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筆者は1月上旬から4月上旬にかけて渡米し研修する。変人と創造性の関係をテーマに研修する筆者にとって、ポートランドはとても素晴らしい土地である。なぜならば“ポートランドよ、変であれ!”がスローガンの街であるから。本レポートはオレゴン州ポートランドにおける所感を記す。
ポートランドという街を意識したのは、学芸大で教鞭を執る小西先生との会話においてだった。渡米を企画している私に先生は、「変人の街ポートランドには行かないのか?」と尋ねた。「変人の街!?」と非常な関心とともに調べてみると、なんと”Keep Portland Weird(ポートランドよ、変であれ)”というスローガンを持つ街であり、全米で最も住みやすい街という評判を獲得したこともあるらしい。さらに”Keep Portland Weird”の元祖は”Keep Austin Weird”とテキサス州オースティンから来ているらしい。オースティンを念頭に訪米を企画していた私には両者の比較も関心となり、ポートランドにのめり込んでいったのだった。
さて、現地でまず判ったことはポートランドとは非常にユニークな街である、ということだ。出国前、私は「結局スローガンだけが先行していて、実際には生活レベルにまで浸透していない」ことも想定していた。これまで地方を訪れても、行政が言っていることと、街を歩いた目線が揃っていないことはよくあった。しかし、ポートランドは、そしてオレゴンは全くもって、「変」であった。
道端やバーで人に何故ポートランドに訪れるのかを訪ねられると私は必ず「”Keep Portland Weird”を見に来たんだ!なにか知らないか?」と答えることにしていた。相当な人と話したはずだが、ほとんど全ての人がこのスローガンを知っていた。日本の行政や会社の呼びかける空虚な(そして、あまり知られることのない)スローガンとは反応が全く違った。それほどに、彼らはポートランドに、そして”Keep Portland Weird”に誇りを持っているのだ。
実際、ポートランドは選ばれる街である。より好んでこの街に移住してくる者が多い。人口増加率は20%近くある。私が会話したポートランダーも移住者率が高く、体感半分ぐらいは州外からの移住者であった。多くは、住みやすさや物価、そして同地の魅力に引き寄せられて来るのだ。
ポートランドの魅力を列挙すれば、コーヒー(近年日本に浸透しつつあるサードウェーブコーヒーのはしりである)、ビール(自然に恵まれた同地はビールの種類が全米でトップクラスに多い)、フードカート(移動販売車であり各国料理が手軽に楽しめ、その数はNYに匹敵する)、オーガニック&ビーガン(スーパーだけでなく、コンビニにおいてもLocal, Organic, Veganのラベルを見ることができる。Ream Refillという店はレフィル(包装)を一切使わないスーパーである)、公共交通機関(車社会のアメリカにおいて珍しく公共交通機関の発達した町である。全米が高速道路を作った時代に逆行して高速道路の計画を撤回したことも)、個性的な店たち(リトル・ポートランドと呼ばれる古い街並みを残したハウソン通りはカラフルな店やカフェが数キロに立ち並んでいる)などが挙げられる。ビールや食が美味しいのは豊かなオレゴンの自然によるもので、アメリカの荒野のイメージに反して、またまちづくりの観点では厳しい都市成長境界線が存在しており、都市の領域を制限し、自然を守っている。
さらには、人口あたりのストリップ店舗数が最も多い“Strip Capital”を誇り、嗜好目的での薬物利用に全米でもっとも寛容な街であり、街中では大麻の匂いをあちこちで聴いた。2020年には覚せい剤やコカインなどのヘビードラッグの使用も合法化されている。こうしたムーブメントは過激かもしれないが、極めて自由で豊かな同地は日本に息苦しさを感じていた私には楽園に見えた。
驚くべきことに、この先進的な都市の市長選の最大争点はホームレス政策(次いで薬物中毒者政策)であったという。
実際に、私のポートランドでの最初の印象は異常なホームレス(と、薬物中毒者たち)の数であった。空港からの電車でホームレス然とした、恐らく薬物中毒の中年が電車で喋り続け(その中には旅行者の私への中傷もあった)、タトゥーの入ったガタイのいい若者と一触即発になったときには初日を待たずして帰りたくなった。ダウンタウンでは1ブロックに1人はホームレスを見かけ、大きなスーパーの前にはいつも物乞いが座っている。公共交通機関(ある程度お金があれば車に乗るので、貧困者の割合が高い)は時に異臭がし、吐き気を催すこともあった。
新型コロナのパンデミック以降、各都市でホームレスが急増しつつあるが、ポートランドはその中でも特にその増加が大きい。これだけ住みやすい理想郷が、なぜ一方でディストピアの様相を呈しているのか疑問だったが、どうやら先進的で若いリベラルなこの街のスタンスが関係しているらしい。つまり、この町はある程度ホームレスにも寛容で彼らの人権の擁護に(少なくともほかの都市に比べて)熱心なのだ。「レッドステイト(保守的な州)の職安の裏にはブルースステイト(リベラルな州)行きの片道バスが待機している」などという冗談もあるらしい。もちろん西海岸ゆえに気候が温暖(氷点下を回る日も多く、私にはそうは思えなかったが)さも一因だろうが、こうした社会問題にも地域ごとの政治スタンスが反映されているところは非常に関心深かった。
米国は初期の入植者たちがヨーロッパから東海岸への入植し、次第に西進して行った。プッチーニの「西部の女」や映画「Few more Dollars」などに描かれるマカロニ・ウェスタンの世界は東海岸の諸都市から見てフロンティアであった。20世紀後半に物質世界の繁栄の反動としてのヒッピー文化もまた、それが受容される地を求めて西へと進み、西海岸に花開いた。よく知られることだが、西海岸のヒッピー文化からあのジョブズすら生まれたのだ。
ポートランドにはそのカルチャーが残っている気がする。民族衣装を着たアジア人である私と話す時点である程度フィルターされていることは留意しつつも、この地は若く、リベラルな移住者が多かった。サンダースの選挙に参画していたヒッピー然の若者もいた。とても心地よかった。
翻ってアメリカも東海岸は保守的と言われる。いや、ポートランドの属するオレゴン州も、都市部から出ればそこは農業を主力とする保守的な世界が広がる。「赤い州の青い街」なのだ。述べてきたようなポートランドの変さはある種、非常に分極的で分権的な枠組みの中に花開いた。その後に訪れたサン・ノゼや昨年訪れたテル・アビブもそうであったと思う。ある種、思い切って既存とは違ったルール・価値観・カルチャーを掲げて人や資源の流入を促進し、その結果起こる物価上昇やリベラル化により人の流出入を方向付けることはイノベーティブな街に散見される特徴かも知れない。
ポートランドを離れサン・ノゼで過ごすある日、現地で仲良くなったポートランダーのレベッカからラインが来た。日本のニュース記事を読んでの質問だった(彼女は5年ほど名古屋にいたのである程度の日本語を解する)。そのニュースは同性婚の法制化を政府が否定した際、国会答弁で岸田首相が「変わってしまう」と発言したというものだった。彼女は「私は“変わってしまう。”という発言に怒っている。なぜ“しまう”というネガティブな言葉になるのですか?」と言った。ポートランドの日々を思い出し、私も同感だった。変わることは日本の支配的な見方ではもうネガティブでしかないのだろう。“Keep JAPAN Ordinary”を志向する限り日本はイノベーティブ足り得ないと私は感じる。変化を楽しみ続ける、若くクリエイティブなポートランドに学ぶべきは多いだろう。
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Tomohiro TAMEKUNI
第41期
ためくに・ともひろ
MAVIS PARTNERS 株式会社 アナリスト
Mission
誰もが自分らしく輝ける、「ニューロダイバース」な社会の実現