松下政経塾 The Matsushita Institute of
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人間観
2013年6月

塾生レポート

高齢者福祉と私の人間観
松本彩/卒塾生

「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」<『人間を考える』松下幸之助 P12> と松下幸之助塾主は「新しい人間観」を提唱されている。3ヵ月、自分なりに考えた人間観と高齢者福祉の見解を述べる。

 

はじめに

 入塾して約3カ月が過ぎた。入塾してから、さまざまな研修を通して自分が今まで触れてこなかった世界に触れさせてもらうことができている。しかし、この3カ月、現場を離れたことの葛藤と恐怖が、考えていた以上に私を襲ったのも事実である。
 私は前職、有料老人ホームで介護職員として仕事をしていた。日本の高齢者福祉の現状に疑問と憤りを感じ、入塾を決意した。だが、私が現場を離れてから何人かの入居者がお亡くなりになった。また、自立されていた方が脳梗塞により、要介護になっていることもあった。自分がいるべき場所はここであるのか、自分がするべきことはその方たちの側にいることではないのか、など考え、悩んだ。自分の勝手な奢りなのかもしれない。おそらく、私がいても何もできなかったと思う。それでも、なかなかその考えから抜け出せないでいたのである。しかし、こうして考えている間にも少子高齢化は進んでいる。そんな現状の中で、どのように私たちが高齢者を支え、この少子高齢化を乗り切っていくのか考えていかなければならない。私の役割は、そのことを考えていくことであり、考えていける人間になることである。
 3カ月の中で学んできた松下幸之助塾主の人間観に照らし合わせ、自分なりに人間とは何なのか。今後、私たちは何をしていくべきなのかを述べたい。

1、介護と認知症とは

 最初に、「介護」と今や社会問題にもなっている「認知症」というものの歴史と概要を簡単に説明させていただきたい。介護が広辞苑に登場したのが1991年であり、そのころから「介護」=「高齢者」という形が出来上がってきたと言われている。それまでは身体障害者全般に使われていた言葉であった。そして、2000年に介護保険法が制定され、現在の形となった。また、認知症については、「痴呆症」という言葉からはじまった。戦後、文学では有吉佐和子の『恍惚の人』が現代人に衝撃を与えた。痴呆症と姥捨て山について書かれたものである。「痴呆症」がきちんと病気として認められるようになったのは、1906年にドイツの精神医学者、アルツハイマーが発見したことがはじまりである。そして、日本ではそれまで「痴呆」と呼ばれていたものが、2004年に「認知症」という病名に変わった。
 現在の日本で、85歳以上では3人に1人の割合で認知症患者がいるといわれており、社会的な問題にもなってきている。日本の家族介護が難しい原因の一つに認知症の問題があるのである。現在の認知症はアルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症の三大認知症が85%を占めている。

2、一切を容認

 松下幸之助塾主が『人間を考える』の中で述べられている一文をここで紹介する。

「まず第一に大切なことは、人も物もすべてをあるがままに容認するということです。つまり、人間道は、人間万物いっさいがそれぞれに天与の使命なり特質、意義というものをもって存在しているという基本の見方に立って、人間同士なり天地自然のいっさいのものをすべてあるがままにみとめる、容認するということから始めなければならないと思うのです。いいかえれば、いかなるものでもその存在を否定したり排除しないということです」※1

 なぜ前項で認知症についてあげたかというと、自分自身、認知症の方の病状を容認し、処置、処遇することがとても難しいと感じている。介護職員が認知症介護をする時に最初に言われていることが受容だ。受容、つまり一切を容認するということである。その方の訴えや行動、その裏に隠れたメッセージ、病気、そしてその人自身、すべてを容認するのだ。私はこの「容認」がとても難しく、苦しんだ。施設で働いていると認知症の高齢者の方から、数分に1回「私、薬、飲んだかしら」と言われることがたびたびある。人によっては数秒に1回聞かれることもある。そうすると、最初は穏やかに「飲みましたよ」と笑顔で言えていても、日によってはだんだんイライラしてきてしまう。薬を飲んだか忘れてしまうことは、短期記憶の喪失であり、脳が萎縮し、起こっている。そして、その人自身は本当にその薬の記憶がなく、不安になっているのである。つまり、その人自身の人格ではなく、病気で起こっていること。そうであるならば、安心をさせることが周りで介護にあたっている人の役目である。頭ではわかっており、「容認」しているつもりだが、その時その時の自分の状態でその「容認」も変化していく。「容認」ができないこともあるのである。そのことについてはこの後の「礼の精神」で触れることとする。
 ではそもそも、なぜ安心することが大切なのか。マズローの五段階欲求というものがある。人間の欲求を五段階に分けてピラミッド型に作られたもので、生理的欲求→安心・安全の欲求→親和の欲求→自我の欲求→自己実現の欲求の順で、一つの欲求が満たされると次の欲求にいくというものである。自分に置き換えて考えてみてほしい。仮にケータイや財布をどこかに落としたとしよう。ないと気付いた時、とてつもなく不安になり、そのことで頭がいっぱいになってしまうはずだ。また、トイレに行きたい時はそのことばかり考えてしまうと思う。
 この欲求段階が例外なく真実であると仮定した場合、人間の欲求も含めて、認めていくことが必要であり、それに沿って処置、処遇していかなければならない。そして、欲求段階を上げていくことが福祉の質の向上につながり、その人自身の幸せにつながるのだと考える。

3、処置、処遇

 ではどのように処置、処遇をするか。

「お互いの特質、特性をありのままにみとめ合い、適正な処遇をし合うことによって調和のうちに共存共栄していこう、一人一団体たりとも存在価値のないものはない、だからすべての人、すべての団体を生かし合っていこう、そしてともどもの幸せを求め合っていこうという考えに立っています」※2

と松下幸之助塾主は『人間を考える』の中で書かれている。
人間はどうしても悪いことやできないことに目がいきがちだ。先ほどの「薬を飲んだことを忘れてしまう」という一例も同様である。それだけで、「認知症の人」というレッテルを張ってしまい、「薬を飲んだことを忘れてしまう人」とできないことをピックアップしてしまいがちになる。しかし、薬を飲んだことを忘れてしまうのは実はたいしたことではなくて、それ以上にその方は絵が描けるかもしれない。薬を飲んだことや直前の記憶は覚えてなくても、何かの作業はできるかもしれない。昔の話はできるかもしれない。その昔の話を孫に伝えていくことが、その時のその人の使命かもしれない。それらが全部できなくても、笑うことはできるかもしれない。
 松下幸之助塾主は人の良いところを見る天才であった。ものごとを正しく処置、処遇するためには良いところを見る、できることを考えるということが必要なのではないか。
 具体的な例として、高知県のとあるグループホームでは、畑で採れた野菜を入居者が袋に詰め、出荷するという取り組みを行っている。グループホームであるため、全員が認知症高齢者である。しかし「認知症」=「何もできない人」ではなくて、できることを探し、また、その人の「働きたい」を尊重する。その時、初めてその人自身を守るということにつながるのであると、この取り組みを聞いて感じた。塾主も「それぞれが生き生きと生活をたのしむことができるように処遇し合うことによって、本質的にはみな平等に一人残らず生き、生かされてくるわけです」と述べている。このレポートを通して何が言いたいかというと、人間とは与えられることが必ずしも幸せではないのではないか、ということである。実は、今の社会保障制度が「支える側」と「支えられる側」を完全に分けてしまっていることが人間を孤独にし、幸せを奪っている原因なのかもしれないと感じる。もちろん、弱い者を置いていくということではなく、その人のその時できる役割をしっかり見極め、周りができない部分をフォローする体制にしていかなければならないということだ。

4、衆知を集める

「人間が一人ひとりの自分の知恵だけにとらわれて、それによってものを考え、ことを処そうとしてはならないということです。人間一人ひとりの知恵というものは人によって異なるとしても、たとえどんな偉大な人であってもおのずと限りがあります」※3

松下幸之助塾主は上記のように述べている。
 福祉の世界というのは非常に狭いと言われる。介護雑誌もほかの業界のものに比べて高い。その理由は、みんな買わないからである。衆知を集めることをしない、集め方を知らないことが多くあるのだ。衆知を集めなくても、仕事は済んでしまう。
 先日、自衛隊の富士学校というところに研修に行かせていただいた。自衛隊では多くのことが細かく共通認識として決まっている。シーツの畳み方、制服の袖の織り方、アイロンのかけ方、号令のかけ方。場所によって少しずつ異なるとは言われたが、ほとんどがどこでも共通だそうだ。多くの情報をすぐに集め、大きな組織を統率していくためにはチームとしての共通認識が不可欠なのである。福祉の世界を良くしていくためには、さまざまな業界や専門家から衆知を集め、最良の共通認識を作っていかなければならないと考える。
 支援の方法を具体化していくためには衆知を集められるように、まず、自分自身の人間を磨き、何が本質であるか素直な心で本質を見極められるようにしていかなければならない。

5、礼の精神

 松下幸之助塾主は

「いっさいのものに対して感謝と喜びの心をもつとともに、その心を素直にあらわしていくということ」※4

と『人間を考える』の中には書かれている。高齢者福祉を考えていくうえで一番大切なのがこの礼の精神である。激動の時代の中、日本を作ってきてくれた人たちへの礼の精神である。だが、毎日接していると、それも忘れてしまう。ましてや、その人のことを知らない他人が介護をしていた場合、その人がどのような形で日本のために動いてくださっていたのか知らないまま、作業になってしまうケースもある。介護者はその人自身を知ることがまず、礼の精神を持つための第一歩ではないかと考える。
 では家族介護はどうであろうか。礼の精神を持ち続け、努力し、最期まで家で穏やかに介護をされている家族ももちろんいる。しかし、近年、家族が介護している高齢者を虐待したり、殺してしまう、という事件がたびたび起きている。それは礼の精神がないからであろうか。そうではない。さまざまなケースがあるだろうが、追い詰められてしまい、虐待や殺人に至るケースが多くあるのである。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、自分で自分を修められてこそ相手のことが考えられるようになるのではないか。
私は、自分自身を容認し、自分自身の処置、処遇をできるようになることがまず、対人援助をしていく第一歩だと思う。そして、地域や国は介護者を精神的・肉体的に余裕がある状態にできるよう、サポートできる体制を作り上げていかなければならない。

6、「新しい人間観」と日本の福祉

「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」※5

松下幸之助塾主は「新しい人間観の提唱」をこのように書き出されている。人間が老い、死ぬというのは自然の理法なのである。その過程で認知症やさまざまな病気になることもまた自然の理法なのである。しかし、だから「このままで良い」というわけではない。高齢化社会、少子化、認知症、介護スタッフの人員不足などの社会現象もすべて容認し、自然の理法に従って正しく処置・処遇をするのもまた、今後の課題である。
 上記で述べてきたように、容認する・処遇する・衆知を集める・礼の精神を取り入れ、日本の福祉を良くしていかなければならないと考える。今回、この『人間を考える』という、永遠のテーマである松下幸之助塾主の考えの根底の本と対話をして、具体的に自分自身も実践できるように今後も対話し続け、考えなくてはならないと感じた。
 日本の高齢者福祉が良くなっていくように、今後は自分の中で具体的に考えを提示できるようにしていきたい。
 人間とは弱い生き物だと感じる。今日良くても明日はどうなっているかわからない。自分のことがまずできなければ相手を認められない。しかし、塾主は

「万物の王者」※6

という表現を使われている。そして

「人間は崇高にして偉大な存在である」※7

ということも同時に述べられている。すべてのものを処置処遇できる力を備えられているため、王者としての自覚を持たなくてはならないのである。人間の可能性を信じ、この壮大な「人間」というテーマに向き合っていきたい。

<引用文献>
※1松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年 p138
※2松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年 p188
※3松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年 p65
※4松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年 p162
※5松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年 p11
※6松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年 p11
※7松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年 p11

<参考図書>:
松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年
松下幸之助『PHPのことば』PHP研究所 1979年
松下幸之助『私の行き方・考え方』PHP文庫 1986年
中桐万里子『二宮金次郎の幸福論』致知出版社 2013年
日本福祉大学社会福祉学部
『日本福祉大学社会福祉論集』第125号2011年9月 『介護殺人の現状から見出せる介護者支援の課題』湯原悦子
森山千賀子・安達智則『介護の質 2050年問題への挑戦』クリエイツかもがわ 2012年
小坂憲司 『認知症の防ぎ方と介護
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2013年6月 執筆
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