松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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1998年2月

塾報

新しいODA概念の構築を
甲斐信好/卒塾生

 ODA(政府開発援助)が大幅減額になった。国内の大型倒産や悲惨な社会的な事件に比べると大きな関心を呼ぶことはなかったが、中長期の日本の外交を考えた場合、この決定は大切な曲がり角ではなかったか。

 
 財政構造改革の嵐の中で、来年度のODA予算が10%削減された。次年度以降もそれ以 上の減額が予想される。これは日本の将来にとって極めて大きな意味をもつ問題と思われ るが、決定にあたっては十分な政策論争も人々の関心も呼ばなかった。その最大の原因 は、ODAには族議員が存在しないということである。どんなに日本の今後に影響しよう とも、票の足しにならないことには政治家の目は向かない。加えて一部マスコミによる「ODA 悪者論」がある。「ODAは日本企業のためにしかっていない」「ODAで作った巨大な施設が 廃墟になっている」等々。もちろん巨大な政策全体がすべて成功を収めることは不可能 だし、指摘されるような問題があったことも否定しない。しかし、円借款における日本 系企業の受注率は3割程度だ。その国際競争力の高さを考えれば日系企業が不当に優遇 されているとは思えない。また、この10%削減で国連はじめ国際機関が悲鳴をあげていることは 、逆の意味で日本のODAがいかに役立っていたかの証左である。

 筆者は今回の決定に大きな危惧を感じている。外務省、通産省、経済企画庁などの官 庁や経団連、業界団体などがODAに関する提言書を相次いで発表している。それぞれODA の現状に危機感を抱いていることは読み取れるが、これらが共通して見落としている点 がある。そもそも開発援助とは何なのか。10年前、20年前のODAの概念が現在もあては まるのか。

◆新しい酒は新しい皮袋に

 50年代から60年代初期にかけて国際開発の経験に基づいて規定されたODAの概念は、 もはや今日の社会にそぐわない。当時は市場を通じての開発資金の調達が難しく、途上国 が頼れるのは主として先進国が提供するODAだった。しかし現在、途上国への民間資金 の流れはODAと比して90年には2倍、95年には4倍、96年には5倍に達している。かつては10% 前後であった市場金利も米国でさえ6~7%、日本では長期のものでも2%程度である。 もはやODA=「政府」開発援助とは必ずしも言えない。

 またODAの舞台に登場するアクターも多様になった。先進国の側では供給者として国 際機関はもとより、NGO、県や市町村などの地方公共団体が主になりつつある。途上国の 側でも、東アジアとラテンアメリカ諸国の高度成長により、先進国と途上国を峻別するこ とが不明確になりつつある。役者の数が増え、援助される側から援助する側に変わる国 も現れ始めた。
 一方、こうした中で90年から96年にかけて世界で101の紛争が起きているが、その内 95は内戦である。いまや武力紛争と経済社会開発は不可分の関係にある。さらに 90年に1400万人であった難民は現在2500万人になるなど、医療、食料、環境などの緊急 援助のニーズが90年代に入り激増、複雑化している。当然ODAのコンセプトも変わらな ければならない。従来の狭義のODA(政府資金)に、議論はあるがPKO・PKF、民間投資などを 加え、武器輸出などを差し引いたものを新しい概念とすべきである。無償援助、円借款、 技術協力、国際機関を通しての援助、NGOの贈与、地方公共団体よりの援助、直接投資 、難民支援、緊急食料、医療援助、PKO・PKF、和平交渉、和平構築などさまざまな要素が入 り組んでるのが開発援助の実態だ。大切なことは、日本がいかに国際社会に関わっているか、 わかりやすい新しい概念を示すことである。

◆情けは人のためならず

 ODAを取り巻く環境は大きく変わった。国家という概念そのものが、国際社会に対し ても国内に対しても再検討を必要としている。日本の製造業の海外生産比率はほぼ10%に なった。これは85年のプラザ合意時と比較すると3.3倍である。多少の円安基調が続い ても、企業の海外進出、とくにアジアシフトの傾向は変わらない。海外での資金調達、決済 、販売の進展も著しい。国家閉鎖型経済政策の破綻は明らかとなったし、地球規模の環 境問題や国際法制度の整備は、いまや一国だけでは何もできないことが明らかになった 。国際公共財としてのODA、地球市民としての税金という捉らえ方が必要である。

 他方、地方自治体のODA実施主体としての新たな役割も注目される。自治体の有する 上下水道、ごみ処理、環境保全、保健・福祉、地域振興、行政などの分野での経験・ノウ ハウは途上国のニーズが大きい分野だ。そのために自治体の国際協力での役割はますま す重要になってくる。主体的・組織的・継続的な国際協力ができるよう、ODA予算の一 定枠を充当するなど、自治体を新たな実施主体にできるようにすべきである。ODAのいわば下 方への分化である。NGOについても同じことが言えるだろう。地球規模で、国と国との、 また地域と地域との依存関係が深化している。そこでは領土と国民概念によって支えられ てきた国家が問い直されようとしている。

 今回のODA削減をめぐる議論で決定的に欠けていたのは、自分たちに直接関わるもの として、つまり納税者としてODAをどう考えるかという点である。これにはODAに関わる側 から「日本のODAはこんな役に立っている」という十分なプレゼンテーションがされて こなかった点が大きい。ODAは日本とって最大の国益であり、私たちの日々の生活を支える ものと認識している。しかし最終的な決定は国民一人一人がすべきことだ。新しいODAの コンセプトと国益の概念を明らかにした上で、ODAの意義について広く論議を巻き起こす 必要がある。その一つの契機として、日本がODAを現状維持・削減(それも10%、25%、5 0%、完全になくす)した場合のシミュレーションを行うことを提案したい。主体は国が 行うが、無論国際機関やNGOにもメンバーに加わってもらう。その結果は広く海外にも 公表し、意見を集める。シミュレーションの結果は、将来の国民生活のあり方に関し広く議 論の場を提供することになるだろう。

 ODAは他人事ではない。私たちの税金であり、私たちの日々の生活を見えないところ で支えている。まず、その認識から始めたい。(付記)本原稿は筆者の所属するSRID(国 際開発研究者協会)での議論を元に執筆したものであるが内容についての責任は筆者個 人にある。


1998年2月 執筆
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