Thesis
「雨が降れば傘をさす」とは塾主の言であるが、その意味するところは、あたりまえのことをあたりまえにやる、それが天地自然の理に従う、ということであろう。国家経営においてこの「あたりまえ」が行われているかを問う国家観レポート第3弾
安全保障や危機管理に関わる研修を重ねていく内に、ふと気づいたことがある。それは「わが国には安全保障に関する基本法がない」ということである。参議院法制局のホームページによれば
一般的には、基本法とは、国政に重要なウェイトを占める分野について国の制度、政策、対策に関する基本方針・原則・準則・大綱を明示したものであるといわれています。もちろん、「基本法」という名称が付かない法律にもこうした性格を有するものはありますが、題名に「基本法」という名称をもつ法律は、後述のように、一定の共通する特質を有しており、一般の法律と比べ特徴的な法形式であるということができます。
基本法の特質として、まず、それが憲法と個別法との間をつなぐものとして、憲法の理念を具体化する役割を果たしているといわれます。たとえば、教育基本法は、その制定の経緯、内容等から、日本国憲法の下での教育の基本について定めたものであり、憲法の補完法的な性格を有するものとされています。
とある。なるほど、憲法はあくまで国政におけるそれぞれの分野の理念を示すものであるから、各分野の細部にわたってまで、言及することはできない。それを補完する役割が基本法にはあるそうである。最近は、教育基本法改正のこともあり、よく耳にする「基本法」だが、調べてみると、以下のとおり29ある。
1 教育基本法(1947)
2 原子力基本法(1955)
3 農業基本法(1961)
4 災害対策基本法(1961)
5 観光基本法(1963)
6 中小企業基本法(1963)
7 森林林業基本法(1964)
8 公害対策基本法(1967)
9 消費者対策基本法(1968)
10 障害者基本法(1970)
11 交通対策基本法(1970
12 土地基本法(1989)
13 環境基本法(1993)
14 高齢化社会対策基本法(1995)
15 科学技術基本法(1995)
16 中央省庁等改革基本法(1998)
17 ものづくり基盤技術振興基本法(1999)
18 男女共同参画社会基本法(1999)
19 食糧・農業・農村対策基本法(1999)
20 循環型社会形成推進基本法(2000)
21 高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(2001)
22 特殊法人等改革基本法(2001)
23 水産基本法(2001)
24 文化芸術振興基本法(2001)
25 エネルギー政策基本法(2001)
26 知的財産基本法(2002)
27 食品安全基本法(2003)
28 少子化社会対策基本法(2003)
29 犯罪被害者等基本法(2004)
社会が複雑になるにつれ、実に多くの分野で「基本法」が作られているのだが、やはり何度見返してみても、「安全保障基本法」や「緊急事態基本法」は見あたらない。「安全保障」とはわが国にとって、そんなに優先度の低い分野なのだろうか。
いや、そもそも、憲法に、「緊急事態にはわが国はどうする」という理念はない。あるのは、
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(憲法前文より抜粋)
との理念である。この理念に従えば、確かに「緊急事態」など考えることの方がおかしな話になってしまう。ただ、ここで思考停止してはいけないのである。憲法というものを考えるとき、松下幸之助塾主もよく言われることだが、「時代性」というものを鑑みる必要がある。
現在の憲法が出来たときの時代背景は、どうであったかというと、日本の安全保障についてはアメリカが全て面倒を見るという時代であったのだ。
日本降伏直後の1945年8月29日、アメリカ政府はマッカーサー連合国軍最高司令官に対し「降伏後における米国の初期の対日方針」を発し、「究極の目的」として、
1 日本が再びアメリカの脅威となり、また世界の平和及び安全の脅威とならないことを確実にすること。
2 国民の自由意志に基づき、民主主義的な平和的責任ある政府を樹立すること。
ア 日本の主権の範囲の制限
イ 完全武装解除と軍国主義の除去
ウ 日本国民の自由と基本的人権の尊重
エ 平和経済の助長
と、日本の政治改革を指導するよう指示したのである。この方針に基づいて、占領政策が行われたわけであるが、その一環として、現在の日本国憲法、なかんずく9条は出来たわけである。日本の軍備をゼロにして、対米報復戦の手段を封じたわけである。しかし、冷戦の激化と朝鮮戦争の勃発に及んで、日本に警察予備隊の創設、すなわち再軍備を認めたのである。つまり、冷戦が激化するまで、アメリカにとって「日本の軍備」は対米報復戦の手段を意味したが、冷戦が激化すると「日本自身を守る手段」へと変化したのである。換言すれば、「日本の安全保障についてはアメリカが全て面倒を見るという時代」は変化した、ということである。本来ならばここで、憲法が変わって然るべきであったのだが、憲法の規定からくる改憲の困難性のほかに、パックス・アメリカーナ(アメリカの力による平和)を維持すれば日本は武装する必要がないというマッカーサーの占領政策とその延長のもとで、日本はその受益国として自国の平和を維持でき、国際的平和維持の役割を担う必要も感ぜず、それにより経済的繁栄を達成できたこと、さらに改憲問題が政争の具にされたこともあり、本来、憲法に明記されてしかるべき「緊急事態」については顧みられることはなかったのである。
しかし、もともと拙速的に制定された憲法には多くの瑕疵があり、憲法が依拠する基盤が変化すれば、現実に即した改正をするのは当然のことだといえまいか。
例えば、日本と同じく敗戦国のイタリア共和国憲法は、日本国憲法制定二年後の1948年に、東西の緊張が高まる中で制定された。それを見ると、
第52条
1)祖国の防衛は、すべての市民の神聖な義務である。
2)兵役は、法律の定める制限及び方法において、これを義務とする・・・・
3)軍隊の組織は、共和国の民主的原則に基づくものとする
第78条
両議院は、戦争状態を決定し、必要な諸権力を政府に与える
第87条
9)大統領は軍隊の指揮権を有し、法律により設けられる最高国防会議を主宰し、両議院の議決を経て戦争状態を宣言する
等々、定めている。
歴史に「if」はないけれども、1948年に帝国憲法の改正が行われたとしたら、現在の憲法はどうなっていたか、想像に難くない。
緊急事態法制は、侵略、戦争、内乱、大規模災害などの非常事態に際し、憲法秩序を防衛するためにとるべき措置を定めることを目的としている。「緊急の前に法なし」という法諺があるが、そうかといって、緊急事態に際し憲法に何の規定も設けず放置しておけば、かえって緊急事態における権力の乱用を阻止しえず、憲法の安定と威信を事実の必要性のために犠牲とする結果をもたらすからであり、世界各国の憲法ではこのような事態への対応措置を定めている。
明治憲法でも、緊急勅令(第8条)、戒厳令(第14条)、非常大権(第31条)、緊急財政処分(第70条)などの規定が設けられていたが、現行憲法には参議院の緊急集会の規定があるだけで、それも衆議院が解散されているときに限られている。
しかし、非常事態に際しては、国会を直ちに召集することが不可能ないし困難な場合があり、またその議決を待っては間に合わない場合もでてくる。その場合、行政府(内閣)が事態に対処せざるを得なくなるのであり、現代民主国家のほとんどの憲法では、国家の存立と国民の安全を守るために、三権分立主義の重大な例外として、緊急事態への対応措置として、あらかじめ憲法に緊急命令、戒厳令、人権停止、非常事態宣言などを規定して権力行使の条件と態様を明示し、これにより権力の乱用を規制している。
わが国は憲法で個人の自由、個人の基本的な権利が認められている。何人も個人の自由を束縛してはならない。緊急事態に平時の考え方で対処できれば今のままでも問題がないが、緊急時は平時と同じ考え方で対処するとより多くの人命を失うこと可能性がある。例えば、救急医療では「トリアージ」といって、緊急時にのみ許される救急患者に対する処置の優先順位の付け方がある。平時と違って、救命の可能性が小さい先着の重傷患者より、それを後回しにしても救命の可能性が高い、後から来た患者を先に処置することが救急医にとっての原則となる。つまり、平時の場合にはしてはならないことであっても、緊急時にはしなければならないことがある、ということは、物事を判断する基準が、緊急時に於いては「個人の利益」から「全体の利益」に180度逆転せざるを得ない。
ゆえに、平時と緊急事態を勝手にスイッチすることは許されないのである。緊急時には迅速なトップマネージメントが必要なのは間違いけれども、国民の誰がみても「緊急事態だな」とわかる基準も必要なのである。何をもって国家の安全保障に関わる緊急事態とするのか、そのときにどのような原則で対処するのかについては予め定めておかねばならないのである。
「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」(武力攻撃事態対処法)という法律もあるが、国家の安全保障に関わる緊急事態は何も武力攻撃事態だけではない。治安や食糧・エネルギーの確保なども含め、わが国と国民の存立の要件を確保することを考えておかねばならない。
一応、「緊急事態基本法」については、04年5月に自民・民主・公明の「緊急事態基本法(仮称)についての覚書」というものが存在し、「次期通常国会で成立を図ることを合意する」となっていたが、05年の国会でも、審議されてはいない。私は元自衛官であるが、一国民としては、防衛庁の省昇格よりも、こちらのほうが優先するのではないかとすら思う。その点で立法に携わる政治家の責任は大きいと申し上げたい。
しかし、一方で、この状況に対しても「おかしい、変だ」と声をあげることのない国民の安全保障に対する姿勢についても大いに責任があると考えている。
憲法を基礎とする法体系には確かに安定性が必要である。しかし、それが依拠した基盤が変わったときには当然見直す必要がある。かつて占領軍側の憲法案起草の中心人物ケーディスを囲む会合のときに、さる学者が「日本国憲法は改正すべきだと思いますか」と質問したのに対し、ケーディスは「そんなことは私の知ったことじゃない」と一言で切り捨てたという。憲法の瑕疵その他憲法をめぐる諸問題の責任は、独立後、これを改正しなかった日本人にやはりあるのである。
「戦前」という時代を批判するときに引き合いに出されるのは「大艦巨砲主義」である。日本海海戦の成功体験にこだわりすぎて、新しい時代の航空機を中心とした戦術に着想できなかった、ということであるが、「緊急事態」についての理念をもたない、「時代性」が全く考慮されない憲法のおかしさ、という本質の議論をしないで、9条についての修辞上の議論しかできぬ状況は、逆説的だが「戦前」の域を一歩も脱していないといえまいか。
中国の古典「司馬法」には、
国雖大好戦必亡天下雖安忘戦必危
(国大なりといえども、戦いを好めば必ず亡ぶ。天下安しといえども、戦いを忘るれば必ず危うし)
という言葉がある。戦後のわが国は「平和」を考えるに際して、この言葉の前半部についてのみ考え、いささかバランス感覚を失っていたように思う。「治にいて乱を忘れず」ともいう。
クラウゼビッツが「戦争は異なる手段をもってする政治の継続」と言っているとおり、軍事力が政治と切り離せないのは世界の常議である。軍事力が勢力均衡をもたらし、これを背景とする外交が価値観を異にする国家間の関係を安定させ、平和の維持に資してきたのも現実である。この事実を認識したうえで、「緊急事態法」そして「憲法」についてわがこととして再考しなければならない。
<参考文献>
●小室直樹著『日本国憲法の問題点』集英社インターナショナル
●百地 章著『憲法の常識 常識の憲法』文春文庫
●志方俊之著『無防備列島』海竜社
●佐々淳行著『危機管理宰相論』文芸春秋
Thesis
Koji Kusakabe
第25期
くさかべ・こうじ
(公財)松下幸之助記念志財団 松下政経塾 研修局 人財開発部部長
Mission
日本の「主座」を保つ ~安全保障・危機管理、教育の観点から~