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君たちはどう生きるか
〜「アートと暮らす島」香川県・直島から考える当為の生〜

 今夏、宮崎駿監督の新作長編映画が10年ぶりに公開された。その名も『君たちはどう生きるか』。一切の事前情報なしという異例のロードショーとしても話題を集めた本作であるが、内容は非常に難解であり、ネットを見る限り評論家の論評も様々である。ただし、1937年に書かれた吉野源三郎著の同名小説が原点であり、この作品の宮崎監督としての再解釈こそが本映画であるとの見方が有力である。では、この映画の元となった小説版『君たちはどう生きるか』[1]にはどのようなことが描かれているのか。
簡単なあらすじは以下の通りである。15歳の少年コペル君が、街で見た情景や中学校の友人たちとの人間関係をきっかけに、叔父さんとの対話を通じて哲学的な思考を深め、成長してゆく――。コペル君は、貧困やいじめ、生産関係などについて教えられ、「人間らしい生」を考えてゆくこととなる。最後は「僕は、すべての人がおたがいによい友達であるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。(中略)そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。」[2]と彼なりの解をノートに綴り、物語は終わる。
 本作では、徹底して「人間として」の生き方について語られ、人類の進歩に寄与することの重要性が強調される。そして何よりも我々読者に「どう生きるか」との根源的問いを投げかけてくる。この作品を読了し、私はふと、ある場所のことを回顧した。それは「アートと共に暮らす島」と呼ばれる、香川県は直島である。
 ここ直島はただの島ではない。「“よく生きる”ための島」である。というのは、この島に、ベネッセアートサイト直島(BASN)の代表である福武總一郎氏によって、現代アートが持ち込まれたことに由来する。現在では、草間彌生の『南瓜』やクロード・モネ『睡蓮』をはじめ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレル、安藤忠雄など、世界を代表する芸術家の作品が展示されている。さらに、それだけではなく、美術館とホテルが一体となった「ベネッセハウスミュージアム」や、空き家を使って空間そのものを作品化した「家プロジェクト」、アートを体感する「地中美術館」など、単に作品を鑑賞するだけではなく、経験としてアートを味わうという、新しい現代アートのあり方に踏み込んでいる場所でもある。
 では、福武氏はどうして現代アートを本島に持ち込んだのであろうか。それは6つの理念を実現するためである[3]。それが、「Ⅰ.近代化、都市化への強い疑念」「Ⅱ.在るものを生かし、無いものを創る」「Ⅲ.人はいい地域に住むことで幸せになれる」「Ⅳ.お年寄りの笑顔があふれる場所に」「Ⅴ.瀬戸内海からの新しい文明観の発信」「Ⅵ.公益資本主義を目指す」である。そして、これらの理念を実現させることで、“Benesse”という言葉の意味でもある「よく生きる(Bene=よく、esse=生きる)」の達成を目指したのである。
 でもなぜ、アートなのか。それは、BASNが理念の実現のために重要と考えた4つの要素が理由となる。その要素というのが、「①人」「②歴史・文化・暮らし」「③アート・建築」「④自然」である。これらが適切に関わり合い、調和をなすことで、理念が実現されるというわけである。ちなみに、ここ直島でいうと、①は生活者及び来訪者で、②は島として、③は現代美術で、そして④は瀬戸内海として、それぞれが担保されるというわけである。
 さらに、理念の実現に関して考察すると以下の通りとなる。

Ⅰは、瀬戸内海が見渡せる島(②④)選んだことにて達成
Ⅱは、「家プロジェクト」(①③)にて達成
Ⅲは、現代社会を批判する作品(③)と原風景(④)にて達成
Ⅳは、若者とお年寄り(①)との交流(③)にて達成
Ⅴは、雑誌掲載(③)にて達成
Ⅵは、アート鑑賞目的(③)の観光客数の増加(①)によって達成

 Ⅴ及びⅥに関して詳述しておくと、ここ直島は観光地としても世界から長期に渡って注目を集めている。2000年4月号の『Conde Nast TRAVELER』では、パリやドバイなどと共に、次に来る世界の7つの場所の一つに数えられているし、2020年の『lonely planet Japan』では訪問地ランキングにて京都、東京、奈良の大仏に次いで、第4位にランクインしている。実際に島内を歩いていてもあらゆる場所で外国人を見かけた。また、2010年から3年に1回、現代美術の国際芸術祭である「瀬戸内国際芸術祭」が開催されており、最近の2022年開催の第5回までで、延べ約495万人もの来場者を数えている。
これらの工夫からか、実際に島内を巡った所感としても、接した島民の方々は、大人も子どももお年寄りも皆、明るく元気で笑顔だったし、支え合って生きていることを強く感じた。そういう意味でも直島は、コミュニティの理想型と言えるだろう。実際に私自身もここに住みたいと思うことが度々あった。そのようなコミュニティを作り上げるためには並々ならぬ努力と苦労があったのだろうと思うと同時に、何よりもリーダーの熱い志と実行力が必要なのだと痛感した。
 以上が、福武總一郎氏の考える「どう生きるか」への解である。“Benesse”の実現、すなわち「よく生きる」ことの実現こそが当為としての生だというわけである。そしてその内実は、「本当の幸せとは何かを考え続ける」ことであり、それは「在るものを生かし無いものを創る活動」と「お年寄りの笑顔が溢れるコミュニティ作り」とをアートの力で結びつけることのようである。
 この、他者を含んだ集団としての関係性や空気感を重んじる生き方は、奇しくも、冒頭にて記したコペル君の出した解と似通っている。
一方で、「よく生きる」と聞くと第一に思い出すであろう、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの名言である、「ただ生きるではなく善く生きる」の「善く生きる」の意味は、多少異なる。これは、魂に知恵、勇気、節制、正義などの優れた性質、すなわち徳が備わるように心がけ、人として優れた魂を持って生きること、であり、個人としての意味合いが強い。確かに、徳を備えるためには集団の一員として関係性や空気感を重んじる営みが必須になろう。だが、あくまで集団は手段として、個としての完成が目的であると読み取れる。したがって、福武氏及びコペル君の考えとは一線を画すものであると考えられる。
しかし、この差異こそが重要ではないだろうか。生き方というものは、吟味なしに一元化されてはいけない。イドラ[4]に拐かされてはいけない。当為の生なぞ、他者に規定されてはいけないのである。自身で考え、自身で解を組み上げ、自身で言葉を紡いでゆかなければいけないのである。まさしく、これこそが当為の生である。
ゆえに、生涯問わねばならない。常に、いついかなる時も問わねばならない。己に、他者に、世界に対し、こう問い続けてゆかねばならない。

――君たちはどう生きるか


[1] 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波書店,1982年

[2] 同上, p298

[3] 福武氏の理念及びその実現プロセスに関しては、筆者が直島に赴いた2023/6/28に受講した、ベネッセハウス職員である西美篤氏による講義にて用いられた資料「直島レクチャー」を参照した。

[4] イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンが用いた用語であり、排除すべき偏見、先入観などの意味がある。詳細は、「ベーコン著,桂寿一訳『ノヴム・オルガヌム−新機関』岩波書店,1978年」を参照のこと。

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