論考

Thesis

建塾理念と丁稚奉公

1船場の丁稚奉公

 丁稚奉公とは一般に、[1]年少者が一定の期間、商人または職人の家に奉公し、雑役などの仕事をすることである。松下幸之助塾主(以下塾主とする)は1894年の生まれで、現在の数えで9歳となる1903年11月に丁稚奉公を始めた。1903年当時の小学校令では尋常小学校の修業年数は4年と定められており、4年生であった塾主にとっては卒業も目前という頃合いであった。
 1904年の2月までは大阪八幡筋の宮田という火鉢屋の小僧として過ごした。その後、同年2月から1910年6月までの6年間は同じく大阪の堺筋淡路町で五代音吉の自転車屋で小僧として過ごした。特に堺筋淡路町は、南北を長堀通から土佐堀通まで、東西を東横堀通から西横堀通までを範囲とする船場という地域に含まれる場所である。
 船場は江戸時代に大坂の町人文化の中心となった場所であり、「かんにんしてや」、「いてさんじます」といった船場言葉が使わるなど、様々な特色がある。また、[2]「惣じて北浜の米市は、日本第一の津なればこそ、一刻の間に五万貫目のたてり商も有る事なり。その米は蔵々に山をかさね、夕の嵐、朝の雨、日和を見合わせ、雲の立所をかんがえ、夜のうちに思ひいれにて、売る人あり、買ふ人あり。」と評されるように、物と人で溢れていた。船場商人の中心的な考え方の代表例として家を端的に示す暖簾を重視し、家憲・家訓を制定することや、新進の気性に富んだチャレンジ精神が挙げられる。また、享保期には船場の上層町人が自らの学問所として懐徳堂を設立し、そこでは武士道も加味した実践的な学問が学ばれ、正直・倹約・知足安分を大切にする石門心学を中心とする商人道思想が形成された。他方、船場商人は仏教・儒教・福神への信仰を持った。特に浄土真宗への信仰は強く、船場の商家はほとんどが北御堂か南御堂の門徒であった。これにより、有難い・勿体ないという精神が船場に根付いていた。そして、江戸時代末期には、天秤を担ぎ、各地の売買価格の差を利用して商売をしていた近江商人が財をなし、呉服問屋を開店することで、本格的に船場に進出した。明治になると近江商人はさらに存在感を増し、繊維業で大いに栄えた。「三方よし」や「堪忍」という言葉を家訓にして特に大切にする近江商人は、質素・倹約といった彼らの精神を物品と共に船場にもたらした。
 船場では、井原西鶴が『日本永代蔵』を執筆した寛永の頃にはひろく丁稚奉公が行われていた。その様子は[3]「難波橋より西(中略)物つくりし人の子供、惣領を残して、末々をでつち奉公に遣はし置き鼻垂れて、手足の土気おちざるうちは、豆腐・花油の小買物につかはれしが、お仕着二つ、三つ年を重ねけるに、定紋をあらため、髪の結振を吟味しだし、風俗も人のようになるにしたがひ、(中略)、次第おくりの手代になつて、見るを見まねに自分商を仕掛け、利徳はだまりて、~」といったものであり、江戸時代から明治にかけて、伝統的な丁稚奉公が続けられていたことが伺い知れる。
 塾主は自身が丁稚奉公をした当時の船場での慣習について以下のように述べている。[4]「昔は大阪の船場なんかでは、大店の若旦那でも、みな心安い先に預けて、三年なら、三年というもの奉公させる。その時分は大学なんかなかったから、他の店に預けて、丁稚小僧として使ってもらう。そして、帰ってきて、自分の親の仕事をする。大店であっても、よそで丁稚奉公してくるから、帰ってきて若旦那になったら、もうちゃんとコツがわかっていて、単なる若旦那ではない。ほんとうに腕の立つ若旦那だから、人使いも上手にやる。これは、今でいう大学と一緒です。そういう商売大学にみな行ったわけで、それが大阪船場の一つのしきたりだったわけである」。このように、塾主の考えでは、丁稚奉公とは他の家での経験が[5]骨身にしみ帰ってくるというもので、この過程を経て、一人前の商人として独立できるようになるのである。和歌山県千旦出身で、一人、他家での丁稚奉公を行った塾主も船場商人と同じ経験をしたと言って差し支えないだろう。

2塾主の丁稚奉公

 最初の火鉢屋ではまだ丁稚子守という仕事であった。子守の間に火鉢を磨くのである。はじめの10日あまりは毎晩床に入ると母のことを思い出しては泣いていた。しかし、初めて給料として五銭の白銅貨をもらった時、それまでは手にことのないものであったから、[6]「うれしさに母恋しさも忘れ、天にも昇る気持ちだった」ようである。
 自転車屋の小僧としての仕事は毎日朝晩の拭き掃除、陳列商品の手入に加えて、自転車の修繕の見習い、手伝いであった。時折、職人に小槌で頭を叩かれながら、職人になっていくという、素朴な手荒さと情のようなものがある仕事であった。また、一方で商店の小僧としての仕事として、お得意先や主家の親戚縁者への使いなどをし、その過程で、五代夫人からものの言い方、お礼の仕方などを教わった。
 主人の五代音吉は塾主の商売の師として多大な影響を与え、塾主は音吉を指して[7]「忘れ得ぬ人」としている。当たり前のことを当たり前にするという商売のコツ、真剣勝負という商売への姿勢、辛抱することの大切さといったことは、音吉から直接説かれ、心に残るものとなった。また、音吉の兄である五兵衛さんも同じく塾主に影響を与えた。五兵衛は盲目であり、はじめは多くの家族を支えるために按摩として収入を得ていたが、努力によって、不動産業に身を転じ、売買斡旋に関して優れた能力を発揮して成功を収めた。その後、社会事業に力を入れ、大阪で最初の盲唖学校を創立した。塾主は自転車屋での奉公時代、月に一度程度、この五兵衛と接する機会を持ち、その行動や姿勢から社会貢献についての考え方を醸成したと考えられる。
 塾主は自転車屋での自身の奉公を[8]「普通以上であったとはたしかにいい得られる」と評価している。その例として煙草の買い置きと自転車の初商売の経験が挙げられる。前者は客によく頼まれる煙草を買い置きすることで、手間を省くと共に、まとめ買いによる5%程度の利益を手に入れるというものである。半年ほど続け、賢い小僧として評判にもなったが、他の丁稚小僧から不平が漏れ、結局、主人の命令でやめざるを得なくなった。評価されると同時に、いいことであっても、人情の機微に通じていないためやめなければならないこともあるという人間関係の難しさを実感する機会となった。後者は偶然に機会を得て自転車の初商売を行った際、1割引を約束してしまったというものである。勝手に1割引の約束をしたことを主人に咎められ、5分引に改めるよう言われたものの、塾主は泣いて譲らなかった。その様子を見た買い手が熱心と純情に感動したのか、5分引で自転車を買ってくれた。これにより、1台売った実績と、得意先を得たのである。いずれの例も、創意工夫や熱意を感じさせられるものだ。

3建塾理念と丁稚奉公

 前節までを踏まえ建塾理念について、船場の環境・塾主の具体的な丁稚奉公・五代家などが関係していると考えられる。まず建塾に至った背景には船場商人の知足安分や近江商人の三方よし、五代五兵衛の影響といった社会奉仕に関する事項が影響したと考えられる。そして、家憲や家訓を重んじる船場商人や近江商人の近くで丁稚奉公を行った経験から、建塾時には塾是・塾訓・五誓を定めるに至ったのではないだろうか。その塾訓の「素直な心」には正直、無意人乃如意人、質素・倹約、そして初めて給料をもらった時の素直な喜びといった丁稚奉公時代に触れ得たものが反映された。同じく塾訓の「自修自得」には船場商人の創意工夫や熱心・熱意、丁稚奉公における実践でのお得意先・他の丁稚小僧・その他関係者との関わりの中で学んだ人間関係の難しさ、音吉さんの教えといったものが色濃く現れている。最後に塾生の寮室に残されている塾主直筆の「大忍」という言葉は、典型的な船場言葉の「かんにんしてや」、近江商人の「堪忍」、そして音吉さんの辛抱といった船場で丁稚奉公をしたからこそ得られた教訓を示したものだと推察することができる。最後に、五誓の自主自立とは、このような丁稚奉公を経て一人前の商人になっていくような経験を、塾生もすべきだという考えを成文化したものであると感じとることができる。
 以上のような建塾理念はいずれも塾主の長い生涯の中で推敲が繰り返されたものに違いないが、その出発点となったのは、やはり船場での丁稚奉公なのではないだろうか。

脚注

¹goo辞典-丁稚奉公 https://dictionary.goo.ne.jp

²株式会社角川 井原西鶴、堀切実『日本永代蔵』 2009年 p170

³株式会社角川 井原西鶴、堀切実『日本永代蔵』 2009年 p172-p173

⁴松下電器第一回事業部長経営研修会 1972年12月15日

⁵関西経済同友会国民意識委員会懇談会 1978年8月30日

⁶早稲田大学特別講演会 1961年6月7日

⁷週間サンケイ 1972年8月7日

⁸PHP研究所 松下幸之助『私の行き方考え方』 1986年 p29

参考文献

・PHP研究所 松下幸之助『私の行き方考え方』 1989年

・株式会社角川 井原西鶴、堀切実『日本永代蔵』 2009年

・PHP研究所 佐藤悌次郎『松下幸之助成功への軌跡 その経営哲学の源流と形成過程を辿る』 1997年

・株式会社昭和堂 阿部博人『緒方洪庵と適塾の門弟たち-人を育て国を創る-』 2014年

・PHP研究所 松下幸之助『人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて』 2015年

・PHP研究所 松下幸之助『商売人心得帖』 1973年

・財団法人松下政経塾設立趣意書 https://www.mskj.or.jp/about/mission.html

・松下政経塾塾是・塾訓・五誓 https://www.mskj.or.jp/about/oath.html

・鈴鹿から琵琶湖まで 東近近江市の博物館の情報サイト https://e-omi-muse.com/index.html

・弁護士法人栄光 栄光綜合法律事務所ホームページ内 船場・わが町 その6 船場の商業と商人(3) 繊維の町・船場

・文部科学省「小学校令の制定 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317616.htm

・アーバンツーリズム大阪・船場
https://semba-osaka.com/osaka_keizai_chushin_chi_semba/

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