論考

Thesis

政経塾で学んだ最も大切なことの一つ -褒めることの意味-

政経塾の五誓の一文「心してみれば、万物ことごとく我が師となる」という言葉がある。誰しもそんなことは分かっているはずだが、それを実際に行うことは大変難しい。今回は政経塾で改めて学んだこの言葉について考えてみたい。

 幸之助翁のエピソードとして有名なものに、ある社員とのやりとりがある。

 ある日、幸之助翁が会社で秘書に自分のアイディアを話していた。秘書はそのアイディアを聞いていた。しばらくして、ある社員が部屋を訪れた。「いい考えが浮かんだので是非幸之助翁に聞いてほしい」というのである。
 幸之助翁がうなずくと、その社員は自分がまとめた考えを話し始めた。秘書も幸之助翁の傍らでその社員の話を聞いた。幸之助翁は、その社員の話を大きくうなずきながら、そして感心したまなざしで聞き入った。
 あれこれと話を聞いているうちに、秘書は、どうもその社員が言っていることは先ほど幸之助翁が自分に言っていたアイディアと殆ど同じだということが分かってきた。
 程なくして、その社員は自分の考えを述べ終えた。そこで秘書は、彼に「その考えは既に幸之助翁が考えていることと同じだ」と言おうとした。すると幸之助翁はそれを秘書が言う前に、社員に言った。

 「君、それ自分で考えたんか。そら、すごいな。是非それを君の力で実現してくれや。」

 秘書は、「先ほどおっしゃっていたアイディアと同じではないですか」と言おうとしたが、言う機会を失った。
そしてその社員は、幸之助翁に褒められたことに興奮し、この考えを実現するために頑張りますと言って、気分良く部屋を出て行った。

 遙か昔のことであろうから、細部においては事実と異なっているかも知れないが、話しの流れはおおよそ正しいものと思う。これまで幸之助翁にまつわる話を色々と聞いてきたが、このエピソードのみならず、幸之助翁が一介の社員の話に「うん、うん」と大きくうなずきながら聞き入ったという話しは非常に多い。
 そして多くのエピソードは、「経営の神様、松下幸之助翁であれば、とうの昔に知っている話しが殆どであった」と結んでいる。

 しかしながら、幸之助翁自身はそうとも言っていなかった。ある人が幸之助翁に聞いた。「先ほど、うなずきならが話しを聞いておられましたが、殆どは既にご存じの内容ではないですか」。幸之助翁は答えた。「確かに、知っていることもあった。しかし、どんなに知っていることが多くても、その中には必ず知らないことがある。」

 私が常に心に持っている言葉に、政経塾の五誓の一文に「心してみれば、万物ことごとく我が師となる」というものがある。

 社会に出ている人であれば、毎日毎日、人と接するであろう。そして、多くの人と新しい出会いがあるだろう。会う人の中には、意気投合する人もあれば、何か歯車が合わず、会うと不愉快になってしまう人もいるだろう。多くの人は、後者とはその後会うことを避ける。人間心理からして歯車が合わない、会うと不愉快になってしまう人とは「出来れば会いたくない」或いは「二度と会いたくない」と思うことは当然である。しかしながら、私はある人を、一つの嫌な面、自分と合わない面を見つけたからといってその人の全てを拒否してしまうことは、本当にもったいないことだと常々思っている。そのように私が漠然と考え始めたのは、これまでの何度か書いてきた自然体験キャンプを中心にした社会教育活動に携わってからのことである。自然体験キャンプのような誰しもが自由に参加できる活動を企画していると、普段社会で暮らしていると決して会わないような人と会う機会が多分にある。普段の社会で暮らしていて、特に何かの枠の仲で生活しているという感覚はないが、自然体験キャンプのようなある意味出入りが自由な活動を企画していると、本当に多種多様な方と出会う機会を得ることが出来る。そして、普段の社会での生活では“何か見えない枠”がいつの間にか形成されていることを感じざるを得なくなるのである。

 「誰でも何かは見習うべき点があるのだな」と感じるようになったのはこの頃からである。確かに、性格の合わない人物はいる。何が合わないのかはっきりとは分からないが、兎に角合わないのである。最初の頃はそれらをむやみに避け、気の合う人物ばかりとつきあっていたが、いつの日か、誰しも何かは自分が学ぶべき点があるのだなということを感じ始めた。それからは、人に対し「嫌な点はあるが、それがその人全てを否定するわけではない」と思うようになった。

 政経塾で学ぶようになって、前述の「心してみれば、万物ことごとく我が師となる」という言葉に出会った。

 これは正に私が漠然と感じていた「嫌な点はあるが、それがその人全てを否定するわけではない」を明確に言い表した言葉であると思う。誰からも、何からも、何かしら学ぶ点があるということである。誰しもそんなことは分かっているはずだが、それを実際に行うことは大変難しい。

 人生の中で会うことの出来る人の数は限られている。ある人の計算によれば、人は一生の内に概ね30万人の人と直接会うらしい。これを少ないと見るか多いと見るかは人それぞれであろうが、私はこの数字を初めて聞いた時、なんと少ない数であろうと感じた。と同時に、日々新しい出会いがあるが、会うこと自体が大変貴重なもの、何かの縁なのだと感じるようになった。そのせっかく会うことが出来た人と、ちょっと自分と合わない点があるからといってむやみに避け、何も学ばずにいることはなんともったいないことであろう。本当に、貴重な機会を逃していると感じるのである。

 冒頭の幸之助翁のエピソードを知ったとき、一つの重要な視点を学んだことは言うまでもない。

 そして、私はそのエピソードからもう一つ大きな事を学んだ。
 もし全体をまとめる立場になったなら、人に意見を言う立場になったなら、決して人を否定しないと言うことである。

 冒頭のある社員の話を考えてみる。
 もし幸之助翁が社員に「その話はさっき僕も考えていたんだ。君、僕の考えと同じ事を考えているなんてすごいな」と言ってしまったら、社員はやる気を失うだろう。もしかすると、それを実行することすら拒否してしまうかもしれない。
翻って、「自分もそれを考えていたんだ」と言うことに何の意味があるかを考えてみる。社員に対して「幸之助翁には勝てない」と思わせることは可能だろう。しかし、それに何の意味があるのか。言わずに、幸之助翁が実際にされたように社員に感心することをしたら、社員は幸之助翁に褒められたことに感化されて、やる気をだし、自分の能力以上の成果をあげるかも知れない。
 それは、換言すれば人を褒めると言うことになろう。私がこれまでの政経塾での生活で学んだ最も大切なことの一つは、この「人を褒めるということ」であろうと思う。

 人は、小さな心の持ち主である。出来れば他人よりも上にいることを保持したい。そのため、人が自分以上のものを出したとき、それを「大したこと無い」と言いたくなる。また、人のやってきたこと、説明を聞いて、「自分はそんなこと既にやってきたんだ」「そんなことしか説明できないのか」「自分は今聞いたことを既に知っている」と厳しいコメントを言うことで、自分がその人よりも上に立っていることを自分の中だけで確認したいのである。

 果たしてそのように厳しく指摘することにどれだけの意味があろうかと思う。これまで色々なコメントをする機会を得てきたが、思いおこしてみればそれらのコメントがどれだけの助け、助言になったのか分からない。

 それらを大変に反省し、そして今私が思っていること、政経塾で学んで気付いたことは"人を否定するコメントを言うことは何の意味もない"ということである。確かに人と接していて、正直なところ至らない点が多いと感じることもある。昔の自分であれば、その人を否定することを言っていたであろう。しかし、そのような状況になったとき、少し考えを巡らせると、同じ意味(至らない点が多いこと)を本人に伝えるには別の言い方、いわば"褒めつつ伝える"ということが、いとも簡単に出来ることが多い。真っ向から否定すれば本人は萎縮するが、褒めつつ伝えると多くの場合本人は自らそのことに気付き、その後自らその克服のために努力を重ねる。なぜ人に対して物事を言うかと言えば、その人の今後の助けにするためであって、誰しも自分がその人よりも上に立っていることを誇示したくて言っているわけではないだろう。人から直接至らない点を指摘される場合と、人から何かきっかけを与えてもらって自ら至らない点に気付く場合と、どちらがその人にとって有益かと言えば明らかに後者である。

 そんな簡単なことと思われるかもしれないが、私はこのことを実践するまでに時間を要したし、まわりを見渡してみても、やはり否定的なことから言う人は少なくないのである。

 私は政経塾という大変幸運な学びの場を与えて頂き、幸之助翁から非常に大切なことを学んだと感じている。

 このエピソードを始め多くのエピソードが残されているし、また幸之助翁ご本人の著書も多くある。これからも折に触れ、これらに接し、人間観の学びを深めたいと思う。

以上
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福田達男の論考

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Tatsuo Fukuda

福田達男

第24期

福田 達男

ふくだ・たつお

VMware 株式会社 業務執行役員(公共政策)/公共政策本部本部長

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デジタル政策、 エネルギー安全保障政策、社会教育政策

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