を求めた時から、まさに日本思想史が動き出したのである。

 こうして、江戸時代より盛んになった「思想」の出現は、日本の近代化とともにさらに加速度を増していく。近代化に移行する分岐点は明治維新を除いては考えられないが、明治維新とは、徳川幕府を倒し、藩制度を廃止し、中央統一権力を樹立した変革を指し示し、封建制の解体と近代国家の成立の礎を築いた「革命」のことである。諸藩を解体し、地方行政は中央から派遣された行政官が担い、地方分権的な封建体制は崩壊、明治政府による中央集権体制が確立した大政奉還と廃藩置県。士農工商を撤廃して国民の法的平等を唄った四民平等、東洋の伝統的な精神と西洋の知識や技術を融合させることによって文明化を進めた和魂洋才・文明開化。政治面では、藩閥政治に抗して人民の自由と権利の伸長を主張し、政治への参加を要求した自由民権運動や、国粋主義への疾走と言われた社会主義運動などの大きな転換があった。また、「教育勅語」という明治天皇の名で国民道徳の根源、国民教育の基本理念を記したものが発布され、国家統制の枠組みが着実にできあがっていくのが日に日に明らかとなっていた時代でもある。

 そんな時代の流れの中、やはり国家形成に「思想」が必要であり、また「思想」こそが国家運営の中心軸となるという考え方は一層確実なものとなり、明治時代にも世の中を牽引する啓蒙思想家が現れた。明治政府が主導する「上からの近代化」と併行して、在野の啓蒙思想家たちは封建制度や道徳への批判を通じて国民を感化・啓蒙する「下からの近代化」を目指した。こうして説かれた独立自主・平等の諸観念は、自由民権運動の精神的基盤となった。有名なのは福沢諭吉と中江兆民、この二人は近代日本思想史には欠かせない人物たちである。彼らの思想についても言及しておこう。

 福沢諭吉の目標は、欧米列強に対抗できるアジアの代表としての日本を確立することであった。その根底には、自然権思想とともにイギリス経験論と功利主義の傾向が流れている。個人における独立・自由・平等の確立によって下から国民国家を形成することを目指していた。儒教に基づく上下秩序を破棄し、封建的束縛から個人を解放することによって個人の自立を実現、これが他国による植民地支配を受けることのない国家の独立を保証すると、「独立自尊」を強く打ち出した。「独立の気力のない者は、国家を思うことも切実でない。独立とは自分で自分の身を支配し、他人に頼る心がないことである」「一身独立して一国独立す」という彼の言葉からは、日本を独立国家とするための意気込みがひしひしと伝わってくる。また、福沢は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」で有名な天賦人権論、社会に貧富や貴賤の差が生まないよう、儒学や和歌などの伝統的な学問を虚学としてこれを排除し、代わって、日常生活に役立つ西洋の物理学や経済学などの合理的な学問を摂取して国力の増大に努める実学志向の一面も見せた。そして、日本以外のアジアの諸国は未だ文明から遠い「半開」の状態にとどまっているから、日本は欧米と同じ立場でアジアに対応すべきだとした脱亜論もあまりに有名である。

 一方、中江兆民はルソーの「社会契約論」を邦訳(邦題「民約訳解」)し、フランス流の急進的な人民民権思想を輸入した自由民権思想家である。回復的民権と恩賜的民権について言及したが、回復的民権とはフランスのように下からの人民の力によって勝ち得た民権のことを指し、恩賜的民権とはドイツのように上から与えられた民権を意味する。中江は、日本の民権は天皇から与えられた恩賜的民権であるが、国民の権利意識を高めつつ次第に民権を拡大し回復的民権に近づけたいと考えていた。

 福沢・中江とも非常に先進的で、日本がそれまで歩んできた道とは本当に一変する状況下にある中でも異彩を放ち、それでいて確固とした方針を打ち出せる力強さと能力をもっていただろうことが手に取るようにわかる。この二人を中心とする思想の転換が、結局は日本を近代化へと促した。まったく、「思想」の影響力を痛感させられるところだ。

 これまで、近世から近代にわたって、その時代に生き確固たる思想をもって世の中を動かした先人の言葉や考え方を基に、日本思想史の流れを見てきた。「思想」と聞くと、国家体制や政治に対しての考え方だと捉えられがちだが、思想の発源は国内外いたるところにあり、またその対象にも大小がある。しかし、共通して言えるのは、「国にとって大切な何かを伝えることで、国をよりよく変えたい」という切なる願いがどの思想にも存在し、その先には日本という国の新たな展開が待っていたということだ。

 現代では、「思想」という言葉を耳にすると、すぐにイデオロギー的区別をしてしまいがちだ。政治の場面でもマス・コミュニケーションでも、である。でも、よくよく考えれば、ここで見てきた思想はすべて「国家理念」の芽である。そう認識し、日本思想史を見てみると、日本という国の成り立ちがくっきりと見えてくるような気がしないだろうか。

 国の発展を願い、いろいろな情報源から新しい考え方を編み出してきた先人の功績に、私たち現代に生きる日本人はどう応えていけばよいのか―。これは、私たちに課せられた使命である。今回、日本思想史にスポットをあてたことで、次になすべきことが見えた。私なりの「国家理念」、つまり現代日本を形づくっていく先進的な思想を見つけ出すことだ。

 「思想なきところ、国家進展の歩は踏めぬ」―。このことを肝に銘じた毎日を送りたいものである。

【参考文献】

松村明  『大辞林 第二版』(1995年/三省堂)
堺屋太一  『日本を創った12人 後編』(2007年/PHP研究所)
武内義雄  『儒学の精神』(1982年/岩波新書)
金谷治 訳注 『大学・中庸』(1998年/岩波文庫)
松本三之介 『明治思想における伝統と現代』(1996年/東京大学出版会)
福沢諭吉 『学問のすすめ』(1979年/岩波文庫)
2008年1月 執筆
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