松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2005年11月

塾生レポート

フィリピンでの自立支援活動
福田達男/卒塾生

今回は、私の主たるテーマであるエネルギーの話題から離れて、3年間継続指定取り組んできたマニラにおける貧困層の自立支援活動について報告する。現地現場主義を実践した研修として、特に私は大きな実りを得ることが出来たものである。

 

フィリピンでの自立支援活動

 今回は、私の主たるテーマであるエネルギーの話題から離れ、並行して実施しているフィリピンでの自立支援活動について報告する。

1.自立支援活動とは

 貧困に対する国際的な援助は様々な形で行われている。その中の大部分を占めるのが食料や衣類など日々の生活を支える援助である。これはソマリヤなど混沌とした社会の中、日々の生活がままならない人々対して行われる。これらの援助の特徴は、日々の生活に対して援助が行われるため、いわば人工心肺のように、永続的に援助が行われなければ彼らが生活していけない状態になるということである。そこには物乞いのように援助物資を求める人々があり、一般に“援助慣れ”という生活スタイルを形成してしまう。これは大きな問題であるが、悲しいことにメディアもその食料を与える“絵”が援助を物語るに典型的なものであるが故よく報道の対象とする。そして、援助と関係ない人々がそういったスタイルの援助の光景を目にする事が多くなる。そのために、人々が何らかのきっかけで援助に関わろうというとき、まず頭に浮かべる援助のスタイルが“食料や衣類の援助”となる。しかし、考えてみればこの援助のスタイルはまったくもってエゴである。持つべきものが持たざるものへ分け与えるというものであって、言葉は適切ではないかもしれないが、これらの援助は“乞食に物をあげる”のと何ら変わりはない。しかし、日本も各国の例に漏れず、小学校などで“援助しましょう”などといって使えなくなった鉛筆などを集めているのである。自分たちが要らなくなったからそれを誰かに与える。何という恥ずかしいことか。それらの援助は、一時的に日々の餓死は先送りすることは出来ても、根本的な状況解決には全く近づかないのである。

 それに対し自立支援とは、全く異なった方法の援助である。援助するものは精神的なものや知識であって、物質的な“物”の援助は、全くしない訳ではないが決してメインではない。自立支援の代表的な援助が教育である。「なんだ教育のことか」と思われる方がおられるかもしれないが、ことはそう単純ではない。教育とは一朝一夕に利益を生まない。日々の生活に困っている人々に教育を受けさせることは、その背景に排除すべき大変多くの要素を抱える。例えば、授業料の援助や学用品の援助をしたところで、子どもが稼ぎに出ている場合、子どもが学校に行ってしまっては家族としてその分の稼ぎが減る。となると、子どもに教育を受けさせるには、それまで子どもが稼いでいた分をその家族に補填しなければならない。ここには“補填”という金銭的な授受が必要になるが、援助という性格からして日々の生活費を特定の家族に与えるということは難しい。また、多くの国際団体が“せめて義務教育を”とのスローガンで小中学校へ行かせる活動をしている。殆どの国は義務教育である小中学校は公立の場合無料であるから、授業料の負担が無い分比較的援助しやすい。しかし、日本の社会を考えても分かることであるが、果たして中学卒業で日々の生活が貧困から脱出できるであろうか。私はそこには大きな疑問を抱かざるを得ない。「貧困が社会問題になっている国は全体的に教育レベルが低いから中学校を出ればそれなりの教育を受けていることになって、職にありつけるだろう」と思う人がいるらしいが、決してそのようなことは無い。どの国でも教育と職の関係は日本社会と殆ど変わらない。

 “せめて中学校まで”という話しは多くの方が耳にしたことがあるだろうが、“高校卒業まで”という話しを聞くことはまず無いだろう。まして大学卒業となると、そのような援助を少なくとも私は聞いたことがない。しかし、本当に貧困から脱出するには全員ではないにしても、一部の人間に高等教育を受けさせ、それまでの生活スタイルを完全に脱出させる必要がある。援助団体が出来ることには限界がある。確かに全ての貧困層の援助が出来ればよいのであるが、それはおそらく不可能である。何か、貧困層に働きかけて、貧困を解消するために動くことが出来る人材を育て、そのコミュニティー全体として貧困の状況を解消するための大きな動きのきっかけを作ること、貧困脱出のための正のルーチンを作ることが必要なのである。

 私は、この後者の援助のスタイルをもって、フィリピンのいくつかのコミュニティーに対して援助活動を行っている。そして幸いにも、この考えに同調してくれる仲間が集まり継続した活動を展開することが出来ている。以下、その詳細を述べたい。

2.支援活動のきっかけ

 フィリピンは富と貧困が混在する世界的にも複雑な社会構造の国である。その中で、貧困の象徴として世界に知られているのが、ゴミを売って生活する子供たち“スカベンジャー”である。

 多くの人がスモーキーマウンテンという言葉を聞いたことがあるだろう。これはマニラ市にあったゴミ処分場のことで、分別されずにただ集められてきたゴミが作る巨大な山(日本で言うところの産業廃棄物の最終処分場のイメージに近い)が、絶えず発酵してメタンガスを発生させ、そのメタンガスが自然発火で燻って、いたる所から煙が上がっていることからこのような呼び名がついたのである。このスモーキーマウンテンが貧困の象徴として国連をはじめ多くの国際的な舞台で衝撃的に紹介されたのが20年ほど前のことである。フィリピン政府はこれを「国の恥」として95年11月に突如閉鎖し、同じくメトロマニラの一部であるケソン市のパヤタス地区にゴミを移動した。スモーキーマウンテンでスカベンジャーをしていた人々の多くは、ゴミと一緒にパヤタス地区に移住した。ここはもともとが谷であったため、スモーキーマウンテンに対してスモーキーバレーという通称で呼ばれたが、谷がゴミで平地になるまでにそれ程の時間は要しなかった。現在このゴミ捨て場を指すにあたり、スモーキーバレーという呼称よりもパヤタスという地区の名前を使うことが多い。そのため、本レポートにおいてもこの第2のスモーキーマウンテンのことをパヤタスと呼ぶことにする。

 スモーキーマウンテンでのスカベンジャーの生活を撮ったドキュメンタリー映画が「スカベンジャー」(1995年)で、その6年後にパヤタスのスカベンジャーを題材にした映画が「神の子たち」(2001年)である。これらは四ノ宮弘監督と瓜生敏彦カメラマンによって撮られ、瓜生カメラマンは「スカベンジャー」撮影時から継続してマニラに住み、スカベンジャーの援助活動を長年続けている。

 私が、このパヤタスの援助をきっかけとしてメトロマニラの貧困層の援助に関わるようになったのは、長年、財団法人修養団の活動を行っていたからである。財団法人修養団は1906年創立の日本で最も古い社会教育団体で、特に青少年育成に力を注いでいる。私はこの修養団の活動に16歳の時から行っており、現在はいばらき支部の支部長をさせて頂いている。修養団は日本国内のみならずブラジルに支部を持ち、またメキシコでも支援活動を行っているが、「スカベンジャー」の映画をきっかけに四ノ宮監督のスカベンジャー援助活動をサポートするようになり(特に資金面での援助)、そして、「神の子たち」をきっかけに実際に団員が現地に赴いての援助活動を開始することとなった。

 私は、内閣府の外国人招聘事業によってフィリピン政府に友人が多かったため、修養団がフィリピンで活動を開始するとの話を聞いたときに、その一助になればと思い、事業の予備調査を財団スタッフと共に行った。

 結果として、現在まで財団の活動は継続し大きな成果を上げている。一方で財団の活動でもカバーできない部分がいろいろと出てきた(特に公共の団体であるため、平等という制約がつく)。そこで、財団の活動でも覆いきれないニッチな部分の必要性を感じ、私自身が主宰する「SYDいばらき」という団体によって、入塾と時期を同じくして援助を開始するに至ったのである。

3.フィリピンの事情

 先に、「フィリピンは富と貧困が混在する世界的にも複雑な社会構造の国」であると書いた。これについて説明する。フィリピンは貧困の国として日本で紹介されることが多い。また、日本の風俗産業で働くフィリピン人が多いためか、何か日本人はフィリピン人に対して正しくない理解をしている人が多い。しかし、フィリピンはアジアの中で唯一の英語圏であり、合計特殊出生率3.58人(1995年推計値)という非常に若い世代の多い国であるため現在では、欧米諸国、特に英語を多く用いる先進国に対し、介護分野などの人材供給源として非常に存在感のある国である。フィリピン政府自体が一時エンターテイメントで外貨を稼ぐという政策をとっていたこともあり、そのことが今日の日本人のフィリピン人へのイメージを作る事となった。

 社会構造を見てみると、フィリピンは10%の上流、40%の中流、50%の下流で構成されると言われる。そして、極限られた大地主が国土の95%の土地の所有権を持っていて、政府機関を含め全ての国民が彼らから土地を借り受け無ければならないという状態でもある。大統領は通常上流階級からの候補者が当選するが、過去を見てみると中下流出身のマルコスやエストラーダー、先の選挙で残念ながら落選したフェルナンドポーJrなど、必ずしも上流とは言えない政治家が大統領になったり、選挙で接戦を演じている。これは、中下流が圧倒的な票を持っており、自分たちの代表として投票するからである。しかしながら、彼らは輝かしい実績と共に政界を引退するのではない。近年ではエストラーダーがそうであるように、大体においては不正資金等が暴露され、多くの場合逮捕、起訴される。しかし、それと同時に全ての名声を失う訳でもない(私もたまにお会いするが、エストラーダー前大統領の長女は次回の下院議員選挙に出馬を予定している)。

 それに対し、上流階級はそのような不正を隠すことがうまいので暴露されず、政権運営を続ける。アロヨ、アキノなどが上流である。上流階級出身の大統領は、不正を隠すのがうまいので過去においてはあまりその贅沢性を批判することはなかったとされる。

 これら10%の上流階級にとって、40%の中流、50%の下流は必要不可欠である。中下流があるから上流がある。そのため、過去の上流階級からの大統領にとって、貧困の撲滅というのは多くの場合パフォーマンスを含んでいる。フィリピンでニュースを見ると驚くが、アロヨ大統領が低所得のコミュニティーを訪問したときは、時としてブーイングが起きる。それに対して、先に汚職で逮捕されたエストラーダの訪問の際の人々の興奮ぶりはその比ではない。その歓迎ぶりは、逮捕された後の訪問でも決して変わることはない。

 フィリピンはピープルパワーによって政治が変わってきた。確かに汚職などに誘導されてマルコスもエストラーダも辞任したが、実際にコミュニティーにいって人々から話を聞くと、その時々でメディアにいいように誘導されたことを彼らは悔いている。この30年そういった状況が続いているので、過去の経験もあってか、現在はアロヨに対するデモが多い。今年の9月に私がマニラに行った際は、過去最大規模の反アロヨデモが行われ、マニラの高級ビジネス街であるマカティに数万人の人が集結した。このところフィリピンに行くたびにアロヨ大統領の評判が悪くなっているというのが私の持つ印象である。

 しかしながら、このような状況においても、貧困層を根本から解決しようと言う動きは見られない。そう簡単にフィリピンの状況が変わるとは誰も思っていないだろう。

4.援助の意味

 そのような政治状況であるから、政府がいくら「援助をする」といっても実際に効果的な援助は行われていない。これは書物で紹介される物とは全く違っていて、実際にコミュニティーにいってヒヤリングをして分かったことであるが、政府の援助に対しては全く期待されていないといってもよい。日本はフィリピンにとって最大のODAドナーであって、日本にとって毎年上位5位以内に入る援助国であるが、貧困対策の分野においてはそれがどうなっているのかは大きな疑問である。(発電用ダムや空港ターミナルビルの建設等、貧困撲滅プログラム以外の部分の成果は大きい)

 そのような状況の中、自分に果たして何が出来るのかを考えた結果、着実に成果を上げる援助を、小規模ながらも続けることが最も大切であろうと考え、現在の援助活動にたどり着いたのである。

 現在の援助内容は、大きく3つからなる。1つは、学費支援である。ここでは全ての人に対して援助をすることは出来ないので、何らかの縁があった方に対して行っている。私の活動の概要を聞いたとき、この“何らかの縁のあった人”という部分に不公平を感じる人が少なからずいらっしゃった。しかし私はそれを悪とは思わないし、それが先に述べた財団として援助する場合のネックなのである。即ち、資金的にも規模的にも全ての人に対して平等に援助することは国連などごく一部の団体を除いて現実問題として不可能である。しかし、財団など公の団体では一部の人に対して偏った援助をすることは難しいから、薄く広く、結果として誰にも効果の“低い”援助をすることとなる。それに対して、私が行っているプログラムは、年数人という極めて偏った援助である。しかし、その数人に対しては公の団体とは比べものにならない集中した援助をする。現在行っているのは大学卒業までの学費及び必要経費(交通費、文具、制服代等)を援助乃至アレンジすることである。学費と必要経費は概ね同額である。現在のところ、学費・必要経費の援助は、殆どが個人からの持ち出しとなっている。しかし、この方法を続けていたのでは、決して長く続かない。持続的に援助をするのであれば何らかのシステムを築く必要がある。これに対する回答をこの3年間考えてきたが、結果としてケソン市の副市長が持つスカラーシップが学費の部分を援助することで話を進めることが出来ている。これが現実のものとなれば次年度からの費用負担が半分となるので、対象人数を拡大するかもしくは、これまで以上の内容のある援助をすることが可能となる。

 また、被支援者選定にあたっては、「ご縁」を大切にしている。次に述べる現地訪問は、現地の調査も兼ねている。その調査の際に何らかの繋がりが出来た適切な人物に対して援助を行っているのである。「ご縁」とはおそろしいもので、私が初めてマニラに行った5年前に会った子どもと昨年再会した際お互いが覚えており、しかもちょうど援助するに適当な年齢であった。これも何かのご縁と考え、援助第一号に選出した。この過程だけでなく二人目、三人目も何らかのご縁を頂いて援助させて頂いている。マニラに行くたびに色々な繋がりが出来、それがあとになって実ってくる。杓子定規には行かない何かがこの世にはあるのではないかと感じることが多い。

 2つめは、日本からのスタッフが半年に一度現地を訪れ、交流を持つことである。この交流を持つことは実は極めて重要である。多くの場合、これまで述べてきたような貧困の生活をしている子どもたちは“勉強するとどうなるのか”という自分の先を見る機会を得ることが出来ない。確かに日本人は先人が築いた恩恵を十二分に受けているが、受験勉強での自殺、夜中まで残業しての過労死が発生するなど、日本社会全体としては相当の努力を続けていることもまた事実である。それに対して、フィリピンのそのような子どもたちは、そこまでの努力はしていない。「日本に生まれていれば」という思いはなくもないだろうが、日本人でも相当の努力をしているのだと言うことに気付く機会はまず無いのである。そのため、我々と共に訪れる高校生、大学生のスタッフが同年代の友人となり、日本社会の実際、同年代の日本の友人の実際を感じることが出来れば、“やらなければ成功はない”ということをいつの間にか理解でき、彼ら自身のモチベーションに繋がるものと感じている。

 この活動が彼らの学業へのやる気を継続させることになるのである。学費援助のみを行っていては、本当に勉強しているのか、勉強したいと思っているのかすら分からないが、半年に一度訪れて色々な話しをすることによって、単なる学費援助とは全く違った活動が展開できるのである。

 そして3つ目は、現地に赴いて援助活動を行うことによって、フィリピン政府関係者との関係を築くことが出来、将来に向けた根本的な改善の基礎に結びつくということである。貧困の問題は、フィリピンが自ら解決する類のものであることは疑いようがない。特段政治状況が混迷している訳でもなく、経済も安定しているフィリピンは、本来このような自国の状況を自らの力で解決する事が出来る筈である。にもかかわらず出来ないということは、“しない”と言い換えてもよい。

 我々が訪れると表敬訪問がある。この表敬訪問は現地のスタッフがアレンジしているのであるが、限られた日程の中で表敬訪問を行うことについて疑問に思っていた時期がある。しかし、よくその理由を聞いてみると、納得できるものであった。即ち、置かれている状況としてフィリピンは問題を解決出来る筈であるが、現状の通りそれを行っていない。これは、政治に携わる者がやるかやらないかの問題である。日本からの友人が援助のために来ていることを政治家が恥ずかしく思えば、援助が必要ないように政治的に動くだろう。それが一人なのか何人かなのか政党単位なのか分からないが、兎に角来るたびにそれをアピールする機会を作った方が良いと言うのである。これには非常に納得させられた。

 最近、市政府レベルであれば議長に予め交渉をしておき、議事の途中でゲストとして紹介して頂くこともある。これによれば、議会の公式な議事録に日本からの団体が援助に来ているということが記録され、アピールの効果が一層高くなるのである。
それと共に議員との個人的な関係も出来、将来お互いに何かの形で動けるときが来るという含みも持たせることが出来る。

 この3つ目の活動が、長い目で見たときにフィリピンにおける自発的な解決への足がかりになる可能性を含んでいることは、繰り返し行うたびに強く感じることである。

 以上の3つの活動の組み合わせによって、短期的な実りから長期的な可能性までを養生しているのが現在の活動である。

5.最後に

 マニラに最初に訪れたのはもう5年前である。このときは財団として悲惨な状況のところに援助したいということがあり、本当に厳しい状況のところばかりを見て回った。その時の衝撃は大きかったし、まさに映画「神の子たち」の印象そのものであった。しかし、二回目に訪れたとき、何か最初とは違う自分がいることに気付いた。三回目の時はそれが確認に変わっていた。それは、最初あれほど悲惨と思っていた生活が、いつの間にか“世の中にはこういった生活もある”と、普通のことのように思えてきたのである。慣れと言えばそれまでであるが、おそらく“あり得ない生活をしているから、普通の生活にしてあげよう”と言った感覚で援助することとは違った視点でマニラの現状を見ることが出来るようになってきたのであると思う。

 私が現在展開している活動の基本においているのが「正確な理解がなければ、間違った援助をする」ということである。当たり前のことであるが、マニラの援助に関して言えば、間違った理解の上に援助が成されている例は事欠かない。“何かをしたい”といって一度限り来る人や団体があるというが、それでは到底正しい理解の上の援助は期待できない。あるテレビ番組では、継続的に摂取しなければならないワクチンを一度だけ接種し、その絵を持って帰ったという。全く意味のない活動である。

 私は、このマニラの活動で、草の根の援助を学んだ。まさに現地現場に於いて実のある援助活動を展開してきたと感じている。被援助者と近しい関係で援助を実施することは好ましいことであるが、実際にすることの難しさも同時に学んだ。

 今後、政治の正解に携わるようになれば何らかの形で被援助者の見えない援助に関わることになろう。その時に、今回報告した活動における経験が大いに役立つものと期待している。

 今後も、現地現場主義に基づいた研修を実施したい。

以上
2005年11月 執筆
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