松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

日本語英語


研修レポート 一覧へ戻る
2012年10月

研修レポート

体育より徳育の100km行軍
塩根嗣理/卒塾生

100kgで100km――それを最低限の目標とした私であったが、何と自分に甘いことか。しかし、怪我の功名?塞翁が馬?いずれにしても、今回の100km行軍では、様々な得難いことを体験できたので、それを反省しながら報告させていただく。

 

1.準備期間

1)不安と幻想
 「100キロは大丈夫か?」――ん?100km?100kg?きっといずれも心配に違いにない。入塾前から多くの方々にこう声をかけていただいた。声をかけていただく度に、確かに不安はあったが、“何とかなるでしょ”という根拠のない楽観的な部分もあった。「こう見えても昔ね・・・」――そこには、過去の幻想に囚われ、現実をみつめていない愚かな私が居た。

2)無責任な責任感の果てに
 各研修の担当責任者――つまりその研修のリーダー決めにあって、私は100km行軍の担当を買って出た。この同期で皆でゴールするにあたって、一番の不安要素は間違いなく入塾時の体重が0.12tの私であったので、己を律する意味でも、最悪の場合に“自らの首は自らの手で”という意味でも責任感を持って臨んだのであったが・・・結果は、無責任な責任感としか言いようがないものとなった。改めて、同期にはお詫びさせていただきます。

3)50km予行~敗軍の将
 8月下旬、大した準備もなく、本番への感覚を掴むため、本番のコースの後半の50kmで夜間行軍を行った。結果は、50kmを歩き切ったものの、行軍のペース、休憩時間の配分ができていないこと、足のマメ、股ずれ等の予防・対策不足、何より私は体重超過を深く反省材料するとともに、「50kmでこの状況だと100kmは厳しいのでは」と少し絶望感も得られるものであった。浅はかな考えで、50km行軍の後に軽く海外に行く予定を立てていた私は、その予定もキャンセルできず、足を引きずりながら成田空港に向かった。駅や空港内をヨタヨタと歩く姿は、まさに敗軍の将であった。ただ、この時の惨状を目の当たりにし、私以外の同期は“チームとして何をやるべきか”を考えていたことを後に見せつけられる。また、私はこの結果を受けて、金で解決できることは何とかしようと、道具だけはかなり揃えて挑んだが・・・

2.100km行軍当日

1)物心体一如の準備不足
 物や情報が溢れた社会に翻弄され、不安とともに詰め込まれた品々で膨れ上がったリュック、平常心を装いながらもやや多い脈拍数、そして・・・あれ?熱が37.7℃もある。もう一度、測り直して、37.4℃。今日は暑いし、興奮しているから?一抹の不安が残りながらも、塾員、塾の職員、先輩方の温かいエールに包まれながら、スタートの時を迎える。心も体も物も、何も満足に準備もできていないことに気付くのにはそう時間も距離もいらなかった。

2)20km地点まで~同期との違和感
 台風の襲来も予想された空は、嘘のように澄み渡った青空で、この時期にしては暑い。平野先生に覚悟を促されて詠んだ辞世の句の枕詞の“露霜の”が全く季節感なく消え去る。ただ、風は心地よく吹いて、海に目をやればサーファーの方々が気持ちよさそうに波に乗っている。「気持ちいいなぁ~」、「いや~腹減ってきた」、「何か前回より楽に来ているわ」との同期の言葉。ん?いや、体が異様に重いし、異様にのどが渇くし、不思議なことにこの私目が食欲なし。何より少しぼーっとする。この暑い天候だから?20km地点で昼飯もそこそこに念のため、体温を測る。38.2℃。取りも敢えず、私以外は志気も高らかに、出発!

3)30km地点で~やばい
 何とか気を紛らわしながら、同期に励まされながら、30km地点に達する。しかし、体が熱い。のどが渇く。関節が痛い。体温は38.5℃。薬をもらい、効くことを願って出発!周囲のサポートの有難さと優しさがスポーツ飲料とともにスッーと体と心にしみ渡る。

4)50km地点まで~無我夢中
 40km地点。どう歩いて来たのか定かではないが、辿り着いた。熱は37.9℃。薬が効いたか、少し下がった。少し食事も摂ることができた。ここから、私の様子をみるのと、もしものため、日下部主担当と廣瀬先輩が伴歩してくださる。ただ、正直この間、夢の中のようで、気が付いたら、50kmであった。50km地点では、その少し手前で同期が熱冷ましの対策を講じてくれたおかげで36.9℃まで下がる。足も前回の50kmと比べたら、かなりマシである。周囲の優しいサポートと同期の機転のおかげで何とか続行の許しも得て、再出発。少し同期と会話もできるようになるが、それも束の間。

5)65km過ぎ~荷物と化して
 もはやリーダーとしての役目どころか、足のマメが歩く度に数が増え、膨れ、足を着くのもままならない。歩くスピードが極端に落ちる。まさに、ただのお荷物というより、“大荷物”と化す。しかし、そんな私をも見越して、同期には秘策があった。文字通り、同期に引っ張られながら、歩き続ける。時間管理も、私の荷物も他の同期に任せ、“負んぶに抱っこ”状態で、ただただ足を少しでも、一歩でもと出し続ける。平野先生の“少しでも前へ”の言葉を思い出しながらも、だんだんと足が動かなくなる。この周囲に負担をかけている現状が、事前準備の不備もあり、足よりも別の部分が痛む。それをしみじみと噛み締めての後半の行軍となった。

6)感謝のゴールへ
 後半は熱だのマメだのと言っていられないくらいアドレナリンは出たが、スピードはでなかった。その結果、最後まで同期や周囲のサポーターの方々にはご心配とご迷惑を掛け放しとなった。本当に己の不甲斐無さを反省し、周囲の優しさ、温かさに感謝するばかりであった。辛い時、不思議と大好きなTUBEの曲でなく、サザンの曲が流れた。また、出陣式で先輩方が送ってくださったエールの言葉と歌が頭を駆け巡った。「塩根も多分できる、きっとできる」――その頭を流れたエールの言葉にも助けられ、一歩一歩を踏み出せたと思う。
 ゴール前、同期が「リーダー真ん中で並んで行こう!」と言い出した時は、本当に浅い責任感を反省しながらも、0.112tの神輿を長時間担ぎ続けてくれた同期に感謝し、感動するしかなかった。本当に大勢の温かい出迎えの中、ゴールした時は自分の不甲斐無さも忘れて、感動に浸り、この同期で良かったと心から思えた瞬間を迎える。この気持ちが生涯続くかはわからないが、この同期、周りでサポートしてくださった方々の支えがなければ味わえなかったひと時であったことは確かである。

3.100km行軍を終えて~感謝協力のこと

 奇跡のゴール後も、まともに動けない私を、本当に多くの方々がサポートしてくださった。小さな歩道の段差、階段一段さえもまともにかわせない自分になって、今の自分の弱さとともに、普段の己の傲慢さを痛いくらいに感じとることができた。また、周囲の優しさや温かさも普段以上に感じられた。ついでに、世の中の道路や駅、空港等の構造がまだまだ弱者に優しくない、ユニバーサルデザインはどこにやらということも感じた。
 今回の100km行軍は、私ひとりでは到底成し遂げられなかっただろう。多くの方々に支えていただいて、どうにか達成させていただいたものである。自主自立とは程遠い結果であったが、感謝すること、また他人に協力することの大切さを痛切に感じさせていただいた。本当に皆様に感謝しかありません。今後もこの“感謝協力の事”を忘れず、大事にしながら、社会に少しでも貢献できる人間となれるよう研修に励みたい。まさに“感謝協力の事” を学び続けた23時間34分33秒、100kmの道のりであった。身体の育成より絆や道徳心を磨かれた行軍であったと感じるばかりである。
 なお、食べ物はゼリー系のもの以外は食べずに歩いた100kmであったが、体重は全く減らなかった。50km行軍時はしっかり食事しても3kg減っていただけに少しショックであった。このように、世の中には未だ解明できないこと、無常なこともあるが、しっかりと己の甘さを認識、反省しながら、日々の小さな努力を重ねて行く所存である。未だ道半ばの100kgへチャレンジは続く。

   百キロ後 ブルーシートに 寝転びて 食すアイスや 甘さひき立つ

2012年10月 執筆
  1. HOME >
  2. 卒塾生一覧 >
  3. 塩根嗣理 >
  4. 体育より徳育の100km行軍
ページの先頭へ