論考

Thesis

東アジア経済の再生を問う

松下政経塾ロゴマーク

松下政経塾

1999/1/29

今月は、韓国から松下政経塾に研究員として滞在している林守澤さんが寄せてくれた論文を紹介する。めざましい発展から一転、奈落の底に突き落とされたような混迷状態にある東アジア経済について、その失墜の原因と再生の道について鋭く言及している。

「東南アジア諸国連合(ASEAN)は現在の発展を成し遂げるために20年間以上働いてきたが、海外投機資本の陰謀で24億ドルあまりの富が一瞬にして消えた。ある人は、私たちがした仕事の大部分をわずか2週間で持っていってしまった」。
 マレーシアのマハティール首相は、衝撃的な東アジアの経済危機をこう表したが、この言葉が実は米国のヘッジファンドを非難したものであることはよく知られている。
 1997年7月のタイ・バーツ下落に端を発した東アジアの経済危機は、瞬く間に韓国、インドネシアに飛び火し、アジアを席巻、さらにはロシアや中南米にまで及んだ。この事態を多くの経済学者は通貨危機ととらえたが、その一方で、これはバブル経済とそれに伴う不良債権の発生によって金融システムが機能不全に陥ったことに因るもの、つまり金融危機が真の原因だという学者もいる。
 しかし、私に言わせればどちらも事象の一側面を強調しすぎるあまり、真の原因を理解するのに必要な総合的な見方を欠いている。確かに東アジアの経済危機には通貨危機の側面も金融危機の側面もあるが、それだけではない別な要因がある。私が考えるのは次の3つである。まずグローバル・スタンダードの影響、次いで東アジア地域内での相互関係、そして三番目に、それぞれの国に特有な事情(特に政府の役割)である。この3点から、私は今回の東アジアの経済危機を分析してみた。

●東アジア発展モデルとは何か

 危機の原因を明らかにする前に、東アジアに共通する発展モデルとはどのようなもので、その特徴は何なのかについて簡単に触れておく。
 一般的に、東アジア発展モデルは、東アジア(日本、NIES、ASEAN4、中国)における①急速な経済発展を主導する国家的な開発体制、②高い教育熱による良質の労働力、③輸出指向型工業化、④共同体主義的な儒教資本主義、などを特徴としている。代表的なパターンは、官僚に代表される中央集権の開発体制が良質の労働力を用いて輸出を目的とした工業化を推進し、それを家族的な企業システム(たとえば年功序列、終身雇用など)が支える、というものである。
 しかし「国家的開発体制」と一口に言っても、国家の機能・役割が極大になった日本型と、「積極的不干渉政策」と呼ばれ、市場の機能・役割が極大になった香港型とでは大きく異なり、この両極に位置する2つの間にそれぞれの国情に応じて様々な変形モデルが存在している。
 また、東アジアモデルの特徴としてしばしば指摘される儒教文化も厳密にいえば東北アジアに限られた現象である。東アジア全体には儒教、仏教、イスラム教、ヒンズー教など様々な宗教が混在する。
 しかし、このような差異を抱えながら東アジア諸国は過去数十年の間、世界の中で最もダイナミックに発展した。東アジアは1965年から96年までの間、一人当たりのGDPの年平均増加率が5.5%を超えた。これに対し、南アジアは先進工業国とほぼ同じ2%強、ラテンアメリカは南アジアの半分にも及ばない。中東とアフリカにいたっては減少している。(英『エコノミスト』誌 1998年3月)。
 以上が、私の東アジアの経済発展モデルの分析だが、以下では世界銀行の「東アジアの奇跡」などこの分野の先駆的研究にならい、東アジア発展モデルの概念を「国家主導型工業化=国家による開発体制」と定義して議論を進めていく。

●グローバル・スタンダード的要因

 70年代以降、資本の過剰な蓄積が累積して、膨大な貨幣資本が投機性の金融資本と化し、世界市場を混乱させている。「マネーという巨大な怪物が、投資先を探して世界を徘徊している」のである。97年5月には、タイの通貨・バーツが国際投機資本の標的となり、7月にはインドネシアのルピア、マレーシアのリンギット、フィリピンのペソまでがその射程圏内に入った。冒頭のマハティール首相の非難は、こうした投機資本に向けられたものである。
 今回の東アジアの危機は、財政均衡やインフレ、貯蓄率および輸出実績など経済のファンダメンタルな面が原因となったのではなく、短期的な予測が不可能な外的攪乱に因るものである。特に韓国の場合は「97年9月以後、国内株式市場でクオンタム・ファンド、タイガー・ファンドなどのヘッジファンドが一気に撤退したことが、為替危機のシグナルとして理解された。97年6月末には、6千億ウォンに達していたヘッジファンドの株式投資額が同年10月中旬までにほとんど全て消えていった」といわれている(三星経済研究所 1998年)。こうして韓国は破産の危機に陥った。
 私の分析では、70年代以降、先進国、特に米国は金融産業部門を中心に、世界経済のボーダレス化を図った。その結果、国際間の資本移動が容易になり、巨額の資金を動かす国際投機資本が金融構造と政策の脆弱な開発途上国を大きく揺さぶり始めた。同時に輸出指向型工業化に成功した東アジア諸国は、否応なくグローバルな経済体制に組み込まれ始めた。しかし、表面上はともかく、水面下に隠されていたグローバル・スタンダードとの間の深刻な格差を克服出来ず、今日の危機を迎えることになったのである。

●地域的要因:危機のブーメラン効果

 東アジア地域の貿易関係をみると、日本の輸出先は東アジアが全体の42.4%と最も高く、続いて米国の27.5%となっている。一方、東アジア全体の輸出先は、その地域内輸出が39.3%とトップを占め、日本が13.4%と続く。また輸入先は日本の場合、東アジアが32.2%と最も高く、次が米国の22.9%である。東アジアは輸出同様、域内の輸入が34.6%とトップで、次が日本の20.5%である(河合正弘 1998年)。これは日本と東アジア地域が強い相互依存関係で結ばれていることを示している。
 ここから東アジアの経済危機のもう一つの原因を、1990年代初めの日本のバブル経済とその崩壊に求めることができる。国内での投資先が見つからない日本の金融機関が投資先を求めて東南アジアに行き着いた。97年6月時点で東アジア諸国が外国金融機関から貸出しを受けた総借入金の内、日系の銀行から受けた比率は、タイが54%、インドネシアが40%、韓国が23%である。このような日本の対外投資は、当該国の景気を煽り、バブルを招いた。そして過熱した経済は消費と投資を刺激し、経常収支の赤字を拡大させ、危機へと導く一因となった(黒沢清一 1997年)。
 さらに問題なのは、東アジア地域内が強い相互依存構造にあるために、東アジアの危機が日本の景気をますます悪化させ、その日本の景気沈滞がまた東アジアの経済回復を難しくさせたことである。いわば危機のブーメラン効果である。先にあげた河合正弘氏の研究によると、日本が有効需要をGDPベースで1%拡大したら、短期的な効果は小さいけれども、長期的には日本のGDPが1.5%上昇し、他の東アジア各国も平均約0.5%のGDPの拡大が図られ、日本と東アジア各国がGDPを1%拡大したら、フィリピンと香港を除く全ての国で2%もしくはそれ以上の成長が得られるという。このように密接な地域相互依存関係が、日本と東アジアの危機が深刻になっている要因の一つである。日本の役割は大きいのである。

●政府の役割

 東アジアモデルでは、国ごとに多少の違いはあるものの為替、金利、物価などに対して、国家(政府)のコントロールが有効に働いた。民間部門を広範囲に統制している「国家主導的」経済モデルの場合でも、また逆に民間部門の自律性を許容している「国家誘導的」経済モデルの場合でも、権威主義的な国家は東アジアの経済発展の中で中心的役割を占めていた。現在でも、たとえばシンガポールを見ればそれは容易に理解できる。
 しかし、経済発展の段階が高くなるにしたがって、市場に対する政府の介入効果は薄れ、むしろマイナスの結果をもたらすようになった。いわゆるモラルハザードの発生や、政治と企業の癒着、金融システムなどの構造調整の遅延、国内貯蓄及び海外資本の非効率的利用、政策対応の遅れなどの現象である。
 韓国は、60年代から開始した経済開発計画に伴って目覚ましい成長を遂げた。しかし、経済成長を追求したあまり、経済の安定と所得の配分、特に財閥などに見られる問題を同時に引き起こした。韓国における財閥が、この30年あまり輸出産業を先導してきた役割は認めねばならないが、一方で、族閥による経営、多大な借入、政府との癒着によって得た金融特恵、過剰な不動産投機などが韓国の経済構造を悪化させ、IMF(国際通貨基金)による調整を受け入れざるをえない事態へと導いたのもまた事実である。財閥は余りにも大きくなりすぎ、過度に放任されすぎた。今回の韓国の経済危機は、財閥の問題を始めとして、国家内部の問題からもその原因を探ることができる。これは同じようにグローバライゼーションの衝撃を受け、似たような政策を取っていたにもかかわらず、台湾とシンガポールが今回の危機で相対的に安定的だということからも確認することができる。これらの国や地域は、東アジアの中でも健全な金融秩序を維持して来たから、というのがこの問題に対する私の答えである。

●望まれる新自由主義

 今回の東アジアの経済危機は、グローバル・スタンダード、地域内の相互関係、政府の役割などが複合的に絡んで起きたものである。言い換えるならば、一国の内的な要因に外的要因が結合し発生したものである。グローバライゼーションの波は一国だけで抗することは不可能である。ならば、危機克服のために急がなければならないことは、一国の内的な状況をグローバル・スタンダードの衝撃に耐えられるものとすることである。
 東アジアの中でも、中華思想や社会主義的理念が強いために、この種の議論に最も敏感なのが中国である。しかしその中国の研究者も、経済的産業化、社会的多元化、政治的民主化の側面において究極的にグローバル・スタンダードに収斂されるべきだと主張していることが興味深い(羅榮渠 1997年、 巫寧耕 1997年)。「アジア的民主主義」という議論で強調されているパトロン・クライアント関係や、人治主義、官僚主導、一党支配体制などは、いつかは克服しなければならない過渡的な現象というだけで、常に追求しなければならない民主主義的価値とは違う。
 「情実資本主義(いわゆるクローニー・キャピタリズム)」から起こった金融機関のモラルハザードの問題も、市場と自己責任の原則に立脚した、効率的で安定した金融システムへの転換によって変えなければならない。改革の方向は一言で表現するならば「新自由主義」である。開放的、多元的、参加的なシステムを要求している新しい歴史的条件に、東アジア諸国は自ら適応しなければならない。 2つ目に重要な点は、前にも指摘したとおり、日本の金融危機は東アジア全体の問題だということだ。日本政府は23兆9千億円を上回る、かつてない緊急経済対策を決定し、宮沢喜一大蔵大臣は東アジアに30億ドルの支援を約束している。同時に、日本政府は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)でアジア諸国の資金調達を支援する計画を明らかにした。昨年4月に発表されたIMFを補完する機構としての「アジア通貨基金」創設の検討も早急に行うべきだろう。
 円の国際化について論じる余地はないが、この点についてはこの1月1日から施行されたユーロの成否が範になるだろう。私が不思議でならないのは、円の国際化について日本国内での関心があまりに低いことだ。特に一般の人は、アジア危機における日本の存在の大きさと円の国際化を進めることの重要さについて、十分な理解がないように思われる。先日も中小企業の経営者と懇談する機会があったが、「国民はこの問題をほとんど知らないと思いますよ」と言っていた。円の国際化について、もっと日本国民の関心が喚起されることを望みたい。
 東アジアのそれぞれの国が、グローバル・スタンダードへの適応を備え、かつ日本が再び力強く歩み始める時、東アジア経済は再生する。日本が東アジア発展モデルの原型であるとするならば、日本は東アジア経済の再生においてもモデルを示すことが必要である、というのが私の結論である。

Back

関連性の高い論考

Thesis

松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門