論考

Thesis

原子力発電と自給率に関する一考

今回のレポートでは、自分の議論や主張を進めることよりも、今クリアになっていない部分の補足を行い、共通認識を進め、その理解の上で今一度エネルギー政策基本法を考えることが先決と考えた。そのため、原子力発電と日本のエネルギー自給率について、これまで十分に説明できなかった部分を考えてみたい。

原子力発電と自給率に関する一考

 先のレポートでは私が作成したエネルギー政策基本法の改正私案について逐条解説の前半、第1条から第8条までを行った。これまで自分の意見を公にする機会を多く与えて頂いたが、そのたびにご指摘頂いたことは原子力発電の将来性に関することと日本のエネルギー自給率の問題であった。

 今回のレポートでは、当初残りの第9条以降の逐条解説を行う予定であったが、このまま議論や主張を進めることよりも、今クリアになっていない部分の補足を行い、共通認識を進め、その理解の上で今一度エネルギー政策基本法を考えることが先決と考えた。そのため、改正案の後半は次回とし、今回は原子力発電と日本のエネルギー自給率について、これまで十分に説明できなかった部分を考えてみたい。

1.日本は原子力反対派が多数なのか

 原子力発電については、賛成と反対が真っ向から対立していることが多い。これは多くの方々の共通認識であると思う。ある過疎の漁村に原子力発電所の立地計画が持ち上がる。村が賛成派と反対派に二分されて、対立が始まり、いつしか衝突になる。このような映像をテレビなどで見たことがある人は少なくないであろうし、見たことが無い方でも大方想像はつくであろう。

 しかし、このような状況下において果たして論点は何だろうか。原子力発電所についてどれだけの知識を持った上で反対賛成の議論行っているのであろうか。メディアが伝えるのは象徴的な映像だけであって、双方の主張を伝えることはまず無い。新潟県巻町、三重県海山町など、対立がニュースになったことは多いが何か感情論が先行している感は否めない。また、このように事業者側と反対派が真っ向から対立する例は日本だけで、他の国においてはここまで状況がもめることは希である。

 我が国における原子力の反対運動の拡大は、それまで一貫して原子力推進の立場だった旧社会党が1972年1月の党大会で反原子力の決議を行ったときに始まった。当時の左翼運動は安保に変わる政治闘争のテーマを模索しているところで、そこに反原発の住民を支持基盤とし、自民党との政治闘争のテーマとするために方針を転換したとされている。

 そこには、詳細な検討の結果反対に行き着いたという奇跡は微塵も感じられない。

 ここに日本で原子力発電が始まった1970年代から現在までの30年間、日本の原子力が歩んできた不幸があると思う。原子力に携わる一切の方々は、電力を通じて国民生活の安定した発展に寄与しているにもかかわらず、一部のメディアや反対派に非難されて来たのである。サイレントマジョリティーという存在は蔑ろにされたままであった。

 しかしながら、このようなねじれた状況も、遅かれ早かれ解決するものと考えられる。今、世界各国で原子力のリスクコミュニケーション(RC)が盛んに行われている。原子力を絶対安全と言ったのはもはや過去のことで、現在は、想定される不具合とその対処法を予め住民に対して国や事業者が説明し、原子力から受ける利益(地域経済への貢献も含む)と万が一の不利益に対する理解を築いた上で原子力事業を進めている。RCが先進的に行われているのはアメリカ、フランス、フィンランド、スウェーデンなどで、特にスウェーデンでは原子力施設建設前にRCを行い、住民投票等の手続きを経て、地域住民が納得した上で詳細な建設計画が立案される(この一連の流れは法律で定められている)。その結果、少数の反対派は存在するものの、殆どの地域住民がサイレントマジョリティーとなることなく、積極的に建設的な意思を表すのである。

 日本におけるRCは1997年3月11日に東海村の日本原子力開発機構(旧:核燃料サイクル開発機構、旧:動力炉・核燃料開発事業団)にて発生したアスファルト固化施設爆発事故以降、本格的に始まった。現在は日本原子力開発機構や各電力事業者において種々の試みがなされているところである。確かに反対派の感情的なものは短期間では収まることは難しいと思うが、長時間をかけ納得のいく形で原子力政策が進められるときが来ることは大いに期待される。

2.技術的な課題

 原子力が大事故を起こした場合の被害が甚大であることは、チェルノブイリを見れば明らかであるし、それを否定する人はいないであろう。人間が作るものに絶対はない。だからこそ細心の注意を払い、事故の予防、万が一の際には最小限に被害を抑える対策を取るのである。

 原子力は実用化されて40年を経過し、その間にも様々な改良が加えられてきた。事故もないまま、炉の寿命を終えて廃炉処理に至っているものもある。油断は禁物であるが、建設から廃炉に至るまで莫大なエネルギーを発生させ、そして寿命を終える。廃棄物の処理にも技術的なめどがついた。これはその技術が完成の域に達したことの証明になるものと私は思う。

 製造から廃棄まで、利益と不利益の全てが明らかになった原子力。確かにこれまでは、何か想定していないことが起きるのではないかという漠然とした不安があったのかもしれない。しかし、廃炉まで事故無く運転でき、解体までできることが証明されれば、これからその採否について、冷静な議論が出来るのではないかと思う。

 原子力について技術的な面では完成の域に達したと私は考えるのである。以上1.2.で述べた理由から、私は原子力の将来に悲観をしていないのである。

3.なぜ原子力なのか

 現代生活を支えているのは電気である。ガソリンやガスなど、燃焼等でそのエネルギーを直接使用するものを一次エネルギーといい、電気はそれらと消費地とを結ぶ二次エネルギーである。従って、電気を発生させる手段、エネルギー源(一次エネルギー)が必要である。

 代表的な一次エネルギーとしては石油、石炭、天然ガス(LNG)、風力、原子力、水力、木材等々がある。それらは以下のように分類できる。

   ○一次エネルギー

     ├─太陽エネルギーに起因するもの

     │   ├長期のCO2サイクル:石油、石炭、LNG

     │   ├短期のCO2サイクル:木材(バイオマス)

     │   └CO2を発生しないもの:風力、水力、太陽光

     └─太陽エネルギーに起因しないもの:原子力

 これは一見奇妙な分類に見えるかも知れないので、若干の解説を加える。

 CO2と水(H2O)はエネルギー準位が最も低い安定した物質である。従ってCのエネルギー準位を下げるとエネルギーを生じる。その代表的なものが燃焼である。安定した(エネルギー順位の低い)物質であるCO2をCとO2に分解する(エネルギー準位を高くする)には何らかのエネルギーを加える必要が必要である。現在、人間の技術において、CO2をCとO2に分解することはプラズマなど極めて特殊な技術を除いては不可能である。この地球上でいとも簡単にそれを行っているのは太陽光を利用した植物の光合成である。即ち、Cは太陽エネルギーを蓄えているということになる。

 化石燃料は、太古の昔に地球上に降り注いだ太陽エネルギーを植物が光合成を用いてCの形に蓄えたものを、恐竜が食べて育ち、それが数億年の時を経て変質したものであって、化石燃料によって得るエネルギーは数億年前の太陽エネルギーを使用していることになる。そして、化石燃料を燃やしたときに出るCO2が再び化石燃料に戻るためには数億年の歳月を要するので、長期のCO2サイクルと分類する。

 それに対し、木材などを直接使用することは、その木材が生長するに要した数十年のサイクルでCO2が循環しているので、短期のCO2サイクルに分類する。

 また、風力や水力(海水が太陽熱で蒸発することで地上と海とを循環する)、太陽光などはCO2の循環とは関係がない。

 以上のように考えると、現在我々が使用しうる原子力以外の全てのエネルギー(石油、石炭、LNG、木材、風力、水力、太陽光)は直接的か間接的の別はあるにせよ太陽光エネルギーであると言える。

 そして現在問題となっている温暖化はこれら太陽光エネルギーのうち長期のCO2サイクルにかかるものを一気に使っていることである。従って、世界情勢に注意を払って石油を如何に安定供給させようとも、LNGが石炭に比べて如何にクリーンに燃焼しようとも、長期のCO2サイクルに乗っていることは変えることのない事実であって、それを使用し続ける限り持続的発展はあり得ないのである。

 持続的発展のためには、それ以外のもの、即ち、木材(バイオマス)、風力、水力、太陽光、原子力にエネルギー源をシフトする以外に方法はない。そしてこれらエネルギー源の中で現在の化石燃料が担っているような規模のエネルギーを発生させる手段は原子力をおいて他にないのである。

 確かに数十年のスパンにおいてバイオマスや風力を養生すれば化石燃料が担っているような規模のエネルギーに取って代われるかも知れない。しかし、地球温暖化はそれほどに長い目で見られる問題なのかという不安を持っている。

 そのため、私は、現在の選択肢としては原子力しかないと考えている。

4.「太陽光を利用したエネルギー」の意味

 先のレポートで述べた、太陽光を利用したエネルギーの意味について、少し述べたい。

 太陽光を利用したエネルギーとは、太陽光を直接利用したエネルギー及び太陽光によって短期間で成長し、エネルギーとして利用出来、且つ短期間で再生する植物を利用することを指す。即ち、「太陽光を利用したエネルギーの推進」はいわゆる“太陽パネル”のことを指しているのではなくて、先の分類による短期のCO2サイクル:木材(バイオマス)とCO2を発生しないもの:風力、水力、太陽光を推進することを指すのである。その理由は前述した通りである。現在の技術では太陽光を利用したエネルギーのみで日本の全てのエネルギーを賄うことは不可能である。しかしながら、超長期的な国のエネルギー政策が向かう方向性としては、この太陽光を利用したエネルギーにシフトして行かなければならないことは疑いようがない。そのため、「太陽光を利用したエネルギーの推進」を提言したのである。

5.なぜエネルギー自給率を上げることを重視するのか

 日本では過去の二度のオイルショックでも値段は上がったものの安定して電力が供給された。現在の国際情勢を見るとき、莫大なコストをかけて新エネルギーにシフトする必要はないのではないかという考えもあるかと思うが、私はそうは思っていない。エネルギーに関しては過去に届いたからといってこれから届くことにはならないだろう。

 1973年の第1次石油ショックではそれまでバレル3ドル以下だった原油価格がバレル10ドルを超え、結局その後もそれ以前の水準には戻らなかった。1978年の第2次石油ショックではそれまでバレル15ドル以下だった原油価格が一気にバレル35ドルを超えた。その後は1990年の湾岸戦争で25ドルに、2001年のアメリカ同時多発テロで30ドルにそれぞれ一時的に値を上げたがそれ以外は概ね15ドルから20ドルの範囲で推移してきた。(原油価格出所:BP、Statistical Review of World Energy(2003)。石油価格は第2次石油ショックまでがアラビアンナイト原油、それ以降はドバイ原油。)

 しかし、今年、確かにハリケーンなどの要因はあったにせよ、中東に特段の政変があったわけでもなく、世界的に何か大きな事件が起きたわけでもないのに、原油価格は8月30日に一時70ドルを超え、現在も60ドルを超える価格で推移している。

 これを一時的なものと見るか否かは判断が分かれるが、私は決して一時的なものではないと考えている。その理由は、1993年に石油の純輸入国となり、現在一次エネルギー消費量世界第2位の中国の存在、そして世界第二位の人口を持つインドの存在である。BP Amoco Statisticsによれば、中国の消費は1989年から1999年の平均で、年6.8%の割合で需要が伸び、2003年にはついに日本の石油消費量を超えてしまった。1996年から頻繁に現地でウォッチし続けている中国の発展様子から見ても、この伸びは落ち着く気配を見せていない。また、インドに関してもInternational Energy Outlook 2000によると一次エネルギー消費量が1981年から1995年において263%増となっており、2020 年の全体のエネルギー消費量は、石油換算で約687百万トンになることが見込まれている。これは同年の日本の予測値である約641 百万トンを上回る数字であり、世界の消費量の約4.5%を占める消費量である。

 これらの数字が意味するところは、これからは石油の絶対量が足りなくなると言うことである。これまでのように、絶対量は不足していないが、種々の要因によりその量が一時的に足りなくなったときに値上がりするとうのではなく、恒常的に石油が不足するということである。

 従って、過去において“価格は一時的に上がったものの、結果的に安定に戻ったのであるから、これからも考えられる危機に対して一時的にしのぐ体制を築けばよい”という主張は、これからのエネルギーの安定供給を構築する上では不十分だと考えるのである。

 海外に依存せざるを得ない化石燃料、特に石油から離れる必要があると主張してきたのは、何も石油ショックなど過去の事例を単眼的に見てのものではなく、過去において幾度と無く繰り返されてきた資源に起因する戦争や国家の不安定が、21世紀においては絶対量の不足と相まって一層加速されることへの虞、それを回避する必要があると考えてのことである。加えて、日本がエネルギー自給率を高めるために石油などの化石燃料からの脱却を図り、安定したエネルギー供給体制を築くことが出来たならば、それは人類の持続的発展に向けた大きな手本になるものと考えるのである。日本は技術力を持っているのであるから、技術を通じて世界に貢献することが出来る。これこそが日本が本分を発揮することであると信じている。

6.化石燃料依存率はどの程度を目指すべきか

 エネルギーに関する数字で最も一般的なものは自給率であろう。多くの主張があるように、海外から安定して資源が供給されるのであれば、そして、これまでの日本がそうであったように、特段自給率は低くても問題とはならないだろう。ここで現在の日本の自給率等の数字を見ていきたい。

 現在の日本の自給率は4%で、残りの96%が海外からの輸入に頼っていることはよく知られている(原子力発電のウラン燃料は、国内で再処理した後に再び燃料として活用できるので、原子力を純国産エネルギーと考えて自給率4%に原子力の16%を加えた20%を自給率とする考えもある)。

 自国に天然資源のない日本において、自給率4%という数字は、長年殆ど変化のないものである。しかしながら、その中身は二回の石油ショック以降大きく変化してきた。1973年には実に一次エネルギーの95%を石油と石炭に頼っていたが、石油が埋蔵量の86%が中東に偏在し国際情勢に影響を受ける資源だということが明らかになったため、その後の一次エネルギーの増加分の殆どは原子力と天然ガスで補填してきた。2001年における一次エネルギーの構成は、石炭18.8%、石油50.4%、天然ガス13.3%、原子力12.8%、水力及びその他4.6%である(出展:エネルギー・経済統計要覧2003)。石炭は世界中に分布しているために、国際情勢の変化によって極端に供給が不安定になる可能性は少ない。また天然ガスは、世界中に分布していることに加えて、扱いに技術が必要で現在ところ資源として利用できる国が限られている(欲する国が少ない)ため、これも供給が不安定になる可能性は少ない。このように、石油ショック時に石油一辺倒であったところから、政府の主導と関係各位の努力によりこの30年で一次エネルギーの多様化がはかれたことは、もっと評価してもよいと思う。

 次に電力に限って数字を見てみると、エネルギーの多様化をもっと顕著に見ることが出来る。1973年の第一次石油ショックのとき、発電量に対する資源の割合は以下のようなものであった。水力15%、石油73%、石炭8%、天然ガス2%、原子力2%。それに対し、2004年には水力11%、石油9%、石炭21%、天然ガス24%、原子力32%となっている(電気事業連合会データより計算)。ここで注目すべきは石油の割合で、1973年に73%だったものが、2004年には僅か9%になっているのである。これは特筆すべきことであり、資源の多様化、多角化によって、発電という分野に限ってみれば日本の供給体制は相当に安定したものになっていると考える。

 他方、発電量において、先に述べたCO2サイクルという観点から見ると、化石燃料の割合(化石燃料依存率)は、1973年の83%(石油+石炭+天然ガス)から、2004年には54%(同)に低下しているが、未だに50%を超えている。

 現在の日本が持っていると考えられている問題は二つあると言われている。一つは世界情勢に過度に依存したエネルギーの供給体制からを脱却することで、もう一つはCO2の排出量削減による温暖化対策である。

 これまで見てきたように、実のところ前者はこの30年間の関係各位の努力により相当な部分が解消されてきたように思う。いま仮に中東不安が起こってもそれほどまでに社会に与える衝撃はかなり少ないだろう。そのことが、現在起こっているバレル70ドルという原油価格の高騰においても石油ショックの時のような混乱が起こっていないことに現れていると考える。それに対し、後者は手つかずである。現在の地球環境が置かれている状況を考えたとき、化石燃料依存率は絶対に下げる必要がある。これを下げるには、かつて石油一辺倒からの脱却をはかるときの原子力がそうであったように、化石燃料の代替となるエネルギー源が必要である。果たして原子力以外に化石燃料を代替できる規模のエネルギーを発生するものがあるのだろうか。これまで種々の検討を重ねた結果、それは風力とバイオマスであると考えるに至った。それらを最大限活用することで、電力における化石燃料依存率は最大で13%にまで低下させることが出来るのである。この数字であれば、使用する化石燃料は天然ガスか石炭で十分であるし、量的にも現在と比較して非常に少ないので、殆ど国際情勢にも影響されないものと考える。

7.自給率の中身

 では、化石燃料依存率13%にした場合の電力構成比について触れてみたい。まず、今後の日本の消費電力量の変化を次のような前提条件とする。電力消費の増加要因としては、運輸部門における電化の促進と純増、減少要因としては、需要サイドマネジメントの導入によるエネルギー消費量の減少、及びコジェネレーションの導入による暖房等での電力使用の減少、各機器の高効率化とする。その差し引きをゼロと仮定し、今後日本の年間消費電力量は2003年レベルの10000億kWhで推移するものとする。そしてそれを賄う電力構成として検討の末、次のような結果を得た。原子力32%、風力15%、バイオマス29%、天然ガス乃至石炭13%、水力11%。

 以下、それぞれについて解説する。
 原子力については、現在の53基体制、32%にて現状維持と考えた。これは現在のプラントにおいて、多くの経年変化対策が取られている点、また新規立地は様々な誤解によりうまく進んではいないが、プラントの立て替えによる出力増加は可能であろうとの考えによる。

 風力については、最大限活用することとした。日本の潜在的風力発電容量は2004年ベースで15%前後とする試算は数多く出されている。数字が前後するものはあるし、自分自身で改めて検算することを終えていないので、この点の主張は強くはないのであるが、今後の風力発電機の性能向上と、政府のリードによってこの数字は決して不可能ではないと考えている。

 バイオマスの29%については、現在の石炭、石油をほぼ代替するに等しい数値となっている。おそらくこれは多くの人が疑問の念を抱く数字であろうと思う。これは既に南米などで広く用いられている植物由来のエタノール系燃料を、集中電源方式の火力発電に使用することを想定しての数字であるが、確かにこの数字はにわかには信じがたい数字であることは十分に承知している。この数字達成のためには国内の農産物からのエタノール生成では不足することは明らかである。しかしながら、世界には農産物を栽培する余地が十分にありながら各種事情により栽培が出来ない箇所が多分に残されている。そのような地域では、残念なことに食料が十分に行き渡っていないところも、また、国としての財政はそれほど逼迫していなくとも、国内の富の再分配が機能しておらず、大多数の住民が貧困にあえいでいる地域も少なくない。アフリカの多くの国や東南アジアのいくつかの国等が挙げられよう。それらの地域に対して、日本がODAによって食料の栽培を支援することはこれから食糧不足が確実視されているこの地球上において日本がなせる非常に重要な国際貢献であろうと思う。そして、その農産物の生産量は地域によっては余剰が出る。それを電力用のバイオマス燃料とするのである。普段は電力用の燃料として使えばよいし、食糧不足になったら食べればよい。そのような考えの基、それらを最も発電に使った場合を29%とした。但し、この数字には希望的観測が含まれていることは否定しない。これは自分の研究が途上であることを述べるものである。しかしながら、多くの理想的な条件を前提にしたにしろ、この数字は全くの絵空事ではない。今後更に詳細な計算や証明、実施の方策を検討することによって、これらの数字が実現可能であることの補強を行っていく所存である。

8.燃料電池、水素、メタンハイドレートの可能性

 よく、これら三点についての考えを問われるので、それらについて若干触れたいと思う。

 燃料電池においては、“電池”と称されるように、それ自体が資源であるわけではない。水素系燃料電池にしても、その水素は原子力発電による電気によって水を電気分解して作ったものであれば、結局は原子力発電である。燃料電池への過度の期待は、一時期の“電気自動車はクリーンだ”という論調と同じ性質のものである。従って、燃料電池は代替燃料とはならない。

 水素については、自然界に埋蔵されているわけでは無く、電気と同じく二次エネルギーであるので、これも代替燃料とはならない。

 メタンハイドレートについては、日本列島周辺に相当量が眠っていることが反面しており、純国産資源としてこれを有効に活用できれば、海外依存の状況は大きく好転する。そのため、従来の化石燃料に変わる短期的な資源としては非常に有効であると思う。しかしながら、これまで述べてきたようにメタンハイドレートは長期のCO2サイクルに属する資源であり、人類の持続的発展には相容れない資源であると考える。従って、現時点で開発することはやぶさかではないが、超長期的な検討の遡上にはのらないものであると考えている。

9.風力の可能性

 景観、騒音など様々な問題を抱える風力であるが、CO2が地球全体に及ぼす影響と比べれば明らかに小さな影響しかなく、前述のように太陽光を利用し、CO2を発生しないエネルギーの一つであるから、鋭意推進すべきであると思う。ドイツにおいては、風力発電は補助金の対象から外れ、既に経済的にもペイするまでに育ってきた。日本国内においては未熟な技術としていまだに市民風車レベルの扱いであるが、発電所敷地内に設置して電力事業者が大々的に事業として開始する価値のあるものと考えている。日本は第二次世界大戦後しばらくの間一切の航空機産業が禁止されて以降、“翼”を用いる技術は世界的に2番手以降につけていたが、風力発電によって様々な技術の発展が生まれるものと考える。翼にかんする技術の蓄積は、その国の技術力のバロメーターの一つである。風力発電は国を挙げて取り組む施策が絶対に必要であると考える。

10.最後に

 中国は不足する一次エネルギーの補完のために、現在原子力発電を急ピッチで開発している。一党独裁の国の意思決定は早い。今後10年ほどの間に数十機の原子力発電が完成する計画であり、現在のところロシアの技術を導入しているが、政治的状況が整えば、日本の技術を導入したい旨の意向があるとされる。また、アメリカは化石燃料への過度の依存を脱却するために2006年から日本の原子力三社(日立、東芝、三菱)と共同で新規炉の建設を再開することを表明している。ドイツでは2001年の世論調査で、現在の脱原発の政策は何れ覆ると答えた人が47%に達しており、スウェーデンでは、2004年の調査で81%が原子力発電の継続を支持している。(長手喜典「原発なき先進国イタリアの悩み(その2)」国際貿易投資研究所フラッシュ51より)これからエネルギーの消費量が増え続ける事に対し、原子力への期待がこれまで以上に高まっていることは明らかである。

 多くの事例において、北欧を手本にとすることが多い日本であるが、北欧の国々は、“本当に危ないのは原子力ではなく化石燃料、CO2だ”という考えで一歩先に化石燃料からの脱却に動いている。特に石油からの脱却の足は速く、既に発電には殆ど石油を使っていない。

 日本は石油ショック以降、政府主導で資源の構成比率を着々と変え、その成果が確実に実っている。政策を立案さえすれば、産業界は確実にそれを履行する能力があることをまざまざと感じることが出来る。必要なことは、日本の行き先をどこに向けるかと言うことである。

 そして、日本は世界に対し、技術で貢献することが出来る希な国である。現在世界が抱えている温暖化という問題、そして国の発展に最低限の条件である電気の安定供給という問題に、大きく貢献すべきであると思う。

 今後も、我が国がその使命を全うすることが出来るよう、日本の国家百年の計を念頭に研究を続けたいと思う。

以 上
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福田達男の論考

Thesis

Tatsuo Fukuda

福田達男

第24期

福田 達男

ふくだ・たつお

VMware 株式会社 業務執行役員(公共政策)/公共政策本部本部長

Mission

デジタル政策、 エネルギー安全保障政策、社会教育政策

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