論考

Thesis

いわゆる「靖国問題」を考える

「靖国神社」にまつわる諸事が何故問題になるのか。しかし、実はそういったことが問題化することのほうが問題なのでは、と考えている。 歴史観レポートの締めくくりとして、「靖国」を問題化させてしまうことが、実は世界文明の行く末に大きな影を落としつつあることを論じてみたい。

はじめに

 靖国神社は、明治2年、戊辰戦争の官軍の戦死者を祀る東京招魂社として始まり、以来、西南戦争、日清戦争から大東亜戦争に至る全ての戦役の死者、246万6532柱の英霊を祀っている。日本が開国以来、生き馬の目を抜くがごとき近代国際社会に乗り出して以来、そこにおいて、わが国の存続と独立を守り抜くという困難な努めに殉じた人々の、慰霊と顕彰の施設である。

 この施設に祀られているなかで、いわゆる「A級戦犯」とされる方々の存在が、首相の靖国神社参拝が近づくたびに、物議を醸し出している。

 個人的には、この騒動を聞く度に、少し寂しい思いがする次第である。わが国はいつの間に「死者に鞭を打つ国」になってしまったのだろうか、と。最近、「富田メモ」なるものが出てきて、ご丁寧にも昭和天皇の大御心を忖度したかのような口調で、いわゆる「A級戦犯」を靖国神社から排除しようとの論調が強くなってきたようだが、今、ここで、あらためて、いわゆる「A級戦犯」そして「靖国問題」について考え、これらの問題が単に近隣諸国との問題ではなく、国際法や文明としてのあり方にも関わることであることを述べてみたいと思う。

1 東京裁判の意味

 はじめに断言しよう。わが国においては法理上、「A級戦犯」なる犯罪人は存在していないのである。「戦争犯罪」というが、一体これは何なのだということである。

 古来、国家としての戦争は違法ではない。戦争は合法である。国家の最終的な政治意志の表現手段として認められているものであって、犯罪ではない。もちろん、その解釈については時代によって変遷があった。合法だからとて、何でもかんでも戦争で解決すればいいか、ということにはならない。現在のところ、第二次大戦以後の国際社会においては、国連安全保障理事会が何らかの措置をとるまでの間、自衛のための戦争は合法であるということに落ち着いている。

 なぜならば、統治機構が秩序を維持している国内と違って、国際社会ではいまだ公正中立な裁判所も検察も警察も存在しないからであり、いわば万やむを得ざる概念として、国際法上依然として戦争そのものが合法であることを理解しなければならない。

 ただ、合法であるからとはいえ、戦争においては「何でもやってよい」か、ということでは断じてない。あくまで、戦争行う上にもルールが存在する。それが戦時国際法規である。戦争を完全に国家間の行為として、絶滅させることは難しいが、なるべく悲惨さ、残虐さを軽減させるためのルールである。1907年に制定されたハーグ陸戦法規、1929年の捕虜の待遇に関するジュネーブ条約、1949年のジュネーブ条約追加議定書等々がある。

 大まかにいえば、これらの戦時国際法規が禁止するモノは、戦闘行為中における捕虜の非人道的扱い、非戦闘員、即ち一般市民や軍人でない者に対する無差別攻撃、毒ガス等の残虐な兵器の使用、有事・交戦状態におけるスパイ行為である。

 これら禁止された行為を戦争中に行った者を「戦争犯罪人」とするのが、国際法理であるのだが、大東亜戦争の後に開かれた極東軍事裁判、即ち東京裁判で「A級戦犯」として訴追された人々は、凡そ上記の禁止行為を行ったものは皆無である。

 戦時国際法規が規定する戦争犯罪にない罪が訴因になってしまったのである。それは、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」である。つまり、ある人間を処刑するために処刑する法律がないので、後から作ってそれを当てはめるという近代法概念からすればあるまじき「事後法」によって裁かれたのが東京裁判である。

 いわゆる「A級戦犯」とは、事後法をもって裁くという凡そ文明国にあらざる所業により、「A級戦犯」という汚名を着せられたにすぎないのである。

 なぜならば、東京裁判は「裁判」としてその根本が誤っているためである。

 しかも、国際法廷と言いながら裁判官は戦勝国の裁判官のみ、また被告も日本人の被告のみである。もし国際法廷というのであれば、交戦国すべてに適応されなければ道理が立たない。驚くべき事に、この裁判の不公正さについて法廷において異議を申し立てたアメリカ人弁護士がいた。ブレイクニーという弁護士は「戦争での人殺しは罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争は合法的だからです。つまり合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。たとえ、嫌悪すべき行為でも、犯罪としての責任は問われなかったのです。キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名をあげることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も我々は承知している。彼らは殺人罪を意識していたか。してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違反になるのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる。その者たちが裁いているのだ」と述べている。

 戦時国際法規に背き、一般市民を大量に虐殺した勝者が敗者を戦闘が終わった後にも徹底的に痛めつけんとする「復讐」を目的とする裁判であった、と理解できる。このことを全ての日本人は深く認識しなければならないと思う。

 一方で、ではいわゆる「A級戦犯」の戦争責任というものはどうなるのだ、という疑問もあるだろう。大東亜戦争についてどう考えるかは、2006年1月に書いた拙レポート「大東亜戦争の根本的原因を考察する」をご参照いただきたいが、極めて簡潔にいえば、仮に「戦争責任」という概念が存在するとしても、いわゆる「A級戦犯」のみに帰せられるべきではない、というのが私の考えである。戦後の大東亜戦争に関する責任の所在を巡っては、「国内における犯人捜し」に終始し、日露戦争以後の歴史を検証するという視点がすっぽりと抜け落ちているように思われる。単純に「軍部が独走した」だの「軍国主義国家だったから」だのという単純な決めつけはいかがなものだろうか。日露戦争以後のアメリカの行動は、ロシア革命や32年テーゼの影響は、中国における排日・侮日運動については、そして、他ならぬ往時の戦争に関する国民感情やマスコミの報道等々、複眼的に検証すれば、「A級戦犯」のみに戦争責任が帰せられるべきではないことがご理解いただけると考えている。

 「日本は負けたのだから仕方がないではないか」という意見であるが、これは「勝った者、強い者は恣意的に国際的なルールを変更しても構わない」ということを認めることである。これを認める姿勢を改めない限り、人類の歴史、文明に進歩などありえようか。東京裁判を認め、受容するがごとき姿勢は「強い者のなしたことのみが正義」という観念を称揚し、これまで人類が、多くの血を流しつつも、少しでも戦争の悲惨さが軽減されるように、そして国際社会における紛争を解決する手段としての「戦争」の敷居が高くなるようにと、少しずつ積み重ね上げてきた「衆知」を台無しにすることなのである。

 人類の衆知を台無しにしかねない「強者による恣意的な国際ルールの変更」に対しては断固として異議を申し立てなければならない。わが国が「A級戦犯」を犯罪人として扱い続けることを再考できるかどうかに、実は、「真の文明とは何か」という命題を解くカギが隠されていることを知らねばならない。

2 首相の靖国参拝について

 上記のように、A級戦犯なるものがそもそも存在しないわけであるから、一国の宰相たるものが、国に殉じた戦士を祀る神社に参拝することは、本来何の問題もないはずなのである。「不戦の誓いのため」だとか「A級戦犯は外して」だとかお茶を濁すことはせず、堂々と「靖国神社に鎮座まします246万6532柱の英霊に対して哀悼の誠を捧げる」ために参拝していただきたいものである。

 首相の靖国神社参拝反対派の方々の理由を整理すると、1)A級戦犯が祀られている2)アジアの方々の気持ちを踏みにじる3)政教分離に反する、となるだろう。

 1)については、上記の通り、そもそも「A級戦犯」の法的根拠がないことは明白であるし、刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するのが近代法の理念である。

 また、神道の教義からいっても「分祀」は不可能である。一度神社に神さまとして祀ったものを「座」から区別して取り出すことは出来ないのである。イメージとしては、「座」にまします英霊はローソクの炎のごときものであるから、「分霊」は可能でも「分祀」は不可能である。

 2)については、簡単に「アジア」と括っているけれども、本当だろうか。中国、韓国、北朝鮮以外のアジアの国が、首相の靖国参拝で、日本を非難する、というのは少なくとも私は聞いたことがない。さらに、「中韓」が「日本は侵略戦争をしたことを美化している」と声高に非難することが、どうも間尺に合わない。なぜなら、大東亜戦争のときに、韓国は、日本の一部であり、朝鮮人将兵は日本の軍人として一緒に戦ってもいる。韓国の方が「侵略」を口にされるのは自家撞着のような気がする。また、中国を現在統治している政権とは、おそらく、交戦国として、戦争をしていないはずである。現在、台湾を統治する政権から、もし非難されるのであれば、辻褄が合うとは思うが。

 また、いわゆる「A級戦犯」合祀が明らかになったのは1979年のことであるが、中国が首相の靖国参拝批判の嚆矢は1985年、当時の中曽根首相の「公式参拝」からである。79年の合祀から85年までの間、首相による参拝は21回行われているが、それに対しては、一切批判はしていない。結局の所、85年を境に、「靖国問題」として政治問題化することが、日本を揺さぶる有効な外交カードであることに気づいたということであり、本当に「日本は侵略戦争をしたことを美化している」「アジアの人々の心情を傷つける」と思っているのであれば、合祀が明らかになった79年4月の段階で、批判していなければ辻褄が合わないのである。

 3)については、政教分離とはいっても、完全に政治と宗教的な慣習とを切り離すことなど不可能である。政教分離の本場ともいえるアメリカで、大統領の就任式のときに、聖書に手を置いて宣誓することがあるが、その行為を「政教分離に反する」と非難するナンセンスな人はおそらく皆無だろうし、日本でも、私学助成金を宗教系の学校に交付したからといって、文句を言う人も恐らくいない。選挙事務所に神棚を作ったり、だるまを置いたりもするが、それに文句を言う人もおそらくいない。宗教的な行為であっても、生活の中に習慣として根付いているものもある。いちいち全てを切り離すことはかえって不自然で、死者を祀るという行為が日本人の習慣になっている以上、これを「政教分離に反する」と非難するのは無理があり、その論理をもって首相の参拝を阻止せんとするのは、むしろ、思想・信条の自由を阻害しているとすらいえるのである。

 結局、本来、何ら問題ではなかったものを、政治問題化させられてしまったところが、首相の靖国参拝の度に起こる騒動の本質なのだが、それに輪をかけているのが、大東亜戦争について、東京裁判について、そして戦争とは何か、についての無知ではあるまいか。当時の国際情勢や事実関係、国際法、に基づいて解釈する努力が欠如してはいないだろうか。

 マスコミに同調することが知的であると思い込んでいる人々、戦争をヒューマニスティックに断罪することが良心的であると思い込んでいる人々が騒ぎを増幅しているように思うのは私だけであろうか。一度、しっかりと勉強すれば、8月15日だろうが、例大祭であろうが、首相の参拝がわが国にとっていかなる意味を持つのかわかるはずである。

 国家も個人の人生も、顧みれば光の部分もあり、影の部分もある。滅びかけることもあれば、興隆することもある。しかし、どんな時でも、どんな苦難の時であっても、国家という共同体、歴史的・文化的な共同体を守ろうとする、その最後の縁としての精神の継続、これを大切にすれば国家や民族が滅びることはない。従って、国家間の関係というものに、色々なことが起きて、様々な言い分があろうとも、祖国の為に殉じた人々に、哀悼と敬意の意を表すことに干渉はしてはならない。これは、国際常識というものではないだろうか。

おわりに

 歴史観レポートの締めくくりとして、私の「歴史の見方」についても言及しておきたい。

 「歴史というものは虹のようなものである。それは近くに寄って、詳しくみれば見えるというものではない。近くに寄れば、その正体は水玉にすぎない」誰もが虹を見たことがあり、それが存在するという事実を知らない人はいない。虹は、見る人から一定の距離と角度を置いたときに初めて、明瞭に見える。逆に言えば、その距離と角度が適当でなければ虹は見えない、ということである。同じ時間に空を見ていながら虹を見なかったという人は、いた場所が悪かったか、あるいは虹に近すぎたからに他ならない。

 歴史における水玉というのは、個々の歴史資料や個々の歴史的事実といったものであろう。だが、こういった歴史的事実を集めてみても、その観察者の立っている場所が悪ければ、歴史の実像はいっこうに見えてこない。

 たとえば、大東亜戦争に関する歴史を考えてみると、様々な文献や資料が無数にあるのだが、「なぜ日本人全体があのような勝ち目のない戦争に突入したのか」という疑問に答えてくれるものは少ない。当時の指導者達がバカの寄せ集めだったから無謀な戦争に突入したのだ、と単純な決めつけに終始しているものが多い。司馬遼太郎でさえ、明治までは指導者は大変優秀だったが、昭和にはいると魔法がかかったように無能になってしまった、という史観に陥っている。日本がなぜ戦争に突入したかについては昭和という一時代の「水玉」を一生懸命見つめたところで、答えがでてくるというものではないだろう。やはり、明治維新前後から現代までを見通しうる「距離」と世界史の潮流との対比という「角度」がなければ、日本の全体像としての歴史、「虹」は見えてこない。

 東京裁判、いわゆる「A級戦犯」、靖国問題など、これまで流布されてきた情報に左右されず、無条件に受容することなく、自分の力で見つめることができるようになったとき、わが国の近現代史が世界史という舞台で、どれほど鮮やかな「虹」であったかが、わかるに違いない。

<参考文献>

上坂冬子著『戦争を知らない人のための靖国問題』文春新書
高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書
中條高徳、小野田寛郎『だから日本人よ、靖国へいこう』WAC
長谷川三千子『思考の練習帳~靖国問題をめぐって~』VOICE2006年9月号

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日下部晃志の論考

Thesis

Koji Kusakabe

日下部晃志

第25期

日下部 晃志

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(公財)松下幸之助記念志財団 松下政経塾 研修局 人財開発部部長

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