論考

Thesis

ポスト成長時代におけるロボット共生の理念 後編

前編では、科学革命の延長線上でのロボットではなく、第六の革命である人間革命としてのロボットであるという考え方について示した。後編では、ロボット共生社会の方向性と、ロボット共生によって目指す社会像について述べたいと思う。

>>前編 1.はじめに

4.ポスト成長時代におけるロボット共生社会の方向性

4-1.ロボット活用の肯定否定の二元論ではなく「共生」へ

 前章では、科学革命の延長線上でのロボットではなく、第六の革命である人間革命としてのロボットであるという考え方について示した。本章では、人間革命の道具立てとしてのロボットは、人間とどのような関係性であるか、ということについて述べたいと思う。

 技術は、社会を便利にしてきた。真夏の暑い日には、冷蔵庫で冷やされたビールを飲み、冷房のかかった部屋でのんびり本を読んでいられるのは、先人たちが必死に知恵を振り絞って人類が獲得してきた技術の蓄積と応用なのである。また、それにより日々の経済活動が営まれ、雇用が創出されているのが現状である。一方で、技術が社会課題を解決してくれる、という人間のおごりがあるのも現状ではないだろうか。つまり、技術が無作為に進歩発展をとげていく一方、それの活用の仕方を誤って、人々は不幸に陥る場合も少なくないのである。

 ここで技術のあり方を考える上で、哲学者・木田元氏の言葉を引用したい。

 「人間の理性が技術をつくったというのは実は間違いで、技術というものはもっと古い起源をもつ。したがって、人間が理性によって技術をコントロールできるというのはとんでもない思い上がりではないか。」[8]

 技術者として夢を抱き、技術で社会を創造したいという願う研究者や技術者には、技術を否定的にとらえた見方としてうつるかもしれない。ここで私が申し上げたいのは、技術はときとして研究者や技術者が意図していない、思わぬかたちで使われることがあり、それは経済成長優先などという社会システムや思想の影響を多分に受けることがあるのである。そのように考えると、木田氏の言葉から私が連想するのは、高度経済成長期の水俣病問題であり、福島の原発事故のことである。つまるところ、技術は両刃の剣であるということを、歴史の教訓として私たちは自覚すべきなのだと思う。

 一方、あらゆる技術を否定的にとらえることも現実的ではない。確かに、技術が進歩発展していなかった時代にも人間は生きていたし、そのような時代においても豊かさを享受することはできた。しかし、技術を放棄することで、社会を変革するシナリオは現実的ではない。これは、私自身の人間観にも基づくものである。それは、人間は生まれながらにして好奇心を抱く存在であり、好奇心を適度に満たして生きていくことが幸福であるという人間観である技術を放棄するためにこのような好奇心を抑え込むということは誤った選択であり、むしろ、この自然にそなわった好奇心を育て、私たちの願う社会を創造するために好奇心を働かせ、常に生成発展の大業を歩んでいく人間の使命であり、それは人間の本質とも言えるであろう。

 上記のような考え方から、私は、技術の積極的活用でも、放棄でもなく、「共生」への道を歩んでいくことが肝要であると考えている。人間のための技術として、共生していくという考え方である。シューマッハの言葉を借りれば、「身の丈にあったテクノロジー」[9]であり、このような技術のあり方は、適正技術としても世界的に研究がなされている。技術革新の加速にともなって技術の適正性を熟議することは必要なことではなかろうか。成長戦略の一環として、ロボットが注目される以上、これは経済的な効果の評価がなされる。しかし、ロボット共生という考え方は、人間とロボットのあり方から根本的に考え、あらためて人間の幸せのための技術の活用という視点から出発している。繰り返しになるが、ロボットを人間の身の丈にあわせた活用をしていくことが、私が考えるポスト成長時代のロボット共生にこめた思いであり、文明の変換期にある時代においてこの考え方は受け入れられると私は信じている。

4-2.方向性と具体的なイメージ

 ポスト成長時代のロボット共生社会の方向性を大きく三つ示したいと考えている。それは、①過剰の抑制、②富の再分配、③コミュニティー経済である。これは、広井良典教授が示している考え方である[10]が、この考え方にロボット共生の理念をあてはめて論じてみたい。

ロボット共生による「過剰の抑制」

 まず、過剰の抑制について述べたいと思う。過剰である事柄は、さまざま考えらえるが、本レポートでは、働き過ぎの過剰と資源の使い過ぎの過剰について述べたいと思う。

 働き過ぎの過剰は、安倍内閣が進めている働き方改革とも関係が深い[11]。現状、人手不足の業界は多く存在しており、働き過ぎであるがために心身が疲弊し、精神的な病にかかり、職場を離脱せざるを得ない人も多い。そこで、働き方とロボット共生を結び付けて考えて、活路を見出していくことは有用なことである。しかし、現状ロボットが、人間と同じように機転をきかせたり、判断をして働くということは、現時点技術的なハードルはきわめて高いと言える。

 ロボット共生を考える上では、何のためのロボットか、という議論が最も肝要である。すなわち、人間が働く行為を要素分解することで、それら分解された行為をロボットに置き換えることが、適切なのかどうかという議論から始まり、その上で、技術的に可能かどうかの目利きが求められる。

 ロボットは使いようであり、ロボットであることの強みや持ち味を生かすという視点は、ロボット共生社会において大切なことである。ロボットを使う状況や使い方によっても特徴はさまざまであるが、一般的に言ってロボットには以下のような特徴がある。

①    ロボットは、人間にとって危険な環境でも作業できる

②    ロボットは、人間が抱く個別的な感情を抱かない

③    ロボットは、一度作業を確立すれば、作業の質にばらつきが少ない

④    ロボットは、連続的な作業が可能で、働く時間帯を選ばない

 既にこのような考え方で、製造現場では製造業向けロボットは活用され、職場の安全環境の改善や、作業効率の向上などの効果が認められてきた。

ここで紹介したいのは、介護向けロボットの例である。介護向けロボットにも、さまざまな考え方があるが、ここで紹介したいのは、あくまで被介護者の自立支援のためのロボットである。

 国立研究開発法人日本研究機構は、高齢者の自立支援・介護者の負担軽減を目的として、2013年度から5年計画でロボット介護機器開発・導入促進プロジェクトを実施している。プロジェクトの重点分野の対象として、8つの分野で、開発がすすめられている[12][13]。この8分野について簡単に述べるが、移乗介護機器は、高齢者を移乗するときのパワーアシストをする装着型のロボットである。移動支援機器(屋外型)は、高齢者の外出をサポートし、使用者が一人で用いる手押し車型のロボットである。また、移動支援機器(屋内型)は、屋内でトイレへの往復や立ち座りをサポートするロボットである。見守り支援機器(介護施設用)は、介護施設内でセンサーやネットワークを利用することで、見守り支援をするロボットである。また、見守り支援機器(在宅用)は、在宅介護を場所として想定し、転倒などの緊急時の対応を行う。排泄支援機器は、排せつ物の処理を行うロボットで、入浴支援機器は、浴室から浴槽への出入り動作、浴槽をまたぎ湯船につかるまでの一連の動作を支援するロボットである。製品化されて市場に投入されているものも多くあり、実証が進んでいる。

 ここで強調したいのは、介護ロボットが導入されることで、介護の本質である人と人との心の通い合いのケアのための時間をつくることができるという点である。つまり、単に介護という動作を行うロボットをデザインするのではなく、人と人との関係性、あるいは、人とロボットの関係性をデザインするという志向である。ロボットや機械から連冷たいイメージが連想され、誤解を招きやすいのではあるが、身体的な労働の過剰を抑制しつつ、心のケアを増大させるという発想は、ロボット共生の理念を体現するかたちである。しかし、介護業界の現場でロボットを活用していくためには、ロボット業界と介護業界の有識者が建設的な議論を進めていく必要がある。現時点では、介護ロボットの現場での活用においては課題も多いのが現状である。具体的にはロボットの安全基準であったり、ロボットの活用による効果の有無も含めて、評価が必要な段階にある。業界が異なれば、考え方も異なるのであらためて、何のためのロボットか、という議論から行っていく必要性を感じている。

 これと同様の考え方であるが、旅館・加賀屋を紹介したい。加賀屋女将 小田真弓氏は、ロボット革命実現会議の構成メンバーでもある。構成メンバーはロボット開発を行うロボットメーカーが大半であるが、小田氏のようにロボットを活用する側もメンバーも含まれている。さきほど述べた介護ロボットとも同じような発想で、ロボットに任せられる労働を抑制することで、人と人のつながりを重視しておもてなしができるという考え方である。具体的には、調理場から、客室がある各フロアの配膳室まで料理を運ぶ自動搬送システムという機械をバックヤードに導入することによって、客室係が料理を運ぶ手間を大幅に減らすことができた。結果として、お客様と会話をするなど接する時間を増やすことができ、心と心の通い合いとしてのおもてなしをすることができるようになった。

このような考え方は、製造業で、製造現場のカイゼン活動を通して、営業やマーケティングの時間を捻出するという実践されていることである。サービス産業などの他の産業まで展開していき、なおかつ、お互いの心と心の通い合いを楽しみ、時間をかけることができる姿を、ロボット共生によって目指すのである。ロボット共生することで、現場の物理的な肉体労働の現場に、余力をもたらすことで、人と人とがつながることが実現できた最たる例であると私は考えている。

 次に、資源使い過ぎの抑制について述べる。石油資源が枯渇すると言われて月日が長く経過する。昨今、新しいエネルギー源として自然エネルギーが注目されて、太陽光パネルや風車を目にする機会が多くなった。それでも、日本の自然エネルギーの発電量が占める割合は、ドイツに比べてごくわずかであり、原子力発電の稼働をめぐって議論がつきないという状態である。

 自然エネルギーとIoTプラットフォームは、環境に対して優しいという考え方だけでなく、長期的な視点および経営的な観点から見ても、劇的なコスト減となる。つまり、何年か先近い将来、家を空調管理し、家電製品を動かし日々の生活を営み、車を走らせ職場の機器を動かし、世界の経済を動かしていく上で、エネルギーの大部分がほぼ無料に近くなる時代が訪れるのである[14]。

 限界費用がほぼ無料になった社会は、自然エネルギーによる恩恵をシェアするという発想が必要となる。と同時に、必要な資源を必要なだけ利用するという発想で可能になる社会システムであり、逆に過剰な資源利用を抑制するという社会システムである。つまり、資源の過剰利用の抑制という方向にシフトするということである。

 そのような社会を目指していくためには、ドイツの取り組みは参考になると考えている。1999年に行ったエコロジー税制改革と呼ばれる政策は、労働生産性から環境効率性へという方向を税制の中にインセンティブとして組み込むという制度改革であった。つまり、人をどんどん使い、逆に資源を節約するという経済のあり方を目指すというコンセプトである。これは社会としての一歩進んだ理念であると私は考え、なおかつこの一歩進んだ理念を示していくことが政治の役割であると私は考えている。

ロボット共生とセットで考える「富の再分配」

 次に、富の再分配について述べたい。ロボットを含めた技術のあり方を考える上で、格差との関係については、考察が必須であろう。技術が次々の応用され、大量生産大量消費の時代を迎えるにあたり、資本集約的になってきたと言える。かつて、世界商品として世界を席巻した砂糖を生産するために、プランテーションで奴隷として働かされた人たちがいたように[15]、大量生産大量消費の社会は、格差を生み、貧しい国をなお貧しくするシステムとなっていると言える。したがって、技術を進歩発展させることで、効率化、最適化を図るという性質は、格差の拡大と無縁とはいいがたい。野宿者ネットワーク代表の生田武志氏は、「ここ20年で、野宿者は劇的に増え、なおかつ、女性や若い人の割合が高まってきた」[16]と指摘する。もちろん安易に技術革新と格差貧困の社会問題を結び付けて論じることは正しくないし、誤解を招く可能性もあるが、社会は必ずすべてつながっているので、このような社会の仕組みを作ったひとつの要因は、技術革新により生産性を向上させ続けなければ立ち行かなくなるという社会システムにあると述べることは、そう的外れではないのだと考える。しかし、だからといって、技術を放棄することも、技術の本質が埋め込まれたシステムを放棄することも、現実的ではない。

 それゆえに、ロボット共生と「富の再配分」はセットで考えることが肝要であるというのが私の考え方である。技術の進歩発展にともなって、働き方が変容するにつれ、セーフティーネットとして富の再分配が行われることが、政治の役割として求められるのである。

社会課題を解決することを主目的とするビジネス、すなわち、ソーシャルビジネスも多く出てきている。バングラディッシュのノーベル平和賞受賞者・ムハマド・ユヌス博士は、ソーシャルビジネスによって、世界から貧困を撲滅するという理念を掲げている。また、松下幸之助塾主は、天理教の総本山にて経営の要諦を悟った命知元年において、産業人の真使命は貧困の撲滅である旨を、松下電器産業(現パナソニック)の目的として、経営を行ってきたと言える。また、近江商人の昔ながらの商売には、三方よし(売り手よし、買い手よし、世間良し)といった考え方もあるように、社会のためにビジネスが存在するという考え方は日本においてきわめて親和性が高いと言えるであろう。これから、営利目的のビジネスではなく、貧困撲滅、および格差是正のような社会課題解決するソーシャルビジネスが多く生まれてくるとことが求められるし、それを社会が支えていくことも必要なこととなる。

 また、富の再分配を目指したロボット共生を考える上で、「生産性」に対する考え方を再考することも求められる。従来は、人手を減らして、大量の資源を投入して、効率的により多く価値を生み出すことが、生産性が高いとされてきた。しかし、ポスト成長時代においては、人手がむしろ余り、なおかつ資源も枯渇が懸念されているという社会である。ゆえに、むしろ人手は積極的に使い、資源を最小で抑える取り組みこそが生産性が高い活動であるという風に、生産性の定義を変えていくことが必要になろう。これは、つまるところ、労働生産性から環境効率性へシフトさせていくことである。

 過剰の抑制で述べたように、自然エネルギーとIoTプラットフォームで、トータルで見る効率性が極限まで高められた社会を目指すとすると、そのような社会を構築していくためには労働集約的な作業は山のようにあるというのが私の考えである。このような分野に、雇用を創出し、積極的に人を使っていくことができれば、人手を多く使い、使う資源を減らす、ことができる。前述したように、ドイツにおける税制改革は、ひとつの参考材料になると考えている。

 また、ロボット共生社会は、社会全体の仕事の絶対量が減少することで、一人当たりの仕事量を減少させることも、政治の役割として必要であろう。すなわち、一日の勤務時間を6時間、4時間などに減少させて、仕事をシェアしていくことも必要であろう。

 あるいは、ベーシックインカムを取り入れることも一案である。もちろん財源などの課題があるものの、ベーシックインカムはすべての人に最低限の文化的な生活をするための所得を給付する、漏れのないセーフティネットとして有用である[17][18]。もちろん、貧困は所得の問題だけでなく、教育、家庭内暴力、児童虐待などの複雑な問題をはらんだ社会問題であることは重々承知しているが、ロボット共生社会を実現する上で、仕事がなくなり、所得不足の人が多数あらわれる可能性があるという観点では、ベーシックインカムは有用に機能すると私は考えている。

 ロボットを作り人も使う人も、誰も人を不幸にしたいとは思っていない。よりよい社会をつくるために、ロボット技術を含む技術革新を生かし、社会システムを改革することが、政治の役割であると私は考えている。

ロボット共生は「コミュニティー経済」のもとに

 最後に、コミュニティー経済について述べる。コミュニティー経済は、コミュニティーと経済を新しい形で結びつけるという考え方ないしコンセプトである。コミュニティーと経済を現代社会の新たなニーズに合わせて再び結び付け、ローカルな地域を出発点に人・もの・金がうまく循環し、そこにコミュニティー的な紐帯や雇用も生まれ、かつまた若者や高齢者など様々な世代が包摂されてるような地域・社会を構築していくということが、コミュニティー経済の基本的な枠組みや意義であると言える。広井良典教授は、コミュニティー経済の柱を次の四つを述べている[19]。それは、①経済の地域内循環、②生産のコミュニティと生活のコミュニティの再融合、③経済が本来もっていたコミュニティ的(相互扶助的)性格の再評価、④有限性の中での生産性概念の再定義である。これらのコミュニティー経済のコンセプトとロボット共生の関係性について、ドイツのインダストリー4.0と、ロボットづくりとコミュニティーづくりについて論じたいと思う。

 ドイツが打ち出したコンセプトとしてインダストリー4.0が注目されている。日本でも第四次産業革命という言葉も、日ごろ新聞やテレビで耳にしない日がないほどである。インダストリー4.0の初期のコンセプトをみると、世界中の工場内の機械設備および製品をスマート化し、それらをインターネットに接続してすべての機械設備、製品および人との間で、いつでもどこでも誰とでもコミュニケーションできる技術を実用化するという意味で使われていた。しかし、実際に具体的な課題の検討がはじまり、何ができるようになるのかという議論においては、工程を最適化して生産性をあげるということ、自社が顧客に販売した製品に取り付けた大量のセンサーから収集するビッグデータを解析し、新しいサービスを提供することで企業の売り上げを伸ばすことと言えるであろう。もちろんインダストリー4.0も模索の状態であり、これからどのように革新を経ていくか目が離せないところである。

インダストリー4.0は、工場をロボット化する技術的な取り組みとしてだけではなく、ドイツの産業構造や社会背景、また、働くことに対する考え方や文化など包括的にとらえ、ドイツの国家戦略のうちの一つとしてとらえることが肝要であると私は考えている。具体的には、ドイツは、中小企業の国際競争力が高いことで知られている。ドイツの中小企業の特徴は、海外志向が強い、全国各地に点在している、ROAが高い、家族経営や同族経営が多い等があげられる。ドイツの強い経済力は、強い中小企業があってこそのものである。したがって、インダストリー4.0は、中小企業をいかに取り込むことが必須の要件となっている。インダストリー4.0は、これらの中小企業の国際競争力をさらに高めることになるだろうと、ドイツ工学アカデミーは主張している[20]。しかし、現時点では、中小企業への普及は多くの課題があり、これからとの見方が強いが、インダストリー4.0の発想はローカルな経済循環が基本的な考え方の出発点にあるのである。

 製造現場において、ロボット化およびネットワーク化によるカイゼン活動は、日本のお家芸であり、業界によっては、工場は既に無人化が進められている。しかし、ここで強調したいのは、インダストリー4.0の本質は、製造現場だけでなくホワイトカラーの生産性を高めることである。ドイツ人の働き方は、常に創造的な仕事や頭で考える仕事に時間を割くかという発想を持っており、したがって、就業時間内に自分の仕事をどうすれば終わらせられるか、という発想がある。このような考え方と、インダストリー4.0の考え方はとても合致するのであろう。つまり、インダストリー4.0の発想は、働き方の意識とセットなのであろう。ドイツのインダストリー4.0は現時点では、構想の段階にとどまっており、現実的に社会実装していくためには課題も多く、実現は簡単ではないものの、ロボット共生の社会を考える上で、ローカル経済という視点、働き方改革という視点は、大いに学ぶべき点があると考える。

 次に、ロボットづくりとコミュニティーについて述べる。

 昨今注目を集めているファブラボは、3Dプリンターやレーザーカッターなどものづくりのための先端機器を設置し、誰でもものづくりのアイデアや興味があれば、利用してものづくりを楽しむことができるコミュニティースペースである。ものづくりの技術が発展することで、誰もが気軽にものづくりに携わることができるようになることで、生産のコミュニティーに帰属することができるために、これをものづくりの民主化、と呼ぶ人もいるようである[21]。誰もが簡単にものづくりを楽しめるようになることの本質は、生産者と消費者が一体になるということである。これは、これまでの民間企業が行っているマーケティングのあり方などを根本的に変えてしまう可能性があると言っても過言ではないであろう。また、ファブラボの機能として注目したいのは、ものづくりを通して人と人がつながるということである。ものづくりという共通の目的があり、ファブラボという交流空間に集うことによって、弱い紐帯による新たなコミュニティーが形成されるという観点は、コミュニティー経済の中心拠点として、ファブラボが注目される可能性を示唆していると私は考えている。

 経済産業省「新産業構造ビジョン」[22]に記されているが、これからの日本は、ロボットに仕事が部分的に代替していくことで、人間はより高度な仕事をする必要が出てくる。この高度な仕事という表現は、やや堅苦しく難しそうなものに思えるが、新しい価値創造のために時間を費やすということである。これのための第一歩目は、つまり、シュンペーターがイノベーションは新結合であると定義したように、異業種がつながって、同様のコンセプトを打ち出していくことに他ならない。だから、プログラミングをばりばりする若者も、伝統的なものづくりに携わる職人の方も、子育てに忙しい母親も、少し体力の衰えを感じる高齢者も、ファブラボのような交流の場を拠点とすることで、皆が生産者であり、イノベーションの担い手になるのである。このような考え方は、いまはイノベーション創出をしたいと考える企業の多くが取り組んでいることである。パナソニック株式会社本社にあるWonder lab Osakaは、異業種の方々との交流の場である。新たな出会いが新たなアイデアを生むことで、新商品を生み出すことのきっかけづくりをすることが狙いである。多くの研究者や技術者は、社内での商品開発の業務の中で、何かを変えなければ革新的なアイデアやヒット商品は生まれないという危機感を持っている。異業種の方と垣根をこえてオープンな交流な場によって、新しい付加価値を生むための仕掛けをつくることは、さまざまな業界でチャレンジがなされている。

 ロボット共生社会を支えるロボット技術者はこれまでよりも豊富に必要であるが、ファブラボは、子供、家族向けの教育環境とすることにも一役買えると私は考えている。ロボット教材などを使ったものづくりを通して、子供たちの好奇心を刺激し、自分でものをつくる喜びを感じることで、学校での勉強が生かされ、学びに実りがでるという相乗効果が得られる拠点となりうる。ロボット教材を使った教育は、既に多く取り組まれていることであるが、大阪の株式会社ダイセン電子工業は、毎週土曜日に、子供たちがロボットをつくり、動かす学びの場を提供している。ここに、大人の技術者が常駐し、子供たちの質問に答えたり、直面する課題に対して共に考える。ロボットを通して、人間教育が行われている好例であると言えよう。また、ロボットコンテストのように、子供たちが知恵を振り絞って作ったロボットを競い合わせる大会が営まれ、このようなコンテストを通じたコミュニティーによる教育がなされている。ロボカップジュニアの大会では、子供たちが好奇心をむき出しにして、ロボットを自ら作り、動かし、競い合わせる姿は大変に印象的であった。ロボットは、英語、数学、物理、プログラミングなどの総合的な能力を養う上で、格好の教材である。子供たちが遊ぶように学ぶ姿に、親や大人たちも楽しんで応援にかけつける姿は、とても印象深かった。ロボットが動く姿を皆、興味深く、楽しむことができる。ロボットには、人を集め、コミュニティーを形成する力があるように思えるのである。

 また、「ロボットは使ってなんぼ」という考え方の大阪工業大学・本田幸夫先生は、大阪の千林商店街をロボット実証フィールドにイベントを開催している。狙いは、ロボットを一般の方に使ってもらうことで、ロボットの研究開発へのフィードバックを期待するとともに、ロボットの使い手の理解を促すことである。また、ロボットが普及することで、ロボットリテラシーを高める教育の需要に対応する拠点としても、ロボットを通じたコミュニティは注目されるかもしれない。実証フィールドに集められた珍しいロボットを、自由に使ってみることに、人は好奇心をそそられるようで、商店街を中心とする地域の方々が、実証試験に参画してくれたようである。このようにロボット、また、ロボット作りを通じて、コミュニティーが形成されていることは、良いことであり、同時に、私たちの生活になじむロボットが生まれるためにも、必須のことなのである。つまり、ロボットづくりとコミュニティーづくりが同時並行で行われることで、創発が起こるということを私は期待している。

5.人間性を発揮できる社会へ

5-1.人間の行為の意義の自覚

 私たちの日常生活の行為には、すべて意義がある。ご飯を食べる前に「いただきます」といって手を合わせる行為、挨拶をするときに会釈をする行為、もちろんこれらは文化によって違いはあるものの、すべての行為には意義がある。その意義は、相手への思いやりや心配りに本質がある場合が多く、したがって、行為と心は一体のものであると言っていいであろう。決して、行為はかたちだけのものではない。行為と心は常に一体であり、そのことは、日常生活のあらゆる行為が伝統的に継承され、また、知恵として生活の中になじんできた理由を考える上で、見逃せないことである。

 ロボットに限らず技術が生活の中で活用され普及することによって、生活様式や働き方が変化し、人間の行為が変わっていくことは、歴史を振り返れば珍しいことでもない。しかし、このときに単に行為が失われるだけでなく、その行為と一体である心が失われているという見方ができるのである。もちろん単に行為が別のかたちで生まれ、別のかたちで生まれた行為に意義がともない、よりよい共同生活を営むという行為が人間の知恵であると考える。。

 ロボットを新しい道具立てとして活用および普及すると、当然ながら生活の中の行為は大きく変わっていくことが予想される。行為に込められた心、その本質を、変化の著しい時代だからこそまずは私たちが自覚する必要があると思う。松下幸之助塾主は、道徳教育の大切さを説き、日本は精神大国の道を歩むべきだと言っている。これは何よりも共同生活の本質を理解することに他ならない。つまり人間の日頃の行為の意義の自覚、すなわち、相手に思いやりや心配りを持ち、感謝の心をもって共同生活を営むとき、人間は人間性を発揮することができると思うのだ。単にロボットによって生活が便利になって人間が堕落してしまうようでは元も子もない。人間として生きる上で、何が大切か、という人間としての成長を育む道徳教育を、ロボット共生の社会で力強く推進することが必須であると私は考えている。

 ロボット共生によって、人間が行為の意義を正しく自覚することで、共同生活の中の心の通い合いが強調される。心の通い合いを重んじる社会は、相手や自分の人間性を尊重する社会である。ロボット共生によって、人間性が発揮できる社会を創造していくという方向性を私は願ってやまない。

5-2.ロボット共生社会は、心の通い合いに「はたらく」意義を見出す

 人間の行為を自覚することで、私たちは日常の一つ一つの行為を自ら自問し、向かいうことが求められる。人間が自らの行為の意義をあらためて自覚するときに、共同生活の本質は人と人の心の通い合い[23]であるということが強調される。

 私自身の直感的な考察で恐縮ではあるが、幸せとは何かという視点で人生や自らの働き方や仕事をとらえなし、心の通い合いに着目している人は、東日本大震災以降増えてきていると感じている。当たり前の日常も、自らの力が及ばない見えない力によって、姿かたちが一変してしまうという経験は、日々の暮らしの中における行為の意義を考え直す大きなきっかけになったようにも思う。

 35期生は、松下幸之助塾主の理念研究を行う中で、真の繁栄国家は、心と心がつながり、やがて、一つになる国家であると考えた。つまり、物質的な繁栄ではなくて、心に着目し、人と人がつながることで実現する心の繁栄こそが真の繁栄国家であると考えたのである。これをより発展させ、私自身は、心の通い合いは、お互いが人間性を発揮すること、そして、尊重し合うことと関係が深いと考えた。

 しかし、現状は、日々の忙しさに追われ、精一杯の日々を過ごし、働き過ぎのために心身共に調子を崩してしまう人すら散見される社会で、何かを変えなければ、人間性を発揮できる社会は空想的なもので終わってしまう。そのような観点から、ロボット活用によって、人間性が発揮できる環境をつくることで、心と心がつながっていく社会を創造したいと考えたのである。

 これは、具体的にはロボットを働く現場に活用していくことで、人間の働き方や意識は大きく改革されることを意味し、同時に「働く」ことの意義を再定義する必要があると考えている。松下政経塾35期生は、昨年共同研究を行い、生涯青春社会というビジョンを示し、そのうえで「はたらく」の再定義を行った[24]。つまり、従来通りの生活費のために働く意義を見出すのではなく、人の役に立つ行為を幅広く「はたらく」と定義したのである。

 ロボット活用によって現場に余裕が出てくることで、「人の役に立つためにはたらく」機会が増大するであろう。ロボット活用は単に効率化の追求のためでなく、人と人のつながりをつくっていくものでなければならない。これは同時に、はたらくことでつながることは、人のためにひと手間かけることであり、思いやりを込めることである。それによって、お互いの人間性が発揮され、心若くいつまでも青春時代を送ることができることにつながると考えるのだ。したがって、ロボット共生社会は、人間関係の革新でもあると言え、よりコミュニティーや人とのつながりが強くなる社会を創造したいと願うのである。

6.さいごに

 「技術」「社会システム」「思想」は、社会に大きな影響を与える。歴史を振り返れば、いずれかが革新的な駆動力を持って、社会を変革することも少なくない。また、人類の繁栄幸福、世界の平和に向かって、天命を自覚し、衆知を高めつつ、これら三つの視点から理想社会を創造していくことこそ、松下幸之助塾主が目指した生成発展の大業であると考える。

 本レポートでは、世界中で注目をされているロボットに着眼し、考察を行った。すなわち、従来の科学革命の延長線上のロボットから、新しい文明である人間革命のためのロボットであると、新しい人間観に基づく再定義を行った。このためには、ロボットをどのように発展させて、活用していくかというロボットをめぐる社会システムと思想における深い考察が必要である。また、人間のための技術という視点に立ち、物心ともに豊かでよりよい共同生活のためにロボットを活用し、人間性を発揮できる社会のビジョンを提示させていただいた。

 このような考え方をもとに、実践者として、自らが“変化そのもの”になるという心構えで取り組んでいきたいと考えている。

<参考文献>

[1]ロボット革命実現会議(2015)ロボット新戦略 ―ビジョン・戦略・アクションプラン― http://www.meti.go.jp/press/2014/01/20150123004/20150123004b.pdf

[2]広井良典(2015)ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来 岩波書店

[3]松下幸之助(1995)人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて PHP研究所

[4]伊東俊太郎(2013)比較文明 東京大学出版会

[5]鈴木淳(1999)新技術の社会誌 中公文庫

[6]岡田美智男(2012)弱いロボット 医学書院

[7]https://www.icd.cs.tut.ac.jp/project.html

[8]木田元 対訳 技術の正体 The True Nature of Technology

[9]E. F. シューマッハ―(1980) 宴のあとの経済学 筑摩書房

[10]広井良典(2001)定常型社会 新しい「豊かさ」の構想 岩波書店

[11]厚生労働省(2016)働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために懇談会 報告書

[12]介護ロボットポータルサイト http://robotcare.jp/

[13]日本ロボット学会誌 Vol. 34 No. 4, pp.228~231, 2016

[14]ジェレミー・リフキン(2015)限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭 NHK出版

[15]川北稔(1996)砂糖の世界史 岩波書店

[16]生田武志(2016)釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本 筑摩書房

[17]原田泰(2015)ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか 中公新書

[18]朝日新聞 2016年7月21日 政策チェック6 高齢者・若者に生活費給付 議論しては

[19]広井良典(2016)コミュニティ経済に関する調査研究 全国勤労者福祉・共済振興協会

[20]岩本晃一(2015)インダストリー4.0 ドイツ第四次産業革命が与えるインパクト 日刊工業新聞社

[21]クリス・アンダーソン(2012)MAKERS 21世紀の産業革命がはじまる NHK出版

[22]経済産業省 産業構造審議会:「新産業構造ビジョン」~第4次産業革命をリードする日本の戦略~http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shin_sangyoukouzou/pdf/008_05_01.pdf

[23]千玄室(2014) 茶のこころを世界へ PHP研究所

[24]松下政経塾第35期生(2016) 共同研究報告レポート 政策提言 生涯現役から生涯青春へ 一生涯の「はたらく」を促す社会制度改革案

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岡田吉弘の論考

Thesis

Yoshihiro Okada

岡田吉弘

第35期

岡田 吉弘

おかだ・よしひろ

広島県三原市長/無所属

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