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観想、プルス・ウルトラ。
〜ポエムとタビと、時々、サウナ〜

 
 私の家にはサウナがある。幼少期の頃から私は、頻繁にサウナに入っており、この空間が大好きだった。私の中でサウナの存在はこの頃からずっと身近だった。それもあってか、現在の私の趣味の一つは、サウナ巡りである。
 昨今、空前のサウナブームが起こっている。なぜ、今ひとびとはサウナを求めるのだろうか。その理由は、数多考察されている。健康に良いとのイメージが広がっただとか、ストレスを感じることが多くなりその解消を求めているだとか。
 確かに、そのような理由は感覚的に確からしい。だが、私はもう一段下に、より根源的な理由があるのではないかと考える。そして、それこそが私が、かねてよりサウナが好きな理由でもあると思う。それは、「サウナは観想的生である」、というものである。

 「観想」とは、「みる」を意味する古代ギリシア語のtheōreinに由来する言葉である。したがって、「観想的生」とは、この「みる」を重視する生活となるわけであるが、この「観想」なる概念は少々捉え難い。ただ、この概念を多少なりとも掴めるよう、輪郭を描いておきたい。そのために、「観想的生」と捉えることができるであろう、二つの営みを考察することとする。
 観想的生に最も近い営みとしては、「詩」が第一に挙げられる[1]。ドイツの詩人フリードリヒ・ヘルダーリンの詩にて、以下のようなものがある。

「いさおしは多い。だが、人はこの地上において詩人として住んでいる。(Voll Verdienst, doch dichterisch wohnet Der Mensch auf dieser Erde.)[2]

 この詩は、相反する二つの生き方にて構成されている。それは、「いさおしの多い生」と「詩人としての生」である。いさおし(Verdienst)とは、「収入、利益、功績、功労」の意味である。したがって、「いさおしの多い生」とは、収入や利益、功績、功労の多い生となる。そして、この生は、労働や仕事とも捉えられる。そう解釈するならば、ドイツの哲学者ハンナ・アーレントのいう「活動的生(vita activa)」とも換言できよう。
対する「詩人としての生」とは、「いさおしの多い生」と反対となるのであるから、収入や利益、功績、功労の少ない生、あるいはそれが無い生、すなわち世俗的なことに関心を抱かない生となる。したがって、アーレントの言葉を借りれば、「観想的生(vita contemplativa)」と言うことができる。
 では、ヘルダーリンは詩人の営みをどう捉えていたのか。彼は詩を、「存在それ自体と関わることのできる唯一の営みである」と考えていた。それは、人間のいさおしの届かない次元、すなわち、人間の自力を超えて存在をあるがままに捉えることのできる次元。有り体に言えば形而上的真理のことであろう。

 あるいは、詩は、他の営みとは一線を画する物であるとも考えられる。それは、詩が、言葉というものに最も純粋に関わる営みであるからである。人間の営みは言葉無くしては成り立たない。ゆえに、言葉は人間を人間たらしめているところのものであると言っても過言ではない。そんな人間活動において極めて重要な言葉が、最も根源的な姿において現れるところが詩の世界である。それは、詩のみが常識的な言語使用の範囲を超えて言葉を扱うという特徴からくる[3]。この特徴ゆえに、詩が難解であると捉えられ敬遠される所以であろうが、詩の営みにおいて初めて、言葉それ自体が純粋に人間に経験されるのである。そして、言葉それ自体が現れるということは、事象や事物、すなわち存在があるがままの姿として直接に現れることに他ならない。

 まとめると、ここでの観想の意は、「存在それ自体をあるがままに捉えよう(見よう)とすること」だと言える。
 また、観想的生を検討するにあたって、哲学者・三木清の思想が強く心に思い浮かばれる。

「しかるに旅は本質的に観想的である。旅において我々はつねに見る人である。平生の実践的生活から脱け出して純粋に観想的になり得るということが旅の特色である。[4]

 三木独自の「旅」について考えを紡いだ言葉である。三木は旅を観想的だと考えた。そこで、三木の旅解釈について見ていきたい。三木の旅解釈は以下のようにまとめられる。  一つは、旅の本質は「過程である故に漂白であること」である。

「旅は過程である故に漂白である。出発点が旅であるのではない、ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味わうことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである。日常の生活において我々はつねに主として到達点を、結果をのみ問題にしている、これが行動とか実践とかいうものの本性である。[5]

 三木は真の旅の面白さは途中を味わうことだと言っている。目的地に到着することも旅ではあるが、その途中の移動の内にこそ旅の本質が宿るというわけである。また、旅を「漂白」だとする点も興味深い。これは、自身では想定できないという意味だと考えられる。真っ白なキャンバスに自動筆記されていくが如く、自身では先が読めない。そのような、先が読めないからこそ襲いかかってくる経験にて心が揺れ動かされる感動体験こそが、旅の真髄だというわけである。
 もう一つは、旅の本質は「既知のものに驚異を感じること」である。

 「旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、−全く新しいといい得るものが世の中にあるであろうか−むしろ平素自明のもの、既知のもののように考えていたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。我々の日常の生活は行動的であって到達点或いは結果にのみ関心し、その他のもの、途中のもの、過程は、既知のものの如く前提されている。」

 旅は、初めて訪れる故に対象の真新しさに直面することが良さであると一般的には考えられる。しかし、三木はそうは考えない。世の中には全く新しいと言い得るものはない。そして、自明なものも、よくよく見てみると新たに明らかになるところがある。その事物や事象、存在は理解していた気になっていただけであり、実際は何も知らないのである。そのような「無知の知」に気付かせられ、更に見直してゆくところにこそ、旅の本質が宿っている、というわけである。
 この二つの点が、三木の考える旅の本質であり、「観想」の要素に他ならない。
 以上、「詩」と「旅」の二つの視点から「観想」について見てきたわけであるが、まとめると「観想」とは、

①存在それ自体をあるがままに捉えよう(見よう)とすること
②過程である故に漂白であること
③既知のものに驚異を感じること

となる。
 では、冒頭に戻り、これらがなぜ、サウナと繋がるのか。
 ここで問いたい。「サウナとは何か」。その解をよくよく考えてゆくと、奇しくも観想の三つの要素に当てはまっているように思えてならない。
 私は、サウナとは、前提として「サウナ室で蒸され、水風呂に浸かり、外気浴をすること」である、と考える。さらにそれは、「自身、及び自身以外と対話すること」だと考える。例えば、サウナ室にて蒸されている最中を考えてみる。まずは自分の身体の変化を感じる。体温が上がる、汗が出る、心拍数が上がる。さらに心の揺れ動きを感じる。熱い、辛い、心地よい。加えて五感ではあらゆるものを感じる。室内のヴィヒタを視る、ロウリュの音を聴く、アロマの香りを嗅ぐ、アウフグースに触れる。
 水風呂、外気浴でも同様に、このような自分と自分以外との対話が繰り広げられる。以上の流れは、今この瞬間に集中し、刻を静かに感じ、深く思いを巡らすという意味で、まさに「瞑想」である。そして、これは、五感を通してあらゆるものを感じている時、あるいは自身を感じている時、存在それ自体をあるがままに捉えようとしているのだと言えないだろうか。また、この流れのどこか一つを取ってサウナと言うことはできない。ゆえに全要素を含め、全過程を以ってサウナと言うのではないだろうか。さらには、サウナに入る回数を重ねる毎に、心の揺らぎも風景も、音も香りも刺激も全てが、新鮮にも心地よくも感じることがある。所謂「ととのう」状態であるが、これは瞑想状態に近い感覚とも言われ、それはまさしく、不思議で驚くほど素晴らしい現象、すなわち驚異を感じている状態だと言えはしないだろうか。
 科学や合理が賞揚される現代だからこそ、あえてこう言いたい。「プルス・ウルトラ」。科学や合理のその先へ。彼方にある、この「観想」なる営みこそが、これからの世界において重要なのである、と私の、頭ではなく心が言っている。

[1] 詩(芸術)を観想的生と結びつける考え方は、ルネサンス以降の西欧世界の影響が大きいと考えられ、特にドイツ観念論においてその傾向が見られる。その代表格として名を挙げることができるのが、『超越論的観念論の体系』を記したシェリングである。あるいは、ハイデガー『芸術作品の根源』などにおいてもその特性が強く見られる。

[2] F.ヘルダーリン・川村二郎訳,2002年,『ヘルダーリン詩集』,岩波書店

[3] 厳密に言うと、常識的言語使用の範囲を超え出るものは「哲学」も含むことができると考えられる。ただし、詩と哲学の差異の研究は数多くあり、非常に複雑なため、本稿では詩のみを扱うこととする。

[4] 三木清,1966年,『三木清全集①』,岩波書店

[5] Ibid.

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