論考

Thesis

「自修自得」の再定義とその原点

1. 自修自得を大切にした塾主

「自修自得で事の本質を極め」[i]。松下政経塾(以下「政経塾」)の塾訓として毎朝唱和する「自修自得」。松下幸之助塾主(以下「塾主」)は生前、塾生に対し繰り返し「自修自得」の必要性を説いた。[ii]塾での講義において塾主が直接語ったもののひとつに、宮本武蔵の逸話がある。


宮本武蔵という人には師匠はない。そうやけど、「剣聖」と言われるようになった。彼はどの先生についたわけでも。勉強したわけでもない。自分で編み出したんや。自分で剣の術を習得した。自分で会得したわけや。だから、諸君も宮本武蔵の精神に倣って、自分で研究・工夫ししてね、(中略)宮本武蔵みたいな政治家になったらいいわけや。[iii]

 日本の将来を案じた塾主は、正解のない問いに実践活動を通じて解決を図る有為の青年を募り、1979年に政経塾を設立した。常勤の講師を置くことなく、「自ら問題を提起して、自ら答えるという、自修自得こそが、当塾の最大の眼目」[iv]とする政経塾は、ある意味「厳しいと言えば厳しい。無責任といえば無責任」[v]である。

2. 「人づくり」のための政経塾設立に向けて

 では、なぜ塾主は塾生に対し、一切の研修を「自修自得」で会得せよと考えたのか。政経塾設立の経緯に遡って考察することで、その答えが見えてくる。塾主は松下電器産業を舞台に、「物づくり」を通じた豊かな社会を目指した。終戦後はPHP研究所を創設し、「心づくり」を通じた物心一如の繁栄を目指した。しかし、一向に良くならない日本と世界の現状を憂い、「人づくり」によるリーダーの輩出を試みた。それが政経塾である。  丁稚奉公から身を立てた塾主が大切にしたのは、現場から得られる「生きた経営」であった。だからこそ塾生には経営者・指導者として、一切の研修を「自修自得」で会得せよと求めたのである。そうした塾主の思いは、塾の研修方針である「現地現場主義」という形で今も貫かれている。塾主はこう語る。

 生きた経営なり仕事というものは教えるに教えられない、習うに習えない、ただみずから創意工夫をこらしてはじめて会得できるものである。[vi]

 実は塾主が「自修自得」を強調して語ることは、政経塾設立前後と晩年の約10年の間がほとんどで、それ以前はあまり語っていない。しかし、1933年の事業部制導入に代表される「自主責任経営」という経営哲学は、「自修自得」に直接繋がる基盤的な心がまえとも言える。1959年には、「自修自得」の萌芽とも言える講演を、塾主自ら新入社員導入教育においてこう語った。


『先輩の言動というものが生きた手本である。(中略)教えてもらえない、教えられないけれども、ねき・・(筆者注「側」)におって手伝っていくかたわら、物事を自修せねばならん、自得せねばならん。みずからそれを得るというふうにせねばならん。[vii]

 この発言の背景に、自らの丁稚奉公の経験があることは想像に難くない。塾主はわずか9歳の時、大阪に丁稚奉公に出された。「七年間の小僧時代というのもまた、なかなかありがたいものだった」「もののねうちというものが、おぼろげながら、わかるような気がしてきた」[viii]と塾主は言う。その心は「奉公をするうちに、やはり体に、商売とかそういういろいろなことのコツというものが身についた」[ix]ということだ。塾主は自らの厳しい経験や体験こそが、経営者としての基礎や素地を作ってくれたという意識があったように私は考える。だからこそ、各界の指導者を育成する政経塾の塾訓に「自修自得」を掲げ、その徹底を図ったのだ。

3. 政経塾設立と込められた願い

 1978年、塾主は記者会見にて、政経塾開塾に向けた思いを、こう語っている。


『原則として、自問自答、自修自得をすることにしております。(中略)塾生時代は、日本国中を研修の場として、塾で起き伏しし生活の場ですが研修の場はここではない。(中略)実際の研修は街頭に出る。現場でいろんなさまざまな体験を、肌をもって感じる。そういうことをみっちりやる。[x]

塾主は決して頭の良い人間や、勉強ができる人間を集めようとしたのではない。あくまで日本の将来を背負って立つ、「自修自得」のできるリーダーを求めて、政経塾の開塾を志したのである。そのことは塾主自身の「設立は必ずできると思います。ただ(良い塾生が集まって)開塾できるか」[xi]という言葉にも滲み出ている。故に1期生の募集時、907名の応募者の中から定員30名のところ、23名という入塾者になった[xii]のも頷ける。

 1980年、政経塾は晴れて1期生を迎える。「もし開塾式で倒れたとしても、僕は本望やと思たんや」[xiii]。塾主は体調が優れないにも関わらず、4月1日の開塾式(入塾式)に命懸けで出席した。声を出すのも辛そうな状態でありながら、塾生に式辞を述べ、激励した。


『(加藤清正は、実際のいくさという)体験からいろいろ割り出して、あの熊本城をつくった。誰に学ぶでもなく、みずから体験を通じて、そういうものを自得したわけです。(中略)みなさんは先に言ったようなことが十分やれるはずです。[xiv]

 塾主は「自修自得」の徹底の為に、宮本武蔵や加藤清正といった偉人を挙げ、これに続けと言い続けた。しかし塾主には「私の人生や経営者として背負ってきたものを知り、学ぶことで、自修自得が何たるものなのかを直接学び取って欲しい」という内なる思いがあったように、私には思えてならない。塾主はあくまで自身を謙遜したのであって、宮本武蔵や加藤清正の成功体験に重なる自身の体験に、指導者としてのあるべき姿を見出してもらおうとしたのではないか。
 「上手は出ないけど、名人が出る。」かつて塾主は塾生への講話で「何一つ教えてくれない刀鍛冶」の話を挙げ、このように述べた。


『教えてもらってやるということでは駄目です。教わらずしてやるという人でないと。ということで、どこまでも自ら発見しないといけない。ということを指導精神にしているのです。だから師を持たずしてその道に達するという極意を会得しなければならない。自修自得ですね。[xv]

このことからも塾主は、塾生に既製品のような優秀さを求めていないことが分かる。塾主が求めたのは、「真の繁栄、平和、幸福への力強い道をひらく各界の指導者」[xvi]なのである。だから塾主は「結局、宮本武蔵になれと言うとんのや。」[xvii]と檄を飛ばしたのだ。

4. 自修自得の再定義と私の心がまえ

 上記を踏まえ、私なりに「自修自得」の意味を再定義したいと思う。「自修自得」とは「自ら修め、自ら得る」という態度・心がまえだ。しかし「自修」と「自得」にはある種の隔たりがあると考える。「自修」は「自ら学び、修養する水準」、則ち「理解度60%以上のもの」を指す。一方「自得」は「自ら体得し、人に教え導く水準」、則ち「理解度120%以上のもの」を指す。ここに「自修自得」の罠がある。人間はしばしば「自修」をしたことを以て、「学び修め切った」と錯覚する。私たち塾生はそこに自らの理解や解釈を加え、「自得」することを以て常に「自修自得」を実践していく他にないと、私は考えるのである。
 自修自得を実践する「道場」は、政経塾内外にある。政経塾には「円卓室」での学びがあり、塾生同士で切磋琢磨をしながら衆知を英知に、そして天知にしようとする営みが半世紀近く行われてきた。私たちもまたその道場に立ち、「人間相手に一度の失敗もない短剣投げ」[xviii]のような真剣勝負から生まれる自修自得の結晶を掴みたい。そして「日本を救うという道を(中略)自分なりに考えてみる。それで世間に発表してみる。」[xix]ことを以て、日本全国、世界各地を道場にして志を磨き、自修自得の結晶をダイヤモンドとしたい。そこまで出来てはじめて、塾主の願いに叶った研修と言えるのではないだろうか。
 塾主は生前最後の入塾式で、このようなメッセージを寄せている。


『入塾試験において(中略)必ず、「塾生であると同時に、塾職員であり、塾長でなければならない」旨のことを申し上げてきました。このことはいつ如何なる時でも、塾生は塾の責任者であるとの気持ちを持って研修に取り組んで欲しいと考えたからです。[xx]

 私たち塾生は今もなお、この精神を持ち続けているだろうか。
 私たちは、21世紀の宮本武蔵にならなければならない。そう思えば自らの行動もまた、自ずと律されていくのではないだろうか。

引用・参考文献

[i] 「塾是・塾訓・五誓」松下政経塾ホームページ、
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html (2024年5月7日参照)

[ii]松下幸之助志伝承室パネル展示「日本のリーダー育成を通して」(2024年5月7日参照)

[iii]松下幸之助[述]・松下政経塾[編]『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』株式会社PHP研究所、2009年、p.41-42

[iv]松下幸之助『君に志はあるか 松下政経塾 塾長問答集』株式会社PHP研究所、1995年、p.16

[v]「政治や経営の『名人』を輩出するために」テンミニッツTV、2015年11月9日、
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1103 (2024年5月7日参照)

[vi]松下幸之助『その心意気やよし』PHP研究所、1992年、p.58

[vii]松下幸之助『松下幸之助発言集32』、PHP研究所、1992年、p.130-131

[viii]松下幸之助『若さに送る』PHP研究所、1999年、p.24

[ix]松下幸之助[述]・松下政経塾[編]『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』株式会社PHP研究所、2009年、p.36-37

[x]1978年9月12日記者会見(於 電子会館)

[xi]「松下政経塾設立の記者発表――PHP活動〈104〉」松下幸之助.com、
https://konosuke-matsushita.com/column/phpshashi/no104.php (2024年5月7日参照)

[xii]松下幸之助『リーダーを志す君へ 松下政経塾 塾長講話録』株式会社PHP研究所、1995年、p.14

[xiii]松下幸之助志伝承室パネル展示「日本のリーダー育成を通して」(2024年5月7日参照)

[xiv]松下幸之助『リーダーを志す君へ 松下政経塾 塾長講話録』株式会社PHP研究所、1995年、p.19-20

[xv]「政治や経営の『名人』を輩出するために」テンミニッツTV、2015年11月9日、
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1103 (2024年5月7日参照)

[xvi]「設立趣意書」松下政経塾ホームページ、1979年1月22日、
https://www.mskj.or.jp/about/mission.html (2024年5月7日参照)より筆者編

[xvii]松下幸之助[述]・松下政経塾[編]『リーダーになる人に知っておいてほしいことII』株式会社PHP研究所、2010年、p.19

[xviii]松下幸之助『その心意気やよし』PHP研究所、1992年、p.59

[xix]「政治や経営の『名人』を輩出するために」テンミニッツTV、2015年11月9日、
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1103 (2024年5月7日参照)

[xx]「松下政経塾報 創刊号」1989年6月1日

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斉藤竜貴の論考

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Ryuki Saito

斉藤竜貴

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