論考

Thesis

日本を海洋大国にするための第四歩:ふるさと、広島のカキから国土保全に取り組む

はじめに

 広島県においてカキ養殖は、重要な産業である。国内では最大の産地であり、国内シェアは約60パーセントを誇っている。[1]広島出身の筆者は、昨今沿岸部における魚資源の減少が著しい中でも、地元のカキは安泰だと信じていた。しかしながら、広島湾のカキ養殖にも様々な課題があることを知り、ショックを受けた。このレポートでは、広島でのカキ養殖を持続可能にするための対策を、海洋環境の面から考える。

(宮島近くに浮かんでいるカキ棚)
(宮島口にある島田水産のカキ小屋にて)

瀬戸内海の栄養状態

 広島カキは他の産地と比べて身がぎっしり詰まっていることで有名だが、カキの身が以前ほど太くならないという問題を知った。なんと、下水処理が普及しかつ高度になったことで[2]、生活産業排水から海へ入る窒素やリンなどの栄養塩[3]が減っているからだという。海の見た目はキレイになったものの、逆にカキにとっては豊かな海ではなくなったのだ。[4]

 日本は1960年代から70年代にかけて、高度経済成長期となり、沿岸部では埋立が進められたり、生活産業排水がほとんど未処理のまま、大量に海に流入したりしていた。沿岸部では赤潮被害が拡大し、底層の貧酸素化が進んでいた。そのため、公害対策として、1973年に瀬戸内海環境保全特別措置法(以下、瀬戸法)が成立し、海域の富栄養化の進行防止に一気に舵が切られ、瀬戸内海の大部分の全窒素・全リン濃度は現在の著しく低い状態にまで低下したのである。[5]

栄養塩管理運転の開始

 栄養塩の不足は養殖に不利なため、最近は栄養塩の濃度をあえて高める地域も出ている。海の濃度の変化は、カキだけに留まらず、ノリや他の水産生物などにも影響がある。海中生物は、直接的な生態学的相互作用がなくても、つながる海の中で微生物や成分を共有している。

 養殖ノリの色落ちは海中の栄養塩不足との因果関係が明らかであるため、2004年頃から、福岡県や佐賀県の有明海側において下水道から冬季の栄養塩濃度を高めて放流する、試行的な栄養塩管理運転(季節別運転)が開始された。下水処理関係者にとっては、海域の環境基準を達成することが主な目標であったが、国土交通省において、2015年に「流域別下水道整備総合計画調査 指針と解説」が改訂され、豊かな海の実現などの水質環境基準以外の目標を定めることができるようになった。

 その後、ノリ以外の様々な水産生物にとっても、海の栄養は過剰でも不足でも障害があり、両者の間に適切な栄養レベルがあると分かってきた。そのため、2018年には水産用水基準において、海域の全窒素・全リン濃度の下限値を策定することとなった。[6]

 岡山県、香川県といった、瀬戸内海の地域でも、すでに下水道の管理運転が始まっており、栄養塩類管理計画の策定に向けてそれぞれの都府県が着手している。

生産者は栄養塩類管理計画にやきもき

 しかしながら、広島県は栄養塩管理運転に関していまだに協議中という状態である。おそらく、現在広島湾でノリ養殖がされていないのが原因だろう。ノリは窒素、リン、カリウム等の栄養塩を食べて育つ。ノリが色落ちして黄緑っぽい場合は、その海の窒素、リン、カリウムが少ないことを直接的に示しており、状況改善に向けたノリ業者からの声が行政に反映されやすい。一方でカキの餌は植物プランクトンで、窒素とリンを直接吸収している訳ではないため、窒素、リンの放水量を増やすとCOD[7]が悪化する可能性があるうえ、赤潮の被害が増えるかもしれないというのが、広島県の見解である。[8]そのため広島県は実証実験が必要だとするが、生産者側は、「数年間の実証実験などを悠長に待っていられない」と、しびれを切らしている。広島県では、まず、来年度から下水道の管理運転を含む実証実験を開始する予定となっている。

前を進む兵庫県の取り組み

 兵庫県では、2008年から下水処理場での試行的な季節別栄養塩管理運転が開始され、2015年10月の瀬戸法改正に伴い、2018年に播磨灘流域別下水道整備総合計画の改訂がなされ、管理運転の本運転が始まった。また、更なる2021年6月の瀬戸法改正によって、豊かな海を目指すため地域ごとのニーズに応じて一部の海域への栄養塩類供給を可能とする「栄養塩類管理制度」が創設されたことをうけ、兵庫県は2022年に栄養塩類管理計画を策定した。

 兵庫での取り組みについて、「瀬戸内海は一つ」という意識のもと、瀬戸内海関係漁連・漁協連絡会議のメンバーとして瀬戸法改正に尽力された、兵庫県漁連の専務理事 突々淳氏と指導部 樋口和宏氏に、お話を伺った。瀬戸内海のためならと、お二人には5時間ほどノンストップで基礎知識から、瀬戸法改正の経緯まで、多岐にわたり教えていただいた。

 突々氏らは、何十年も忍耐強く、関係省庁へ中央要請を行ったり、関係者との情報共有など、豊かな海の再生に尽力されている。民主党政権時における頓挫や、関係者との理解醸成、栄養塩に関する情報収集などに非常に時間を要しているということが明らかとなった。瀬戸内海を囲む府県行政の対応もバラバラで、非常に大変な思いをされていることが分かった。こうした経験は広島県の漁業関係者にも参考になるはずだ。

(兵庫県漁連)

おわりに

 広島県のカキの現状について学ぶ過程で、海の生態系を支える基礎生産を担っている植物プランクトンの下位には、窒素・リンといった栄養塩があるという事実を改めて認識した。海の有機物は水を濁らせる、汚濁物質だという誤った見方が世間にはまだまだ残っていると感じる。また、2度の瀬戸法改正によって、豊かな海を目指す湾灘協議会の設置や、栄養塩類のきめ細かな管理への転換などが謳われたが、府県行政の施策に速やかに反映されず、足並みが揃わないのはどうしてだろうか。引き続き、筆者も自分が知りえた情報を発信したり、日本の沿岸部の実情に応じた豊かな海の実現のために訴えていきたいと思う。

(海の生態系ピラミッド)
(カキ棚が浮かぶ浜から厳島神社の鳥居に近づいた筆者)


【2023年12月追記】

 関係者の間で数年前から「牡蠣殻の置き場所に余裕がない」という話題が出ていたが、今年のシーズンに入る前に筆者の耳にもいよいよ牡蠣殻の処理に困りそうだというニュースが飛び込んできた。そこで、筆者は、2023年11月末に広島県漁連、広島市漁協、広島県庁水産課、クニヒロ、オオノ水産などをはじめとする水産関係者から牡蠣殻に関する状況を伺った。

 そもそも「牡蠣殻」は有機石灰でミネラルが豊富である。そのため、養鶏用の飼料にされたり、レンガやコンクリートの建築材料にも使用されるなど、再活用される。しかしながら、鳥インフルエンザなどの影響もあり、牡蠣殻の排出量が需要を超えてしまったのだ。

 喫緊の課題として、広島県漁連や県内39か所の漁協で作られている「広島かき生産対策協議会」において話し合いがなされた。カキの身を取り出すカキ打ちの休日を増やしたり、カキ打ち終了時期を前倒しにすることで排出量を減らす。また、県の水産課が主導し、江田島沖に牡蠣殻を沈めるための約1万立方メートルを確保した。エビやナマコが育つ場所として期待される。しかし、残り約6万立方メートルの牡蠣殻の行方がまだ解決されていない。

 さらに、今回の牡蠣殻の問題は、置き場所がないので排出を抑えたいという目先の課題のようでもあるが、広島湾の栄養塩やカキのエサである植物プランクトンの状況から鑑みると、実際に生産量を減らしていかなければ、カキの身が徐々に小ぶりになってしまうと懸念されている。自らもカキ生産をされている市漁協の米田輝隆会長は、「ここ5年で広島湾のカキ生産を2割減らし、質のいいカキ作りをしたい」と言われていた。

 斃死(へいし)する牡蠣の割合は、時期や場所によって変動しているため一概に論じることはできないが、死んでしまう個体がどうしても出てくることを見越して多めに生産し売り上げを確保したい生産者側の心情がある。しかしながら、センサーやIoTの技術を使いながら養殖場所や生育方法の最適化を図ることができることを伝えたり、採苗の段階から数を減らす理解を生産者にしてもらう努力が必要であると感じた。

 このレポートで紹介した広島湾の環境改善や牡蠣殻の再活用を含めて、生産者、加工や卸売業者、消費者、漁連、漁協、そして行政が同じ美味しい牡蠣づくりのためのビジョンを描き、みなで同じ方向に向かえると、経済、社会、環境の三方面で持続可能な、ブランド「広島牡蠣」が守られると信じている。

(カキ打ちの現場)

[1] 平成30年の県内総生産(名目)11兆6744億円のうち水産業は122億円で、第一次産業の16%を占める産業となっている。令和元年の海面漁獲量・収穫量は約11.3万トンで、うち約88%を養殖カキが占めている。(令和3年度広島県水産要覧)

[2] 1978年(昭和53年)「瀬戸内海環境保全特別設置法」、1988年(昭和63年)広島県太田川東部浄化センターにて下水の高度処理が始まる。

[3] 栄養塩とは、窒素やリン、ケイ素、微量金属類などを指す。栄養塩類とは、無機態と有機態の総称である。このレポートで使われる栄養塩とは、無機態のことを指している。

[4] 岡山栄養塩環境とマガキの成育との関係解明(岡山県水産研究所)2020年5月13日「窒素の増加は、植物プランクトン量の増加とカキの成長を促進する」と示唆している。

[5] 1993年中央公害審議会の「海域の窒素及び燐に係る環境基準の設定について(答申)」

その中の水産と生物生息環境保全に関する環境基準は当時の水産用水基準を引用している。

[6] 水産用水基準第8版(2018年版)平成30年8月、公益社団法人日本水産資源保護協会

[7] CODとは、Chemical Oxygen Demand (=化学的酸素要求量)の略で、水の汚れの度合いを示す指標として使われる。

[8] 広島県の坂町漁業協同組合が、2022年に広島県に提出した「栄養塩類の能動的管理に関する要望書」の中で、「岡山県・兵庫県・佐賀県・福山市・尾道市など全国で22都市が下水道能動的管理運転が出来ているのにどうして広島湾で実証実験ができないのか」という質問に対しての、広島県の回答を参考にした。

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松田彩の論考

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Aya Matsuda

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松田 彩

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