Thesis
塾主は1918年に松下電気器具製作所を創業し、1946年にPHP研究所を設立、1980年に松下政経塾を開塾した。
初期のPHP研究の基点は、研究十目標に置かれていたが[1]、次第に政治を中心とした現実的なテーマがPHP誌上に取り上げられる傾向となり、PHP研究が理念的なものから具体的なものに進展した[2]ことがわかる。
塾主は、日本を良くするためには政治をよくすることが第一[3]と考えていた。しかし、より良き共同生活を生み出すために政治があり、政治のために人間があるわけではない、人間のための政治でなくてはならないと説いていた[4]。ここからも、やはり人間の本質を基づいて、人間道に沿って政治を進めることが大切であり[5]、PHP理念や新しい人間観が政治への関心に繋がっていることが伺える。そして、理念という抽象から、政治という具体への変化の中で、印象的な言葉が「楽土」と「文化国家」である。
塾主は、人間が最も幸福な状態でいられる社会を「楽土」とした。全ての人がその天分を生かす職業に就くことができたら、持ち味が生かされ、人々は喜びの心で働くことができ、幸福を味わえる。その結果、人々が十分に力を発揮でき、社会が限りなく生成発展する。こういう社会が真の楽土であり、また完全な民主主義社会でもあると説いていた[6]。さらに、自由と秩序と生成発展という3つの基準が、それぞれにバランスをとって高まっていくというところに、人間道にもとづく国家、すなわち物心ともに豊かな真の文化国家というものが考えられる[7]と説いていた。楽土や文化国家の発言から、これまで人間を中心とした理念的な考えから、理想とする社会、国家が明確になっていることが伺える。
塾主はアメリカ視察で、豊かな生活を見て、アメリカは営利会社のようだと感じた。そこから、日本もアメリカを見習い、総理大臣=社長、役人=社員、国民=株主と見立てた「日本産業株式会社」というような観念が政治、経済の面に生まれ、合理的かつ民主的な運営を行うことができれば日本が良くなると思い付いた[8]。
企業は経営理念という基本方針を持ち、社員全員のベクトルが揃うことで発展していく。日本が良い国になるためには、国家経営の基本方針である国是を持つことで、国民が力を結集し、国の「繁栄」、「平和」、「幸福」に繋がると塾主は考えていた。そして、国是は国民共通のものであるから、国民の大半が納得し、国家百年の大計に基づくものであるべきと考えたようだ[9]。
塾主は、国家百年の大計として、無税国家・収益分配国家と新国土創成論を提唱した。
無税国家とは、効率的な政治、行政により節約した毎年の国費を積み立て、貯蓄し、その貯蓄の運用から得た利益を国費にあてるという構想である[10]。当時の日本は税率が高く、国民にとって大きな負担であった。それにもかかわらず、政府の財政は窮迫していたため、高税率は、人々の活動意欲減退につながり、国全体の生産性低下を招くと考えられていた[11],[12]。このような理由から、長期的な視点で豊かな日本を実現させるためには無税国家になるべきと塾主は考えていたようだ。また、政治の生産性を高めるという観点[13]から、廃県置州[14]も提言した。
次に、新国土創成論とは、日本の有効可住国土を倍増させ、開発整備したところを住宅、田畑、工場用地などに使うことで、将来にわたる日本国民の福祉向上を目指すという構想である[15]。土地に余裕ができることで、食料自給率の向上や過密過疎のない社会も実現できると塾主は述べていた。また、資源に乏しい日本国にとって自然が織りなす風景は、エネルギー資源と同等の価値があると考えた塾主は観光立国を目指すべきとも説いていた[16]。
国家百年の大計である無税国家と新国土創成は、塾主が目指す理想社会の2本柱である。しかし、この2つが社会に及ぼす効果は大きく異なっている。
無税国家は、国民の3大義務の1つである納税がなくなることで、国民負担が軽減する。小さな政府に近づくことから自由主義経済思想を説いたハイエクの考え方といえる。一方、新国土創成は、政府が経済へ積極的に介入し、不景気の時に仕事や雇用を生み出し、経済を活性化させることからニューディール政策に代表されるケインズの修正資本主義の考え方主義といえる。
無税国家は、規制をなくすことで国民が自由に経済活動を行えることから「自由」、一方、新国土創成は無秩序な経済に政府が積極的に介入することから「秩序」と表現でき、この2つが両輪となることで生成発展し、先に述べた真の文化国家となり、好景気、不景気関係なく繫栄する国家となるのではないだろうか。
塾主の目指した国家百年の大計は無税国家と新国土創成論であるが、これは具体的な政策にすぎない。具体的なところから抽象的な国家像に話が戻ってしまうが、ここでは、塾主が最終的に何を目指していたのかについて考えていく。
日本は戦後復興において、アメリカやイギリス等の先進諸国から制度や技術を取り入れて発展してきた。しかし、見習ってばかりではなく諸外国も日本を見習うべき点もあり、日本が範とされるような面が増えてきたと塾主は感じていた。そこで、「国家の運営は本来いかにあるべきかという日本独自の“ものさし”を持って、それに基づいた好ましい道をみずから見出し、生み出していかなければならない。」と説いていた[17]。
では、具体的にどんな国家を目指していたのだろうか。
終戦直後の住む家なく、着るに服なく、その日の食料さえ事欠く状態を経験した日本人は、物をつくることに注力し、結果として日本の高度経済成長を支えた。しかし、国や国民の生活が物の面に重点を置いていたため、心の面を養うことの大切さを忘れていた。そのため、塾主は物心一如の繁栄の社会を作っていくことが大事だと説き、その国の姿を「精神大国」[18]としていた。
さらに、人望や人徳がある人は、人を惹きつける魅力を持ち合わせ、多くの人に尊敬される存在であることから、塾主は、国家についても同じことが当てはまり、日本は「国徳・国望国家」となり、周囲に良い影響を与える国を目指すべきと考えていた。また、塾主は、国徳・国望国家を備えた国になる条件として、主に6つの項目を挙げているが、結局、物心両面の調和のある豊かさを生み出すことが大切としていた[19],[20]。
PHPの創業30周年記念事業で発刊された『私の夢・日本の夢 21世紀の日本」では、塾主が理想とする21世紀に実現すべき国家像が描かれていたが、その中で、日本が理想的な国家になった理由は多くの改革の積み重ねであるが、その根底を成し、基本となっているものは、新しい人間観、日本人としての自覚、明確な国家目標の3つであった[21]。さらに、日本はほぼ一国一民族であることから、他国と比較し、認識共有のハードルが低く、国全体がまとまり易いという利点もあった。[22]すなわち、日本や日本人が誇れるものを持ち、物心一如の繁栄の理想社会を実現させた後、世界のフロントランナーとして、世界中から尊敬され、世界の平和と繁栄と幸福に貢献できるモデル国となることを塾主は望んでいたのだろう。
このように、塾主は日本の先行きに不安感を覚える中、長期的視点で日本を良くしたいという強い思いを持ち、それを達成するためにはまず政治を変えることが最も重要と考えていた。そして、高齢の自身が行動するのではなく、若者へその夢を託すために政経塾の設立に至った[23],[24],[25]。
私たち塾生は、塾主から襷を受け継いだ者として、国家百年の大計を実現させるという使命がある。そして、その後、日本がフロントランナーとして世界のモデル国家となるべく、壮大なビジョンを掲げ、前に進み続けなければならない。
塾主が提唱した無税国家と新国土創成論は、構想から半世紀が経過しているが実現しているとは言い難く、 PHP理念を政治という手段で具体化していくことは、そう簡単ではない。
私たちが、塾主の思い描く理想国家を実現していくためには、塾主の想いを翻案し、時代に先駆ける必要があるのではないか。
塾主が国家百年の大計を提唱した時期は、高度経済成長期の真っ只中であり、あらゆるモノ・コト・ヒトが増加・拡大していく状況であった。狭い日本がさらに発展するためには、国土を拡大するべきと考えていたのではないだろうか。しかし、私たちが生きる時代は既にあらゆるものがありふれている。現代は、人口減少・地方衰退・コンパクトシティ化など、減少・縮小に直面している。物の普及が、生活レベルの向上や心の豊かさに直結していた高度経済成長期とは異なり、現代は物の普及が人々の不安・孤独、気候変動・環境破壊・資源枯渇という新たな問題を生み出している可能性も考えられる。
私たちは、大きなビジョンを掲げつつも、このような条件下で日本が持続していくためには、どうすれば良いのかを考えながら、壮大なビジョンの実現に向けて歩んでいかなければならない。さらに、その過程において「幸せ」についても考えていかなければならない。例えば、科学技術の急速な進歩により、便利で、快適な社会が実現した一方で、AIやバイオテクノロジーが人間にとって脅威となる側面も持ち合わせている。より良き発展を追求しすぎて、技術者、研究者、政治家の倫理観の欠如を招いていないか。倫理観の欠如が人間の思考力や想像力を低下させ、人との繋がり、思いやりなど、これまで人間が大切にしてきた心の面での豊かさを置き去りにしてはいないか。
正しい政治により良い日本をつくっていくためには、政治家が正しい倫理観を持つことが必要不可欠である。そして、現代社会における物心両面の調和のある豊かさを考えた場合、社会の成長や進歩が、人間の幸せに本当に繋がっているのだろうか、今後の研修を通して考えていきたい。
[1]財団法人松下政経塾政経研究所編:PHP研究とPHP理念,p.35
[2]財団法人松下政経塾政経研究所編:PHP研究とPHP理念,p.37
[3]松下幸之助:松下政経塾塾長講話録 リーダーを志す君へ,p.50
[4]松下幸之助:人間を考える,pp.102-106
[5]松下幸之助:政治を見直そう,pp.142-144
[6]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたちⅡ,pp.33-40PHP研究所:PHPのことば その42」
[7]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたちⅡ,pp.40-45松下幸之助:「人間を考える」,pp.204-213
[8]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたち,pp.50-54PHP研究所:松下幸之助発言集 第1巻,「日本産業株式会社」という発想?
[9]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたちⅢ,pp.119-127 PHP研究所:PHP,“国是”が忘れられている
[10]松下幸之助:松下政経塾塾長講話録 リーダーを志す君へ,pp.35‐36
[11]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたち,p.195 PHP研究所:松下幸之助発言集 第10巻,無税国家と収益分配国家の提唱?
[12]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたち,p.256松下幸之助:私の夢・日本の夢 21世紀の日本,pp.416-431
[13]松下幸之助:政治を見直そう,pp.104-110
[14]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたち,pp.135-140PHP研究所:PHP,「廃県置州」断行を
[15]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたちⅡ,pp.217-292松下幸之助:新国土創成論,1976
[16]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたち,pp.55-65松下幸之助:かえりみて明日を思う,pp.11-22
[17]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたちⅢ,pp.216-222PHP研究所:Voice,21世紀をめざして
[18]PHP研究所:PHP,“精神大国”への道を
[19]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたちⅢ,pp.243-255PHP研究所:Voice,“大番頭国家日本”をめざす
[20]PHP研究所:Voice,“国望・国徳国家”の条件
[21]松下幸之助:私の夢・日本の夢 21世紀の日本,首相の演説
[22]松下政経塾:松下幸之助が考えた国のかたちⅢ,pp.271-279 PHP研究所:Voice,法三章・徳性国家に向けて
[23]松下幸之助:松下政経塾塾長講話録 リーダーを志す君へ,p.86
[24]松下幸之助:君に志はあるか 松下政経塾塾長問答集,pp.247-248
[25]松下幸之助:松下政経塾塾長講話録 リーダーを志す君へ,p.242
Thesis
Saki Namimatsu
第44期生
なみまつ・さき
Mission
次世代へプラスの財産となる社会資本整備の探究と新土建国家構想