論考

Thesis

多極集中・双翼列島立国宣言
―政治の生産性の大幅向上―

はじめに

 本稿は、松下幸之助塾主(以下、「塾主」)が提唱した「政治の生産性向上」について概観した上で、その方途として「多極集中・双翼列島立国宣言」を行うものである。

1 政治の生産性向上

1.1 問題意識とその理論

 我が国は、たしかに大日本帝国憲法下においても民本主義が提唱され、憲政の常道が慣例化した歴史を持つが、国民主権が明文化されたのは戦後の日本国憲法発布以来であり、その戦後民主主義の淵源はアメリカにあった[1]

 では塾主はそのアメリカをどのように観察したのだろうか。塾主は1951年に約3か月間のアメリカ視察の旅に出発する。このとき塾主は、東京ですら頻繁に停電が起きているにもかかわらずニューヨークのタイムズスクエアでは昼間でもイルミネーションが輝いていることなどの表象的、視覚的なものからアメリカの繁栄ぶりを観察し、高く評価した[2]。そして1959年には当時のアメリカの繁栄を引き合いに、「民主主義は繁栄主義」との考えを示す[3]。また1963年には池田勇人首相と対談し、経済界の生産性向上のように政治の面の生産性も上げる必要性を説いた[4]。加えて同年、建国からの歴史が浅いアメリカが繁栄したのは民主主義によるものであり、民主主義は時間と金のかからない政治であると述べた[5]

 このようにして提唱された政治の生産性や民主主義に対する塾主の考えの背景には、塾主がジョン・F・ケネディ大統領(在任:1961~1963年)から受けた2つの衝撃と、それに対する我が国の現状に対する疑問があったと考えられる。まず、我が国における民主主義の定着度合に対する疑問である。ケネディ大統領は大統領就任演説において、「国民諸君よ。国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい。諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい」と述べたが、塾主はこれを高く評価している[6]。一方で塾主は、日本において民主主義が金と時間がかかるのが欠点であると理解されていることを疑問視している[7]。また筆者の管見の限り、塾主は1965年からは日本の民主主義を「勝手主義」と評し、義務を果たさずに権利のみを主張する様を批判した[8]。そして同年、日本には日本の民主主義が必要であるとの考えを示すが、この背景には戦後明文化された民主主義がアメリカからの借り物であり、日本に完全には適合していないという考えがあった[9]。加えて日本は「ほぼ一国一民族一言語」であるため、アメリカ以上に政治の生産性を向上できると塾主は考えた。

 次に、塾主自身の会社経営と高額納税という経験である。戦前から松下電器を経営し、1950年代よりいわゆる長者番付にその名が載った塾主であるからこそ、国家を「経営」するという考えと、税の使われ方に対する疑問があったと推察される[10]。1953年塾主は、総理が社長で役人が社員、国民が株主で税金が投資というように日本を一つの企業と捉える「日本産業株式会社」という考えを示した[11]。そしてケネディ大統領が、国家財政が赤字にもかかわらず減税を行い景気を回復させたことも評価している[12]。また「国家経営」思想の果てに、1978年には無税国家論を[13]、1979年には収益分配国家論を提唱した[14]

1.2 塾主が唱えた方策

 では塾主はどのように政治の生産性を向上しようと考えたのか。まず、本格的な政治研究所をつくることである。企業が専門的な研究所を設け、莫大な研究費を投じるように、政治の研究所をつくりムダの発見や改善策を検討することで政治の生産性を高めることを提唱した[15]

 2つ目に道州制である。塾主は1960年代後半以降に道州制論を展開する。塾主は1968年、交通網や情報網の整備によって都道府県という行政単位が狭く不便となったと指摘し、「都道府県の境界線を、今日の実情に即応した、より経済性の高いものに改変」する必要性を説く。そして「廃県置州」を提唱するが、これは単なる行政区画の変更ではなく、地方政府への権限移譲を含む道州制論であった。これには、各州に自主経営と独立国的な性格を付与し、政治の生産性向上と各州の競争を行わせる意図があった。またこの制度下で中央政府は国防や外交、治安や教育行政、基本的な国土建設を行うと、州との棲み分けも提示した[16]。この約2年後、塾主は従来の都道府県という単位を廃止してしまうことは困難かつ不便であるといった理由から、県を簡素化した形で存置する「置州簡県」を提示した[17]

2 双翼列島立国宣言

 塾主が提唱したように歳出のムダを省き、政治の生産性を向上させるため、私は多極集中・双翼列島立国を宣言する。私の問題意識と方策は大きく以下の2つである。

 1つ目に、地方の権限や政治的発言力の弱さである。確かに、1993年から2001年までの第一次地方分権改革の過程で地方分権一括法が施行され、中央集権型の行政システムの中核を形成してきた機関委任事務制度[18]が廃止され、中央と地方の主従関係に一定の変化がもたらされた[19]。しかし現在でも地方議員が陳情のために永田町詣、霞が関詣を行う姿が散見され、中央集権が継続していると考えられる。またコロナ禍においても保健所を抱えている都道府県が、各地域の感染症拡大状況に応じて適切な対応をすべき一方で、日本政府による措置も求めなければいけない、あるいは求めようとした場面が散見されると筆者は考える[20]。例えば、都道府県知事が政府に対して緊急事態宣言の発令を要請したが、これは地域事情に精通している都道府県知事が判断を下したほうが適切である場合が多いのではなかろうか。特に、感染症拡大という非常時であり、また緊急性の高い場面においては即応性というものが重視される。

 このような非常時だけではなく平時の運用のためにも、多様な地域を包含し、地方事情も異なる我が国では、立法・行政の機能・機構を中央集権という性質が必要かつ適切な分野と地方自治体による決定と実行が適切な分野を大別したうえで、一貫性を持って国家権力の集中と地方分権というある種対極の事柄に取り組むことが求められると考える。そして筆者は通貨・治安維持など全国で一律の制度が必要な分野を除いた内政事項に関しては、立法権や行政権、その裏付けとなる財源を各地方に委譲していくこと、すなわち中央主権から地方主権への転換を主張する。

 加えて、第50回衆議院議員総選挙より適用される10増10減のように、一票の格差是正のため地方選出の国会議員が減らされることが続いているが、これは国政における地方の発言力低下へと繋がり、ひいては地方の活力低下と人口流出という負のスパイラルを招来しているのではなかろうか。このことから、私は国内政治を各地方に担わせる権限移譲も含めた道州制への移行を提言する。

 2つ目に、「表日本」と「裏日本」を未だに脱却できていない現状である。約半世紀前、田中角栄は「都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる」[21]と『日本列島改造論』を引っ提げて首相となり、表・裏日本の言葉は使われなくなった。しかし、高速道路・鉄道網や港湾といった社会資本の整備状況、それに伴う人や物資の流れは現在でも太平洋側偏重であり[22]、日本海側の国土を最大限利活用できているとは言い難い。特に首都直下地震や南海トラフ地震が今後30年以内にそれぞれ約70%、70~80%の確率で発生すると予測されている我が国においては[23]、太平洋側だけではなく日本海国土を強化し、リスク分散と災害発生時のバックアップを担うことが求められよう。100年前の関東大震災、12年前の東日本大震災など我が国は太平洋側巨大地震を経験し、列島を丸ごと災害の無い場所へ引っ越すことが不可能である以上、私は日本海ベルトを構築し、太平洋ベルトと相互補完関係の日本列島を構築することを提言する。

 この際特に一言すべきは、均衡論を脱却することの必要性である。それこそ、「日本列島改造論」は均衡論であり「日本列島総都市化論」とも言えるが、人口減少とインフラ維持管理費の増大という現状において、第二の東京や第二の霞が関や、太平洋ベルトのような工業重視の日本海ベルトをつくるべきではないし、つくる必要もない。あくまで目的は政治の費用と繰り返される復興関連歳出の低減であり、地方の自主経営と日本海国土へのリスク分散は手段であることに留意しなければならない。

 今後の課題として、日本海ベルト地帯が掲げる理念と重視する価値観、そしてまちの姿を探求してゆく。またミクロな視点では、山形県庄内地方において「東洋のアルカディア再興」を一つのテーマとしながらビジョンを描いてゆくことを誓いながら筆をおくこととする。

参考文献

刊行物

  • 金井利之『コロナ対策禍の国と自治体-災害行政の迷走と閉塞』(筑摩書房、2021年)
  • 竹中治堅『コロナ危機の政治 安倍政権vs.知事』(中公新書、2020年)
  • 田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、1972年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集1』(PHP研究所、1991年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集2』(PHP研究所、1991年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集9』(PHP研究所、1991年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集12』(PHP研究所、1991年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集13』(PHP研究所、1991年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集19』(PHP研究所、1992年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集38』(PHP研究所、1992年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集39』(PHP研究所、1992年)
  • PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集41』(PHP研究所、1992年)
  • 松下幸之助『遺論・繁栄の哲学』(PHP研究所、1999年)
  • 松下政経塾編『松下幸之助が考えた国のかたち 「無税国家」「収益分配国家」への挑戦』(株式会社PHP研究所、2010年)

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脚注

[1] ポツダム宣言には「民主主義的傾向の復活」を強化する文言がある。また日本国憲法は1946年2月のGHQマッカーサー草案の提示と受け入れという起草の経緯を持つために、「押し付け憲法論」が存在する。

[2] 松下幸之助「法治国家は中進国だ」(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集41』、PHP研究所、1992年)、1979年、pp.318-319。

[3] 松下政経塾編『松下幸之助が考えた国のかたち 「無税国家」「収益分配国家」への挑戦』(株式会社PHP研究所、2010年)、pp.79-81。

[4] 池田勇人、松下幸之助対談「日本の課題 NHKテレビ「総理と語る」」(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集1』、PHP研究所、1991年)、1963年、pp.283-286。

[5] 松下幸之助「新・経営価値論」(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集12』、PHP研究所、1991年)、1963年、pp.283-284。

[6] 松下幸之助「経済国難にどう対処するか」(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集2』、PHP研究所、1991年)、1964年、pp.157-158。

[7] 前掲、松下幸之助「新・経営価値論」、pp.283-284。

[8] 松下幸之助「宗教活動への願い」(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集9』、PHP研究所、1991年)、1965年、pp.187-189。

[9] 松下幸之助「不況に対する心がまえ」(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集9』、PHP研究所、1991年)、1965年、pp.149-153。塾主は、「その国にふさわしい民主主義」の必要性を1951年より説いてはいたが、政治の生産性に紐づいて提唱されるのは管見の限り1965年からである。松下幸之助「PHPのことば その37 民主主義の本質」、(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集38』、PHP研究所、1992年)、1951年、pp.139-152。

[10] 1966年に佐藤栄作首相と対談した塾主は、政治の生産性向上を説くとともに、税金を放漫に使っていると指摘している。佐藤栄作、松下幸之助対談「金と時間のかからない政治を 東京12チャンネル「総理と語る」」、(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集13』、PHP研究所、1991年)、1966年、pp.129-134。

[11] 前掲、松下政経塾編『松下幸之助が考えた国のかたち 「無税国家」「収益分配国家」への挑戦』、pp.50-51。

[12] 松下幸之助「まず国家経営の理念を」(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集41』、PHP研究所、1992年)、1978年、pp.192。

[13] 前掲、松下政経塾編『松下幸之助が考えた国のかたち 「無税国家」「収益分配国家」への挑戦』、pp.166-172。

[14] 同上、pp.194-205。

[15] 松下幸之助「政治に生産性を」、(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集39』、PHP研究所、1992年)、1965年、pp.135-138。また1978年には「政治生産性本部」や「政治生産性研究所」を設けて、議員の適切な数などを科学的に研究史解決策の処方箋を考えさせることを提案している。松下幸之助「日本の進路をきく」、(PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集19』、PHP研究所、1992年)、1978年、pp.147-150。

[16] 松下幸之助「“廃県置州”で新たな繁栄を」(松下幸之助『遺論・繁栄の哲学』、PHP研究所、1999年)1968年、pp.120-128。

[17] 松下幸之助「三たび道州制論-廃県置州から簡県置州へ」(松下幸之助『遺論・繁栄の哲学』、PHP研究所、1999年)1970年、pp.146-153。

[18] 地方公共団体の首長(都道府県知事、市町村長)等が法令に基いて国から委任され、「国の機関」として処理する事務のこと。

[19] 地方分権改革推進本部「機関委任事務制度の廃止」

[20] コロナ禍における日本国政府と地方自治体の研究については、金井利之『コロナ対策禍の国と自治体-災害行政の迷走と閉塞』(筑摩書房、2021年)、竹中治堅『コロナ危機の政治 安倍政権vs.知事』(中公新書、2020年)を参照。

[21] 田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、1972年)、「序にかえて」、pp.2-3。

[22] 国土交通省「全国高速道路路線図」。国土交通省「全国の新幹線鉄道網の現状」。

[23] NHK「首都直下地震 想定される被害とは」。気象庁「南海トラフ地震に関連する情報」。

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