Thesis
昨年暮、台湾で立法院(国会)議員選挙と台北、高雄の市長・市議選が行われた。これまで、外省人と内省人の対立だけがクローズアップされてきた台湾の選挙に変化の兆しが現れた。変わりゆく台湾の政治について現地からレポートする。
●新台湾人論
台湾の選挙ではお馴染みのことだが、昨年12月5日に行われた台北市の市長選挙では、「省籍対立」が選挙結果にどのような影響を及ぼすかが注目を集めた。与党国民党は新人の馬英九氏を立てた。香港生まれの外省人で、台湾大学法学部卒業後、米国ハーバード大学で博士号を取得している。48歳。本省人が多数派を占める今の台湾では異色の存在だが、国民党副幹事長、法務大臣を経験しており、俳優並みの容姿と法務大臣時代の実績で幅広い人気をもっている。迎え撃つ野党民進党の候補は、現職の陳水扁氏。46歳、本省人。台湾大学法学部で馬氏の2年後輩に当たる。弁護士、国会議員(立法委員)等を経て、4年前に台北市の初代民選市長に当選した。2000年の総統選挙で民進党の最有力候補と言われている。新党も独自候補を出した。王建(宣)氏。外省人、60歳。国民党時代に財務大臣を務めた。
選挙は陳氏の4年間の実績をどう評価するかが焦点となり、陳氏と馬氏の一騎討ちとなった。選挙戦後半、苦しい立場に追込まれた陳陣営は省籍問題をぶちあげた。しかしこの作戦は新聞のアンケート調査ではかえって支持率を落とす結果となった。勝負の決め手となったのは李登輝総統の「新台湾人論」である。「本省人」の李総統が馬氏の応援演説で、「500年前だろうが、50年前だろうが、台湾に渡ってきた人はみんな新台湾人だ」と両者の融合説を説いた。そして、「台湾人はもうすでに過去の悲しみと別れを告げた。これからはみんな21世紀に向かって、この土地で生きるものとして力を合わせて頑張ろう」と訴えると、多くの人々の共感を集めた。「省籍問題」という「本省人」の団結心に火を付ける民進党の最大かつ最後の手段は、完全に失敗に終った。
選挙結果は次のとおり。
馬英九氏、76万票で当選
陳水扁氏、68万票で2位
王建(宣)氏、4万票
しかし「新台湾人論」によって「省籍対立」がなくなったのかといえば、それを決めるのはまだ早い。とはいえ、もはや「省籍対立」だけで今回の選挙結果を分析するのも当らない。ただ、馬氏勝利の理由がなんにせよ、台北市で少数派の「外省人」候補が圧倒的多数の「本省人」候補を破ったという事実は大きい。
●五十歩百歩の台湾人
日本語に「五十歩百歩」という言葉がある。もとは中国の諺で、意味は「戦場で、五十歩逃げた者が百歩逃げた者を笑う」というものだ。台湾の学校でこの話を習うとき、「本質は同じなのに、わずかな違いを強調してはならない」という教訓を教えられる。
「孟子」の中の作り話だが、現実生活にはよく似たことが起こる。台湾では、同じ中国大陸からきた移民なのに、1949年に来たのか、それ以前に来たのかによって、いわゆる「外省人」と「本省人」に分かれ、激しく争っている。この対立は「省籍対立」もしくは「族群対立」と呼ばれ、選挙の時により顕著となる。省は「台湾省」を指す、「本省人」とは台湾の地元の人、「外省人」とは49年、蒋介石氏と共に台湾に逃げてきた200余万中国大陸出身者とその子孫を指す。今となれば、外見、言葉、文化などほとんど見分けがつかない。両者の結婚も非常に多い。にも関わらず、選挙になると「本省人」、「外省人」と不信感も露に敵対する。
49年、中国共産党との内戦で破れた蒋介石国民党政権はまるごと台湾に移り、そのまま台湾の経済、軍事、治安、情報などを牛耳った。つまり15%の「外省人」が85%の「本省人」を支配した。とはいえ、外省人は数のうえでは少数派なので、地縁血縁で固まり、進学、受験、就職などの際には同じ外省人を採用し、権力保持に努めた。これは国会議員についても同じだ。日本の国会議員に当たる立法委員と国民大会のメンバーは49年に中国大陸から渡ってきた組から大半が選出されると、その後大陸が共産党に占領され、選挙が出来ないと言う理由で、数十年間補欠選挙しか行われなかった。こうやって台湾は「外省人」に支配され続けた。
しかし、70年代以後、著しい経済発展に伴って、経済、工商等の分野で「本省人」が頭角を現し始めると、公務員、軍人を主流とする「外省人」たちは土地資源や人的ネットワークをほとんど持たないため、次第に優位を失った。さらに80年代、台湾で民主化が実現されると、政治の世界にも「本省人」が多く進出した。86年に成立した民主進歩党は「本省人」を中心とする勢力で、「台湾独立」という綱領を掲げている。実はこのスローガンの出始めは、北京にある「中華人民共和国」に対するものではなく、台北にある「中華民国」に対するものだった。台湾は中国の一部であると主張する「外省人」国民党政権から、台湾人による台湾人だけの支配を目指す意味合いであった。権力中枢部でも、中心は「外省人」から「本省人」に移り、本省人出身の李登輝が国民党の党主席になった時から、外省人勢力は非主流派になった。危機感を強めた外省人の一部過激派は国民党を飛び出し、「新党」という政党を結成した。
こうした歴史が「本省人」と「外省人」対立の原点にある。だから長い戦いの末に勝ち取った主導権を二度と手放したくないのである。それゆえ「本省人」は「外省人」の復権を極度に警戒している。特に民進党は、選挙になると過去を振り返り、独裁時代の恐怖政治を訴え、「本省人」の悲しみを強調してきた。これに対し新党は、民進党政権になれば自分たちは報復される、という恐怖心からさらに結束を強めた。
4年前の94年に行われた台北市長選挙ではこの対立ははっきりと現れた。このときは、現職の与党国民党公認の黄大洲候補に、民進党の陳水扁氏と新党の趙少康氏が挑戦した。黄氏と陳氏は「本省人」、趙氏は「外省人」。台北市の「外省人」が占める割合は30%強。趙氏の立候補により国民党支持層の「外省人」票は彼に流れる。「外省人」の投票率は「本省人」より高いので、それをまとめることができれば彼が当選するかもしれない。という危機感が「本省人」を襲った。ついに「棄黄保陳」(黄氏を棄てて、陳氏を守る)という合い言葉が登場した。国民党支持層の「本省人」票を陳氏に誘導する作戦である。選挙の結果、民進党の陳氏が61万票で当選。新党の趙氏は45万票、国民党の黄氏は36万票だった。
●新しい時代の到来
台湾人は大変政治が好きだ。選挙の翌日は選挙の話でもちきりとなる。「本省人」の某財閥は馬氏を応援したとか、「外省人」の大物が陳氏を支持したとか。こんな噂が飛び交う。タクシーに乗れば、選挙結果の感想を聞かれる。少し親しくなると、「あなたは何処の人で、誰に投票したのか」と聞かれる。李総統の「新台湾人論」はかなり浸透したようだ。台湾では「あなたは何処の人ですか」という質問は、「本省人」か「外省人」かを尋ねる意味である。昔は「本省人」は台湾語を、「外省人」は北京語を使った。話す言葉でその人の出身がすぐにわかったのである。しかし今、ほとんどの人は両方の言葉を使いこなす。だから聞かなければ見分けがつかない。
馬氏の応援演説でこんなやりとりがあった。 李総統が馬氏に「あなたは何処の人か」と尋ねると、馬氏が「私は台湾の米を食べて、台湾の水を飲んで育った新台湾人です」と応えた。最近「あなたは何処の人ですか」と聞かれると、馬氏の真似する人が多いとマスコミが報じた。これを聞いて私は、台湾はこれから変わるかもしれない、と何とも言えない感動を覚えた。「本省人」や「外省人」といった言葉は今世紀だけの歴史用語になるかもしれない。ぜひなってほしい。そう思うと、一年半後の総統選挙が楽しみになってきた。
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