松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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外交・防衛
2005年11月

塾生レポート

日本型民間防衛は可能か
日下部晃志/卒塾生

一見ものものしく聞こえる「民間防衛」だが、国民の生命・財産を守り続けていくには必要不可欠だと考える。日本への民間防衛導入の可能性とその方策を考える個別テーマレポート第2弾

 

1 はじめに

 前回レポートにて、「国民保護は民間防衛の足掛かり」と述べた。しかし、これは、法律を整備して、国民保護を諸外国並みに改めればよい、ということは意図していない。私は、日本には日本特有の民間防衛の姿があると思っている。法律を整備することも重要だが、より重要なのはいかにして実効性と継続性を持たせるか、なのである。実効性という点では「国民保護法」が想定するのは武力攻撃事態対処であるが、将来的には、防災にも対応できうるような汎用性を持つシステムに発展させるべきである。なぜなら、武力攻撃であれ、自然災害であれ、ファーストレスポンダー(第一対応者)は国民だからである。自助の精神がなければ、自らのみ安全を確保することはできない。また、継続性という点では、仮に、今後100年間、日本が平和だったとしたら、それで廃れてしまうような制度、システムでは意味がない。

 ではそのためには、何をどうすればよいか、そしてそのための具体的な取り組を本レポートで報告したいと思う。

2 民間防衛の必要性を考える

(1)国際的な民間防衛の概念

 まず、国際法における民間防衛の概念から説明しておきたい。
民間防衛の目的は、ジュネーヴ諸条約第一追加議定書第61条に次のように規定されている。「敵対行為又は災害の危険から一般住民を保護し、一般住民が敵対行為又は災害の直接的影響から回復するのを援助し、また生存のための条件を提供することを目的として次の人道的任務の一部又は全部を行うことをいう」

①警 報
②疎 開
③シェルター(退避所)の管理
④灯火管制の管理
⑤救 助
⑥医療(救急措置を含む)及び宗教上の援助
⑦防 火
⑧危険地帯の探知と表示
⑨除毒及び類似の保護処置
⑩応急の宿舎及び需品の提供
⑪被災地域の秩序の回復及び維持に関する応急援助
⑫不可欠の公共施設の応急修理
⑬死者の応急処理
⑭生存に肝要な事物の保存に関する援助
⑮前記の業務のいずれかを実施するに必要な補足的活動

 主要先進国の民間防衛の推移、現状及び将来の動向等を概観すると、各国の地理的環境、国土の広狭、人口の多少、国土の開発状況、国力、政治・社会制度、国防の体制、当面する脅威、防衛の基本的考え方等、各種の機能、各種の要因によって民間防衛のねらい、民間防衛の機能(特に重視すべき機能)とその具体策等に相違点がある。しかしながら多くの国々に共通する点も多く見られる。多くの国々に共通する民間防衛の考え方の基礎は、「軍事防衛だけで国家の防衛を全うすることは不可能」だということである。

 ドイツ、ノルウェー、スイス、フランス、スウェーデンなど、ヨーロッパの国々では、それぞれ多少の表現やニュアンスの違いはあるものの、軍事防衛、民間防衛、経済防衛、心理防衛等をもって国家の防衛を全うするという「総合防衛」の考え方をとっている。また、総合防衛の考え方をとっていない国々、たとえば米国、英国、フィンランド、韓国などでは、軍事防衛と民間防衛を国家防衛の車の両輪と考えている。

 スウェーデンの防衛委員会が1981年の中間報告「スウェーデンの安全保障政策と総合防衛」のなかで、

外部の脅威に対する防衛は、全国民が関与すべきものである。将来の危機及び戦争は、さまざまな方法で全社会に影響を及ぼす。それゆえ、準備のための必要な措置は社会の全ての分野に関係する。
と述べているが、将来の危機及び戦争は、直接的にあるいは間接的に全社会に影響を及ぼすので、その影響を最小限にとどめて国民の防護と国民生活の安定をはかり、国家の基盤が崩壊することのないよう措置を講ずる必要があるからである。一方で、民間の諸機関や全国民がこのような態勢を確立し、軍隊の行動を自由やその機能の完全な発揮に寄与する場合にのみ、外部の脅威に対する防衛の中核たる軍隊はその使命を完全に遂行することができ、その結果、国民の防護や国民生活の安定がよりよく達成されるからである。

(2)わが国における概念

翻って、わが国ではどうだろうか。
わが国における民間防衛を検討するにあたってその概念をどう規定するかは、検討の出発点となる重要な問題点である。

 民間防衛が対処すべき事態としては「わが国に対する敵対行為」と「自然的災害」とを均等に考える必要があろう。

 「わが国に対する敵対行為」の結果生ずる災害は、局地的な、多くの場合は一過性である「自然災害」とは本質的に異なり、全社会に深刻な影響を及ぼし、程度によっては一国の命運を左右するものであって、自然災害への備えをもって処理できるものではない。

 しかもわが国は「専守防衛」を防衛政策の柱として位置づけている。このことが意味するのは、わが国の防衛ラインは領空及び領海であるということである。ここを越えてわが国に侵入する者に対しては自衛権を発動するということであり、わが国は一朝ことあるときには、防衛作戦を領土上で行わなければならないのである。

 ここで、想起するべきは、大東亜戦争における沖縄戦の様相であろう。住民の避難が遅れ、軍と住民が混在して、米軍を迎え撃たざるを得なかったがために、約10万人の県民の犠牲を出すに至ってしまったことである。

 昭和19年7月の時点で政府は、沖縄への米軍の侵攻の公算が大きいと判断し、南西諸島から速やかに老幼婦女子を本土と台湾に疎開させることを閣議決定し、本土に8万人、台湾に2万人の計十万人を疎開させる計画であったが、沖縄への輸送途中の部隊(おそらく「対馬丸」のことであろうと思われる)が海没したとの噂が県民の間に広まり、また、沖縄から送金や物資を送れるのか等の不安が相次ぎ、島外への疎開は遅々として進まず、結局、沖縄県とその守備に任ずる第32軍は非戦闘員の島内疎開を計画したものの、島内疎開も島外疎開と同様、強制力がなく、かつ疎開計画の裏付けとなる住宅、食料等の生活基盤の斡旋が不十分なこともあって疎開は進まず、住民と軍隊が混在する中で戦闘が始まってしまったのである。

 筆者は昨年7月に、沖縄県南部の戦跡を歩いてみたのだが、その際、第32軍最期の地、摩文仁の丘で、沖縄戦の経験をしたという一人の老婆に出会い、当時の様子を聞く機会に恵まれた。危険な目に遭われたのでしょうねという問いに対して、刮目すべき回答が返ってきた。曰く「私は軍とは離れて避難をしたから助かった。米軍の姿をみかけたこともあったが、無事だった。軍と行動をともにした人はみんな巻き込まれてしまったのよ。」ということであったのだが、この老婆は知ってか知らずか、軍と行動を共にせずに助かったのである。いわば、正しい避難の仕方を実行したがために助かったというのである。多くの県民は軍と行動を共にした方が安全だと思いこみ、戦闘に巻き込まれてしまった。もし、「戦闘中は軍との行動を避け、戦闘地域から出来るだけ離れる」という避難のセオリーが事前に周知徹底され、実行されうるような仕組みがあれば、県民の犠牲はもっと軽くて済んだのではないか。

 戦闘が予期される場合、住民はいち早く避難して、戦闘地域に人を残さないことがいかに重要かという沖縄戦の教訓が果たして戦後のわが国に活かされてきただろうか。答えは否である。「専守防衛」といえば聞こえはいいのだが、住民の避難に関して何ら計画がないままでは、実態としては「住民を巻き込みながら本土決戦をやります」と言っているのと何ら変わりはないのである。

 加えて、わが国は世界有数の地震多発国であり、また台風の経路上に位置し、火山活動も活発で、古来より大規模な自然災害に見舞われていること、都市部への急激な産業、人工等の集中によって都市構造そのものが地震などの自然的災害に対して脆弱であることから、自然災害の脅威についても、わが国の属性といっても過言ではない。従って、民間防衛は、敵対行為、そして自然災害の両方に備えうるものにする必要がある。

(3)抑止力として

 さて、被害の局限の面から必要性を論じてきたが、次に抑止力の確立という点から、必要性を述べてみたい。抑止力とは「潜在的侵略国が侵略を行った場合、相手国には侵略国に壊滅的な軍事報復制裁措置を加えるという意志があることを事前に知らしめて、そのような制裁措置を受けないよう潜在的侵略国をして侵略を思いとどまらせること」と定義される。したがって、相手国は潜在侵略国に対して、受け入れがたい代償を課す強い意志と、実力の保有を明らかにしなければならない。

 法政大学名誉教授・松下圭一氏は著書「都市型政治と防衛論争」のなかで

日本は、戦争突入以前の有事迫るというだけでパニックになりうる精密機械のような構造的脆さを持つに至っている。パニックになれば、陸上自衛隊は自壊してその装備はスクラップになるだけである。
と、述べているが、高度の都市型、産業社会においては民間防衛を放置して防衛力(自衛隊)だけを整備しても抑止力とはなりえない。

 民間防衛体制を整備することは、戦争災害を克服して侵略に対処するという国民の強い意志の表明でもあり、それが侵略を抑止することになるのである。

 抑止の重要な鍵は、潜在的侵略国の判断にあると言われている。武力攻撃に対する構造的な脆さを克服するための努力を放置していれば、「日本は防衛戦を戦うための犠牲に耐える不屈の意志と能力を保持していない」と潜在的侵略国が判断したとしてもやむを得ないのではないだろうか。また、これまで「侵略国」という表現を用いてきたが、近年では、戦闘の様相として、国家の軍隊同士が戦う対称戦よりは、国家と非国家主体が戦う非対称戦が9.11以来頻発しているが、はたしてテロリスト集団のような非国家主体に対しても抑止という概念は通用するのだろうか。答えは通用する。テロリストとてむやみやたらにテロを行うものではない。彼らがテロを実行するのは何らかの政治目的を達成するためにやるわけであって、目的が達成出来そうにない場合は、リスクを冒してまでテロを実行することはない。よって、テロリストに「これはテロが成功しそうもない」と思わせるほど警戒感の強い社会を作るか、「たとえテロが成功しても揺るぎそうもない」と思わせるほどの心理的に強固な社会を作れば、十分に抑止は成り立つ。しかし、前者は、イスラエルのように鉄砲を持った兵士が町中に配置されているような社会であり、現実的にはできるものでもない。よって、後者の心理的に強固な社会を作ることを追求するほうが、現実的かつ合理的であるといえる。

3 民間防衛の機能

 さて、ここまで、必要性について述べてきたが、民間防衛の機能についても述べておきたい。

 民間防衛を機能面から細分化すると、第一段階:シビル・プロテクション、第二段階:シビル・ディフェンスに区分できる。

(1)シビル・プロテクション

 シビル・プロテクションとは個人の防護のことである。敵対的な行為から一般国民をいかにして守るかという、民間防衛の核心部分である。多くの国は、シビル・プロテクションという概念の中に

①警 報
②避難・疎開・退避
③消 防
④救急救助
⑤応急医療・防疫
⑥応急復旧

を含ませており、これらは先程も述べた、ジュネーヴ諸条約第一追加議定書第61条の内容を施策として具体化したものである。

(2)シビル・ディフェンス

 シビル・プロテクションを真に有効なものとして、内政のなかで定着させるには、関連した様々な施策が必要である。このため多くの国はシビル・プロテクションをシビル・ディフェンスの中心に据えて、さらに次の機能をシビル・デフェンスに含ませている。

●戦時における国や政府の機能の維持

 これは、「国民の防護」を確実にするための前提条件であり、権限の継承順位の明確化、国・政府の重要機能の生存確保、通信情報システムの確保を施策化している。

●国民生活の安定

 「国民の防護」のためには、戦争災害からの直接防護のほか、経済的・社会的安定を確保する必要がある。経済の面では、食料・エネルギー、交通・通信の確保、生産の維持が、また社会の面では治安の維持や医療の確保、適切な報道体制の維持が国民生活の安定のためには不可欠である。

●軍隊との協力

 軍隊は、一般住民が作戦機能の発揮とある程度の行動の自由の保持がなければ、国土とその周辺における防衛の任務を果たすのは難しい。国民との協働が有ってこそ、軍隊もその機能を発揮するのである。96年に韓国の江陵で起こった事案を例にとると、北朝鮮の小型潜水艦が韓国東海岸(江陵)で座礁。武装した乗員26名(推定)が韓国領土内に侵入し、韓国軍は6万人が出動し、1ヶ月を超える掃討作戦により、11人が死体で発見、13人射殺、1名逮捕、1名逃走した。この際大部分の住民は上陸地点の半径50kmの地域から退避したのである。それでも、一般の民間人3人がゲリラに殺害されたほか、1人が誤射で死亡してしまった。「軍との協力」というのは、一見物騒に思えるが、要は、敵を排除するために軍が動きやすい態勢にしてあげることにほかならない。それこそが、一般の住民の巻き添えを防止することにも繋がるのである。

 以上で見たとおり、本当の意味でのシビル・デフェンスとは、国家全体の施策として、シビル・プロテクションの実効をあげるとともに、国民生活の安定を図り、あわせて、軍民の協力の確保を目的とする政府、地方自治体、民間諸団体、および国民自らが行う組織的な非軍事活動に他ならない。

4 わが国で民間防衛は可能か

(1)国民保護の現状

 さて、問題はこのような民間防衛が果たしてわが国に導入することが可能か、という点である。現時点では、平成16年に「国民保護法」というものが成立し、これに基づき平成17年度には、各都道府県が、18年度には各市町村が「国民保護計画」を定めることになっている。一応、法制度上、ジュネーブ条約上定義する「民間防衛」の萌芽ができつつあるのは確かである。ただ、現状では、法体系が整備されただけで、計画の実効性は担保されていない。状態としては、「国民保護法」成立前の状態と何らかわりはない。原因として考えられるのは、防衛や危機管理というものに対して、根強いアレルギーがあることである。戦前の防空訓練や隣組の記憶などが、戦後歪曲されて伝わったためか、本来、国民を守るための制度が、国民の私権を制限するものだと考えられているのではないだろうか。もう一つは、国民保護法には国民の義務に関する規定がないことである。国民保護法上、「国民の協力」は、「避難住民の誘導や被災者の救援の援助」「消火、負傷者の搬送、被災者の救助の援助」「保健衛生の確保に関する訓練への参加」四つの局面に限定して国民の協力を要請する範囲を特定しているが、これらの要請に応えるかどうかは、国民の任意であり、義務ではない。確かに、有事において、なし崩し的に私権の制限が拡大されることがあってはならないが、そもそも、個人の私権を保障するものは国家であるから、その国家が危急の際に私権が大事だと言うことが許されてもよいものなのか。その当否はここではおいておくとしても、国や地方公共団体が国民保護措置に万全を期すには、その補完体制としての国民の協力と相互の共助は必要不可欠なのである。

 このような現状からすると、わが国の国民保護は機能面からみれば、「(実効性がない)シビル・プロテクション」程度だといいうる。法体系として整備はされつつあるが、法体系のみでは国家を緊急事態から救うことはできないのである。法体系はこれを実施し、履行する体系たるシステムとソフト(情報・経験・知恵・協力・団結・信頼等)によって、国家と国民の総体が法体系に基づいて有機的に結合され、機能しない限り、その目的は達せられないのである。

(2)国民保護の実効性を担保する

 さて、それでも、やはり有事において国家の独立と国民の生命・財産を守るためには、国民保護に実効性を持たせ、「シビル・ディフェンス」の域にまで高めていくことが必要だと考える。

 優先的に考えるのは、まず「受容性」、すなわち、国民が受け入れやすい素地をつくることである。恐らく、政府や自治体から制度を国民に押しつけたところで、実効性は生まれまい。自衛力の保持についてさえも、世論の一部に反対がみられる現在、全国民の自主的な参加を期待するにはどうすればよいか。

 方法論としては、地道に普及啓発していくしかないと考えられる。しかも、今流行のe-learningなどではなく、フェーストゥフェースの教育である。本来は、防災や危機管理に関する教育は自治体であったり、公教育の場で行われるのが相応しいのだが、警察や消防、自衛隊などのOBを活用して、普及啓発の任を担ってもらうでも良いし、費用対効果が見込めるのであれば、PFIを危機管理分野に導入してもよいだろう。つまり、自治体や公共組織という「官」が持っている情報や技術を「民」にバイパスし、「リアリティー」を持ってもらうしか手はないのではないか。テロやゲリラ、着上陸侵攻などの武力攻撃事態について正確にイメージできる住民はそう多くないと思われる。専門的な知識や訓練のないままに武力攻撃事態に本当に対応することが可能なのだろうか。大災害時における自助・互助・共助の割合は7:2:1だといわれるが、これを実現するためには、平素からの地域における危機管理力の維持・向上が不可欠となる。そのためには「リアリティー」をもって自然災害のみならず、武力攻撃事態にも対処しうる「地域防災力・危機管理力」をコーディネートする知識と技能と意欲をもった人材が地域で啓発・教育を行うのが望ましい。

 もう一つ考えるのは「効率性」、すなわち、出来るだけ経費をかけないためにも、既存の組織、人材などの資源を有効活用することである。戦後60年の社会のあり方からだろうか、防災・危機管理に関しても官(行政)が一方的にサービスを供給する方で、民(住民)はサービスの受け手である、という意識はまだまだ根強いように思える。住民の生命・身体・財産を守るのは、国家、地方自治体の重大な任務の一つではある。しかし、行政とて、人員・予算には限りがある。防災・危機管理に関して、十全のサービスを提供することは不可能であることを認識してもらう必要がある。

 私自身、今年は、福岡市をはじめ多くの自治体で研修を積んできたが、実はわが国には、災害に起因する問題を処理する技術的人的能力には事欠かない。病院や消防機関、政府機関、自衛隊、NGO、消防団、水防団、個人のボランティアともに意識の高い人々がおり、質の高い救急救助の設備施設が備わり、最新の電子機器による災害探知・警報システムが導入されており、危機管理の様々な局面に関して豊富な知識経験を有する多くの市民がいる。しかしながら、これらの「能力」は分散し、一つの方向に統合されているとは言えない。日本の危機管理責任者を見ていると、優秀な選手はいるものの、コーチもあてがわれず、訓練も行われず、試合の組み立てもなく、戦略がないスポーツチームのように思える。こうした環境の中では、個人プレーヤーの能力が如何に高くとも試合に勝つことは極めて難しい。危機管理の課題は、資源不足の問題からではなく、国と地方それぞれのレベルにおいて、活用できる資源をうまく使いこなすことができるかどうかという組織体制と意思決定能力の問題から生じている。

(3)今後の取り組み

 受け入れやすくなおかつ、お金をかけずに、国民保護に実効性を持たせるために現在、取り組みを始めたのが、危機管理に関するプログラムの提供である。

 結局、危機管理態勢の充実強化のためには、地域や企業の平素からの準備を含めた危機管理力の向上が不可欠である。なぜならば、地域や企業の危機管理の担い手は、そこに居住し勤務する人々に他ならないからである。万一、自然災害であれ、人為的な災害であれ、大規模な災害が起こった場合に、最も早く即応し、初動対処できるのが、そこに住む人々だからである。

 先ほども述べたが、住民の生命・身体・財産を守るのは、行政の重大な任務の一つではある。しかし、行政とて、人員・予算には限りがある。防災・危機管理に関して、十全のサービスを提供することは不可能であることを認識しなければならない。つまりは、サービスの受給という関係ではなくて、いかにして「官民一体」の危機管理態勢を構築するかがわが国における安心・安全を維持向上していくためにはきわめて重要なのである。「官民一体」というとものものしい表現だが、つまりは、みんなの安全はみんなで担いましょう、ということで、これまで「官」が担ってきた「公共性」を「民」にも担ってもらえるような仕組みに変えていかなければ、国民保護の実効性などは夢のまた夢である。

 こと自然災害に関しては、現在、NPO法人「日本防災士機構」が地域における防災の担い手となりうる「防災士」という資格取得のための講座を実施し、これまで約6000人の「防災士」が誕生し、また行政においても、愛知、三重、福岡などでは行政自らが、防災士を育成する事業を行っているものの、自然災害より対応が長期化・複雑化するであろう武力攻撃事態については、残念ながらそのような事業は皆無である。
 そこで、自然災害のみならず武力攻撃災害にも専門性を持つ人材を育成する事業を今後、世間に提案していきたいと考えている。細部については次回レポートで述べるが、「国民保護計画」を机上のマニュアルとせず、真に実効的ならしめ、有事の際にはまさに「官民一体」となって祖先から継承してきた郷土、そしてわが国の独立を守ることができる「真っ当な国・日本」にしていくためにも、欠くべからざる事業だと考えている。

5 現代版「稲村の火」を

 「稲村の火」というお話をご存じだろうか。1854年に起きた安政南海地震の際に紀州和歌山藩広村(現在の和歌山県広川町)であった話である。広村は紀伊半島の西海岸にあるため、地震により発生した津波に襲われ、339戸のうち125戸が流失し、36人の死者を数えた。時間帯は夕暮れ時だったらしいが、このとき、浜口梧陵という地元の篤志家は、津波第1波に流されながらも、なんとか丘陵に漂着し、第2波が来る前に、村に戻り、路傍の稲村(木を組んで稲を集積させておいたもの)に火をともし村人に避難経路を示し、身の安全が図れる場所に誘導したという。また、村の復興にも力を注ぎ、村人を鼓舞激励し、彼の計画により、藩の許可を得て津波よけの大堤防建設に着手した。工事により、村人に職を与え、離村を防ぎ、かつ労賃を日払いにして怠惰にならぬように気を配った。また、田畑を堤防の敷地にすることで藩の課税対象から外すこと、などを考慮したという。いわば、災害の防止・失業対策・労働意欲向上・節税を同時に図っている。

 もし、梧陵が「稲村の火」をともさなかったら、被害はもっと大きくなっていただろうし、広村の復興もならなかったであろう。この話は、防災や危機管理における地域のリーダーの重要性を物語っていると私は考える。

 「有事の際に稲村に火をともせる人物」が増え、そしてそのリーダーの先導により、危機に対する高い意識が醸成されはじめたときにこそ、国民保護は実効性を持ちえ、その後に、国民生活の安定を図り、あわせて、軍民の協力の確保を目的とする政府、地方自治体、民間諸団体、および国民自らが行う組織的な非軍事活動たる「民間防衛」が可能になるのではあるまいか。

<参考文献>

●務台俊介/レオ・ボスナー共著「高めよ!防災力」ぎょうせい
●森本敏/浜谷英博共著「早わかり国民保護」
●国民保護法制運用研究会編著「有事から住民を守る-自治体と国民保護-」東京法令
●市町村アカデミー監修「防災対策と危機管理」市町村アカデミー叢書
●岩下文広著「国民保護計画を作る」ぎょうせい
●磯崎陽輔著「国民保護法の読み方」時事通信社
●防衛研究所研究資料「わが国におけるシビル・ディフェンスのありかたその1」
●防衛研究所研究資料「わが国におけるシビル・ディフェンスのありかたその2」
2005年11月 執筆
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