論考

Thesis

食卓から見た我が国の実像

2007年を漢字一文字で表現すると「偽」だと言われている。特に食の問題が一番クローズアップされた。食卓から見た我が国の実像を探り、消費者個々人が食について考えるきっかけづくりのためにこの論文を書いた。

1、はじめに

 昨年は「食の偽装」の問題が相次いだ。具体的には、北海道苫小牧市のミートホープ社の牛ミンチの偽装、北海道の代表的な土産物である「白い恋人」の賞味期限改ざん問題、三重県伊勢市の「赤福」の賞味期限の再設定、秋田県比内地鶏の偽装、大阪市の名門「船場吉兆」の産地偽装などまさに一年を通して「偽」という言葉がマスメディアにたびたび掲載された。その後も中国製冷凍餃子の農薬混入事件もおこり、食に対する信頼が急落した。

 これらの問題を踏まえて、政府は、「生産者重視の行政から生活者重視の行政への転換」を大きく打ち出し、現内閣において、消費者庁構想なるものが打ち出され、国民生活審議会(首相諮問機関)がまとめた素案によると食品表示の関連の法令(食品衛生法、健康増進法、日本農林規格法、不正競争防止法、景品表示法)を一本化した食品表示法(仮称)の制定や消費者情報を集約するデータバンクの設置などの提言がなされている。この背景には、先に述べた偽装事件があり、消費者が自分の意思で食品を見極め、食品を選択するための土台を提供するためである。

 ここで忘れてはならないのは、このような土台が整ったところで、最後に食品を選択して食すのは消費者である。であるとするならば、消費者サイドも改めなければならない問題があると思う。この問題を通して、現代日本の家庭の実像を調べ、日本人の健康を守るための素案を提案したい。

2、食にまつわるあなたの知らない世界(1)~食の工業製品化~

 まずは、食品の現状を具体的に記してみたい。田舎らしいお土産が並ぶお土産の売り場での話である。観光客は何も考えることなくそこで販売されている食品は当然ご当地のものであろうと何の疑いもなく購入してしまう。こういったことに誰しもが遭遇してしまうことがあるであろう。よく考えると、その時期の収穫されない食品が店頭に並んでいたりする。なぜだろう。

 我が国の大規模輸入食品の玄関口の港での状況である。そこに灯油缶を太らせたようなポリ容器があちらこちらに山住みされている。中身は、シメジ、なめこ、にんにく、梅干し、山菜でありすべて塩漬けにされている。驚くことに、5年間も野積みにされているものもある様である。どう考えてもハッとする。輸入業者には食品衛生法上、温度管理や異物混入防止を求めているが、保存温度の細かな管理を義務付けられているのは、冷凍食品など一部のみである。塩蔵品は、腐敗変質しなければ何年野積みにされても法的には問題がないのである。

 それではなぜ、普通に考えればおかしいと思える状況がまかり通っているのだろうか。答えは、野積みにすれば保管コストが三分の一で済むからである。どうも我々が食品だと思っているものは、工業製品的扱いを受けているようである。形が残っていれば何でもいいような扱いをされている。着色料、保存料、香料など消費者に対しておいしいと感じさせるためのものが多く含まれている。これらの状況を見て感じるのは、食料自給率の20年での10%の低下は憂慮すべき課題であると感じる。

3、食にまつわるあなたの知らない世界(2)~産地偽装編~

 台湾の梅干しが和歌山に、中国産の茶葉が静岡県へ運ばれていることも以前は頻繁に勃発していたようである。輸入食品が国産に変わってしまうということはよく言われている。

 2000年に我が国ではJAS法が改正されたが、それ以前は、加工国を原産国とするとしか決めていなかった。現在は、加工食品の原料の産地表示はなされているが、つい最近まで、以上のようなことが普通に行われたことに対して驚く。消費者の関心が高まるにつれて徐々に改善されてきた経緯を考えれば、信頼できる「食」を身近にするには、どうやって関心を高めていくかできるか、考えることが必要であると感じる。

4、食にまつわるあなたの知らない世界(3) ~っぽい食べ物

 ~っぽい食べ物?この言葉を聞いて何のことだと思われる方もいると思う。わが国には、この~っぽい食べ物が多くあるようだ。

 2007年度の我が国のコンビニ業界の市場規模は、7億5千億円ほどである。コンビニの販売構成比を見ると、弁当、総菜、パンなど75%が食品である。よく言われることであるが、コンビニは日本人の台所といっても過言ではない。日本の多くの家庭がコンビニ、スーパー等の「中食」に依存している状況であり、ここで販売されている弁当や総菜等の中身には食品添加物が多く含まれており、~っぽい食品もあると言われている。我々消費者はそれらの中身には関心を特に持つべきであると考える。

 具体的には、どのようなものがあるのか。例えば、コンビニ等のサラダに入っている卵についてであるが。付け合わせの卵があまりにきれいな形状をしていると感じたことはないだろうか。確かに、見栄えもいい、食べたくもなる。この卵は金太郎飴の形、筒状をした卵なのである。生卵を黄身と白身に分離してつくるのであるが、結局は消費者を喜ばせたいという業者の意向で製造されている。おかしさを感じる。

 また、さらに身近に感じる~っぽい食品の事例でいえばコーヒーを飲む際に入れるミルクについてである。我々は、これをミルクだと思い込んでいる。実際のところ中身は何が入っているか調べてみると、植物性油に添加物を加えて乳化させたものも多くあるようである。

 このような状況を考えると、現代の子供たちは本物の食べ物を分別できなくなっているのかも知れない。偽物を本物だと思い込み、本物が何なのか分からなくなっているようである。すべてを効率化し、拝金主義になり、最も大切な足元の部分である家族の健康を知らないうちにないがしろにしている。消費者は食品に対して、なぜこんな低価格なのか、時間が経過しても食品が腐敗しないのかを考えなければならない時期に来ている。足元をもう一度見直すことが今問われている。

5、食にまつわるあなたの知らない世界~体に良いスポーツドリンク~

 子供の頃、スポーツをしていた人であれば、日常的にスポーツドリンクを飲んでいたと思う。栄養ドリンクであれば、「一日一本」という文言を注意せず、飲んだ人もいるであろう。

 これには多くの問題がある。一つは、科学薬品の多量摂取と糖分の多量接取である。分かりやすい説明をすれば、多くの人が飲んでいたスポーツドリンク1.5ℓの約10%が糖分であり、角砂糖でいうと50個分ほどに相当する。

 このように考えると、非常に危険な気がする。個人的な体験の話になってしまうが、私の場合も少年スポーツ団で野球をしていた頃、コカコーラは駄目だと言われていたが、スポーツドリンクに関しては、コーラを飲むときのような咎められ方をされることはなく、むしろ飲むことを勧められていた気がする。今考えるとゾッとする。最近新聞等でもよく目にするが、中高生から30代の若者に多いペットボトル症候群というものがあり、糖尿病に発展することも多々あるようである。この問題を是正するためには、まずは、栄養成分表示を詳細まで公開し、さらに消費者もライフスタイルに応じた食知識を身につける必要があると思われる。

6、知らないことによる弊害 アレルギー疾患

 厚生労働省の国民栄養調査によると、三大栄養素の比率は脂質が大きく増えているといわれている。確かに中食、外食そして家庭の食卓を見ても、手間のかからない、子供が食べやすい、好みやすい肉類が多いようである。体が弱いから、パワーをつけないといけないといけないから。こういった理由でスーパーに行くと卵や肉に手を伸ばすことが多いようである。これは一見正しいようで、日本人の体質を考えると考え直さなければならない。

 私が松下政経塾に入塾する際に、地元福岡でアレルギー疾患が多かったので、その解決策として何らかの対策を考えていきたいと書いたが、まさに今日本で蔓延している、アレルギーの問題は、「環境の問題が半分で、体質の問題が半分である」と感じている。そして、環境の問題にしても体質の問題にしても、食生活の問題が大きな問題となっていると考えられている。

 現在の日本人の食卓を眺めてみると、肉や卵を利用した油を多く利用した料理が多く、間違いなく、これは日本人の体質からいってタンパク質、脂質の過剰摂取であり、さらに、運動不足、過食が重なり、このたんぱく質をアミノ酸まで分解することができず、体内に不要物質が蓄積している。そして、この分解されないタンパク質、脂質が皮膚から排出されるとこれをアトピー性皮膚炎および、気管支や気道に排出されると気管支ぜんそくやアレルギー性鼻炎とよばれている。つまりこのアレルギー疾患の問題は、根っこでつながっており、体の警告なのである。

 ここで申し上げたいのは、まだアレルギー疾患のように、直接的に体に直接異変を及ぼす疾患は良いのかも知れない。しかし、この不要物質が臓器に蓄積する場合は、肥満症、糖尿病、心筋梗塞に発展しまう恐れがあり、まさに人間の生死にかかわる問題となってくる。

 国の医療費も増えている中で、予防医療の観点からも、食に対して一人一人が関心を持っていく必要ある。できれば、昭和30年代の野菜たっぷり、卵は一週間に一個といったように、家庭の食卓に和食を取り戻していくことが、農家を守り、国の持続可能の医療制度実現に貢献し、一人一人が健康に生活できるコツなのではないかと思う。こういった広義の意味での持続可能な社会実現に向けて、国民も行政も取り組む必要性が高まっている。

7、知らないことによる弊害 お産

 日本の出生率は、すでに1.3人を割っている。七組に一組の夫婦が不妊症と言われており、また、一方では子宮内膜症や精巣がんなど生殖器性の病気が増えている。昨今少子化の問題ばかりが叫ばれているが、当然少子化問題は人体だけに起因している問題ではないが、産みたいけど産めないといった問題も見逃せないのではないかと思えてくる。現に私も周りにも結婚後、この悩みを持っている夫婦がかなりの割合で存在する。原因の一つとして考えられているのは、ダイオキシン等に代表される環境ホルモンであろう。ここで危惧すべきことは、この問題は、現世代だけの問題だけではなく、複合汚染といって次世代に影響が及ぶ可能性があるということである。

 医学部の大学教授が書籍の中で述べていたが、精子と卵子の出会いによって誕生した胚は、胎児から乳児にかけて細胞分裂し、その時期に異物が細胞に何らかの影響を与えると、人体に多大な影響を及ぼすようである。影響に関して言えば、表面的にあらわれてくる、免疫異常の問題や知能低下、奇形等の問題があるが、最近では、外面には現れてこない自閉症やADHD、アスペルガー等も遺伝子レベルで何らかの異物が細胞に影響を与えることが原因ではないかと言われている。

 私は2年時の研修で、主に九州圏内の保育園や幼稚園を訪問し、食育の啓蒙活動を行ってきたが、年配の先生方は口を揃えて「昔より行動に異常性がある子供が増えた」と言っており、複合汚染の問題がこの問題の根底に深く関わっていると思わずにはいられなかった。

 この複合汚染の例としては、食物連鎖によっておこった、熊本県の水俣病問題が理解しやすい具体的な事例であると思われる。かつて、母親の胎盤は有害物質を通さない絶対的なものとされてきたが、この事例でも十数年かかつて証明されたように、魚を通して母体に入った有機水銀によって、胎児の健康は壊された。人間の研究では、この化学物質がどのように人体に影響を及ぼしていくのか分かりかねるところが多くあるが、この問題は、科学、医学が証明したときには、もう手遅れになっていると思われる。

 これに対する対応策としては、個人が努力しなければならないことが2つほどある。一つは、ダイオキシン等の化学物質は食物繊維と非常に結びつきやすいので、安全な穀物と野菜中心の食生活をおくること。もう一つはダイオキシンの発生を抑制するためのごみ問題への対応である。ゴミをなるべく排出しない、リサイクルの徹底、ゴミを減らすための社会システムを実践していくべきであると思われる。これらからもわかるとおり、食・農・環境の問題を一体で考えていくことが重要になってくると言われている。

8、日本の現代家族について

 これまで細かく述べてきたが、簡単にまとめると、穀物や野菜を中心とした日本型の食生活にシフトしていくことと消費者が食に対しての意識を高めることであると思われる。この基盤は、私は家庭に求めるべきであると考えている。根拠を述べるとするならば、子供の心と体を育てるのに大きな役割を担っているのが家庭であり、結局人間は幼いころの習慣を生涯にわたって継続して動物だと考えるからである。

 それでは、現在の我が国の家庭と食卓について考察してみたい。某広告代理店の調査によると、日本人の家庭の食卓の崩壊は、現在を境に始まったように報道されているが、実はそれは間違っていて、今の祖父母の世代から崩壊が始まったということが述べられている。それはなぜか、祖父母世代は、戦中戦後の食糧難の時代に成長期を過ごし、「昔ながらの家庭の食」を食べることができずに育ったからであるようだ。この世代に共通している認識として、日常の食事を「きちんとした」ものだと思わずに、真似したいとも継承したいとも思わずに成長していることがわかる。

 さらにこの世代に特徴的なことは、アメリカからの支援食を含む洋食化が影響しているためだろうか、以上に洋食への強い思いを持っている。ハイカラなものや料理教室に対するあこがれが非常に強かったのであると思われる。実は冷凍食品や、インスタントラーメンなどを積極的に使用してきたのは、この世代からなのである。

 仮に、昔ながらの食生活で育ったのであれば、娘たちである現代の主婦が同様のことを行うに違いない。結果的には、現代の家庭において食育力は低下しているし、昔ながらの家庭の食は継承されていない。それではなぜ現代の主婦は、同様のことをしなくなったのであろうか。

 その背景は二つあると言われている。一つ目は、この祖父母世代は、「教科書の黒塗り」に始まる価値観の転換を突然学校教育の場で教えられるようになったからであり、価値観はある日突然変わるものだということを身をもって体験した人たちであるということであろう。さらに、学校を卒業し、社会に出ても戦後思想の追い風をうけて、女性の生き方、労働観、家庭観など様々な新しい価値が一つの世代にうちに大きく変化をしていき、現代の主婦世代への食や価値観の継承が断絶された。

 もう一つは、戦争の反省から「個人の尊重」が重視されるようになったことであろう。「親の気持ちを押し付けてはならない」・「子供が嫌がることを無理してやらせなくてもよい」など、食事の問題だけに限らず、生き方、価値観においても個人の尊重を重視するようになった。確かに私がいわゆる日本の農家で研修をした際に、農家のおばあさんが「娘にはこんな田舎で自由のない中で生活するなら、都会に出て女性として自立した自由な生き方をしてほしかった。」と言っていたが、まさに祖父母の世代の時に、我が国の社会構造が大きく変化を遂げたことによって、料理だけに限らず、この世代の人々は新しい文化を吸収していったのであると思われる。これらを考えると、日本の食卓は崩れるべくして壊れたのではないかと感じる。そして、我々孫世代にこの影響がさらに強くなってきている。

 我々孫世代は特にそうだと思うが、料理の本を見て手の込んだものを作る能力は備わっている。しかし、どうであろうか、食は日常の問題である。人間の健康を支える上で大きな役割を果たすのが食ではないか。それを考えると本当に大切なことは、目新しいものや変わったものだけを作ることではなくて、家族の健康を考えて毎日淡々と食事を作り続ける習慣を育てる必要性があるはずだ。日本の食卓は、大きな曲がり角にきている。今一度なぜ食べるのか、学校でも家庭でも、根本から考え直す時代がきているのではないだろうか。

9、食生活改善に向けた取り組み~お弁当の日~

 それでは、食を根本から考え直すにはどうしたらよいだろうか。全国や地域や学校や家庭で、特色のある取り組みが始まっている。

 全国でこの「弁当の日」に取り組んでいる学校が70校近くある。2001年、香川県綾川町立滝宮小学校の竹下和男校長が始めた取り組みである。子供を台所に立たせて生きる力の基礎となる暮らしの時間を増やすことを目的として、自分で弁当を作る事がルールとして実施されている。

 この取り組みが導入された時期は大変難しい時期であった。なぜならば、学校5日制の完全実施が決まっており、父兄からして見れば、どちらかといえば学力低下に対して危惧していた時である。親がいない時に兄弟と自分の食事は自分で作ることができる、自立心をもった子供を育てたいという思いを実現するために弁当の日は始まった。家庭の食卓は悪化しており、子供にとってはかわいそうな状況の中、自分で食事を作る技を身につけさせる。子供の成長にとって多少のリスクを背負っても実施すべきだというトップダウンの決断だったようである。

 子供の教育を考えた時に、現代の家庭では、家族と過ごす「暮らしの時間」が効率化の流れの中で長期間に渡って減少してきた。それに伴い、暮らしの体験が大幅に子供の時代になくなってきているのである。

 この取り組みを通して、まず一つは家族と過ごし「暮らし」の時間を増やすこと、そして、この取り組みに参加した児童が感想文で書いているように、好き嫌いを言わずに野菜も食べるようにしたいとか、現代の子供が失っている感性や暮らしについて、そして食について真剣に考えるきっかけになっているように思われる。

10、元気野菜づくり

 私自身もこの取り組み関わっており、今後もこの取り組みに携わって進めていきたいと考えている。

 元気野菜づくりとは、長崎県佐世保市を拠点に活動をしている「大地といのちの会」が提案している生ゴミを土に還元し、その土を利用して野菜を栽培することである。代表の吉田俊道さんは、九州大学農学部を卒業後、県の農業普及委員をつとめていた際に、農薬漬けによって生命力がなくなっていく農作物をみて、有機農業の利点を農家に説いてまわったが、農家の方々から「そんなことでは自分たちの生活が成り立たない」と言われ、職を辞して就農した。

 就農して数年間は、朝から晩まで畑に立ち無我夢中で有機農業に取り組んでいたわけであるが、その取り組みの中で生ゴミリサイクルと出会ったのである。同じ野菜でも虫が来るものと、来ないものがあり、この感動を伝えたいという一心で、元気野菜作りの普及活動を行ってきた。私自身も吉田氏のもとで研修をしながら、本当に驚かされたことがある。それは、無農薬野菜は虫が付きやすいので困難であると以前から思っていたが、それは実は違ったのである。土づくりをしっかり行えば、そこでできた野菜は生命力が違う、虫もつかないのである。しかも、土づくりをしっかりと行った農地で栽培された野菜は、市販の野菜より、ビタミンもミネラルも豊富なものができるのである。これだけでなく、食べ比べをしてみても大きな違いがある。土づくりをきちんとした農地で栽培された野菜は、香りはさることながら、味もいい。人参であれば、極言かもしれないが、柿のような甘みのあるものが出来上がる。

 スーパーに買い物に行くと、同じ大きさ、同じ太さの野菜が並ぶが、栄養素は低い。生ゴミリサイクルで作った元気野菜は、大きさ、太さは揃わないものの品質が良いものができる。消費者何を求めているかは難しいところであるが、本質をしっかり見極めてもらう必要があるように感じる。消費者の歩み寄りにより、生産者も確実にいいものを提供するようになる。好循環が生まれていくのである。

 生ゴミリサイクルは、いい野菜ができるという利点だけではない。私が研修で感じただけでも3つの利点がある。まず一つ目は、生ゴミを土に返して、微生物によって分解され野菜くずが食べ残したものが、魚の骨が2週間も経過すれば完全に形跡がなくなってしまうのである。私もこれを目の当たりにして大変驚いたが、この生ゴミリサイクルを実際に長崎県内の幼稚園、保育園そして小学校で実施することで、子供たちの感性も劇的に変わり、自然の力を理解することができ、食べ物が自然の中で循環し、また別の食べ物に化けてしまうので、命がつながっていることを人間もその自然のサイクルの中で生かされていることを身をもって学ぶことができる。

 この取り組みを、全国に普及して子供たちに体験してもらうことは、食に対しての意識を真の意味で高めていくのに大きな役割を果たすことができると強く思う。二つ目の効果は、住民自治の促進である。簡単にいえば、特に都市部では希薄になってしまったご近所のつながりを取り戻すことにも貢献することができる。現在、農業の問題として耕作放棄地が年々増加しているといった現状がある。これらを利用して市民農園が様々なところでできているが、この市民農園を利用して、生ゴミリサイクルによって元気野菜を作ろうといった取り組みが活発になっている。本来であれば、必要のなかった生ゴミを周辺の家庭を廻りながら収集し、それを発酵させて堆肥として、その市民農園で活用する。この取り組みの中で今まで会話をしなかった近隣の住民どうしの間で会話が生まれ、ゴミの削減によってともに社会に貢献し、さらにそれを利用して野菜をともに栽培するなど住民としての自信が育まれ、周辺の自治会などにこの取り組みがどんどん波及しているようである。

11、結びに

 食の問題は、毎日といっていいほど新聞やテレビで報道されている。間違った情報もあれば、正しい情報もあるように感じる。

 戦後、社会の構造が変化する中、効率化だけが叫ばれ、我が国では「暮らし」についてあまり考えてこなかった。これに付随して、食生活、食の乱れがおこってきたのである。しかし、今我々は足元を見なければならない時期に来ていると感じる。人が生きる上で最も大切な健康の問題、心の問題に対してもう一度考え直すべきだと思う。

 確かに経済的な豊かさも大切であるが、それだけではない豊かさについて考えていく局面に入ってきていると思われる。地域、学校での取り組みを通じて、日本の家庭の在り方をもう一度見直していく必要があると感じる。

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仁戸田元氣の論考

Thesis

Genki Nieda

仁戸田元氣

第27期

仁戸田 元氣

にえだ・げんき

(前)福岡県議(福岡市西区)/立憲民主党

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中小企業振興、規制改革、健康と医療

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