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国家観
2005年4月

塾生レポート

憲法改正について考える ~「憲法改正という慣習」を持つ国家へ~
日下部晃志/卒塾生

人間の作ったものに、「完全無欠」というものはない。憲法もまた然りである。「不磨の大典」であり続けては、いつか弊害が起こる。その前に、これまでなかった「憲法改正という慣習」を日本人は果たして身につけることができるだろうか。

 

1 はじめに

 改憲に関する論議が盛んである。多くの「私案」も提言されているし、衆参両院の憲法調査会が報告をまとめ、本年11月には自民党が、そして来年度には民主党が憲法草案をまとめる予定となっているものの、各党の理念・主張の摺り合わせに多大な時間を要することが予想される。

 憲法改正は、一見、政治日程には乗っているようではあるが、現実問題として、何年後には改正というような明確なメルクマールがあるわけではない。人によっては、「時間をかけてゆっくり」と議論すればよい、と考える向きもあるようである。たとえば、中曽根元首相は「政治家が短兵急にパパッと、決めてしまうものではない。5年から8年かける必要があるとみている。」(産経新聞5月3日付朝刊)としている。憲法とは国のあるべき姿を示すものであるから、その改正に関しては、拙速を避け、じっくりと時間をかけるべきだとの考えは、一応、正論のように思える。しかし、それはあくまで現行憲法が改正されるまでの間、きちんと機能しておればという大前提あっての話である。

 「憲法が機能しなくなる」とはいかなる状態なのかをにわかに想像するのは難しいだろう。しかし、実は戦前にわが国はそういった状況を経験しているのである。そして、その状況を放置してしまったばかりにいかなる事態を招いたかを知れば、現在の憲法も決して今のままでよいはずがないということに気づくはずである。

2 帝国憲法の致命的欠陥

 大日本帝国憲法(以下、帝国憲法)には、そういった状況を招いてしまう致命的な欠陥があったことを、まず説明する。
答えから先に言うと、帝国憲法の致命的欠陥は「憲法に内閣総理大臣の規定がない」ことである。これを聞くと奇異に思われる方も多いことだろう。明治から昭和の敗戦に至るまで、内閣総理大臣はちゃんと存在していたではないか、と。明治18年以来、伊藤博文から鈴木貫太郎までが首班を努めた内閣は一体何だったのか、と。しかし、事実として、明治憲法には「内閣総理大臣」という文言は一切存在しないのである。戦前の内閣総理大臣は憲法にその権限の根拠を持たなかったのである。あったのは、国務大臣に関する以下の条文である。

帝国憲法第55条
「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ズ。凡テ法律勅令ソノ他ノ国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」

 この規定からもうかがえるように、帝国憲法では総理大臣と平大臣の区別すらないし、その大臣が集まって内閣を構成するという規定もない。ところが実際は、総理大臣を長とする内閣が構成されていた。これは一体いかなることだろうか。

 帝国憲法第4条には天皇は国の元首で、統治権をもっていると規定されているので、その統治を補佐する国務大臣がおればよい、ということになる。ただ、その国務大臣を選ぶ役目が必要で、天皇から「統治を補佐する国務大臣を選べ」と言われた人が、国務大臣を選び、そのまとめ役になったのである。これを「組閣の大命降下」というが、その手続きは、憲法には記されていなかった。つまり、建前から言えば、「組閣」といっても、天皇(実際は元老)に頼まれて国務大臣のリストを提出するだけのことであり、そのリストの提出者をして「内閣総理大臣」と称されていただけなのである。よって、憲法の中に地位の根拠を持つ国務大臣を罷免出来る権利はなかったのである。

 幕府の将軍のことを、律令に定められていないことから「令外の官」というが、内閣総理大臣もまた憲法に規定を持たぬ「憲外の官」なのであった。

 その理由は、憲法を起草した伊藤博文らが、内閣総理大臣の権限が強くなりすぎて、幕府のようなものができることを恐れたためである。よって、あえて、総理大臣及びその権限を憲法に規定せず、その代わりに、元老が総理の後ろ盾となって、政権を支えるという仕組みにしたわけである。

 では、帝国憲法下において、ある国務大臣が、総理大臣と意見を異にしたらどうなるか。現代の感覚からすれば、総理大臣がその国務大臣を罷免すればよいと考えるのが普通だが、実際は閣内で一人でもそういう大臣がいて、意見の統一が出来ない場合は「閣内不一致」をもって内閣は総辞職せざるをえなかったのである。

 この点を利用(悪用?)したのが陸軍であった。

  陸海軍省官制の定員表の備考には「大臣および次官に任ぜられる者は現役将官とす」という注記がある。これがいわゆる「軍部大臣現役武官制」で、陸・海軍大臣は、現役の大将・中将に限るというもので、もちろんその根拠は憲法には記されていないのだが、この規定によって、事実上、帝国憲法は機能不全の状態に陥ることになる。

 その嚆矢は、大正元年の陸軍大臣・上原勇作中将の辞任である。2コ師団増設要求が財政難を以って、閣議で否決された上原は、辞表を提出した。首相・西園寺公望は陸軍の大御所である山縣有朋に後任を推薦するよう要請したが、山縣は後任を出さなかった。件の注記さえなければ、文官或いは予備役大・中将であっても後任になれる。または、首相が兼任しても構わないのであるが、結局のところ、陸軍大臣の後任がいない、即ち組閣が不可能となり、西園寺は閣内不統一の責任をとって総辞職せざるをえなかった。

 このことにより、陸軍の将官一人で倒閣できるということが天下に明らかになった。つまり、「軍部大臣現役武官制」の意味するものは、軍の意に添わない内閣は、陸軍の好きなように打倒することが可能なのですよ、ということになってしまったのである。ここで注記しておくと、上原及び山縣のやったことは、憲法の規定の盲点をついた悪用ではあるけれども、憲法違反ではなかったという点である。なぜならば、帝国憲法には、前にも述べたように、内閣総理大臣やその権限に関する規定がないのだから、国務大臣の後任を出さずに、内閣を倒したところで、憲法違反になりようがなかったのである。

 この「軍部大臣現役武官制」は、山本権兵衛内閣時に、「憲政運用上に支障あり」として議会で大問題となり、一旦は、山本の英断によって「現役」の部分が除かれるのだが、惜しむらくは、なぜ、このときに憲法を改正しなかったかである。憲法に内閣総理大臣の地位を明記し、国務大臣を任意に任免できるようにしておけばよかったのだが、欽定憲法の金甌無欠観が支配的な当時では、改正という発想すらなかったのかもしれない。

 昭和5年のロンドン軍縮条約締結後に巻き起こった統帥権干犯問題、昭和11年の2.26事件を経て、陸軍の発言権が強化されていった結果、昭和12年、広田弘毅内閣時に、遂に「軍部大臣現役武官制」は復活してしまうのである。その後、わが国が辿ったのは、軍とそれに追随する革新官僚による国家社会主義と目算の立たない戦線の拡大、そして敗戦であった。

 本来、行政権を行使するはずの内閣が、「憲法の機能不全」によって、軍官制の注記を悪用した陸軍によってコントロールされてしまうという想定外の事態を招来し、それが民族の危機ともいうべき災厄を招いてしまった。憲法の欠陥を放置することが、いかに恐るべきことであるかはお分かり頂けるであろうか。

3 日本国憲法の欠陥

 さて、帝国憲法が「内閣総理大臣」の規定がないという致命的な欠陥により、機能不全に陥り、災厄を招いたことについて述べてきたが、では日本国憲法についてはどうだろうか。

 日本国憲法では、帝国憲法の致命的欠陥は一見是正されているように見える。帝国憲法には一言半句もなかった「内閣総理大臣」の文言が10回も出てくるし、66条2項には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」とあり、さらには68条には、内閣総理大臣は国務大臣の任免権を持つことが規定されている。この点からみれば、帝国憲法の致命的欠陥は是正されたといってもよさそうで、行政権は安定しているようにみえるのだが、実は、日本国憲法にも、機能不全を引き起こしかねない欠陥が存在していたのでる。それは、「内閣総理大臣の不在」を許していることである。すなわち、総理大臣に不測の事態があった場合についての規定が無いのである。

 たとえば、昭和55年6月の総選挙のさなか、大平正芳総理が急死した際には、衆議院が解散中ということもあって、総理大臣不在の状況が35日にも及んだことがあった。もし、こういった「総理大臣の不在」時に、何らかの外患があって、自衛隊に防衛出動を命じるような事態が生じた場合には一体どうするのだろうか。

 内閣法の第9条には、
「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う。」
という規定が一応存在し、「内閣総理大臣臨時代理」という制度があるのだが、平成12年4月1日深夜、当時の小渕恵三首相が脳梗塞で倒れ、青木幹夫内閣官房長官が同月3日付けで臨時代理に就任(翌4日内閣総辞職)したが、この際、小渕総理に臨時代理を指定することが時間的・医学的に可能であったのかどうか論争となったこともあった。

 このことを踏まえて、総理大臣が臨時代理を指定する暇もなく急死したり重篤な状態に陥ったりする可能性もあり国政上問題が生ずるおそれがあるとして、平成12年4月以降、組閣時などに内閣総理大臣臨時代理の予定者を第5順位まで指定・官報掲載するように方針が改められ、慣行として内閣官房長官たる国務大臣が第1順位とされるようになり(第2順位以降の人選は個々の経験等を勘案して総理が決定)、内閣法の運用の改善が図られてはいるものの、臨時代理については、官房長官が第1順位というのも慣行に過ぎず、第2位から第5位についても、あくまで総理大臣の指定に基づくというものであり、どの順位の国務大臣が代理になったにせよ、憲法67条にいう「国会の議決」によって指名されたわけではないから、恒常的な職務の代行は可能かもしれないが、たとえば防衛出動のような重大な国家意思の発動に関わる命令を出す権限までも引き継げるのかについては、実に曖昧である。

 つまり、武力攻撃事態対処法や災害対策基本法に定められているような総理大臣の大きな権限は、国会で議決されたという正当性があればこそ、総理大臣の判断に基づいて速やかに行使できるのであって、国会の決議に拠らない臨時代理が権限を行使しようとしても、その行使に関わる意思決定には、閣議や関係機関との多くの調整、時間を要し、適時適切な権限の行使が出来ない可能性が高い。

 大規模自然災害や外患といった緊急事態においては、迅速な意志決定がなければ、適切な初動対処はできず、被害の拡大、大惨事を招いてしまう恐れがある。

 総理大臣に何かあった場合、平時であれば、予め指定された臨時代理が、内閣総辞職の手続きをとり、改めて国会で、首班指名をすれば、事足りるのだが、それが緊急事態である場合には、全権限が自動的に次級の国務大臣に引き継がれ、国家の意思決定が遅滞無く行われるということが、憲法に規定される必要があるのではないだろうか。

 ここでいう「次級の国務大臣」の考え方としては、ひとつは「副総理大臣」を正式な官職にすることである。これまで総理大臣に次ぐような大物政治家が入閣した場合、「副総理」と呼称されることはあったが、正式な官職ではなく、いわば大物を処遇するために用いられた呼称で、総理大臣との関係からいえば、他の国務大臣とは同列であった。もし、正式に官職を設ければ、他の国務大臣より格上になる。

 もうひとつは、「総理大臣臨時代理」職の第1順位に指定された大臣である。この場合、現在の慣行によって官房長官を指定するのではなく、あくまで、見識や判断力といった識能に基づいて指定されることが望ましい。

 どちらがよいかはそれぞれにメリット・デメリットがあり、ここでは論じないが、要は権限を引き継ぐ資格、正当性が備わっておればよいわけで、誰がどう見ても、「もし総理に何かあったら、あのひとが権限を引き継ぐんだな」とわかるようになっていればよいわけである。

 その点、アメリカは実に明確である。大統領に不測の事態があれば、その権限が副大統領に、副大統領に何かあれば、下院議長にというように、権限の委譲について順序が決まっている。第二次大戦下の1945年4月、ルーズベルト大統領の急死にともない、副大統領のトルーマンが速やかに昇格し、戦争の遂行に支障をきたすことはなかった。戦争という国家としての意思決定を間断なく迫られる状況にあって、リーダーが没しても、サブリーダーがその権限を引き継ぎ、政治的空白を作ることがなかったのである。

 アメリカを見習え、といいたいわけではないのだが、国民の生命・身体・財産の保護は国家の重大な責務である。この点から考えて、緊急事態において、国家の意思決定を行う行政権の長の地位に空白が生じかねない状況を許している現在の憲法は、大変な欠陥を孕んでいると言いうるだろう。

4 改憲へのスタンス

 戦後の憲法論議を見ていると、現在の憲法の下で日本は繁栄を獲得したのだから、現憲法は立派に機能している、という意見がまかり通っていたように思える。しかし、帝国憲法の例を見ても明らかなように、潜在的な欠陥というものはいつ露呈するかはわからないのであり、その欠陥が予測される場合、あるいは、欠陥が露呈した場合であっても、出来るだけ速やかに改正する必要がある。

 憲法の運用に不都合な場合が出てくれば、変えればいいのである。
憲法とは、慣習法であり、「事情変更の法則」を受ける。状況の変化によって、憲法の条文が空文・死文化することもありえるのである。したがって、時代の状況や人間の営みが徐々に変化するにつれ、逐次変更していく必要があろう。

 この58年間、日本国憲法は明治憲法と同じく「不磨の大典」で在り続けている。改正の発議には、総議員の3分の2以上の賛成が必要という「敷居の高さ」もあったのかもしれないが、もともと、「憲法」という成文典を持たなかったわが国には、時代や社会状況の変化に応じて憲法を変えるという習慣が身につきにくいのかもしれないが、憲法は不断に変えていくのが常道である。イギリスは成文憲法を持たないから、しじゅう手直しをしているに近く、また最古の成文憲法アメリカ憲法も、制定以来18回の追加・修正条項を加えている。成文典の生命を保つには、その方が自然であるが、日本はそういうことをせずに、条文を極限まで無理に解釈するほうを選んできた。日本国憲法は占領軍に与えられたものであったが、幸いなことに、日本の復興と繁栄の妨げとなることはこれまでなかった。欠陥を有しつつも、大過なく機能してきたと言えるだろう。しかしながら、「軍部大臣現役武官制」が問題となったのは、帝国憲法発布後23年を経てからであり、なおかつ発布の頃には、そのような問題があるとは誰も予測していなかった。同様に、指摘したような日本国憲法の欠陥がいつ何時、顕在化するかは誰もわからないのである。

 「国民の生命・身体・財産を守る」という国家の責務から考えると、現在の憲法のままでは、緊急事態の際に著しい支障をきたす恐れがあるという欠陥の是正ということであれば、政党間の思想・信条の摺りあわせに比べて、意見の一致が得やすいと考えられる。まずは、その点において憲法改正を行い、憲法が「不磨の大典」でなくなったとき、日本人は、憲法は慣習法であり、時代や社会状況の変化に応じて不断に変えていかなければいけないという認識を持ち、憲法改正という「慣習」を身につけるきっかけとなり、真の国民的議論ができる素地が出来るのではないだろうか。

 個人的には、現憲法がアメリカの草案に基づいているのは歴史上明白な事実で、日本人の手で自主憲法を作るべきだというのも筋論として正しいと私は思う。また、日本の伝統精神や伝統的価値観を反映したものであるべきだとも思っているので、これらを加味した憲法改正ができればベストである。

 最初からベストを目指すのが理想的ではあるが、ベストを求めて、遅々とする間に、憲法の欠陥が露呈して、国民を守れない状況に陥ってしまっては、本末転倒である。

 何故ならば、憲法あっての国民ではなく、国民あっての憲法に他ならないからである。

参考文献

『日本史からみた日本人』渡辺昇一
『日本国憲法の問題点』小室直樹
『憲法の常識 常識の憲法』百地 章
産経新聞5月3日付朝刊『日本国憲法対談 改正の意味を問う』中曽根康弘、松本健一
毎日新聞5月3日付朝刊『憲法特集 現状と展望』
2005年4月 執筆
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