論考

Thesis

日本の伝統精神とおもてなし

日本の伝統精神について松下幸之助は「和を貴ぶ」「主座を保つ」「衆知を集める」と述べている。本レポートでは「おもてなし」と日本の伝統精神について考える。

はじめに

 2013年9月8日、東京へのオリンピック招致のプレゼンテーションで滝川クリステルさんのスピーチが話題となった。

 「東京はみなさまをユニークにお迎えします。日本語で『おもてなし』と表現します。それは訪れる人を慈しみ、見返りを求めない深い意味があります」と、そのスピーチは始まった。そして、次のようなことが語られた。「もしみなさまが東京で何かを失くしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。たとえ現金でも。実際に昨年、現金3000万ドル以上が、落し物として、東京の警察署に届けられました」*1

 このスピーチ後、東京オリンピックの開催が決まり、「おもてなし」に関する著書が出版されたり、「おもてなし」という言葉が頻繁に使われるようになってきた。

 そのような中で、私は日本の伝統精神を考えた際、「おもてなし」は欠かせないと感じた。

 本レポートでは日本の伝統精神とおもてなしについて考えることとする。

1、おもてなしの語源と日本の伝統精神について

 おもてなしの語源は「表なし」という1つの意味がある。つまり、裏表がないということとされる。

 その根底に流れているものは古くから存在する、神様への「おもてなし」が儀式として日本の中で続けられてきたことと深い関係がある。

 目に見えないものに対しても敬意を払い、感謝をする。それは日本人が昔から続けてきた「裏表なく、見えないところでもきちんとする」ということである。

 今でも続いているものの一例としてお盆がそれにあたる。目に見えない先祖をお迎えするためにきゅうりの馬とナスの牛を作る。

 その意味も「帰ってこられる時は馬で早く、帰りは牛に乗ってゆっくり帰っていただく」という目に見えないものに対する思いやりが込められている。

 相手のことを考え、人に気づかれなくても目に見えないところにまで気を使う、できることを精一杯するというのが「おもてなし」なのである。

 では、これは相手のことだけを考えて行われているものなのだろうか。

 お盆の行事には仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、先祖は苦しみから逃れられ、生きている自分達も幸せになれるという意味があるという。

 つまり、相手に精一杯のおもてなしをすることで自分達も幸せになれると信じて行ってきたのである。

 この考え方をベースに次の節では「おもてなし」の原点とされる、茶道の「おもてなし」について考えてみることとする。

2、茶道とおもてなし

 茶道においては、お客様を迎える際、道具を選び、掛け軸を選び、お茶室や庭の掃除をする。季節に合わせてお菓子や器の色も選び、お茶を飲んで頂く一瞬の時間のために何日もかけて用意をするのである。そして当日の気温や気候によって湯の温度の加減を見てお茶を入れる。これには「一期一会」という考え方がベースにあり、客もまた、招かれたことに感謝し、お茶会を盛り上げるように努力する。

 お茶の世界では皆平等であるという考え方なのである。時に主客と亭主が入れ替わり、主人だった人が客となることも客としてもてなされていた人が主人になることもある。

 「茶の湯とは時間の経過」である。一瞬で消えていくものであり、残されるのはよい時間をともに過ごしたという記憶なのだ。

 その一瞬の時間を作るために主人は何日も前から準備をし、客人はその意を汲みとることによって茶事を盛り上げ、感謝を表すのである。「一座建立」という言葉があるが、もてなす側ももてなされる側も一緒に主客一体の座を作るのである。

 お茶の世界での「おもてなし」で大切にされていることは、その一瞬の時間が「とてもよい時間だった」とお互いに思えることだ。お茶室が綺麗なだけでも高価な器を使うことだけでもダメ。主客、主人ともによい時間を過ごそうという考え方がなければ、よい時間を作ることができない。

 つまりお互いにお互いの立場を思いやる気持ちがなければ成り立たないのである。これは言い換えれば、「自分が明日あそこの立場になったら」という、相手と自分を同化させる気持ちがベースにあるということであろう。

では、これは日本だけの考え方なのだろうか。次の節ではおもてなしとサービスの違いを考える。

 3、おもてなしとサービスとホスピタリティ

 よく、外国人に「日本に訪れて一番驚いたことは何ですか?」と質問した際、「自動販売機が夜中でも外に置いてあり、誰にも壊されたり、お金を盗まれたりしていないことだ」と答えるのをTVやインターネットなどで目にする。

 この現象の正体は何なのか。それは「自分も相手の立場になりえる」という、相手=自分と捉える日本人の精神にあるのではないだろうか。前節で述べたように、茶道では、主客も主人もともにその時間を盛り上げようという考え方がある。上下があるわけではなく、平等という考え方である。

 しかし、イギリスのデービット・アトキンソン氏は日本のおもてなしは必ずしも海外の人に受け入れられているわけではないと「東洋経済」で記事に書いている。

 日本のおもてなしは無償であり、チップの制度がない。チップがないことによって、サービスが悪かった際に価格を客が割り引く制度がないことが問題であると考える外国人が多いという。*2

 また、イギリスで世界中から称賛されているホテルは専属のサービスマンがおり、何から何までその人がしてくれるそうだ。

 「サービス」という言葉の語源は「奴隷」という意味が含まれている。

 このようなことからもわかるように、サービスには上下関係がはっきりと出るのである。

 次に、おもてなしの訳としてよく用いられる「ホスピタリティ」について考えてみる。ホスピタリティの語源は十字軍の救護宿とされる。聖マルコ騎士団などさまざまな騎士団が戦いに出て行く時に、沿道の住民が宿を提供したり、食事を出したり、けが人の救護をしたことがはじまりだと言われている。

 サービスとホスピタリティに共通しているのは、「サービスする側」と「サービスされる側」の境界線や上下がはっきりしているということである。

 ここにはサービスされる側のマナーや考え方などは一切入ってこない。日本におけるおもてなしとは大きく違うところであろう。では、なぜ「おもてなし」が日本では大切にされ、これまで伝え継がれてきたのか。

 次の節では松下幸之助が考える「和」とおもてなしについて考えることとする。

4、和とおもてなし

 松下幸之助は日本の伝統精神を「主座を保つ」「衆知を集める」「和を貴ぶ」の3つであると述べているが、この「和」ということとおもてなしに大きな関わりがあるのではないかと考える。

 サービスやホスピタリティとおもてなしの違いは前節で述べたが、なぜこの考え方が日本で培われてきたのか。

 松下幸之助は日本人はもともと平和を望み、築いてきた民族であると述べている。その具体的な事例として、上杉謙信が敵に塩を送ったことが挙げられている。

 その背景は日本が狭い島国であり、農耕民族であったことが一つの要因ではないかと考える。狭い国土の中で同一民族が争いがないように生きていかなくてはいけない。

 日本には豊富な資源があるわけでもない。助け合って生きていかなければ生きていけなかったのである。

 家を直す時も昔は近所の人が皆で1つの家を直し、それを順番に繰り返していたのである。

 相手を考えることで平和を築いてきたのではないだろうか。

 そこから、相手を自分ごとのように考える「おもてなし」ができてきたのではないだろうか。

5、日本の伝統精神とおもてなし

 これまで、日本のおもてなしの語源、サービスやホスピタリティとの違い、そしてなぜそのような考えに至ったのかを述べてきた。それを踏まえた上で今後の日本が訪日外国人に対してできる「おもてなし」について考える。

 「サービス」とは前の節で述べたように一種、「奴隷」という意味がある。その意味と日本のおもてなしを同じように考えると「期待はずれ」という認識になってしまう。そもそもの性質や語源が違うためである。

 「○○をしてください」と言われた際に完璧に、言われたことだけをこなすのがサービスである。一方、言われる前に相手の望むことを行うのがおもてなしである。それは人に褒められても褒められなくとも行うものである。

 そのように考えた時に今後、日本が発展させていかなければならない「おもてなし」は外国人が「日本に来たけど不自由しないよね」という環境を作ることではないだろうか。日本は他国よりも英語が通じないと言われている。言語が通じないことは海外から来た人にとって不安要素の一つとなる。

 私自身、2年前にタイに行った際、全く言語が通じなくて不安な思いをしたことがある。恐らく、日本に来る外国人もそのような思いをしているだろう。そこに対して思いを寄せ、できる限り不自由がないようにすることが必要であると考える。それは、もしかしたら「当たり前」とされ、誰からも褒められないかもしれない。しかし、そこをより考えられるのが日本のよさであり、本当のおもてなしであると考える。

 そして、2つ目に日本が世界に貢献できることとして考えられるのが、「もてなされる側」のマナーである。上下関係ではなく、平等で「お互い様」という考え方で平和を築き、より円滑に物事を進めることにつながるのではないだろうか。

 「和を貴ぶ」ということを松下幸之助は述べているが、これは日本だけでなく、本当は世界中の人々が願っていることである。そのためには、お互いがお互いに相手を気遣うことが必要なのではないだろうか。

 日本の伝統精神の根本の考え方を伝えるためにはその背景をきちんと言語化しなくてはいけない。

 それによって、日本に来てくれた外国人が「おもてなし」の本質を感じ取って自国に持ちかえってくれたら、少しだけ世界が良くなるのではないだろうか。

 そのことをまず、私達自身が認識する必要がある。

 今回、私が言語化してきた「おもてなし」は恐らく一面にすぎず、まだまだ言語化できていない部分が多いと感じる。

 日本の良さを言語化し、他国や次の世代に伝えることが私たちの使命なのではないだろうか。

  「日本の伝統精神」について考えた時に、日本独自のものなのかどうか、とても難しいと感じた。日本は衆知を集め、様々な文化を融合させ、日本独特の形に変えて伝えられてきたこともあり、とてもあいまいな部分が多い。

今回は「おもてなし」と日本の伝統精神について考えたが、日本が今まで大事にし、これからも守っていかなくてはならないものは何なのか、改めて考え、次の世代にも引き継ぎ続けなくてはいけないと感じた。

<引用文献>

*1http://www.tv-asahi.co.jp/ann/「滝川クリステルさんのプレゼンテーション」

*2http://toyokeizai.net/articles/-/70079 東洋経済 online「英国人、おもてなし至上主義日本に違和感」

<参考文献>

『茶のこころを世界へ』千玄室 2014年PHP研究所

『おもてなしの源流』リクルートワークス編集部 2007年 英治出版株式会社

『人間を考える第二巻 日本の伝統精神 日本と日本人について』松下幸之助 1982年 PHP研究所

『美人の和しぐさ』小笠原継承斉 2008年 PHP研究所

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松本彩の論考

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