論考

Thesis

人間とは?

一年間の塾主研修を終え、人間の奥深さを学んだ。塾主が残した我々へのメッセージを考えながら、「個」と「公」の調和について考察してみた。

1、はじめに

 松下幸之助塾主の人間観を理解し、自分なりの人間観を構築することが塾生に与えられた使命である。塾主は、政経塾を設立した際に、初期の塾生に人間把握をするようにと言っている。おそらく、制度や法律や政策を立案し、実行する力を養う前に、人間観を持つことを塾生に期待したのではないだろうか。

2、塾主の「新しい人間観」について

 塾主の人間観の根幹には三つ前提条件があると考えている。一つは宇宙の原理とは生成発展する、つまり、たえず変化していくということである。生成発展の根拠としては、宇宙が消滅することなく、万物万人が生まれ、今日のように多くの生物体が高等化しているからである。人間の本質を理解する上でこのような宇宙観を必要としたのは、まず、人間の生活の場であり、人間を生み育んだ宇宙に対しての正しい認識が必要だと考えたからであろう。宇宙観というと科学的な見方で分析しているように捉えられがちであるが、哲学的な見方をしているところの塾主にオリジナリティーがある。

 もう一つの前提条件は、万人、万物は対立しながら調和しているという考え方である。具体的には、人間にしても、地球にしても太陽にしてもそれぞれに天から与えられた使命、役割があってそれに基づいて自らの役割を最大限発揮している。つまり、万物はその役割を果たすことで独自性を出し、対立しながらも調和し、バランスのとれた良い関係を構築しているということである。

 三つ目は、人間は万物の王者である考えたことである。何故このような考えが生まれたのであろうか。そもそも人間の誕生から探る必要がある。塾主は、ダーウィンの進化論とは対極の立場であり、人間は親から生まれ、親はその親から生まれ、それをずっと遡っていけば、人間の祖先にぶつかると考えていた。つまり人間には未だ科学的に証明することができない力、人間の力を超えた力、塾主はこの力を「根源の力」と表現しているが、この力によって人間が誕生し、存在できていると考えていたようである。

 それでは、計り知れないこの「根源の力」は我々に何を与えているのであろうか。塾主の著作を読んで私が考えたところ、宇宙の流れに順応しつつ、万物を上手く生かし活用しながら繁栄を生む、力を与えているわけである。こういったことを考えると、人間とは、万物の王者として他の生命体以上に崇高な使命を負っており、また果たすべき責務がある。この責任や使命を十分認識し、人間だけでなく、万物との協調、調和を図り、共同生活を向上させるべきである。しかし、人間社会には様々な課題がある。それを解決していくには、人間には万物の王者であるがゆえに果たすべき責任と使命の重みを自覚認識する必要があると、塾主は考えていた。今の日本の状況を考えるとこういった認識、意識を持つことが重要だと考える。それでは、我々が塾主の人間観をベースに自分なりの人間観を構築するには何が必要なのであろうか。

3、素直な心、衆知を集める、そして自分を知る

 まず素直な心から述べたいと思う。素直な心とは、何であろうか。まっすぐな心を指しているのだろうか。塾主が定義する素直な心とはとらわれのない心のことである。この心を所有することで物事の本質を見極めることができ、判断力がつくと考えていたようである。

 私は、素直な上記に記した三つのキーワードの中で、政経塾の茶室にも掲示されているが、この素直な心を持つことがもっとも重要だと考えている。私が考えるには、素直な心を持たなければ、衆知を集めることも自分を知ることもできないと考えるからである。人間はとかく、自らの経験やトラウマにとらわれてしまい、それを拭い去るためにストイックな体験や精神の基軸を求めがちである。それによって何らかの自信や自分の存在意義を確認する側面があるのだ。しかし、これが行き過ぎると、一つの価値観や考えしか認められない、理解できなくなってしまう。そして、物事の見方に偏りが出てしまい、本質を見極める目に曇りがかかってしまう。人類の繁栄と幸福を実現するために、我々は物事も本質をつかみ、それを元に実践していかなければならないと思う。塾主は、素直な心になるには三十年かかると言っているので、一歩一歩自らを省みながら自分なりの人間観をつかむ必要があると考える。

 次に、衆知を集めるとはどのようなことか考察したい。衆知を集めるとは、個々人の日々の研鑽により知恵を高めていくことを前提条件として、それだけでは限りがあったり、不足があったりするので、より多くの人々の知恵を集めることである。政経塾での現地現場での研修を通して、幾度か衆知を集めることの重要性を実感した経験があるので、その一つを紹介したい。熊本県某市を訪れた時のことである。このまちは、以前公害により地域のコミュニティーが崩壊してしまった。財政状況が悪く、税収を確保するための産業政策を行いたいが、工場を誘致する土地がない。限られた工業用地を生かし、さらに新しい取り組みを始めるために、県外、さらに外国から有識者を招いて、知恵を集めている。そして、徐々に知恵、知識がまちに集まるようになり、今後エコ産業をはじめ新しい取り組みがなされる可能性がかなり出てきている。この熊本県某市の衆知を集める活動は、有識者だけに留まらない。まちを実際にささえる市民(子供からお年寄りまで)の知恵、意見も生かそうとしている。素直な心を持ち、衆知を集めることは、人類の繁栄と幸福に繋がるのではないかと、この一年で少し実感できた気がしている。

 塾主は、「人間は、万物一切にあまねく働いている自然の理法というものを衆知を集めることによって一つ一つ解明し、その成果をお互いの生活に応用活用していくことで、お互いの繁栄、平和、幸福を高めることができる」と述べている。この手法を一生かけて探究することが我々塾生には課せられていると確信している。

 最後に、自分を知るということについて説明したい。直接的にこういった表現を使ってはいないが、塾主は自分を知るということにこだわっていたのではないかと思う。自分を知るとはどういうことかというと、自分というものを客観的に見ることである。これがなかなか難しい。常人にはできないことなのであろうか。仮に現在塾主が存命だったとする、私が、「どうすれば自分を知る、客観的に見ることができるようになるでしょうか?」と尋ねた場合、どう答えるだろうか。おそらく、「一日に自分を三回反省しないさい」と答えるにちがいない。自分を知るには時間はかかるが、毎日繰り返せば、自己客観テストで初段くらいは獲得できるとアドバイスしてくれるだろう。

 私は、松下幸之助という人物は、自分の長所も短所もよく理解した人だったと思う。だからこそ、人間を冷静に分析していたはずだ。そういう素地があったからこそ、独自の哲学や「新しい人間観」を確立することができたのでないかと思う。表現として適切ではないかもしれないが、人間を使う名人だったのであろう。

 このような方法を用いて人間観を確立していかなくてはならないわけであるが、次の章では人間観を確立した後、どうすれば現実的に万物万人が調和していけるのかについて考えてみたい。

4、調和する人間観を実現するための法

 一人の人間が個人としての幸せを追求していこうとすることと、また別の人間が個人としての幸せを追求することが、どのような関係にあるのかを考える必要が今の日本社会にはあると思う。まず前提としてこの二つが矛盾してはいけない。つまり自分が幸せになるために相手を不幸にしてしまうことは良いことではないし、相手が同じようなことを考えたときに自分が不幸になるのだから、何とか自分の幸せと他人の幸せが調和できるようにしたいと人間は願うわけである。それでは、どうしたらこの問題が解決できるのだろうか。公共心を育むことが重要だと思われる。その手段としては様々な社会的技術や制度や法律が考えられる。しかし、戦後教育の中で「私」ばかりが強調されるあまり公共心が日本に根付かなかった。そして、国はこれを是正するために教育基本法を改正したが、そもそも私の考えでは、個と公とは対立しているのではなく、コインの裏表のようなものである。個々人が自分の人生を大切にして生活し、生きていくのは当然のことである。その裏側に公共心というものがあるのではなかろうか。確かに、自分の幸せを犠牲にしてでも「公」のためにつくすという話は、為政者にはそうあってほしいと願いたいが、国民はそんなことをいわれても困ってしまうというのが実状である。

 人間は生きていくうえで、誰もが自分の幸せを追求する。換言すれば、自分勝手にわがままに生きていくということである。しかし、わがままに自分中心に生きていけばどうなるかというと、他の人間との摩擦やいざこざが起きる。人間は個人として幸せを追求するだけで、本当に幸せに生きていくことができるのだろうか。私はそうは思わない。例を挙げれば自然災害に遭遇した際、あるいは自分勝手に生きて晩年孤独に生涯を終えるなど、自分勝手にわがままに生きるだけでは、本当に自分の幸せを得ることはできない。つまり、他人との調和をきちんと図っていくことが大切であり、これは塾主も「新しい人間観」で述べていることである。(「新しい人間観」の場合は、自然との調和なども含まれる)そうした調和を図るために、先人たちは、人間が大勢いるときは、無秩序ではなく何かしらの秩序が必要であると考えた。それでは秩序とは何であろうか。秩序とは、各個人の行動、自由が制限されて、人間の相互関係がパターン化することである。家族も親族も部族も武士の集団も軍隊も、そして政府も秩序をもった集団である。集団の特徴は総てが規則的な行動をすることであるが、集団と集団の間にも関係性と規則が存在する。どうしてこういったものが必要になったかというと、それは一人一人の幸福を追求する権利を守るためだと思う。究極的には、一人一人の利害と、集団全体の利害が存続しなければならないということを、ぎりぎりのところで調整しようとする試み、工夫を人間は行ってきたわけである。

5、最後に

 私は、人間観が完成していない。おそらく三年間では完成させることはできないと思う。しかし、人間を知りたい、社会を知りたい、自分を知りたいという好奇心は人一倍旺盛であると思っている。自分なりの人間観を確立し、政治の現場で制度や法律を作っていく際に、必ず人間観に立ち返って考えることのできるよう、今後も研鑽を積みたいと強く思っている。

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仁戸田元氣の論考

Thesis

Genki Nieda

仁戸田元氣

第27期

仁戸田 元氣

にえだ・げんき

福岡県議(福岡市西区)/立憲民主党

Mission

中小企業振興、規制改革、健康と医療

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