論考

Thesis

2022年 イスラエル研修報告書

松下政経塾ロゴマーク

共同研究

2022/6/28

<目次>

1 問題意識
2 想定されるイノベーション因子
(1)多様性と未来志向型メンタリティ
(2)外資の呼び込みと投資拡大
(3)教育制度
3 日本でイノベーションを起こすには?

※本報告書はイスラエル政府の招致によるYoung Leaders Program(2022 年7月 3日から8日)の協力を得て作成した研修報告より、「経済・教育」分野に特化して執筆した箇所を抜粋したものである。

1 問題意識

 イノベーションの重要性が語られて久しい。「イノベーション」という言葉には、Joseph SchumpeterからClayton Christensenまで様々な定義が存在するが、ここではより広範かつ一般的に分かりやすい、一橋大学名誉教授で経営学者の伊丹敬之氏による「素晴らしい技術をベースに、多くの人の生活を大きく変えるもの」[1]という定義を用いたい。
 イノベーションはただの技術革新ではなく、世の中を大きく前進させるものであり、経済成長の源泉である。その担い手になっているのが、スタートアップと呼ばれる新興企業だ。スタートアップとは、”a company designed to grow fast”、つまり急成長することを目指し設立された企業を指す[2]。経済産業省も「スタートアップは成長のドライバーであり、将来の雇用、所得、財政を支える新たな担い手」であると重要視している[3]。スタートアップの活性化には、スタートアップ専門の投資会社であるベンチャーキャピタル(以降VC)をはじめ、既存の大手企業や大学、行政や公共機関など幅広いカウンターパートが互いに連携し合うエコシステムの形成が重要となる。
 イスラエルは「スタートアップ・ネーション(起業国家)」と呼ばれるほど、スタートアップの設立や投資が盛んである。表-1のとおり、人口比のVC投資額は日本のおよそ35倍であり、また、ユニコーン企業(時価総額10億ドル以上の未上場企業)の数は人口が10倍以上の日本より多い[4]。ファイアウォールのようなサイバーセキュリティをはじめ、アイアンドームなどの軍事技術、Netafim社に代表される農業灌漑技術など、最先端技術によるイノベーションも目白押しである[5]

■表―1 イノベーション・起業大国イスラエルの現状[6]

 いったいなぜ、人口900万人の小国がこれほどのスタートアップ大国となり、イノベーションを生み出し続けているのか。書籍やデータだけでは分からない社会・文化的背景も含めたリアルなイノベーション因子を模索することを目的に、今回のイスラエル研修に臨んだ。

2 想定されるイノベーション因子

 私たちはまず、初日(7月3日)に外務省アジア太平洋部局を、2日目(7月4日)にZvi Hauser国会議員を訪れ、政治行政の視点でイノベーションに対する施策や考え方を伺った。

 

左:外務省アジア太平洋局/右:Zvi Hauser国会議員とのミーティング

 とりわけHauser議員の指摘は示唆に富んだものであり、本稿ではその指摘を手がかりに考察していきたい。Hauser議員は政治家がイノベーションに貢献できるポイントとして、以下の三点を指摘した。

 ・積極的な移民受け入れによる多様性の実現

 ・外資系企業へ税制優遇を行うことで技術移管や国外からの投資を増やす

 ・教育をはじめとする政策・制度策定によりエコシステム形成を後押しする

 上記を参考に、(1)多様性と未来志向型メンタリティ、(2)外資の呼び込みと投資拡大、(3)教育制度の3つの切り口から、イスラエルのイノベーション因子について考える。

(1)多様性と未来志向型メンタリティ

 イノベーションを生むには新たな視点(”think outside the box”と呼ばれることが多い)が重要であるが、ポーランド系、モロッコ系、ロシア系、イエメン系、エチオピア系など、世界各地出身のユダヤ移民による多様性がイスラエルに常に新しい視点をもたらしている。Hauser議員は特に1990年代から2000年代にかけてのソ連崩壊による旧ソ連圏からの大量移民を例に挙げ、異なる言語を用いる移民の流入により短期間で人口20%が増加した未曽有の困難を乗り切った結果、その後に生まれた多様性がイノベーションに大きく貢献していると述べた。喫緊の政策課題としてウクライナ侵攻に伴うウクライナ、ロシア両国からの移民急増が挙げられたが、それもまた多様性に繋がるとの見解を示している。

 また、民族的性格や背景の視点から、彼はユダヤ人が歴史的に少数派であり、生存のために未来志向であることを求められてきたことに触れ、アメリカにおいてユダヤ系がハリウッドを作り上げたのと同様、より良い未来や夢を描く力が起業国家の原動力になっていると主張した。これについては、後述する5日目(7月7日)に訪れたCyber7のExecutive
DirectorであるDaniel Martin氏も「歴史的にクリエイティブであることが求められてきたため、起業家精神がDNAとして刷り込まれているのではないか」と指摘している。ユダヤ人そのものに多様性があること、積極的な移民の受入に加え、ユダヤ人が紡いできた歴史から生み出されたメンタリティもまた、イノベーション因子の1つと言えるだろう。

 

(参考)イスラエルの地理的条件

 イスラエルは石油などの天然資源に恵まれていないという実情がある。The Peres Center for Peace and Innovationでは、イスラエル第9代大統領を務めたShimon Peres氏の動画を拝見したが、「国土の多くが荒地であり、水もなかった」「私たちが授かったのは人間だけであり、教育を重視し、科学を学ぶ人間を増やした」という節があった。天然資源の乏しさは、一見国力の強化には不利であるが、それを逆手にとって、人材育成に力を入れてきたことも同じく技術大国に至る礎になったことは間違いないだろう。

 

The Peres Center for Peace and Innovationに記された1文

 

(2)外資の呼び込みと投資拡大

 4日目(7月6日)に訪れたThe Peres Center for Peace and Innovationでは、イスラエルの起業家たちがそれぞれの事業やマインドセットをモニター越しに語りかけるコーナー、イノベーションの歴史をビジュアル化して展示するコーナー、最新のスタートアップとその事業内容を紹介するコーナー、最新技術を体感するコーナーなど様々な展示が存在し、より直接的にイノベーションのバックグラウンドについて学ぶことができた。

 

左:イスラエルを代表する起業家たちとの対面/右:VRゲーム体験

 また、外資系企業のもたらす影響についても感じるところがあった。たとえば、イスラエルの研究開発能力に着目して最も早くR&D(研究開発)拠点を設置したIntel社や、メッセンジャーシステムを巨額買収してイスラエル人にスタートアップの可能性を気づかせたAOL社の存在は、イスラエルのイノベーション・エコシステムが世界と繋がる中で形成されたものであることを物語る。実際に近年のイスラエルスタートアップへの投資元国別投資金額(図―1)を見ても、国外からの投資が約6割を占めている。

■図―1 イスラエルスタートアップへの投資元国別投資金額(2017年~2020年累計[7]

 同日、スタートアップの成功事例として、binah.ai社を訪問した。同社は、脈拍や血圧、ストレス状態といったヘルスケア情報の測定をスマートフォンの動画撮影機能によって行うソフトウェア開発を行っている。博士号保持者が多数在籍する技術ベースのスタートアップであるが、例に漏れず世界から広く投資を集めている。アメリカの投資会社から出資を受けているほか、NTTデータや損保ジャパンといった日系企業とも提携している。

binah.ai社訪問の様子

 5日目(7月7日)にはHatserimのキブツ[8]と呼ばれる農村共同体を訪問し、灌漑設備にイノベーションを起こしたNetafim社についてヒアリングを行った。イスラエルという砂漠の国で農業を可能にしたNetafim社の灌漑技術は既に110か国へ輸出されており、その利潤をR&Dへ積極投資して発展を続けている。一例として、水や肥料を通すパイプ内部の構造をジグザグにすることで対流を起こし自動洗浄で詰まりを防ぐ技術は、血管の詰まりを防ぐために医療技術にも応用されているという。

Netafim社ヒアリングの様子

 また、同日にイスラエル南部のBeer Shevaへ移動し、同地のハイテクパークに位置するCyber7へ訪問した。Beer Shevaはイスラエルの「サイバー首都(cyber capital)」としてネタニヤフ前首相主導で整備され、IDF(国防軍)の技術開発拠点を移設したほか、Intel社など外資系IT企業を税制優遇や補助金により誘致し、当初からあったベングリオン大学との産官軍学連携も活発な、サイバーセキュリティにおける一大エコシステムが創設された。その結果、現在Beer Sheva にはIntel社以外にもMotorola社やIBM社など数多くの外資系企業の拠点が置かれている。Cyber7はBeer Shavaを中心にサイバーセキュリティ企業の連携や投資支援、スタートアップの促進、ハッカソンやセミナー開催によるエコシステム強化などを行っている。

Cyber7訪問の様子

 様々な話を伺うなかで日本と決定的に違うと感じたのは、イスラエルのスタートアップは国内市場が小さいこともあり、初めから世界でどのようにスケールするかを考えている点である。日本のスタートアップの場合、国内市場がある程度大きいため、国内でどのようにスケールするかという視点でサービスが設計されることが多い。この姿勢の差は外資との連携、特に国外からの日本のスタートアップ投資に大きな影響をもたらしているように感じる。

(3)教育制度

 「(1)民族の多様性」においても触れたが、イスラエルでは「人」に対しての投資を非常に重視している。教育はその最たる例であるが、現地でヒアリングを行う中で、イスラエルの興味深い教育実態が見えてきた。

①義務教育について

 まずはイスラエルの基本的な教育システムの現状について触れたい。イスラエルでは日本と異なり3歳から18歳まで、つまり幼稚園から高校まで義務教育である。公立であれば授業料も無償である[9]。イスラエルは移民が多い国であるため、文化的多面性を考慮し、表-2のとおり「国立学校」「国立宗教学校」「アラブ・ドルーズ学校」「私立学校」の4つのグループに分けられる[10]

 また最近では、子供の教育方針に対する親の関心が高まっており、両親や教育者団体の独自の価値観と信念を反映して新しい学校も設立され[11]、教育の多様性も広がっている。

 たとえば、今回のプログラムで現地ガイドとしてお世話になったAdi氏は小学生と中学生を子に持つ母親であるが、「小さい子どもに勉強ばかりさせたくない。もっと自由で色々な体験をさせたい」と述べ、親子で参加できるキャンプをはじめ様々な体験学習を実施するなど、学業より人間教育に力を入れる「オープンスクール」に子供を入学させている。また、教科書もノートもなく、ノートパソコン一つで通える「スマートスクール」と呼ばれる学校も新たに登場した。イスラエルでは、親と子のニーズに合った学校を比較的自由に選択し学ぶことができるシステムになっていると言える。

■表-2 文化面を考慮した4つの学校グループ

 さらに、教育内容についてもイスラエル独特の部分が多々ある。

 1つ目が「現地現場」を重視した教育だ。一例として、15歳から週に1度、グループで企業にインターンできるプログラムが存在する。また、どの高校においてもサポートが必要な人を理解することを目的に、社会授業として毎週1時間半、老人ホームや養護学校でボランティアをする学習を取り入れている。この授業は内申にも影響するという。

 2つ目が「出る杭を伸ばす」教育である。イスラエルには、エリート教育を専門に扱うdepartment of gifted and outstanding studentsという部局が存在する。小学校低学年時に選抜試験が実施され、上位8%には以下の「ギフテッド教育」が提供される[12]

 ・上位3~8%:通常の学校に通いながら、週1日のギフテッドプログラムを受講。

 ・上位3%:全日制のギフテッドスクールへ通学。小3から高3まで。

 また、飛び級は一般的であり、大学への早期進学もよく見られるという。

 3つ目が「ハイレベルなプログラミング教育」だ。イスラエルは世界で最も早くプログラミング教育を義務教育課程で必修化したと言われている。現在は高校生からサイバーセキュリティ教育も導入しているほか、小学生を対象としたプログラミング合宿や大会も開催されている。

 以上のように、イスラエルの教育では、高校生の段階から現地現場で社会のリアルやイノベーションを体感できるとともに、出る杭をますます伸ばしていくギフテッド・エジュケーションの考え方が強い。また、プログラミング教育の充実は、冒頭に示したエンジニア数や現在のテック企業の隆盛に結果として表れていると言えるだろう。

 さて、こうした高度な教育を実施するためには、教師のクオリティも重要となる。イスラエル国内の教師のうち4分の1を輩出している教員養成大学Kibbutzim College of
Educationでは、新たな教材の試用、試作、ワークショップができる「メイカーズルーム」という部屋がある。最新の教材に触れることができる施設を設けることにより、美しくなくても良いから、教師自身が新しいこと、クリエイティブなことに挑戦できるとともに、実際に学校現場に入ったときに、たとえ赴任先の学校現場に最新設備がなくとも、教員育成の段階で最新装置に触れることで偏見が減り、新しいことを受け入れるマインドセット身につけ、時代に合わせた最新テクノロジーの現場導入がしやすくなるという。

 ただし、最新の教材に適応することが難しい保守的な教師に対する対応も課題としては当然に残る。そこで、新しい手法の導入にどんなメリットがあるかをしっかりと説明するのはもちろんのこと、教師にクレジットを付与し、新手法を学ぶことで給料が上がる仕組みを整えてインセンティブを与えている。教師自身が自らテクノロジーへの関心を抱くような仕組みをつくり、常に自身をアップデートできる環境があるからこそ、高度な教育が実現していると言えるだろう。

Kibbutzim College of Education視察の様子

②家庭教育について

 学校教育だけがイノベーションに寄与しているわけではない。イスラエルでは家庭教育にも特徴がある。

 たとえば、子供が何かを要求した際、その要求(手法)がどのような目的のためであるかを考えさせ、自ら解決策を見出していくよう促すことが一般的であり、子育てを通して「経営教育」が行われている[13]

 たとえば、ヒアリングを行ったある家庭では、子供がパーティーをしたいときには、やりたい理由、予算、誰を呼ぶ、時間、周りへの迷惑などをきめ細かな内容を求め、発表練習、反省とフィードバックも行うようルールを決めているという。また、その家庭では、「プレゼンテーションの日」というものを定めている。家族全員が毎回自由なテーマで発表したいことをパワーポイントにまとめ、最大5分で発表するというものだ。どの家庭もこうした独自の家族ルールを定めていることが多いといい、家庭教育を通じて、交渉力や論理的思考力などイノベーションを生み出す土壌となる力が育てられている部分も大きいと思われる。

③兵役

 また、話を伺うなかで「軍」も教育的側面を担っているのではないかと考えた。イスラエルでは兵役が義務であり、高校卒業後に男性は3年間、女性は2年間兵役に従事する。18歳からの兵役を前に、16歳のタイミングで一度全ての子供に試験が課され、そこではstrength, attitude, physics , creative, mathなどの様々な能力が測定され、その結果を元に、各部隊に配属される。この試験で優れた資質をもつと判断され選抜された約50名の若者は、ヘブライ大学と連携した3年間の「タルピオット・プログラム」を消化する。このタルピオット・プログラム出身者の多くは、諜報やサイバーセキュリティを担当する8200部隊、最新テクノロジー開発を担う81部隊に配属されるが、これらの部隊の出身者は市場価値が非常に高いとされ、除隊後に起業を行う場合にもすぐさま投資が集まるという。

 もちろん、成績優秀者のみならず、あらゆる若者にとってこの兵役期間は有益なものである。実際に「国を守るという義務を与えられていること、多様なバックグラウンドの人が会することを体験として学ぶ機会を通して精神的に成長をする。また、学校についていけなくなった子を更生して上官になるケースがある」といった声や、「軍こそ弱者を救い、国のためにやろうって心を育む。精神的に成長する。大人になって帰ってくる」といった声が現地では聞かれ、職業訓練の側面はもちろん、成績の有無に問わず、人間教育の場としても機能していることが想定される。

 以上のように、イスラエルでは義務教育、家庭教育、軍と様々なセクターが特徴的な教育を展開している。特に、義務教育期間に理系人材を育成するプログラムは非常に充実していること、兵役期間に最先端のテクノロジーを学ぶ機会が設けられていることは、大きなイノベーション因子の1つだろう。


<補論>延長滞在で見えた新たなイノベーション因子

 

 

 42期の伊崎は、イスラエルでの滞在期間を延長し、イスラエル発のユニコーン企業であるオンラインゲーム会社Moon Active社のEriya Tsuchida氏、イスラエル人技術者とともにサイバーセキュリティ事業に挑戦するAironWorks社CEOのAni Terada氏、ビジネス情報分析ソフトウェアを開発するユニコーン企業Sisense社の創設者兼元COOで現在はエンジェル投資家であるAviad Harell氏などへヒアリングを行ったほか、IBM Cloudが開催するStartup Meetupに参加するなどして知見を深めた。そこで、延長滞在で得られた気づきを補論として書き記したい。

 

 

 イスラエルでのヒアリングを通して頻繁に聞かれた言葉がある。1つはイノベーション。そして、もう1つが「エコシステム」である。

 エコシステムとは前述の通り、主役となるスタートアップとそれを支えるVCは勿論、コアとなる技術や人材を提供する大学、投資や事業提携を行う既存企業(国外企業も多い)、税制や補助金など各種政策で側面支援を行う国や自治体などが複合的に絡み合ってイノベーションが生まれる生態系を指す。

 特にイスラエルでは、Harell氏のような成功した起業家が積極的に投資側に回ることで新たなスタートアップを生み出す好循環が見受けられた。成功した起業家によるスタートアップ投資は、単に資本支援という一面だけでなく、自身の経験共有や人脈の提供といった部分でもエコシステム形成に貢献している。VCも同様に、投資先のスタートアップを繋ぎ、ノウハウ共有や新たなビジネス創出を図っている。

 また、イスラエルは四国程度の国土面積、人口900万人の小国である上に、お喋りが非常に好きな国民性もあって人間関係が非常に近い。分野を跨いだ交流が気軽に行われる中で、産官学の連携を支える人的ネットワークが形成される部分も大きい。Tsuchida氏は「息子の学校の保護者同士で話していると、たいてい共通の知人が見つかり、そこから投資話や、場合によっては就職に繋がることもある」と述べており、ビジネスの話が日本よりカジュアルに行われ、そこから実際の事業に繋がりやすい風土が出来上がったと推察される。

 スタートアップ向けのイベントも高頻度で開催されており、それもまた起業家、投資家、外資系企業、学生などが繋がる機会となる。筆者が話したあるFinTech企業のCFOは、月に一度はイベントに参加するようにしているという。彼はWhatsappのチャットグループ一覧を筆者に見せ、「FinTech企業のCFOグループ」「初めてCFOになった人のグループ」など多様な繋がりの形があることを教えてくれた。このようなMeetupの多さもイノベーション要因の一端ではなかろうか。

 

IBM CloudによるStartup Meetupイベントの様子

 

3 日本でイノベーションを起こすには?

 最後に、イスラエルで学んだ知見を踏まえ、日本でイノベーションを促進するためには何が求められるか考えたい。前章では「多様性と未来志向型メンタリティ」「外資の呼び込みと投資拡大」「教育制度」の3点に分けて研修を整理したことから、本章でもその順を追って考察する。

(1)多様性と未来志向型メンタリティ

 イノベーションの活性化を目指す上で、多様性が重要であることは先に確認した通りである。しかしながら、ほぼ単一民族国家である日本において、イスラエルほど移民に積極的な施策を採ることは容易ではない。そこで、重要なのは「視点の多様化」であることから、必ずしも海外移民を増やさずとも、女性やLGBTQ、若年層を意思決定層に増やすことでそれを担保できる部分はあるのではないか。実際にイスラエルでは多くの女性リーダーが活躍しており、経済首都Tel Avivは世界一LGBTQにフレンドリーな都市として知られ、スタートアップの創業者の多くは若者である。民族・人種以外の多様性もイスラエルのイノベーションの土壌として貢献していると考えられ、日本も意思決定層のバラエティをVCの投資基準や行政による助成基準として設けることを検討すべきである。

 また、日本全国での移民受け入れは困難であるかもしれないが、既にある国家戦略特区の枠組みを利用し、局所的に「グローバル開放特区」を作り、海外人材を広く募ることは可能ではないか。特区内での公用語英語化や海外人材の起業手続き簡素化などにより、日本国内の制度的例外としてグローバルなエリアを創設することはできるはずである。

 Hauser議員をはじめ、「日本はもっとオープン・ソサエティになるべきだ」という声は、今回の研修の中でも多々存在した。我々は海外から見てまだまだクローズであること、そのために同質化が進み停滞が起こり、イノベーションの機会損失が発生している可能性があることに意識を傾けるべきである。

 続いてメンタリティに関して、未来志向とはすなわち、現状に甘んじず、リスクを恐れず挑戦する姿勢を意味する。イスラエルの社会には、挑戦して成功した者だけでなく、失敗した者もまた賞賛する風土がある。この風土がイスラエル国内の圧倒的な起業数に寄与し、結果としてイノベーションを創出していることは明らかである。

 たとえば、イスラエルのVCは過去に失敗した起業家ほど経験を積んだ挑戦者として高く評価する。前述のHarell氏は、Sisense社設立以来3回資金が底を尽いたが、VCはその失敗経験も評価し出資を続け、4回目の出資を受けて一気にユニコーンへと駆け上がった。また、The Peres Centerにおいても「スタートアップのうち98%は失敗する」という話があったが、その失敗した98%側の人間も、挑戦を評価されて就職に有利になったり、事業アイディアを売ることで次の挑戦に繋げられたりするという。このような挑戦に寛容な社会がイスラエルをイノベーション・起業大国足らしめている。

 日本では起業という選択は、未だ多くの人にとって非現実的な選択肢である。その国民性的に、ユダヤ人ほど失敗に対する恐怖心を取り払うことは難しいかもしれない。また、起業経験が評価されるケースもまだまだ少ない。だとすれば、まずは可能な限り挑戦者だけにリスクを負わせない制度設計が求められるだろう。たとえば、過渡期的施策として、副業へのハードルを大きく下げることを検討すべきである。

 特に、大企業と公務員における副業解禁が重要となる。イスラエルでは優秀な人材ほどスタートアップへ行くため、なかなか官公庁に優秀な人材が集まらないという嘆きがあると耳にしたが、日本の場合は反対に、優秀な人材ほどリスクの小さい官公庁や大企業へ就職する。もちろん適度なバランスは必要であるが、一部のそうした人材こそ新しい挑戦を行うことがイノベーションの源泉と成り得る。まずは、副業により挑戦へのハードルを下げることが実現可能性の高い施策ではないか。また、副業だけでなく、社内起業や大企業内の新規事業を自社予算ではなくVCから調達する「カーブアウト[14]」などの動きも近年では目立ち始めている。実際に42期の伊崎は新卒で就職した大企業内で社内起業に挑戦し、新しい視点や起業家との接点を含めた社外との繋がりが生まれ、スタートアップへの転職を決意した。このような取組みは、起業という選択肢以外にも新しい挑戦・イノベーション創出の機会をもたらすと同時に、起業へ向けてのクッションプロセスとしても機能するだろう。

(2)外資の呼び込みと投資拡大

 イスラエルのイノベーション興隆を支えた因子として、アメリカを中心とする外資系企業のR&D拠点設立、事業提携、海外VCによる投資などがスタートアップシーンへ多大な貢献をしたことについては既に触れた。

 海外VCによる投資に関しては、そもそもイスラエルでもはじめから盛り上がりを見せていたわけではない。そこで、1990年代に「YozmaVC」という政府系VCが設立され、民間VCと共同出資することで民間のリスクを減らしつつ、民間側が希望に応じてYozmaVCの出資分を買い取ることができる制度を開始した。これを一因として、海外VCの投資が一気に増えたことで、イスラエルにおけるスタートアップシーンが活性化した。スタートアップ推進や投資拡大に対して政治や行政の果たすことのできる役割が大きいことを示す一例である。近年海外VCによる日系スタートアップへの投資も増えているが、イスラエルのようなエコシステム形成にまでは至っておらず、さらなる環境整備による海外VCの引き込みが望まれる。

 また、日本においては起業のゴール(exit)として株式市場の上場が据えられることが多いが、イスラエルでは企業買収が一般的である。スタートアップにおいては単独企業としての事業運営が難しくとも、事業アイディアや事業チームには十分な価値があることも少なくない。そのような観点も踏まえ、巨大な資本力を持つGoogleやMicrosoftをはじめとした外資系大企業であることが多くのイスラエル発のスタートアップを買収している。もちろん、日本においては、買収元は国内企業の方が望ましいだろうが、重要なのは世界市場に目を向けた事業・サービスをよりスタートアップから生み出し、外資系大企業や海外VCの興味を引くことである。

 加えて、投資の拡大という視点では、シード期を含めたアーリーステージのスタートアップへの支援が日本では不足している。スタートアップ投資は原則として、20
社に広く薄く投資して1社の成功で全てを回収するのがビジネスモデルである。前述のDruttman 氏はこれを”Spray & pray”(水を撒いて神に祈る)と例えた。しかし、日本の既存金融機関やCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタルの略。大企業による既存事業との相乗効果を狙ったスタートアップ投資)では、投資のたびに稟議が回され、既に殆ど成功しているような勝ち馬に全員が乗ろうとする構造となっている。アーリーステージから重点的に投資を行うVCや、起業成功者からのエンジェル投資を増やしていく仕組みを構築する必要があるだろう。

(3)教育制度

 日本の20世紀型教育は、工業社会に資する人材を育成するために、マニュアルを覚え正確に早く再現する力、知識技能中心で暗記力、コピー力を求めてきた[15]。しかし、時代が変わったにもかかわらず、未だに皆で同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級の中で、教師主導で教科ごとの出来合いの問いと答えを勉強[16]している。

 一方、イスラエルの教育では、義務教育段階での選抜テスト、高校段階での早期の専攻分野の決定、軍入隊でのテストを通して、各々の能力に合った教育がなされている。特に、前述の通り、潜在能力の高い子どもが受けるギフテッド教育が盛んである。

 チームの一員である43期の赤木は、小学校教員を2年間勤めた経験がある。特に算数の授業で答えが分かっているのに待たなければいけない児童や応用問題も即座に解けてしまう児童がいた。どんどん先に進めたい気持ちがあったが、全体に合わせなければいけない学校の風土があったためできず、もどかしい気持ちがあった。

 確かに、イスラエルと日本では文化的な背景が違う。イスラエルでは数多くの民族が共存している。「他人と違う」ことが前提の社会なのため、各々の能力に合ったプログラムは受け入れることが容易だったかもしれない。日本は島国ということもあり単一民族で栄えた背景をもつ国だ。それは和や同調といった「他人と同じ」ことを善とする文化を生み出した。しかし、イノベーションを起こしたいのであれば、才能ある人間の能力を伸ばすイスラエルのようなギフテッド教育を公教育の場に取り入れる必要性もあると考える。

 日本の現状を考えれば、ギフテッド教育だけを導入して「吹きこぼれ」を解消するだけではなく、同時に「落ちこぼれ」も解消する教育を実施することが現実的だろう。つまり、一律の教育ではなく、個々のレベルにあった教育を普及させるべきだ。

 自分のレベルにあった教育を普及させるためには、まず現行の公教育を見直す必要がある。たとえば、教師は授業の進度を学習者が自ら自由に決められる自己調整学習の一つの手法である「自由進度学習」[17]を実施することも一つの手だろう。自分のレベルに合わせて学習をどんどん進めることができるので、理解の早い児童は常に刺激的な課題に向き合うことができる。実際に自由進度学習を取り入れているクラスでは、小学校6年生の算数の時間に高校3年生の数学の問題に挑戦している児童もいる[18]。また、イスラエルで実施されているように、高校の専攻に演劇など多様な選択肢を取り入れることも、エリート教育に寄らないバランスのとれた人材育成に繋がるはずだ。

 次に、制度の面を考えてみたい。あまり認知されていないが、日本にも「飛び入学[19]」が存在する。特定の分野について特に優れた資質を有する学生が高等学校を卒業しなくても大学に、大学を卒業しなくても大学院に、それぞれ入学することができる制度だ。しかし、実際はかなり限定的な制度になっており、大学への飛び入学は高等学校に2年以上在籍した者、大学院への飛び入学は大学に3年以上在学した者でなければ、それぞれ飛び入学できないのである。イスラエルのギフテッド教育を参考に、「飛び級」だけでなく「留年」のハードルを下げ、この制度をより弾力的に運用することが重要である。たとえば、同様にギフテッド教育を推進するオランダでは、担任教師以外に「内部監督者」と呼ばれるポジションのスタッフが親身に生徒のケアや親の相談に乗ってくれるという。また留年に関しては、親の価値基準が「子どもが自分のレベルに合っていない場所にいる」ことを何よりも不幸と考えることに加え、現実的には教育費が無料だから気軽に留年できるという面も備えている。日本も制度的基盤を備えた上で、「飛び入学」を緩やかに、また「留年」とセットで考えることも必要なのではないだろうか。

 上記のような教育制度の改革には時間がかかるかもしれない。しかし実際に、2022年4月、広島県福山市において、県知事、県教委、市教委、教員など様々なステークホルダーが協力することで、全く新しい教育の形を実現する学校(日本で初めて公立のイエナプラン小学校「常石ともに学園」)が開校した[20]

 日本も旧態依然とした一律の教育からいち早く脱却し、生徒のレベルにあった教育、つまり個人の長所や短所と一層向き合う姿勢を公教育に求めていかなければならないだろう。それは結果として、イノベーションを生み、日本をより豊かな国とする礎になるはずである。

 現・岸田政権が、2022年を「スタートアップ元年」と示したとおり、スタートアップ・エコシステム構築によるイノベーションの創出は国家の最重要事項である。イスラエルから学んだ知見をもとに、我が国に必要な施策をこれからも探求し続けたい。

[1]伊丹敬之『先生、イノベーションって何ですか?』PHP研究所
[2]シリコンバレーのスタートアップ・コミュニティの重鎮Paul Graham氏Webサイト

 

 (http://www.paulgraham.com/growth.html

[3]経済産業省 経済産業政策局『スタートアップについて』

 

 (https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/shin_kijiku/pdf/004_03_00.pdf

[4]岩尾俊兵『日本並み悪環境なのにイスラエル起業世界一の訳』東洋経済オンライン

 

 (https://toyokeizai.net/articles/-/599223

[5]アビ・ヨレシュ『イノベーションの国イスラエル』ミルトス社
[6]森川潤「【完全解説】グーグル、アップルが「イスラエル」にハマる3つの理由」

 

 NewsPicks(https://newspicks.com/news/2439718/body/

[7] ジェトロ 対日投資部 対日投資家 DX推進チーム「イスラエルにおける競争力強化に資するスタートアップ投資に関する調査」

 

 (https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2021/8c4d37d84f07cccb/rpil_20210426.pdf

[8]キブツは「平等と共同体の原則に基づく独自の社会的経済的枠組み」であり、「20世紀初頭のイスラエルの開拓社会の中で生まれ、恒久的な農村の生活様式へと発展」した。

 

 駐日イスラエル大使均Webサイトより「キブツについて」
https://embassies.gov.il/tokyo/AboutIsrael/People/Pages/%E3%82%AD%E3%83%96%E3%83%84%20%E3%83%BC%20%E7%94%9F%E6%B4%BB%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93.aspx

[9]Hitoshi Arai「豊かなイノベーションを支えるイスラエルの教育とは?」WirelessWire News

 

 (https://wirelesswire.jp/2017/12/62617/

[10]在中イスラエル大使館 「学校制度とカリキュラム」

 

 (https://embassies.gov.il/tokyo/AboutIsrael/Education/Pages/学校制度とカリキュラム.aspx )

[11]同上
[12]「未来の教室」と EdTech 研究会資料

 

 (https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/mirai_kyoshitsu/pdf/009_00_01.pdf

[13]岩尾俊兵「日本並み悪環境なのにイスラエル起業世界一の訳」 東洋経済オンライン

 

 (https://toyokeizai.net/articles/-/599223?page=4

[14]大崎真澄「500億円規模で創業期からスタートアップの成長支援、VCのANRIが新ファンド」DIAMOND SIGNAL

 

 (https://signal.diamond.jp/articles/-/1325

[15]事業構想(2017年8月号)「教育ITソリューションEXPO 未来を創るモノづくりと人材育成」

 

 (https://www.projectdesign.jp/201708/special-report/003882.php)

[16]苫野一徳「いじめや不登校の元凶:同質性を求める学校システムを問い直す」nippon.com

 

 (https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00831/)

[17]木村祥子「正解も、競争もない教室づくり。学びを楽しくする「自由進度学習」とは?」「きょういく」を探求し、創造する先生の学校

 

 (https://www.sensei-no-gakkou.com/article/sp0017/)

[18]蓑手章吾『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』学陽書房
[19]文部科学省「飛び入学について」

 

 (https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shikaku/07111318.htm)

[20]日本イエナプラン教育協会「オランダ・イエナプラン教育の特徴」

 

 (https://japanjenaplan.org/jenaplan/roots/)

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