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歴史観
2007年11月

塾生レポート

郷土の政治結社玄洋社から学ぶ日本人の精神
仁戸田元氣/卒塾生

中野正剛、頭山満、緒方竹虎、中村天風などの特色ある人材を育んだ政治結社がわが郷土にある。その政治結社玄洋社から、日本人としての精神を考える。

 

1、 はじめに

 高知県の南国市役所の前に大石大(おおいし まさる)という政治家であり、農民運動に生涯をかけた人物の銅像がある。簡単に略歴を書けば、大正時代に実業界に転進し、愛媛鉄道、大分の国東鉄道の社長をつとめ、その後、政界に進出し選挙では浜口雄幸を選挙で破った実績もある。政治家としては、戦中は、班翼賛の立場にたち、斉藤隆夫の除名に反対するなど野党的立場に終始し、戦後は公職追放にかかり、政治活動を封じられた。

 この人物の子息が、90歳を超えていまだ高知県の実業界で活躍しておられ、その方から、大石大と共に活動していた福岡玄洋社出身の政治家について学ぶように、以前、助言を受けたことがある。

 玄洋社といえば、高校日本史の教科書にも多少でてくるが、頭山満、進藤喜平太等が創設した右翼の政治結社であるという程度しか、福岡出身でありながら認識していなかった。が、緒方竹虎、中野正剛、広田弘毅、進藤一馬、中村天風等今だ福岡県内でも根強く尊敬されている人物を輩出した実績をもった組織であるので、今回は、玄洋社が果たした役割、成し遂げたことを中心に私見を述べたい。

2、右翼とは

 右翼という言葉は、どういった思想であろうか。日本においては、かなり特殊な意味合いで認識されている。国際的に通用している説明としては、フランス革命の国民議会にはじまる。革命派のジャコバン派が犠牲の左側を占めていて、保守系がこれと対立して右側にいたことから生じた用語である。しかし、日本においては簡単に分類できないし、大変複雑である。

 昭和初期の頃の日本は、財閥をバックにしていた政党や政府に対して、地方出身の右翼の青年将校が地方の経済的疲弊や身売りなどの状況に不満を抱き、貧農開放運動や財閥を敵視して糾弾しており、明らかに政府よりも急進的であったが、右翼という扱いをされている。この当時の右翼に北一輝という国家社会主義を掲げて活動していた思想家がいるが、日本の社会では右翼というカテゴリーに入れられ、保守的な元老は、決して右翼ではないことになっている。つまり、日本においては、西欧哲学や西欧の手法を取り入れる人たちは、保守的な立場であっても右翼とはいわれていないようである。

 日本の右翼とは、西欧化に対抗する人々の総称として使われてきたのである。それにしても右翼は右翼でもいろんな立場の人がいることは否めない。しかし、共通点は無いわけではない。共通点として、考えられるものとしては多くの右翼と呼ばれている人たちは、西郷隆盛に傾倒している、もしくは好意を持っていると前々から感じてきた。そして、西郷が城山で斃れて後は、玄洋社を創設した、頭山満がその意志と行動を継承したものと思われる。

3、頭山満という人物

 先ほど述べたように、西郷が斃れて以降、その意志を継承したのは、頭山である。明治維新は「尊皇攘夷」の精神によって断行された改革であったが、開国することが条件となっていく。開国と攘夷とは相反する言葉のように思われるが、おそらく当時の志士たちに共通していた考え方は、開国によって日本が鎖国によって遅れてしまった物質的な更新性は取り戻すが、あくまでも欧米の帝国主義に対抗するというのが目的であったはずである。

 明治という時代が始まっていく際の、「西郷対政府」の対立とは、欧米を見聞して何とかこの国を再建するために、国際的な信用を得て、欧米の支援をもとに日本の発展をもたらそうとした政府と、日本精神を維持して、欧米の圧力に抵抗しながら日本の強化に努めようとした西郷以下の勢力との対立であった。後者の立場をとり、条約改正を第一義として、徹底した平等観を持ち国会開設、民権運動を展開していったのが、頭山であり、それを支えた組織が玄洋社であった。

4、玄洋社の歩み

 玄洋社は、西南戦争後結成された。この一地方の政治結社は、日本の政治の大きな影響を与えただけでなく、国政政治においても活動が多岐に及んでいる。アメリカ、イギリス、ロシア等では玄洋社は戦闘的で危険な集団であると思われていた。例えば、一つのエピソードとしては、平賀画伯が頭山の掛軸を飾ったために、フランス当局に検挙されるといった出来事があったほどである。

 一方で、アジア主義の下に中国の孫文の支援や李氏朝鮮の金玉均、当時、欧米諸国の植民地下にあったインドの独立運動家へ協力の支援を行っていたため、日本でもっとも信頼すべき戦友として知られ、玄洋社は、帝国政府のいかなる圧力に屈することなく支援をする団体というイメージを持たれていたようである。日本国内においては、私が以前抱いていたイメージと同様に、熱狂的な国粋派の集団であったと信じられていた。

 しかし、ただの国粋主義集団ではない。条約改正を一義としながら、玄洋社が全国の民権運動に先駆けて国会開設運動を展開したという事実が残っている。板垣退助が監修している書籍においても、玄洋社が全国に先駆けて請願書を提出したということを認めている。

 一般的には、民権派が国権派に急激に変化したようにいわれているがこれは真実ではないと思っている。玄洋社の立場としては、条約を改正して、日本国を欧米と対等にすることと国会開設を通して民権を確立することは、同時に行われなければならないということである。元々の民選議院設立の建白書は、日本の独立復権なしに民権はありえないというところから出発しており、板垣も否定できないと思われる。

 頭山は、首尾一貫して自らの思想、精神を変更していない。生涯を通して、「人民の権利を固守すべし」と述べている。明治の民権家が議員になる中で当初の目的を曲げ、軍の権力が増大していくにつれ、それまでの反骨精神を忘れてしまったことを嘆いていたことからも、頭山、玄洋社のすごさを感じることができる。

 その後の弟子たちにも、頭山は精神的影響を残している。中野正剛が「戦時宰相論」の中で、「色々な苦難に耐えることができる強い人物でなければ、戦時のリーダーはつとまらない」と記述したことで、東条が激怒して中野を自決に追い詰めた。「人間 中野正剛」の中でも書かれているが、この葬儀委員長を務めた緒方竹虎が、当時の東条の副官である赤松大佐に「東条首相の花輪を受けるか」と言われた際に、「故人は現世の恩讐の彼岸に在る、たれの花輪でも受けるであろう。しかし葬儀を執行するのは現世に生きている者のすることだ。花輪をどこにどう置くかは委員長が決めること。それをご承知ならお受けする」と答え花輪は届かなかったというエピソードがある。

 この時代において、こういった毅然とした態度をとることができるのはやはり、玄洋社精神、頭山の精神を継承している証拠ではあるまいか。こういった政治家が今の日本に少なくなったのはさびしく思う。

5、頭山の徹底した平等観

 もう一つ、頭山の信念として平等観を示した例を挙げたい。忘れてはならないのは、国会開設、憲法制定が叫ばれた頃、民権派が数多くの私擬憲法の草案を作成していることである。大日本帝国憲法は、周知のとおり、伊藤博文、井上毅、伊藤巳代治がドイツの法学者グナイストなどの助言を受けて起草し、成立させている。しかし、これには民権派の私擬憲法が大きな影響を及ぼしている。私擬憲法の類は非常に多く、特に交詢社、立志社の作成したものは有名で、玄洋社も二つの草案を作成している。

 玄洋社の私擬憲法では、戸主選挙制度を提案している。これはどういったものか。納税の有無に制約されることなく、日本の伝統精神の継承を重んじるために、家を代表する「戸主」に選挙権を与えるといったものであった。特に頭山の個人的な見解に至っては、「戸主としての男子」に限定をせずに、「戸主」であれば女子でも選挙権を認めることを主張した。

 しかし、実際は、深い政治哲学で動くのでなく、外国の政治思想の流れに従って動いていく。当時の状況を簡単に説明すると、国際的には普通選挙は一般的であったが、女性に参政権を与えるといったところまでは進んでいなかった。結局、女性には参政権は認められず、戸主でなくても満25才以上の男子であれば参政権を得ることができるようになった。

 頭山は徹底した平等観をもっていたと推察できる。それに加えて、なんとしても守りたかったのは、町民的自由民権ではなく、武士的な自由民権だった。つまりは、民族の祖先からの精神の継承をしたかったのだと感じる。

6、最後に

 この論文を書くにあたって、郷土史家の講話、玄洋社記念館での資料閲覧、書籍を通して、玄洋社に関わった人物について考えた。それぞれ、政策、考えは異なっていても、色々な局面で自らの意志で毅然とした対応をしている。

 中野正剛は、母校である早稲田大学の講演で「天下一人を以って興る」という言葉を残している。

 兎角人間は、組織に属し、色々な人との繋がりができることで自らの意志を通しづらくなる傾向がある。組織にぶら下がったり、権力に擦り寄ったりしてしまうことが多い。しかし、21世紀を生きる我々にとって大切なことは、孤立を恐れずに、すべての根幹に触れる思想、信条は曲げずに主張することだと思う。

 安保改定以後のアメリカの政策については、何も批判を示さないものが多い。国益という観点からすればいたしかたないと思うことが多くある。しかしもう一度、この国の歴史、伝統を理解した、真の歴史観をもった人材が、日本の真の独立のため、日本で生活する国民の立場に立って政治をできる人が必要であると感じる。

2007年11月 執筆
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