論考

Thesis

日本における水事情(2)中国・北京の渇水問題から考える

食や環境の懸念が絶えない、隣国・中国。しかし、本当の危機はそこにはない。水の観点を通じて見た実態中国の問題から、将来における日本の水環境を考える一助としたい。現地の渇水問題に対する他国メディアの報道統制がある中、歴史認識やイデオロギーを超えた、「素直な観点」で現代中国をレポートする。

(「今日は、水も電気も使えません・・・」)

 黄色く褪せた大地に走るハイウェイの傍らに、点々と近代的な建物が広がる。その一つ、「ハンセン国際」の門をくぐり、我々は「第二回済南清掃学習会」の会場に到着した。中国農村部から若者を集めてここで学ばせ、日本をはじめとする他国への中期派遣労働者として研修を受ける女子生徒が真っ赤な作業着に身を包み、入り口で歓待してくれている。日本・中国・台湾の各掃除に学ぶ会参加者が一同に集まり、掃除の会恒例の開会が行われた。その後参加者が混在となって、各フロアのトイレ前に集合。そこでまず目にしたものは、青い巨大なポリバケツであった。

(写真1:水の流れない済南の水洗トイレ掃除)

 「今日は、断水で蛇口から水が出ません。加えて電気も止まってますから。」
冒頭説明を受け、呆然とした。これから素手と素足でトイレ掃除をしようというのに、水が出ないとは…。全都道府県・海外含め125箇所もの「掃除に学ぶ会」が展開されているが、水も電気も止まっている会は初めての経験であるという。何とウンのついてることか。置かれた状況を振り払うかのように、私は明かりと新鮮な空気を取り入れるために窓を全開にし、薄暗いトイレ掃除に取り掛かった。

 中国の古式トイレに初めて入る日本人は、必ず直面することがある。それは、日本と様式が大きく違うことだ。和式の大便器を使用する際に、日本では通常壁側の貯水タンクに向かって(通路や扉に背を向けて)用を足すが、中国では真逆である。場所によっては、扉を設置しないところも実際あり、これから用を足そうと入ってきた人も、今実際に用を足している人もお互いに気まずい空気になりはしないかと心配するのだが、慣れとは恐ろしいものである。さらにもう一つ。それは使用する備え付けのトイレットペーパーは、使用後水に流さず目の前にあるかごに入れる。よほどの高級ホテルならいざ知らず、トイレ掃除の際にもまず最初に片付けるかごには、ご丁寧にも使用済みのちり紙が残されている。中国人は臭覚のつくりが違うのかと疑うところだが、実は切実な事情があってのことなのだという。

 それは、水が十分流れない、ということだ。都市部に至っては水洗トイレが整備されているところも多いが、多くは水量が不十分であり、かつ紙質が粗悪なために詰まりが多く、とても流せないというものであった。

 文化の違いを感じながら、とても掃除のやりがいを与えて頂いたトイレが一皮も二皮も脱皮したように美しくなった頃、著しい経済成長を標榜する裏で、住民生活に水不足が切実に忍び寄る中国の現状につき、改めて考察を深めたいと考えた。

(高度経済成長の実態)

 視察研修に到着した2008年10月8日。米国発の金融不安から同時株安が始まったまさにその時であった。実際滞在期間中、円を現地の元に交換していたのだが、日々レートが大きく変動したのを目の当たりにした。先進諸国は大打撃を受けたこの金融不安の中でも、中国経済は7~8%台の経済成長率を確保するという。10%超という驚異的な近年の水準からは下落が見込まれるものの、全世界的な金融不安、株価下落、企業力低減の危機の中で、相当な潜在的経済力を有しているという他ない。確かに、懸念された北京五輪後の経済力が、一部事象に表層化していることもある。途中同行した日本のスクラップ業管理者が言うには、一トンあたりの鉄スクラップの取引水準が、おおよそ2万5千円程度であった水準が、北京オリンピックを前に7万円台まで高騰し、その後建設ラッシュを境に2万円程度の水準まで低下したという。もちろん鉄スクラップ相場は個々業者間の取引であり全中国経済の姿を示すものではないが、それほどの需要と供給を満たす潜在力があることを感じた。

 それは特に、北京でも済南でも大連でも痛感したことだが、大通りに面した繁華街の外側は、見るからに低所得者層の住居が広がっている。遠目で見た場合、新しげな高層マンションかと思いきや、よく目を凝らして見ると路地は狭く、割れた窓ガラスをビニルでふさぎ、鬱蒼とした森のような住居地が広がっている。ここ30年のトレンドとされてきた安価な労働力を求めた中国労働市場も、実は働き手の保護政策が進んでいる。2008年1月には「労働契約法」が新たに制定され、これまで労働者をある面使い捨てに出来た経営環境から、労働者の給与水準や待遇改善が図られるようになった。これは、安価な労働力を求めて進出してきた外資系企業の労働実態を中国人が知るにつけ、自国民の置かれた環境の不当さを目の当たりにすることで、その矛先が政府に向くことを恐れたためであるという。実際、そうした過酷な生活に警鐘を鳴らすエリート層が、ネット上で共産党体制批判を展開しているという。これまでの統制では有り得ない現象であるという。つまり物品を豊かに購入できるほどの所得を有した住民は、高付加価値のある商品を求め、より快適な生活を求めだす。結果、住民の居住環境はもちろんのこと、公共事業や再開発等の国家的基盤整備が進むことになり、国家的な繁栄に繋がると予測するほうが適当だろう。様々な文化を要する多民族国家であり、領土領民の不安定さを内包する大国ではあるものの、国土と資源を十分に保有することは違いのない事実だ。沸々と湧く民主主義開放の議論ではあるが、当面発展途上国的な中央集権体制が継続されることで国家体制として安定し国力増大の素地があると、痛感させられる状況である。

(写真2:排気スモッグで霞む、済南の居住区と高層ビル)

 中国は今、欧米や日本が数百年かかった近代化を、一挙に数十年で行おうとしている。経済発展の側面に捉われた開発が、国家体制、法的整備をはじめ、環境や国民生活にまで大きな矛盾を生もうとしている。

(大都市・北京の砂漠化危機)

 それほどの経済成長余力と国力増大に対する国民的機運の高まり、またそれらを満たす資源を有している国家において、大きく不足している要素がある。その一つが、水、であると考える。

 済南から北京へ中国式新幹線で3時間半の移動中、目にした大河がある。それは、黄河であった。文明を生み滔々と流れる水流豊かな水脈をイメージしていたが、一瞬で認識を新たにすることになる。鉄橋からみたそれは、名の通り黄色く濁り、淀む泥水のようにさえ見えた。遠くゴビ砂漠に端を発する黄砂の堆積がそうさせている。既に1970年代には黄海まで水が届かない、大河の断水が発生したという。氾濫を防ぐ堤防の内側は広く河川敷のように干上がり、そこにところ狭しと農産物を育てる住民の姿が見えた。水不足の原因、それは(1)環境悪化による砂漠化と、(2)消費量増大、に集約される。水事情レポート1にも示したが、既に中国の一人当たりの水資源量は世界平均の半分程度であり、特に農産物を多く生産する北部では降水量が貧しい。

 まず(1)についてだが、信じがたい事実がすぐに迫っている。
それは、大国の首都・北京に砂漠化の波が押し寄せている、という事実だ。

 北京の北西300キロほどの黄土高原にある山西省大同市が、年々水土流出と旱魃の被害に遭っている。1999年には「建国以来最悪の旱魃」といわれ、全市35万haの耕地の内、20万haで収穫ゼロとなった。また立て続けに2001年にも「100年に一度」と言われる規模の被害が出ている。日本の東北地方と同緯度付近だが、旱魃に加え大陸性の乾燥した空気に晒され、山という山に草木が生えず、黄土色の筆一本で描けそうな無機質な世界が続く。同時に問題なのは、旱魃と合わせるように長雨が続くことだ。土地の保水を失った環境下では、地面に内在する水蒸気が蒸発して雨を降らせる“大気の小循環”が少なくなり、乾燥と降雨のコントラストがより隔てられる。そうしてたまに降る大量の雨が怒濤の流れとなり、乾燥した土を一挙に押し流す。中国では「水土流出」と言うらしいが、流された後には土地が痩せ、草木の生えないエリアが益々拡大しつつある。上記の黄河下流域における黄濁は、そういった土砂が流出している結果なのだ。降水量の減少だけが砂漠化ではなく、保水できる環境の消失自体が、たまに降る貴重な雨さえも砂漠化を加速させる要因となる。

 なぜこの悪循環に至ったのか。それは(2)の消費量増大とも綿密に関連性を持つ。つまり首都圏の人口増大が、食糧生産地である中国北部の環境変化を生んでいる。つまり、内外需要の高まりから耕作地拡大を求めて森林を破壊する。結果、一時的な耕作地は増加するものの水の涵養力が低下し、また植生の弱体化を生む。それが土壌の劣化を生み、目的とした農産物の生産力が低下につながる。

 中国は今、伝統的な自給自足の農村、辺境生活を離れ、出稼ぎに都市部に人口が集中しようとしている。土地の劣化で農業を離れ、賃金と労働の場を求めて都市部に流入する。また労働者保護政策によって所得や生活水準が高まることで都市開発が進み、更に都市部の人口を増大させることで、生活に必要な都市部の食糧や水需要が高まる。結果、内陸部の農地化が引き起こす砂漠化の進展と共に河川の水量が減少、益々都市生活への水不足懸念が高まる、という図式なのだ。

(北京・水と共生した時代)

 しかし歴史を紐解くと、中国は森に覆われた水資源豊かな地域であったに違いない。

 現地の人にお話を伺うと、北京の都市は運河を張り巡らした都市であったという。北京がはじめて首都となったのは遼代。今から1000数10年以上も過去に遡る。それ以来、契丹、女真、モンゴル、漢、満州から現代に至るまで、北京の発達史全般を通じて、統治者たちは常に水資源の確保に努めてきた。北京という地は、元々海がこの地域から後退したときに取り残された湿地帯であったらしく、幾筋もの河が豊かに流れていた。北京の観光スポットである昆明湖や北海公園などはそれらを上手く活用したものであり、龍泉古刹、釣突泉などの公園では今も池の水面以上に湧き出すほどの地下水脈をで市民が憩う姿を目にする。

 かつては石造りの送水路を利用して西山の泉水と、北部にある白浮堰から水が吸い上げられ首都に運ばれた。泉水は珍重され、泉のそばに寺院や皇室の野営地などが築かれた。中国の地図上でよく目にする「胡同hutong」という語、つまり小路・裏通りは、モンゴル語で「井戸hotlog」に由来すると言われるくらい、水と生活が豊かに密着したものだった。

 しかしながら首都遷都に伴い過剰な開発と爆発的な人口増加が、歴史的に見ても北京の水を取り巻く環境を危機的なものにしている。千年前、北京一帯は青々と茂った森林であったという。金から元の首都建設のために、広域にわたって首都周辺から大規模な伐採が行われ、結果北京の気候と水資源に深刻な影響を及ぼしたという。深い地下水脈は、数世紀に渡って水を供給し続けてきたが、今や北京はおろか上海でも地盤沈下が起こるほど、地下水面は沈下している。それでも水量を確保するために、北京市街北西遠く河北省から流れる氷定河から運河を建設し、堀に水を導き、また水運として物流手段の一助とした。雨乞いは皇帝にとっての公務の一つであり、干ばつに際しては高貴の人々が画眉山上の貴重な水源近くにある龍王廟を訪れた。15世紀末に建造されたこの廟は、数世紀に渡って皇室の庇護を受けるものである。

 中国では龍が雲を起こし、恵みの雨をもたらす神であり、雨乞いの対象とされる。龍は水のシンボルともいわれ、人々のみならず総ての生き物にとって死活問題である海や河川の支配者として自在に操り水や雨を呼び起こし、さらには洪水の原因となると考えられている。そのため龍を敬い、崇めるのである。仏教では龍王を祀る王廟をつくり供物を供え、ヒンズー教や密教にも雨乞いが行われているが、中国においても古くから農民によって龍の踊りや呪文を唱えることで雨を祈願したという。乾いた土に水をかけその泥で龍型をつくり、その土龍に降雨を祈り、唐の玄宗皇帝は大干魃時に、龍だけを描いている絵描きに龍を描かせ雨乞いをしたと伝えられる。

 また中国各地で龍に関する行事が行われ、一年を通してみることができる。旧暦一月龍灯、旧暦二月龍抬頭、旧暦五月分龍節、雲南省では旧暦五月に龍王を祭って供物を捧げ、旧暦七月には龍母の昇天を、旧暦の八月には龍公の昇天を見送る。ラオス、タイ同様に、中国の大河でも夏の始まる頃に龍頭祭が催される。

 そうした過去からの長い歴史と信仰、物心両面の工夫を重ねて、今日の中国が成り立っている。物理的にも都心から100~200キロの距離をも、いくつもの引水導によって満たし、存続させてきた。

 そうした工夫の先にある現代に、地球を切り刻むかのような、更に大規模な灌漑工事が行われている。

 その巨大プロジェクトの名は、「南水北調」プロジェクトという。
2008年9月18日、北京の南300キロほどもある石家荘市から水路が開かれ、北京の頥和園にある団城湖におよそ一ヶ月かけて到着したという。その規模、2009年3月初旬までに3億立方mの水が送られる計画というが、実際には長距離の流れの中で移動していくため蒸発や浸透もあり、最終的には2億立方m少々が北京に到着するという。それほどのロスをかけて、掘り進めた人工の河によって導引するというのだ。現地中国の報道では、10月1日の国慶節を祈念して「豊かな南部の水を、水の貧しい北京に送る」との見出しをつけたというが、実際には送水源である石家荘市もその途中の保定市も北京と同様、またそれ以上に水不足が深刻なのであるという。また水危機を国内外に公にしない意図があるのか、その多くは報道規制をなされているという。全土的に不足している水を他地域から引く交渉は、一党独裁国家といえども国と地方の厳しい交渉過程があったのだろう。地形的にも途中には高低差があり、何箇所もポンプで水を汲み上げねばならず、またそもそも引導工事の距離を考えても相当コストの高い水といわざるを得ない。日本でいうならば、東京の水を仙台から引くための人工河川を作るようなものだ。国土にも住民感情にも傷をつけて粛々と進められる大プロジェクト。それほど手元の水源確保が喫緊の課題なのだ。

 しかし、冷静に事の本質を考えた場合、水を導いてくれば解決するものであろうか。水事情1で述べたように、地球という閉鎖された器の中で、水を循環し、利用している。であるならば、循環を促進する方法を考えねば、300キロという途方もない長距離を離れた環境から引導することは、まったく循環の環に強化するどころか、流れるプールに穴を開けるようなものである。自然の姿とは高低のままに流れ、また蓄えられ、蒸発し、雲を形成し、降り注ぎ、また流れる。そうした循環の一部を活用することで人間の営みが成り立つものであろう。少し考えると何とも矛盾だらけの中国の水環境と対策である。

 そこで問題の表層を探ればいくらでもある北京の水環境は一先ず置き、今度は北京に注ぐ河の上流に向かい調査することにした。

(汚染された砂上の楼閣・北京)

 向かう先は、北京の水源である。
大都市の水を賄うダムは、官庁ダムと密雲ダムの二つである。
しかし現在においては既に、水量が減少し、水質が悪化して直接上水道には使えない状況も出ているという。

 北京西駅から一路、山西省大同を目指す。「硬座快速臥」という3段ベッド式向かい合わせの寝台特急で、片道6時間半という行程である。幸いに午前出発便であり、行程の地形、環境が手に取るように見える。そこで目にしたのは廃墟同然の村跡と、ところどころに明らかに人工的に植林されたであろう、木が点々としているのであった。

 木が生えていないため、山の稜線は空とくっきりと切り離され、黄土の大地へと続いている。その大地には、山のふもとから連なる巨大な溝が、豊富な水の痕跡を示す意思があるかのように刻まれている。この路線で幸いなのは、黄土高原を横断するルートにある。その途中にまるで米国のグランドキャニオンを彷彿とさせる幅数百メートル、底までの高さ数十メートルの“河の痕跡”が人類の消えた後の世界のように無数に広がっているのだ。もちろん、そこにはまったく水は流れていない。

(写真3:列車から見る黄土高原の水流の痕跡)

 辛うじてこの地区が生き残っているのは、炭鉱や鉄鉱石の産地だからという。炭鉱といっても日本のそれとは大きく異なり、土地を穿って石炭を掘り出す作業である。汽車で走っていても、赤い国旗が掲げられた平地の作業所を目にする。また貨車に何十両も連なって石炭が運ばれている情景を目にする。中国の石炭産出量の4分の1は山西省から出ているのだ。地域を支えるその石炭産業でさえ、水の汚染に“一役買って”いる。要はその国営による地下資源の乱開発が土石流となり、二つの村が埋もれるほどの大災害を起こした、というのだ。更に引き起こしたのは土石流のみならず、掘り起こした鉱石を貴重な資源である谷川の水で洗うという。そうした真茶色に染まった汚染水が、日本や海外に輸出される穀物栽培の畑に引かれている。食の安全性云々の問題ではなく、そもそもモノを育てる環境にさえない。そうした状況を踏まえると、北京に流れ込んだ水を引く水道水は、飲めたものでないことがお分かりであろう。

(北京を支える一つの水瓶)

 中国人の友人に親戚の学生さんを一日雇ってもらい、日本人は誰も踏み込まないであろう北京の水瓶・官庁ダムをレンタカーで訪れた。それは、平地に出来た水溜りのような地形をしており、日本のダムのイメージを一変させる。もちろん規模は見渡すほどの広さで存在するのだが、やはりここも水位が大幅に低下しているという。風化で崩壊しつつある明時代の土製万里の長城に上ってその全景を見渡すに至ったが、河の途中にある深溜まりのような水源から北京までの長距離を水が移動したところで、水量は知れているとしか思えない。加えて、この地区自体が水の不足が著しいだけに、黄河下流域と同様に、ここでも水辺にはギリギリまで農作地として田園が広がっていた。見る限りその大半はトウモロコシであった。食すためではなく、貨幣を稼ぐ手段として農があり、それらを安価に手に入れる日本の側面もある。考えて見れば、中国の水を上流で飲み干しているのは、日本人であるかも知れないと感じた。

(写真4:明代の万里長城から眺める、首都北京の水瓶・官庁ダム)

 そのような中、北京の水源地区・大同市で植樹活動をなさる日本人がいらっしゃる。NPO法人緑の地球ネットワーク事務局長の高見邦雄さんだ。

 大同市で農村緑化を始めて16年。中国の現地メディアにも再三登場するというが、その活動は極めて地味であるも、大きな意義を持っていると考える。

 世界遺産にも登録された、無数の石仏がある雲岡石窟の周辺はまさに大同市にあたるが、その周辺の山々には、目にも鮮やかな緑色を目にする。その総植樹面積は85haというから日本の国土比では相当な広さを感じざるを得ないが、国土と河の流域を考えた場合、ほんの一部であるという。

 しかしこうした地道な活動こそが、中国の環境を下支えし、北京の潤す一助となり、ひいては日本を含む国々へ供給する穀物の粒一つひとつとなっているのだろう。遠大な循環ではあるものの、人間の叡智とは巨大な動力を動員して地を穿つのみならず、その土地本来の生命力を戻すことにあるのではないかと強く感じさせられた。

 本来求むるべきダムとは、土木事業のみならず、自然の循環に即した活動が人々に広まってこそ、上流下流の人をつなげ、ムダな水利用や有難さを受け入れる心のダムなのではなかろうか。

(渇水危機を助長する水管理における問題整理)

 本稿においては、通常の観光旅行では行くことのない、貴重な視察研修の機会を得ることが出来た結果、前稿の世界全般の水危機から一歩踏み込み、一国の水事情にクローズアップし、考察を深められたと考えている。次項はいよいよ日本の水事情を踏まえた将来の水環境のあり方を考えることとしたいが、その前に渇水を引き起こす現場を踏まえ、それらの問題点の切り口を以下に示しておきたい。

<問題整理の観点>

(1)公共管理のあり方
(2)長期的な目測
(3)自然の循環に即す

 (1)は、エリアを考えた場合、河川という広域に関わる問題であることを改めて認識せねばいけない。中国の場合流域が大陸をまたがるほどの規模がある。反面、日本のそれは、自治体間の連携により解決策を見出すことが出来る。流域各地区の経済ベースに委ねて目先の水を見るのではなく、官だけでも民だけでもない公共の目線を養いたい。切り口は、河川の管理所管、農業・林業・水産業・工業・そして住民生活の調和を図ることの出来る管理手法が求められる。

 (2)は、長期的な目測に基づく計画のあり方である。豊かな森と水で潤っていた中国の首都が数世紀の間に砂漠化の危機に晒されている。これは単に地球規模の温暖化の影響であると、責任放棄をしてしまってはならない。ある指標によれば、そうした気候の大循環の影響もあり、日本の平均気温は益々上昇するという。そうした際に起こりうる洪水、少雨、渇水に対応しうるビジョンが必要であろう。また流域周辺の人口動態や将来像を踏まえた上で公共投資も必要なところに配分せねばならない。また同時に、計画段階から周辺環境の経年変化にも、改廃・変更など柔軟に対応していく姿勢も必要となる。

 (3)については、人間の力技に頼り過ぎない観点が必要だ。まさに自然の循環に即した水環境と住民の共存スタイルを考えねばならない。一度枯れた土地にはすぐに自然の森は戻らない。100年200年スパンの循環の第一歩を考えねばならない。また同時にエネルギー循環も含めた、自然の活力を生かす方策も検討せねばいけない。自然エネルギーの活用を含めた環境整備が必要であろう。

 これらは、日本の水事情を考える際に深い示唆を与えてくれるものと考えている。

 水一滴の循環を現地現場で考察する作業は、実は人間そのものの営みを考える作業に近いのかも知れない。

 数世紀後にも継続して、そして当たり前のように人類の営みが続けられる思考と取組が必要だ。真の物心両面の繁栄を成し遂げる為にも、目先の利害にとらわれない取り組みが、「水」を中核として求められているのかもしれない。

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中西祐介の論考

Thesis

Yusuke Nakanishi

中西祐介

第28期

中西 祐介

なかにし・ゆうすけ

参議院議員/徳島・高知選挙区/自民党

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