論考

Thesis

地に足のついた研修を行うこと -「社会の本当の姿を学ぶには本の中からではまったく足らんで」という幸之助翁の言葉より-

幸之助翁のエピソードを書いた本は数多い。その中でも自分の経験と重ね合わせることが出来る言葉などは、特に印象深く自分に響く。「君らもな、社会の本当の姿を学ぶには、本の中からだけではまったく足らんで。本はあくまで空論やな」。今回は、この言葉が今年8月に私が行った研修と重ね合わせて、非常に心に響いたことから、それを通じて人間を考えて見たいと思う。

 幸之助翁のエピソードを書いた本は数多い。それらを読んでいくといずれも納得することばかりなのであるが、その中でも自分の経験と重ね合わせることが出来る言葉などは、特に印象深く自分に響く。その度に松下幸之助翁の人間に対するお考えの奥深さを身にしみて感じる。今回は、この8月に私が行った研修と重ね合わせて、非常に心に響いた言葉の一つから人間を考えて見たいと思う。

「君らもな、社会の本当の姿を学ぶには、本の中からだけではまったく足らんで。本はあくまで空論やな。」(昭和21年のPHP研究所創立時のPHP所員との会話より)
 一度読んだだけで、何を言わんとしているかは分かる。机上の空論ではなく、実際を学ばなくてはならないということである。しかし、私が常々考えているように「当たり前を当たり前に行うこと」ほど難しいものはない。この言葉の意味は分かるが、いざ実践してみようとすると難しい。

 私が8月に実施した研修の中で、まさにそれを改めて感じさせられることがあった。

 ここで、その研修について詳しくふれてみたい。私は4年前からマニラのストリートチルドレンや、時にスラムと表現される地域に住んでいる子ども達、再生可能なごみを拾ってそれを転売している子ども達(スカベンジャー(Scavenger):ゴミを拾って生活する人の意)の援助活動を行っている。「行っている」といっても、目下様々な試行錯誤の過程であって、その活動を進める上で自分自身が成長させて頂いている事を日々感じている活動である。子ども達にしてみれば、果たして私が行っていることで何かの結果が生まれたかははっきりと分からない(実感がわかない)のかもしれない。その活動は、直接的な援助活動と、将来的に社会構造を変える為の種まきのような活動の二本立てである。すぐに目立った結果は出ないかもしれないが、自分のライフワークとして進めたいと思っている。そしてその活動は、確かに歩みは遅いけれども、何かに向かって大きなものが動きつつある、そんな実感を最近している。

 この活動を行うにつれ、私はフィリピン、特にマニラ首都圏について様々なことを学ばせて頂いた。その中でも最も実りが多かったのは、スカベンジャーの子ども達を取り巻く社会環境の理解が深まったことである。正直言って私はこの活動にかかわるまで、スカベンジャーに対して完全に間違った理解をしていたといっても過言ではない。それは、誤解を恐れずに言わせて頂ければ、およそ現地を見たことが無い方(一般的な生活をしていれば現地を見ることはないであろう)の全ては、同じような間違った理解をしていると思う。

 まず現地で驚くことは、彼らは決して収入が無いわけではないということである。そして、その収入は最低限の生活をするために必要な額程度には達しており、必ず理解しなければならない最も重要なことは、彼らは決して“乞食”ではないということである。この“乞食”では無い、というところにマニラ首都圏の状況を理解するためのキーがあるし、これを理解しないことには、他国のスラムの状況も理解することが出来ないであろう。

 内閣府の事業で、各国のNPOの代表が情報交換を行う場を東京で設けた際に、私は、おそらく日本で初めてマニラのスラムに住む方々と日本人の人的交流を始めた人であろうAさんと知り合う機会を得ることが出来た。その時Aさんが仰っていたことが今でも私の頭に鮮明に残っている。Aさんも活動を企画した当初は、援助活動をしよう、物資の提供をしようと計画をされたそうである。そして計画を進め、現地の団体を通じて物資を提供したところ、援助先のコミュニティーのリーダーから、「おれらは乞食じゃない。日々働いて、稼いだ金で生活しているんだ。こんなもの恵んでもらう必要は無い。」と、物資を叩き返されるような状況になったということである。その後、その方は現地に行って、リーダーと充分な議論を重ねる上で、自らの不理解に大いに気付いたそうである。物資の援助は必要なく(むしろ、すべきではなく)、その地域が抱える問題を根底から解決するための“自立支援”に必要性を見出したその方は、その後長年にわたって人材交流を初め、スラムに住む人たちの自立をサポートするための活動を続けておられるのである。

 フィリピンは、GDPやGDP成長率、インフレ率などの経済面のみならず、一人当たりのエネルギー消費量や、人口割合など様々なデータランキングをみると、概ね世界190カ国余の中で、50位から100位に位置することが多い、いわば世界の中でミドルクラスに位置する国である。スラムの写真を見れば、ひどい経済状況かと誤解してしまうが、国全体としてみれば、特段食料に困っているわけでもないし、また、物資が足りないわけでもないのである。まして経済が破綻して紙幣が紙切れになっているわけでもないのである。

 私がこの活動を開始しようと思って現地に実際に行く前にしていた誤解は、Aさんが自戒をこめて私にお話し頂いたこととほぼ同じものである。アフリカの多くの場合のように経済が破綻して物資も食料も無い、国として体を成していないような状況下にあるスラムが必要とする援助と、フィリピンのように、社会全体としては必要な分は潤っているけれども、社会構造として再分配が上手く行っていない状況下で形成されているスラムとは、見た目は同じでも、根本が違うということをまったく理解していなかったのである。

 幸いにして私はそのことに関して多くの部分を現地に長年居住しながら援助活動をしておられるBさんから学ぶ機会を得ることが出来た。Bさんと巡り会えたことは本当に幸運であったと思う。Bさんと巡り会うことが出来たおかげで、少なくとも私の進めている活動は、間違った理解の上に進むことの多くの部分を避けることが出来た。

 この8月にマニラに行った際に、その方が援助しておられる地域で最近起きたこととして伺ったことに私は非常な憤りを感じたのである。

 Bさんが援助している地域は、かつて、世界3大スラムの一つとして世界的に有名になったスモーキーマウンテン(マニラ首都圏のゴミの集積場。そこにはスカベンジャーが多く住んでいた)が、「国の恥」としてフィリピン政府によって突如閉鎖され、そのゴミを同じマニラ首都圏のケソン市に移動して新たに出来たゴミ集積場のスモーキーバレーである。そこにはフィリピーノスマイルとも表現される明るい人々が数万人、ゴミを売って暮らしている。確かに収入は低いが、彼らの底抜けの笑顔からは、何か我々が失ってしまったものがあることを気付かされる場所である。彼らは多くの場合家族で暮らしている。街中のストリートチルドレンのように、家庭に問題があって子ども一人で生きていかなければならないような状況とは全く異なる。彼らは、ゴミ捨て場の一角にトタン屋根の小さな家を建てて一家で生活している。家は確かに小さいが、そこには台所があって、ガスがあり、電気も(違法の場合もあるが)ひかれている。室内にはテレビがあり、ステレオがあり、時には冷蔵庫もある。一家の収入は確かに低いが、ゴミを売って暮らすことによって生活は維持されている。ゴミが運ばれてくる限り、ゴミを集めることが出来る限り、その生活は維持されるのである。

 ここで援助の対象となるのは、子ども達の労働である。多くの方がこのスモーキーバレーに住んでいるのは、街中で働くよりも、ここでゴミを売って生活する方が良い収入を得られるからである。従って、この生活から抜け出したくても抜け出せないというより、ここを選んで住んでいる場合が多い。かといって“充分”と呼べるほどの収入は無い。そのため、子ども達は家庭を助けるために「自らすすんで」ゴミを集めに行くのである(ここで留意すべきは、子ども達は家庭の低収入という状況はあるにしろ、強制されて働きに行くわけではないということである)。働きに行く子ども達は、当然学校に行く機会を失う。スラムの援助は、物資の援助及び衛生状態の改善が第一段階、そして第二段階が教育の改善であろう。第一段階はいわば対処療法であって、第二段階が根本からの状況改善である。スモーキーバレーに関しては第一段階はある程度達成クリアされている(ここでいうクリアは、アフリカのように飢餓に苦しむわけではなく、着る物がないわけではないという意味であり、改善する余地はまだまだ存在する)。しかし、ことスモーキーバレーに関しては、第二段階の為に、例え学校が無料で子ども達を受け入れる体制を整えたからといって、今現在子ども達が稼いでいる収入が減ることを補完できない限り、その達成は出来ないのである。それを乗り越えるために、Bさんは様々な努力を重ねておられる。子どもが学校に行くために、子どもが元来稼いでいた分をその家庭に援助することは、最も効果的な援助である。また、各家庭に子どもを学校に行かせることの重要性を説明し、ある程度収入が減っても子どもが学校に行くことの意義を家族全体として理解した上で子どもを学校に送り出すこともある。Bさんはこのような地道な努力をスモーキーマウンテンの時代から現在に至るまで、実に10年以上もの間マニラに住んで行っているのである。このことには本当に頭が下がるし、私はBさんを尊敬している。

 Bさんに我々が初めて活動の為の現地調査への協力をお願いした際、「なぜスモーキーバレーに来るのか」と聞かれた。そして、ただ単に物見感覚なら絶対に協力しないと言われた。我々の意図を説明することで、その後、活動の一部を協力させて頂くことなった。それほどに人生をかけてこの援助活動をされているのがBさんなのである。

 このような流れがあって、この8月にも再び現地に行く機会が訪れた。そこで私は、ゴミ捨て場の様子が以前と変わっていることに気がついた。働いている子どもの数が異常に減っているのである。こんな急に子ども達の数が減ることは絶対にありえない。何がこうさせたのかということを間接的ではあるがBさんから伺った。そこには憤りを禁じえない出来事が起こっていた。

 昨年、日本でも芸能活動を行っているある著名人がユニセフ国連大使としてこのスモーキーバレーを訪れたそうである。彼女は国連大使という公人として、フィリピン政府関係者の同行のもとにスモーキーバレーをほんの一時間弱“視察”し、フィリピンを立ち去る前に公に向かって発言した。「スモーキーバレーの子ども達は可哀相だ。」

 これを聞いたフィリピン政府は、国の恥として、スモーキーバレーの入り口に監視所を設け、子ども達の労働を強制的に禁止した。

 確かに子どもの労働は減った。しかし、今、各家庭は本当に困っている。途方にくれている家庭もあるだろう。それは、自発的に家庭を助けるために働いていた子ども達が収入の糧を政府によって奪われてしまったからである。もし、子ども達の状況を本当に理解し、その収入の補間を行った上で子どもの労働を制限するのであればその先に見えるものがあるだろう。しかし、子どもが労働しているところを見て、表面的な理解だけで、可哀相だという感情だけで、子どもたちの労働、生活の機会を奪ってしまった、彼女の浅はかな理解に閉口するばかりである。

 彼女が日本で講演をすると、一回の最低ギャラは150万円である。そして、ユニセフが後援に入ると、そのギャラは無料になる。何かがおかしいのではないか。

 私は、このマニラでの一連の活動を通じて、本当に理解することの難しさと言うものを実感した。写真だけで理解できないことは確かだろうし、多くの方がそう思っているであろう。しかし、その先にある、彼らが決して乞食でないことや、学校を作れば子どもがいけるか否かということ、そして、子ども達が何故働いているか、この状況全体を改善するためには何をすればよいかは、まだ結論が出せないほどに難解なものであるということ、そして、表面的な理解の浅はかさと、公人の軽々しい発言が地道に頑張っておられる方々にどれだけの迷惑をかけるかということをも実感した。

「君らもな、社会の本当の姿を学ぶには、本の中からだけではまったく足らんで。本はあくまで空論やな。」
 以上を踏まえて改めてこの言葉を読むと、実に多くのことが見えてくる。そして、自分がこれからやらんとしていること、それが仮に良い方向に進んだ時に、自分はどう振舞わねばならないか、それをひしひしと感じるのである。

人間は分かった気になったときが、振り返らなければならない時なのかもしれない。幸之助翁の言葉から、人間と言うもののまた新たな一面を感じさせて頂いた。

以 上

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福田達男の論考

Thesis

Tatsuo Fukuda

福田達男

第24期

福田 達男

ふくだ・たつお

VMware 株式会社 業務執行役員(公共政策)/公共政策本部本部長

Mission

デジタル政策、 エネルギー安全保障政策、社会教育政策

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