論考

Thesis

法の理念と国民の価値観 -日本の優生史をたどる-

いのちの始まりをどう扱うか。「優生」をめぐる法制度の歴史は、その問いに対する具体的な日本人の答えでもある。今回は、法と国民の価値観はどのような関係を持って現在に至っているのかを、優生史を通して見て行きたい。

1.はじめに

 法律にはその背景となる理念が存在する。そして、その理念がもっとも反映される法律の一つに生命倫理に関する分野がある。20世紀以降の医療技術の進歩はとどまるところを知らず、技術に応じて生命倫理を国民的議論として取り扱わなければならない問題が種々生じてきている。そのスピードに対応できるように、結論を出すのが非常に難しい問題について、政治や行政は理念を決め、判断し、法整備を早々に進めなければならない。しかも、その際の理念形成は多くの場合、技術の進歩に応じた新しい概念を取り扱わなければならない。

 一方で、民主主義国家である日本においては、制度は当然ながら民主主義のルールに則って決められなければならない。すなわち、法制度の背景となる理念は国民の選択によって定められるべきである。しかし、専門家ですら価値判断に苦渋するような未来の人類の在り方に関わる問題に、国民は選択を迫られ、自らの価値判断を示さなければならない。

 そこで、今回のレポートで取り扱いたいのは、法制度と国民の価値観の関係である。つまり、生命倫理の分野において、その背景となる理念がどのように国民に影響を与えているのか、あるいは国民はどのように法律の背景の理念を選択してきたのか、という問題である。

 そのツールの一つとして、今回は母体保護法の変遷について見ていきたいと思う。なぜなら、母体保護法は生命倫理に関する法律の中でも、議員立法によって成立や修正が行われてきた法律であるからだ。いのちの始まりをどう扱うか、という人間存在の本質が問われるこの法律において、民意と法制定とはどのような関係を持って推移してきたのかを見て行きたい。

2.法律制定の経緯と世論調査

(1)国民優生法

 母体保護法の始まりは、1940年の国民優生法に見ることが出来る。これより少し前、国家総動員法が発布されたのは1938年のことであるが、年を同じくして戦中の国民の体力向上を目的に厚生省が設立された。新設の厚生省は、「産めよ、増やせよ」のスローガンのもとに行われた人口増加のための多産奨励策のみならず、子孫に悪影響をもたらすと思われる遺伝的要因を排除した分娩、すなわち「優生」政策を推し進めた。「優生」とは、劣等な遺伝子を抑制し、優秀な遺伝子を増やすことによって、民族全体の遺伝子の「質」の向上を図ろうとする考え方であり、その生物学的根拠はダーウィンの進化論にまでさかのぼる。戦時中にナチス・ドイツにより行われた障害者に対する安楽死やユダヤ人の虐殺はこの優生思想に基づくものとして有名であるが、優生学そのものは19世紀末にイギリスとドイツに始まり、米国、カナダ、南欧、アジアといった諸外国に広まっていた。劣等な遺伝子を排除するための不妊手術や断種はそれらの国々でも行われ、代表的な福祉国家であるスウェーデンでも過去積極的に行われてきた。日本の国民優生法は、医系議員であった八木逸郎が中心となって帝国議会に提出されたが、この法案は日本民族衛生協会が提出した「断種法案」を修正したものであり、この「断種法案」はナチス・ドイツの「遺伝病子孫予防法」の影響を受けて作られた。したがって国民優生法は戦前日本の総力戦体制のもとで制定され、優生思想を反映した法案ではあったが、決してファシズムや全体主義だけで説明がつく法案ではなかった。というのは、この法案をめぐって紛糾した帝国議会では賛否両論が巻き起こり、法案は修正を余儀なくされたからである。そして、結果として国民優生法は以下のように、

『第一条 本法ハ悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加ヲ防遏スルト共ニ健全ナル素質ヲ有スル者ノ増加ヲ図リ以テ国民素質ノ向上ヲ期スルコトヲ目的トス』

とし、

『第三条 左ノ各号ノ一ニ該当スル疾患ニ罹レル者ハ其ノ子又ハ孫医学的経験上同一ノ疾患ニ罹ル虞特ニ著シキトキハ本法ニ依リ優生手術ヲ受クルコトヲ得但シ其ノ者特ニ優秀ナル素質ヲ併セ有スト認メラルルトキハ此ノ限ニ在ラズ
一 遺伝性精神病
二 遺伝性精神薄弱
三 強度且悪質ナル遺伝性病的性格
四 強度且悪質ナル遺伝性身体疾患
五 強度ナル遺伝性畸形』

と遺伝的疾患に罹患した際の限定的な優生手術(人工妊娠中絶、不妊手術及び断種)を認め、同時にそれ以外の健全な者の中絶や不妊手術を禁止した。また、

『第六条 前条ノ規定ニ依リ優生手術ノ申請ヲ為スコトヲ得ル者本人ノ疾患著シク悪質ナルトキ又ハ其ノ配偶者本人ト同一ノ疾患ニ罹レルモノナルトキ等其ノ疾患ノ遺伝ヲ防遏スルコトヲ公益上特ニ必要アリト認ムルトキハ同条ノ規定ニ依ル必要ナル同意ヲ得ルコト能ハザル場合ト雖モ其ノ理由ヲ附シテ優生手術ノ申請ヲ為スコトヲ得』

とある、「公益上」の理由により医師が強制断種するこの第六条の施行は、議会の反対により見送られることとなった。つまり、結果的に「悪質な遺伝子を排除するため中絶する」という趣旨の優生思想というよりむしろ、「遺伝的要因以外で中絶はしてはならない」という人口増加策の一環という面を色濃くしたのである。

(2)優生保護法

 ところが、戦後に入り改正された優生保護法(1948年)では、優生思想は色を薄めるどころか、逆に強化されることとなった。終戦後、第一次のベビーブームが到来し、急激な人口増加による住宅や雇用の不足が懸念されると同時に、多産により家計が逼迫する家庭も多く、戦前とは反対に人口抑制が不可欠という認識が広まった。また、この時期非合法の中絶も増加しており、中絶を合法化する法案として、社会党議員の太田典礼らが中心となり、超党派で提出された法案をベースに優生保護法案が作成された。そこにはまず、

『第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。』

と、「不良な子孫」との言葉が明記された。「不良な子孫」とは、何度かの改正を経て、

『第十四条 都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下指定医師という。)は、左の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 本人又は配偶者が精神病、精神薄弱、精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇型を有しているもの
二 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇型を有しているもの
三 本人又は配偶者が癩疾患に罹つているもの
四 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
五 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの』

と定義され、国民優生法にはなかった癩疾患や、「経済的理由」による優生手術や妊娠中絶などが次々と認められ、医師による強制断種も認められた(上記は妊娠中絶の箇所のみ抜粋)。この結果、厚生省の統計によれば、国民優生法のもとで1941年から1948年に実施された不妊手術総件数が538件であったのに対し、優生保護法施行後、1950年には不妊手術件数は年間1万1千件を超え、1955年には約4万3千件に上った。そして人工妊娠中絶も、1955年には約117万件となった(*1)。

 優生保護法の施行の翌年、「経済的理由」が中絶の理由に加えられた改正の直後の1949年に、内閣府による「人口問題に関する世論調査」(*2)が実施された。このとき、「日本の人口は多すぎると思いますか?」との質問に「多すぎる」と答えたのは87%であり、そのうち、「それについてどうしたらよいと思いますか?」の質問に、「産児制限」と答えたのが56%であり、「海外移民」に次いで二番目に多かった。また、避妊に「賛成」もしくは「容認」と答えたのは65%であり、そのうち、「避妊してはいけないと思う場合」に、「人口が多すぎるから」(37%)、「生活が困難だから」(35%)があげられた。また、避妊には「反対」と答えた21%のうち、「避妊してもよいと思う場合」に、「母体が健康でない時」(56%)、「経済的に特に困窮している時」(41%)があげられ、「悪質の遺伝のある時」は14%にとどまった。

 特筆すべきは、この調査においては不妊手術や中絶を扱っておらず、「避妊」という受胎調節の行為のみを取り扱っているにも関わらず、反対する声も根強かったことである。また、敗戦後の貧困の中にあって経済的理由による避妊に対する意見は分かれるものの、そもそも優生保護法の中身自体を知らない人も全体の65%を占めており、遺伝性疾患の排除という優生思想はまだ浸透しているとは言えないことが伺える。

 次に1951年に同じく内閣府によって行われた「受胎調節に関する世論調査」(*3)では、「あなたはお腹の子をおろすことは、人間として、悪いことだと思いますか。それとも、親が産みたくなければ、おろしても構わないと思いますか。」という質問に対して、「構わない」と答えているのは19%であった。「悪い」と答えている人のうち、「人間として(道義上罪悪)」だと答えている人は47%であった。また、避妊などの方法で妊娠を調節することを「知っている」と答えた人は64%であり、そのうち、「妊娠調節をすることを余りいいことではないと思いますか。」との質問に対し、「悪いこととは思わない」が48%と最も多く、「いいことではない」と答えた人は15%であった。「妊娠を調節することは、今の日本にとって必要な事だと思いますか。」との質問に対し、「是非必要」「必要」と答えた人は72%であったが、その主な理由は「生活困難」が39%で最多であった。

 この調査では避妊のみならず中絶を取り扱っているが、優生保護法施行後中絶件数が急激に増加している時期でもあり、中絶しても「構わない」と考えている人が少なくないことが分かる。

 このように、優生思想の色の濃かった優生保護法であったが、施行直後には「劣等な遺伝子の排除」というよりも、人口問題や経済上の問題と産児調節を結びつけて捉えることが多かったようである。しかし、その理由に関わらず、欧米よりも20年以上も早く中絶が合法化された日本では、中絶や不妊手術そのものに対する許容意識が、戦後まもなくからすでに形成され始めていたのではないだろうか。

(3)優生保護法改正

 日本が高度経済成長を遂げた1960年代から70年代にかけて、日本の医療技術のレベルも向上し、世界における細胞遺伝学の発展を受けて日本でも羊水穿刺による染色体検査が施行され、胎児診断が可能になった。また、先天異常のマススクリーニング検査も行われるようになり、障害の発生予防が積極的に行われるようになった。この流れと平行して、障害が生じた胎児の選択的中絶も行われるようになり、異常な遺伝子を排除する「優生」という言葉は決してタブーではなかった。障害児は「不幸な」子どもとみなされ、中絶の対象とされたのである。

 こうして人口問題や経済上の理由が中絶の根拠としては徐々に影を潜めてきた中で、優生保護法が安易な中絶を招いているとして、宗教団体の「成長の家」系の議員たちによる優生保護法の改正運動が開始された。1972年、この動きにより政府は、「経済的理由」の削除と「精神的理由」の追加、胎児条項(胎児の障害を中絶の理由として認める規定)の新設を含んだ改正案を提出した。「経済的理由」の削除は、先進国でのウーマン・リブ運動による女性の権利拡大に伴う中絶の合法化の動きとは逆行しており、女性の反対運動の高まりにより廃案となった。また、「胎児条項」に関しても、脳性麻痺患者の会である「青い芝の会」を中心に、障害者の生きる権利を否定するものとした反対運動が展開され、改正案から削除された。

 この経緯の只中の1969年に行われた、内閣府の「産児制限に関する世論調査」(*4)においては、「産児制限をして計画的に子供を作る」という考えに対して、「ぜひそうしたい」と答えたのは69.2%と、「そうは思わない」の20.1%を大きく上回っているが、その理由としては、「生活を向上させたいから」(25.0%)、「母体の健康のため」(21.3%)が順に多く、「生活が困るから」は13.9%であった。また、妊娠中絶について、「絶対許せない」「悪いことだと思う」が合わせて40.2%を占めたものの、「よいことだとは思わないがやむをえない」と答えた人も48.5%を占めた。「絶対許せない」「悪いことだと思う」と答えた理由については、「母体の健康をそこなう」が56.4%と最も多く、「人間性に反する(生命の尊重、かわいそう)」は34.1%と次に多かった。妊娠中絶を認めても良いと思う場合としては、「悪質な遺伝やらい病のおそれのある場合」「母体の健康をいちじるしく害するおそれがある場合」「暴行や脅迫によって妊娠した場合」では8割以上の人が「認めてもよい」と答えていたが、一方で「生活保護を受けなければならないほど貧しい場合」に妊娠中絶を認めてもよいと思う人は52.4%であった。また、「妊娠中絶を少なくするための対策」としては、「正しい受胎調節の知識の普及」をあげた人が73.5%と他の選択肢を大きく上回った。また、「日本で現在のように中絶が多いのはなぜか」という質問に対しては、「親が自分自身の生活を第一に考えるから」をあげた人が41.5%と最も多く、「中絶を制限する法律がゆるやかだから」をあげた人は21.3%で四つの選択肢の中では最も少なかった。

 ここでは、すでに中絶を容認する人がほぼ半数を占めるまでになり、その理由としても「経済的理由」は後退していることが分かる。そして「悪質な遺伝子」を排除する中絶を認めるという認識がほとんどの日本人に行き渡っており、同時に中絶への反対論も「母体の健康を損なう」という理由が「人間性に反する」との理由と同等以上の地位を占めている。また、中絶を減らすための受胎調節は7割以上の人が肯定しており、避妊そのものが議論になっていた戦後の世論調査に比べてさらに中絶を容認する傾向が強まってきている。

(4)母体保護法、そして現在

 1970年代の優生保護法改正の動きは、その後脈々と優生思想に対する批判的な見方を日本社会に広めることとなった。1995年になって優生保護法は、突然母体保護法に改正された。その内容は、以下のとおりである。まず、法律の目的については、

『第一条 この法律は、不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護することを目的とする。』

とし、「不良な子孫」の文字は消えた。また、不妊手術及び人工妊娠中絶に関しても、

『第三条 1 医師は、次の各号の一に該当する者に対して、本人の同意及び配偶者(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同等な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、不妊手術を行うことができる。ただし、未成年者については、この限りでない。
一 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼすおそれのあるもの
二 現に数人の子を有し、かつ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下するおそれのあるもの』
『第十四条 1 都道府県の区域を単位として認定された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの』

と、優生学的な項目はすべて削除された。これまでの改正運動に比べ、衆議院本会議での提出から参議院本会議での可決までわずか5日という早業であった。

 この母体保護法が今日施行されている法律であるが、朝日新聞(2005年4月25日)の紙面では、厚生労働省研究班(主任研究者=佐藤郁夫・自治医大名誉教授)と日本家族計画協会の共同調査において、

『人工中絶について、全体の59.9%が「一定の条件を満たせばやむをえない」とし、「認める」(5.5%)と合わせると65.4%が容認派で、「認めない」の7%を大きく上回った。』

と報じられた。

 また、毎日新聞社が1950年より過去25回に渡って実施してきた「全国家族計画世論調査」(*5)によれば、中絶を「認める」「条件付きで認める」と回答した人の割合は年々増加し、1969年の73%から2000年の83%となっている。

 法律から優生思想に関する記述は姿を消したものの、中絶を容認する考え方そのものはほぼ日本人の大半を占めるまでになり、同時に羊水検査などの出生前診断にて、ダウン症やその他の遺伝性疾患であることが明らかになったとき中絶を行うケースも増えてきている。

3.法制度と国民の価値観

 国民優生法、優生保護法、そして母体保護法への流れと、それに伴う世論調査の変化を見てきた。特に優生思想が強化されたのちの優生保護法は、1996年まで続いてきたわけであるが、まずは、避妊などの受胎調節の議論があり、のちに避妊は常識化して中絶が問題の争点となった。その中絶も容認する考えが徐々に広まってきた。また、そういった産児調節に対する理由付けも、優生を取り巻く社会環境の変化によって、「経済的理由」や人口抑制としての意義よりはむしろ、当初の法律の理念どおり、優生に関する法律として徐々に定着した。母体保護法では優生の概念が削除され、女性の権利の一環としての色合いが濃くなったが、一般的にはむしろ個人の自由意志による選択的中絶は加速しているように思える。こうしてみてみると、戦後から中絶を容認するという基本的な価値観が受け継がれ、その中絶に対する正当性の持たせ方が変化してきているようにも見える。

 ただ、民意が先か、法律が先か、と言われれば、一概に答えることはできないだろう。国民優生法は賛否両論を巻き起こし、多くの議論が行われたうえで作成された法案であったが、戦時下でどの程度国民的議論が行われたかは疑問もある。また、優生保護法案も政府による人口の質の向上という意義はあったが、同時に人口増加に対する国民の懸念も高まっていたし、敗戦後の困窮した社会の中で中絶の合法化が求められてはいた。ただ、優生学的な理由を中絶の理由にすることには、あまり国民の関心が向いていなかった。一方で、後に、この優生保護法案に対する疑問の声が高まってきたのは、障害者団体や女性の権利を求める団体などの運動が功を奏していると言え、その運動が母体保護法につながったことは否定できない。

 いずれにしても、現在の私たちの妊娠中絶に対する価値観に、過去の法律の理念が多大な影響を及ぼしてきたことを否定できないのではないだろうか。

4.終わりに

 歴史観レポートは今回で最終回となる。3回に渡り、日本における社会保障の理念に関わる歴史を見つめ、その周辺のトピックをレポートにした。

 思えば、医学部に入ってからまともに歴史を学ぶ機会を持ってこなかったのだが、「いいくに作ろう鎌倉幕府」といった類の知識を中心とした歴史の学び方ではなく、歴史上の人間や社会の営みから、現代の国のあり方、制度のあり方、社会のあり方等に対する示唆をどのように学び取るかが重要であることに気づかされたのは、はずかしながら政経塾に入ってからであった。特に、政経塾の1年次に、五百旗頭薫先生の政治史の授業を通じて、カタカナや旧漢字の史料や原典を直接読み込んで、その時代背景や社会に関する洞察を行う訓練を受けたことは中でももっとも貴重な時間であったと思う。

 そして、この歴史観レポートの作成作業を通じて、日本社会でひっそりと息づいている「社会的弱者」と呼ばれる人々のこれまでの足跡に気づくことができた。本当の弱者は、社会ですぐには見えない場所にいることが多い。その人々の営みが、歴史の中にうずもれてしまわないように、今後も歴史から学びとっていきたいと思う。

【脚注】
*1)厚生労働省母体保護統計報告 『第5表 年次、年齢階級別不妊手術件数』及び『第8表 妊娠週数、事由、年齢階級別人工妊娠中絶件数』
*2)内閣府『人口問題に対する世論調査』
   http://www8.cao.go.jp/survey/s24/S24-09-24-04.html
*3)内閣府『受胎調節に関する世論調査』
  http://www8.cao.go.jp/survey/s26/S26-12-26-15.html
*4)内閣府『産児制限に関する世論調査』
  http://www8.cao.go.jp/survey/s44/S44-11-44-13.html
*5)毎日新聞人口問題調査会『日本の人口-戦後 50 年の軌跡-全国家族計画世論調査』2000年

【参考文献】
米本昌平+松原洋子+島次郎+市野川容孝 『優生学と人間社会』 講談社現代新書 2000年
藤野豊 『日本ファシズムと優生思想』 かもがわ出版 1998年

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坂野真理の論考

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Mari Sakano

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第26期

坂野 真理

さかの・まり

虹の森クリニック院長/虹の森センターロンドン代表(子どものこころ専門医)

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