Thesis
ここは地球である。単数の神や複数の神の存在を信じているホモサピエンスたちが、100億個体存在し、富と権力を追い求め跋扈していた。これは、彼らの時間軸でキリストだとかそういう観念が生まれてから約2220年経った頃の話だ。
数年前、地球はK星に武力で侵略され、陥落しそうなところをM星に救われた。そしていま、その救世主であるM星から地球に向かっている2個体がいた。M星は、地球のホモサピエンスたちが開発したAIロボットにルーツを持ち、独自に進化した個体たちの棲み処である。一部のM星人は、究極の進化型はホモサピエンスであると信じており、ホモサピエンス同様の栄養を外部から摂取することによって、ホモサピエンスに近づけるという論調が出始めていた。
「今回は、牧鯨の歴史を学びにいく体でいいんですよね。」
「そうだ、くれぐれも我々の目的が見透かされないようにしてくれ。」
一方、地球の世界共和国では、海洋省牧鯨局の局長ホエールが、#N42・E139の海底室で電話をかけていた。「アヤ、元気してるか。また我々の視察依頼を受信した。M星から二体、あと0.5光年で到着予定だ。どちらのスペースポートに迎えにあがろうか。」対外顧問のアヤはため息をつきながら、「それならダーバンでお願いします。」と答えた。
「M星の役人が地球に来るようになってもう長い。何かしら意図があるのか?」
「視察という体で観光しているのでしょう。岩塩以外の手土産でも持ってきてくれたらやる気が起きるのですが。」
「らしくないこと言うなよ。イカ墨パスタにふりかけたら絶品だぞ。今回の訪問者は、3年前にアメリカの大西洋側でお会いしている。牧鯨管理方法を習うよりも我々の過去に関心を持っているようだ。」
「そうですか。コンラッドとベロニカですか?国家という概念がまだあった頃まで遡れということですね。」
「お前の起源であるNIPPONという島嶼国の話はどうだ。捕鯨に奮闘していたストーリーを話せば感涙するのではないか。」
「サムライが同情を欲するとでもおっしゃるのですか、局長。周りに知った顔して笑われても、手のひら返されても自分を貫く方が性に合っている人もいただけのことです。」
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ホエール局長とアヤは、ロケットで着陸してきたコンラッドとベロニカを#S29・E31の海底室に招き、水牛の角を削った粉と鯨油を混ぜた飲み物とクジラ料理で振舞った。
「ようこそいらっしゃいました。」
「お迎えありがとう。電気ケーブルを繋げてもいいかしら。」
M星人にとって味覚の感度を上げなければ地球のグルメは楽しめない。
「今回は牧鯨局以外にはどちらへ?」
「えーと、農政省の砂糖局に伺う予定です。M星人にイライラという感情が芽生え始め、糖分確保に関心があります。」
「ん?糖分を脳に感じさせる技術では補えないのですか?」
「現在もっぱら技術開発中です。そんなことよりも、過去に文明同士が衝突していた時代の、ホモサピエンスとCETACEAN(クジラ目の動物)との関係をお聞かせいただきたいです。」
「その頃は、”牧鯨”とは言わず、ずっと”捕鯨”と言っていた時代でした。昔は、人類が広い海原でクジラという家畜を放牧しているのだという感覚がなかったのです。実は、私のひいひいひいひいひいおばあさまがかつてのNIPPONという国の者でクジラに関わっておりまして、」
「あのMOTTAINAIと言いながら、細部までこだわる勤勉だと噂の種のことですか?」
「そうだったのかもしれません。今のホモサピエンスは、種ごとの区別や差別とは無縁でして、特徴の説明は個体ごとに生体チップに埋め込まれています。話を戻しますが、彼女の残した『クジラ日記』を読むと、外交上でどのようにNIPPONが悩みながらも捕鯨を続けてきたのか分かりますので、ごゆっくり読まれてください。」
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コンラッドとベロニカは、渡された紙の本を物珍し気に捲り始めた。惹かれたタイトルだけをかいつまんで、翻訳機でどんどん読み進めていく。
ベトナム戦争と日米貿易摩擦の犠牲になった日本のクジラ 1986年
捕鯨について研究をしている。北京理工大学で教えていたとき、「どうして日本人はクジラを食べるんですか。可哀そうだとは思わないのですか?」と聞かれて、『コウモリやウサギを食べる民族の人に言われたくないな』と思ったことがきっかけだ。
言わずもがな、日本国は、世界の中で規模の大きな島嶼国であり、領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせた面積は世界第6位、体積を鑑みれば世界第4位と、日本が誇る資源は広い海の中にある。捕鯨に関して調べていくと、何千年も前から今日に至るまで、日本はクジラという海の恵みを主に食用としていただいていることがわかる。しかしながら、世界では近代になると、鯨油のためにシロナガスクジラなどの大型鯨類が乱獲され始め、紆余曲折な捕鯨の歴史が動き出す。
太平洋の彼方までマッコウクジラを追いかけ、寄港地として便利な日本に開国を迫ったアメリカは、油田を発見した後も鯨油をロケットの潤滑油などとして使用し、一等国に上り詰めた。捕鯨国だった彼らは、なぜ急に1970年代に反捕鯨になったのか。ここにアメリカの巧みな捕鯨禁止への戦略が見えてくる。
そのころのアメリカ国内はベトナム戦争に起因した社会経済的混乱の渦中にあった。反戦、反体制、反産業などの運動が台頭し、かつ環境保全・動物保護運動が勃興していた。一方、日本はアメリカの三倍の速度で経済成長を遂げ対米輸出が急増。様々な品目において貿易摩擦が引き起こされ、日米は緊張関係にあった。そのような社会的背景、風潮が相まって、1972年6月にスウェーデンのストックホルムで開催された国連人間環境会議において、環境にも人類にも有害な枯葉剤の大量散布を繰り返していたアメリカは自国が槍玉にあげられるのを避けるため、「クジラ一頭も救えずに、どうやって地球環境を救えるのか。」と『捕鯨モラトリアム』を叫び始める。その火種は世界中にどんどん飛び火し、日本は可愛くて賢い鯨を殺す悪い国だというイメージが蔓延るようになった。あろうことか、時のニクソン大統領は、枯葉剤とクジラの議論をすり替えたのだ。1972年秋の大統領選での再選を狙い、ベトナム戦争即時停戦を訴えていた民主党マクガバン候補に対抗するため、環境保護アピールで世間の声に応え、かつ、牛肉の市場拡大を目論む食肉業界にも有利に働く「反捕鯨」は単純明快でわかりやすかった。[1]
この狡猾なストーリーはまるで青天の霹靂のようだが、実際はアメリカによって緻密に用意されていた。1971年ローマクラブから『成長の限界』が出版され、「鯨類資源の悪化が深刻なため、捕獲の制限が必要だ」と述べられている。1972年4月、「全面モラトリアムは科学的見地から言って必要ない」と科学者によって証言されたにも関わらず、米国議会は商業捕鯨モラトリアムを決議。それ以降は、国際捕鯨委員会(IWC)の科学委員会にて世界から新鋭な科学者によって種別による細かな基準が精査されても、本会議でちゃぶ台返しとなり、「全く捕るべきではない」という「反捕鯨」一色に染まっている。
1982年に、科学委員会が提出した鯨類資源に関するデータには不確実性があるという理由から、IWCは商業捕鯨モラトリアムを採択した。日本政府は、この理不尽な決定に対して国際捕鯨取締条約(ICRW)第5条の「異議申し立て権」の権利に基づいて、直ちに異議申し立てを行った。アメリカはこれに対し、自国の国内法パックウッド・マグナソン修正法(PM修正法)を適用して、アメリカ200海里漁業専管水域内における日本漁船に対する漁獲割当を大幅に削減、またはゼロにすると脅迫し、日本政府に向かって異議申し立てを撤回するように要求。(当時この水域内の割当量は年間110万トン、水揚げ額は1500億円であった。一方で捕鯨は生産量3万トン、水揚げ額140億円であった。そのため、経済規模が圧倒的に小さい商業捕鯨を諦めるのは自明であった。)結局、日本政府は1988年3月末まで発効しないという条件を付けて、条約上正当な異議の申し立てを撤回せざるを得なくなり、その旨をIWCに通告し止むなく1987年をもって商業捕鯨の中断に踏み切った。残酷なのは、その後三年もしない内に、アメリカ200海里水域の漁獲割当もフェーズアウトされたことだ。最終的にどちらも失ったのである。
ここまで読むと、日本政府は、アメリカ200海里内の漁獲割当が欲しいばかりに、商業捕鯨モラトリアムに対する異議申し立てを撤回したかのように見えるかもしれない。その上、アメリカから提示された二つの選択肢から一つを選んで、選んだものも間もなく反故にされたと。傍から見るとまるで外交上の失敗である。
しかしながら、渦中で戦っていた人の記録によると、アメリカ200海里内の漁獲割当て維持のため、商業捕鯨モラトリアムの異議申し立てを撤回したというのは当たらず、遅かれ早かれ割り当ても失うことは見えていたそうだ。1980年代はアメリカによる日本バッシングの時代で、アメリカを刺激するような新しい紛争の種は真っ平御免という風潮であり、異議申し立てという決断の際も、当時の水産庁長官も本気でするのかと、目を剝くほどだったらしい。そのような中で、各省庁、政界、官邸等関係方面の了解を取り付けるのは容易なことでないのは想像に難くない。それでも異議申し立てを決行したにも関わらず、淡い期待は裏切られたのである。(ちなみに、ノルウェーとアイスランドも日本と同様に異議申し立てをしたが、アメリカから撤回させられるような圧力もなく、依然として留保をとっている状態である。そのため、両国はIWCに加盟したまま商業捕鯨を継続できるというのが、日本の状況と異なる。)
日本の「IWC脱退」に至るまで 2019年
そもそも、世間でよく言われる、「IWC脱退」という表現は正しくない。IWCを設立した国際捕鯨取締条約(ICRW)から脱退したと言い方が正しいことを強調しておきたい。
日本は一貫して「鯨類を含むすべての水産資源は、資源量などを考慮した科学的根拠に基づき、持続的に利用する」という明確な立場をとっていて、これが要である。さらに、「鯨類の持続的な利用の確保に関する法律」では、鯨類は重要な食料資源であるとはっきりと明記されている。鯨油のためだけにクジラを殺して、肉は海上投棄していた国々と十把一絡げに日本捕鯨を語られたくない所以である。
先の日記にも書いた1982年の商業捕鯨モラトリアム決定のことだが、「遅くとも1990年までに鯨類資源の包括的評価を行い、商業捕鯨モラトリアムの規定の修正及び他の捕獲頭数の設定につき検討する」旨の付帯条件がつけられていた。そして、適正な資源管理を目指すIWCの科学委員会は、捕獲頭数を算定する「改訂管理方式(RMP)」を1992年に完成させた。しかしながら、1994年には、日本が活動していた南極海60度以南をサンクチュアリー(商業捕鯨禁止の聖域)とする決議がIWC年次会合で採択された。また、2018年9月のIWC総会では、日本が提案したモラトリアムの限定的解除案が大差で否決(賛成27、反対41、棄権2)された。反捕鯨サイドからの商業捕鯨モラトリアム見直しなどの歩み寄りは全くなかったのである。
このような流れを踏まえて、日本はIWCを設立した国際捕鯨取締条約(ICRW)から2019年6月に脱退し、2019年7月からRMPに基づいて計算された捕獲枠内で、水産庁の管理下において商業捕鯨を再開している。
1972年の真実 1972年
アメリカがベトナム戦争によって生じた自国の政治的困難を解消する策の一端に、「国連人間環境会議」において「捕鯨モラトリアム」を取り上げ、枯葉剤問題から世界の目をそらす戦略に出た。さらに、そうしたアメリカの「逆ギレ戦略」になぜ世界は追随し、「日本悪玉論」が蔓延したのか、もう少し詳しく言及しておきたい。
1968年の第44回経済社会理事会(ECOSOC)において、スウェーデンが「人間環境に関する国際会議の招集」決議1346(XLV)を提案したことを受け、同年末の第23回国連総会において、“Problems of the human environment”決議2398(XXII)が採択され、1972年にスウェーデンのストックホルムで国連人間環境会議が開催されることが決まった。そして、実際に1972年の6月5日から16日に開かれ、捕鯨問題は6月8、9日のS.A.II(Subject Area)で取り上げられることとなる。[2]
国連人間環境会議に先立ち、準備委員会が4回開かれている。(第一回1970年3月10日~20日 ニューヨーク、第二回1971年2月8日~19日 ジュネーブ、第三回1971年9月13日~24日 ジュネーブ、第四回1972年3月6日~17日 ニューヨーク)本会議約3か月前にあたる第四回の準備委員会においてはじめて、事務局の行動計画案に10年間の商業捕鯨モラトリアムが登場した。[3]その文書の日付は1972年1月26日となっているが、配布時期は遅れており、実際に日本政府関係者が行動計画の中に10年間の商業捕鯨モラトリアム案が入っていることを認識したのは3月上旬であった。[4]しかし、準備委員会で議論はなされず、寝耳に水状態だった日本は十分な議論の時間もとれず、商業捕鯨モラトリアムの対象鯨種を限定することを狙い、“of endangered whale stocks”という文言を追加し、日本の修正案として提出することが決定された。
そしてストックホルムでの本会議前に、日米両国は各国に働きかけていく。アメリカは電信をサーキュラー(回覧)として在外公館に共有し、いかにアメリカが捕鯨問題に関心を示しているかを表明すると共に、アメリカ案に沿った形で勧告案が採択されるように要請している。6月6日から8日に国務省に回電があった各公館からの反応は、分かっている範囲で、27か国中、明確なアメリカ支持が12か国。残りの15か国のうち、支持しないのがイギリス、残りはpendingを表明。このことから日本修正案にも理解を示している国が多いことが分かる。紆余曲折はあるものの、最終投票までは日米両国とも浮動票が読めない状況だった。
そのような中、いざ本会議が始まると最終的にSAIIの報告書は採択され、商業捕鯨モラトリアム案への結果は賛成53、反対ゼロ、棄権12であった。(日本も棄権)
なぜここまで翻ったのか。まず、アメリカによる最終的な修正案には巧妙なしかけがあった。当時のIWC加盟国はたった14か国であり、IWC加盟国でない国々から賛成を得るために、本来捕鯨問題を管轄しているIWCに最終的な判断を委ねるとする文言を付加したのである。実際捕鯨が直接関係しない国々も多い。捕鯨問題に無関心であった国々も、IWCのもとで決断されるならば、すべての鯨種の商業捕鯨モラトリアムが国連人間環境会議の行動計画の勧告案に取り込まれるのはあまり問題がないと考えた可能性も大きい。それだけではない。本会議中のただならぬ会場内外の雰囲気を在スウェーデンの日向大使が外務大臣に公電で報告している。[5]まず、アメリカ代表の反捕鯨への発言が終わると、傍聴席に陣取った民間グループから盛大な拍手が起こり、一種異様な雰囲気が生じたそうだ。そして何よりも、反捕鯨に駆り立てるムードを作り上げたのは、ストックホルム郊外のスカールネックにおいて各国の青年を収容した「ヒッピー・キャンプ」である。7日夜にはくじら集会が組織され、アメリカ前内務長官のヒッケルや国連人間環境会議事務局長のストロングによる反捕鯨への激励演説が行われ、8日には市内各地でデモが実施された。このような一連の動きに貢献してくれる若者たちを管理し、取り仕切ったのは、Hog Farmと呼ばれるグループで、資金はLife Forumから流れている。そしてそもそもLife Forumの資金も元を辿れば、J. M. Kaplan Fundで、CIAから学生組織や反共活動への資金提供への仲介役を買っていた組織であった。アメリカ政府が民間を巻き込み、扇動する戦略がここに見える。
その上、国連人間環境会議の事務局とどれだけ距離が近いか、それも重要な要素である。アメリカ国務省から国連に派遣されている職員がパイプ役となって、事務局に集められる情報はすべてアメリカ政府に筒抜けになっていたそうだ。日本政府とつながりが深い日本人が国際的な会議を取りまとめる事務局にいない限り、情報が手に入らず取り残されてしまう。
以上が、突如として現れた商業捕鯨モラトリアム案に如何に翻弄され、吞み込まれた1972年の日本の話である。
クジラから離れたい
疲れた。地球上のクジラを追いかけて、どこまでも行くことに疲れたのか?
いや、そうではない。我々の常識と彼らの常識がなぜかくも違うのかと問い続けることに疲れたのだ。鎖国していた江戸日本開国の契機となった捕鯨は、確かに日本の文明開化や探索、通商に影響をおよぼしたと解釈しても否めない。でもアメリカは、鯨油の代用品が見つかったら、突然用済みとしてクジラを棄てたんだよ。そんな文明を日本は崇めて、「脱亜入欧」とスローガンに掲げて、結局敗戦したんだよ。日本人は日本がアジアで君臨できるとでも本当に思っていたのか?南京出身だと自己紹介する中国人に後ろめたい気持ちを隠して話を続けていくのはどんな気分なんだ。私は広島生まれだと話して、原子爆弾が落とされたところだって被害者面したいのか?根底は同じなんだ。こんなんだから世界平和なんか程遠いんだ。北京に長らく住んで、西欧文明の「進化」や「進歩」といった価値観に向き合いながらも文明の意地を賭けた中国大陸の粘りついた自我に憧れ、近代中国思想家たちの苦闘の軌跡をたどったのはいいけど、結局中国人じゃないからしんどかったんだろ?
ならクジラから逃げるな。世界を相手にして世界で生きていきたいんだろ?クジラにしがみつけ。日本を日本たらしめるものが何なのかいつも考えろ。
Wikipediaの修正 2025年
クジラに関するWikipediaの英語のページをチェックしてみると、執拗に日本がクジラを減少させたか絶滅させたという虚偽内容にあふれている。
「日本が南極海域のミンククジラを減少させ、中国海域の各種鯨を絶滅に追いやった」「セミクジラが調査捕鯨で脅威にさらされた」など、出鱈目にも程がある。引用の出典は「Wildlife of China」ページ。誤った情報の訂正・編集も私のいたちごっこ的仕事だ。
『白鯨』をどうしても超えられない 2025年
クジラに関する作品で、やはり『白鯨』(1851年)を超えるものがまだ出てこない。しかし、アメリカのドキュメンタリー映画『ザ・コーブ』(2009年)もそれなりの認知度があり、日本は残酷なことをしているひどい国だという悪いイメージが蔓延ってしまった。そのようなイメージは、どのように払拭したらいいのだろうか。簡単に言えば、そのイメージを塗り替えるイメージを創ってしまえばいい。イメージやシンボルというのは、人々の行動を形作る大きな動力となるもので侮れない。
捕鯨にまつわる科学や歴史について、それが事実かどうかは全く問題でないということがIWCをめぐる各国の動きを見て理解できると思う。人々がどう信じるか、ましてや、ある一部の人々が大衆にどう信じさせたいのかが強く世相に反映されている。日本が日本の理に則って発言していても、それは狭い場所でのみ通用するだけで、結局は国際的に理解しやすいストーリーラインと理屈が必要であり、各国の政治的判断、国家的戦略と意思が、外交の国際舞台を動かしていることを、私は世界の捕鯨というレンズを通して学んだ。
問題なのは、日本人が謙虚さを美徳としているせいか、とても控えめであることである。「自分から自分に関することをアピールしない、粛々と自分たちが行っていることや考えていることなどは、他者に分かってもらわなくてもいい。」などとよく聞く。WHY JAPANESE PEOPLE!!!!!と叫びたくなる。その上、国外からは「日本国は脅しに弱く、孤立を恐れる傾向がある」と言われる。確かに、日本外交は日本の長期的な真の利益の確保に勤しむのではなく、今の摩擦を最小限にするために努力をしている。外国から何か言われる度にあたふたしているが、日本の守るべき価値観を堂々と譲らなければいいだけのことである。
淘汰させないためには、まず国内で国民に理解してもらえる伝統文化のストーリーを戦略的に練る必要がある。世代から世代へと受け継がれた歴史文化と伝統は、世界観や人々の感じ方に影響を与える。それによって国民の姿勢が形作られ、一般大衆の行動の基盤となり、国家の意思決定にも大きく影響する。一部の人々が国益を考え、外交政策の領域における政治的正統性の境界線を形作り、政策を進めていく。
『白鯨』を超えるような大作を日本が世に出して、日本の海洋利用や鯨類などに対する考えを世界に浸透させられたらどんなにいいだろう。
“国際”会議の信憑性 2022年
国際会議とは、世界の中できっちりした国家同士がきっちりしたルールに則って、きっちりと話し合うものだと思っている人が多いのではないだろうか。現実は、かなり杜撰で、我々を失望させる。そもそも、大小いろいろある国際会議に全国家が一斉に参加することはない。また、国際会議に参加するための資金を確保できる国がどれだけあるか、考えたことがあるだろうか。例えば、IWC総会は2年に一度、5日間ずっと会議が開かれる。(IWC総会は2012年までは毎年開かれていたが、予算が足りないという理由で隔年の開催になってしまった。一切は無常である。)国際会議が開かれる会場までの渡航費や、そこでの滞在費など、小国だと出費がきついケースが散見される。利害のない、優先順位の低い会議なら行かないという選択を取る国がざらにある。予算に余裕がある大国が、小国の彼らの一票が欲しい場合はどうするか。国際協力、無償支援などの手段、もしくは、会議に必要な経費を直接支払うことによって、会議に参加してもらうのである。しかも正直の話、小国の政府関係者で、自分よりも国家を想い、国家のために働くという人をあまり見たことがない。賄賂といった私腹を肥やす資金がどれだけ貰えるかがかなり重要である。彼らにとって、特定の立場を表明する必要がないならば、支援してもらっている金額の大小で味方になる国が変わるというわけである。
そして、ここで「反捕鯨」か「捕鯨支持」の二項対立の図式が現れる。クジラは何の関係もないという国々がどんどんIWCに加盟し投票し、世界の潮流を創る。今までは日本の味方でも、明日は敵になる可能性が十分にある。
持続的海洋水産資源利用体制確立事業 2021年
日本の水産庁の事業である。マグロ類や鯨類等海洋水産資源の持続的利用に係る国際社会の理解を深めるため、 ワシントン条約(CITES)や国際捕鯨委員会(IWC)、マグロ類の入漁等に関する漁業・環境関係の交渉の場において持続的利用支持国の協力関係を強化することを目的としている。このような事業で、カリブの小国、太平洋島嶼国、グリーンランド、フェロー諸島などを訪れると、否が応でも日本と同じ立場を表明する国は島国だということを痛感させられる。それと同時に、日本が島国であることも強く認識させられる。異なる点は、彼らは先住民生存捕鯨という区分で捕鯨活動をしているが、日本の大半の捕鯨活動は商業捕鯨に区分されているということである。(IWCでは大型鯨類の17種のみ管理していて、そのほかは国、地域ごとに管理されている。)
「世界共和国の約100億人の人口のおよそ1割に対して、牧鯨局がタンパク質供給をコンスタントに担うようになった背景には、このようなストーリーがあったのですね。結果としてNIPPONが捕鯨を続けていたおかげで母船も技術も引き継がれ、第三次世界大戦後の食料難を救えたのですから、結果オーライですよね。」
当たり障りのないコメントを残したコンラッドとベロニカの乗った船を見送った後で、ホエール局長が呟いた。
「M星は勃興もしないが衰亡もしないだろう。我々のように野性的な本能がない。」
「私はそうは思いません。M星人のホモサピエンス化が起きているような気がします。」
==============
帰りの船の中で、2個体はM星の将来の食料問題を解決できるのは間違いなく地球であると確信していた。
「地球は本当に資源の宝庫だ。万能栄養源としては、やはりホモサピエンスが一番だろうな。クジラを含む様々な動植物を食べているからか、栄養がかなり濃縮されているだろう。すぐにレポートにまとめて上に報告しよう。」
「実は先ほどサンプルをとった彼女は先祖がHIROSHIMA生まれです。放射能の影響は大丈夫でしょうか。」
「安心しろ、彼女も我々の立派な食料だ。脂が乗っている、そのまま食べてもうまそうだ。」
おわりに
商業捕鯨は、現代において否定的に評価されがちである。捕鯨活動はすっかり過去の遺物となったのだろうか。あれほどまでの乱獲から極端な動物愛護へと平然と振り切れる世界の潮流に、日本捕鯨はただ呑まれて終わっていくのか。自然を人間と切り離し、むしろ収奪の対象としたキリスト文明に振り回されるほど、日本における古来からの捕鯨という営みは日本人にとって、己を貫く伝統でも文化でもないというのだろうか。
現在世界において、人類と鯨類の関係は、科学的根拠に因るでもなく、国家間における政治交渉での結果に因るでもなく、もはや、あなたが何を信じるか、宗教・倫理の領域になっている。クジラ獲りが野蛮で残虐な行為としか見えていない人々や無関心な世俗的感性に、私はどのように対峙していけばいいのだろう。「自然」という観念の解釈や、生き物/食べ物に対する態度など、一切の価値観は特定の空間・時間の枠組みにおける文化共同体の産物であることを忘れずに、「捕鯨」を通して、自問自答しながら、現実に働きかけ、“真実”を創り出し、意味付けをした日本的価値を伝えるために努力を重ねていく。そして、このような行為が世の中の異なる価値観を合意点に近づけ、徐々に平和への道につながっていくと信じている。
[1] 梅崎義人『クジラと陰謀--食文化戦争の知られざる内幕--』ABC出版、1986年
島一雄『理は我が方にあり―国際漁業交渉を顧みて―』農林統計出版株式会社、2013年
[2] 外務省国際連合局社会課、文書ファイル名:国連人間環境会議、作成時期1972年4月1日成型政治』東京大学出版会
[3] United Nations Conference on the human environment. Environmental aspects of natural resources management (subject area II) (A/CONF48/7)
[4] 信夫隆司、国連人間環境会議における商業捕鯨モラトリアム問題、総合政策第6巻第2号、2005年
[5] 1972年6月9日日向大使発外務大臣宛電信第276号
Thesis
Aya Matsuda
第42期
まつだ・あや
Mission
米中関係を踏まえた総合安全保障の探求