論考

Thesis

人間とは何か~「調和ある生成発展」を世界に先駆けて~

自然への畏れの欠如、科学技術への油断。東日本大震災は、私たちが築き上げた、近代社会の脆弱さを突いた。一方で、私たちには先人と同様、不屈の精神で挑戦し続け、人間の発展に貢献する天命がある。人間とは精神の動物である。だからこそ、反省すべきを反省した上で「人間は万物の王者」(松下幸之助)であろうとするべきだ。

1.狭くなった地球

 有史以来、人間は競争や闘争、あるいは協力により、その文明を発展させてきた。人は、芸術作品や建築物、文学、宗教などの文化、あるいは科学技術を発展させてきた。途中、二度の大きな戦争などで後退した事もあったが、歴史的観点から全人類を見れば、発展の方向に進んできた。科学技術や文明が急激な進歩を見せ、人類は石油、核エネルギーに代表される大きな力を手に入れ、有史以来、空前の豊かさを手に入れた。人類は月に到着し、着々と宇宙開発に手を伸ばしている。世界中を航空機と電波が飛び交い、ITに代表されるグローバル化は、ヒト、モノ、カネ、情報の移動を一気に進め、世界の人々の距離を物理的に近づけた。

 一方で、その代償も大きかった。地球は意外に狭く、地球資源は有限であることに気づいた。地球温暖化などの気候変動問題は、人類の生存そのものを脅かす。また、偏った貧困はテロを生み出し、その脅威は世界を不安に陥れ、リーマンショックに代表される、投機的な「カジノ資本主義」は、国家主体ではそのリスクを制御出来ず、世界経済を不安定にした。さらに、将来的には人口増加が続き、気候変動と相まって、食糧危機、水資源危機などのリスクも指摘される。人類全体がステークホルダーとも言うべき大きな問題だが、遅れて来た新興諸国と先進国の意識のかい離が、問題解決を一層難しくしている。このような世界情勢の中、我が国では東日本大震災が起きた。大津波はやすやすと堤防を乗り越え、町を破壊し尽くした。原子力発電所は、今も全国に放射能をまき散らし、人々に恐怖を与え続けている。

2.万物の王者の自覚

 塾主・松下幸之助は、人間は万物の王者であり、宇宙の法則に従い、長久なる人間の使命として、生成発展を続け、物心一如の繁栄を達成することだと述べる。私は、「人間は万物の王者である」とは、人間はそのような姿であるべきだ、という理想・規範を語った言葉なのだと考える。王者とは、君臨するというニュアンスではなく、その物事が持つ能力、可能性を最大限に引き出すことができる存在なのだという意味なのだ。あえて人間の明るい側面に意識的に光を当て、目指すべき姿として提示することで、人間はより高みを目指すことができるのだ。人間は感情の動物であり、その能力を最大限に引き出すには、人間の機微を踏まえた「根拠ある希望」が必要だ。いわば、「人間の性の自覚」と「万物の王者たる自意識」は、車の両輪のようなものだと考える。人間の中で、自戒の念を持ちながらも、前を向いて果敢に進むバランスこそが大切なのだ。この気持を持つことで、より「崇高な義務感」が一人一人に生まれ、その価値観の変化が積み重なれば、世の中を大きく左右する力になる。同時に、指導者は明確な国家理念を、国民と共に創り掲げ、「万物の王者」たる国民が向かうべき方向を示すことで、より一層の高みに向かう。

 松下塾主は、万物の王者であるための方法として、欲望の結果、好ましくない方向へ行く可能性のあるとも指摘する。個人の利害得失や知覚、才覚におぼれた結果、往々にして失敗しうる存在であり、「人間には、神に匹敵する側面と、動物以下の側面がある」と。

 同様の指摘を安岡正篤先生は、中国の歴史を踏まえ、「結局、つきつめて言うならば、人間が健全であるか、頽廃するか、ということの二つに帰着する。人間というものは、苦難の中から成功するのであるが、いざ成功すると、容易に頽廃、堕落して、やがて滅亡する。これはいつの時代でも同じことでありまして、人下は性懲りもなくこれを繰り返し来ておるわけであります」と述べている。油断し、大きな痛手を負うのは、人間の性なのかもしれない。だとすれば、その人間の性を自覚し、それを減じる手段を講じねばらならない。松下塾主は「人間の性」をあるがままに受け入れ、「その性を極力減らす、あるいは見極めて活用する」という処遇を行うことが大切だと指摘する。そのためには、豊かな「礼の精神」と「衆知を集める」ことこそが必要であると述べるのだ。つまり、人間の可能性を正しく引き出すためには、あらゆる側面からの見識を集める、様々な見方に対し、たとえ自分とは違う意見に対しても、敬意を持って謙虚に受け止める。受け止めた上で、最後は、私心のない心で、自分たちが責任を持って主体的に決断する、との姿勢だと考える。

3.「想定外」と衆知の軽視

 ひるがえって、今回の震災に対する東京電力の責任者たちによる「想定外」の言葉には、厳しいようだが、「長久なる人間の使命感」も「万物の王者」の自覚もなく、ただただ、自らの利益を優先するという「性」に流された結果、安全対策を軽視し、起きた事故なのではないだろうか。一部の研究者は、東日本大震災との類似性が指摘される貞観地震(869年)とそれに伴う大津波の再来と炉心溶融(メルトダウン)が起きる可能性を指摘していた。甘い基準を見逃してきた政治と官僚の責任もあまりにも大きい。疑わしきに対処するのではなく、疑わしきは却下する。「想定外」は、実は費用対効果の結果、経済性・効率性が優先された結果であり、想定外ではなかったとも言える。そこには、自然への畏れの欠如、科学技術への過信が見える。原子力という、極めてリスクを抱えるエネルギーを使う前提条件として、人類の全能を尽くし、全ての最悪の状況を想定して、多重な安全網を確保することが、最低限の条件であるはずである。取り返しのつかないほどの大きなリスクを伴う技術を取り扱ってきた責任感が見えない。この最悪の事態に対する「可能性」への冷淡な態度こそが、多くの悲劇を生んできたのではないだろうか。この異論に対する「礼のなさ」、そして「衆知を集める」ことの軽視こそが、問題の本質にあると考える。

4.人間の使命とは

 このような国難の時期、そして世界的な課題が山積みの状況にあってこそ、改めて「人間とは何か、人間の長久なる使命とは何か」を考え、原点に立ち返るべきだ。私は、人間には宇宙に潜む偉大なる力を開発し、生成発展し続ける事で人類の発展に貢献する使命がある、そのための情熱は燃やし続けるべきだと考える。ただ、産業革命以後の人類の発展は、ある種の、経済・開発に代表される発展至上主義的な側面があったことも否めない。

 これからの時代を考える上では「調和」を伴った生成発展こそが大切だ。「伝統と革新」「物の繁栄と精神の繁栄」「競争と共生」など、一見矛盾するものを両立させる「理念」を描き、それを実現する道筋にこそ、今後の人間の発展の形があると考える。ただ、この理想を目指しながらも、現実を見据えて、目をそらさず本質を見抜き、教訓を炙り出しながら進む必要がある。

 たとえば、原子力発電を考える時、日本でも脱原発の声が多く出ている。中長期的には自然エネルギーへの転換を目指すべきだと考えるが、一方で当面は、日本のようなエネルギーの外部依存が高い国が、エネルギー分野での技術基盤を発達させることは極めて重要であることも自覚する必要がある。ドイツやイタリアが脱原発が可能である背景には、フランスからのエネルギー供給が可能だからであり、フランスは世界に冠たる原子力発電の推進国なのである。また、仮に日本が全面撤退しても、中国や韓国、台湾など、近隣に多くの原発を計画する国が存在する。日本が原子力の安全性を確立する技術をしっかりと蓄積し、専門家を育成せねば、責任ある発言も交渉力も確保できないのだ。今回の原子力問題は、むしろ人災の側面が強いのも事実であり、理想的な自然エネルギーの普及を目指しながらも、現実的な視野を忘れずに、一歩ずつ取り組まねばならない。まずは、原発被害者の救済と対策、そして既存の原発の安全性を高めることだ。

 人間とは、精神の動物である。反省すべきを反省し、護り受け継ぐべきものを護り、人間の性を自覚した上で、「人間は万物の王者」であろうとするべきだ。痛みに屈せず、気高くあろうとする時、人は一層の力を発揮出来る。私たちには、油断があった。それが、人間の性かもしれない。だが、その弱点を自覚した上で、万物の王者たる自覚を持ち、前を向いて果敢に進む決意を各人が持ち、また、指導者はその思いを生かすためにも、明確な理念を打ち出すべきだ。何を変え、何を護るべきなのか。かつて、私たちの先人は不屈の魂で、終戦後の苦難を乗り切ってきた。そのために、今、一番必要なのは、根拠ある希望なのだ。「戦いに敗れて精神に敗れない民が偉大な民である」。ドイツ・オーストリアとの戦争に敗れたデンマークの指導者、エンリコ・ダルガスは、失意の底にあった国民を鼓舞し続け、見事に同国を豊かな国によみがえらせた。戦後の焼け野原の中、吉田茂は明確な経済復興路線を明確に打ち出し、戦後の復興を成功させた。スペースシャトルの打ち上げ失敗直後、レーガン元大統領は失意に沈む米国民に、人類の探求と発見の尊さを訴え、国民を鼓舞した。遅れる復興状況に、被災者は懸命に耐えながら、前を向く。一刻も早い復興作業を進めながら、指導者は大きな物語を描くことこそが求められているのだ。

5.調和ある生成発展を

 その姿は、個人は自立し、使命感を持ちながら、互いに助け合う新たな国づくりの第一歩になる。そして、その土台である国家ビジョンを実行性あるものにするためには、「衆知を集める」ことが必要となる。この衆知を集める作業は、知恵を集める事にとどまらず、国民を巻き込み、当事者とする側面がある。さらに、大きな人類の使命から考える時、この世界状況を打破するための役割が、日本に廻ってきたと考えることができる。すなわち日本人が伝統的に大切にしてきた、あらゆるものを受け入れ、「調和」する形での発展を可能とする理念を世界に発信していくのだ。

 これからの世界は、気候変動など、人類の生存の危機とも言える地球環境問題の一方、より豊かになろう、より強くなろうとする新興国とのギャップの解消が一つの大きな課題となる。人間の性を受け入れれば、そのような新興国の動きを無理に止めるのではなく、彼らの理解を求めることで相互理解を深めるとともに、彼らを国際秩序のステークホルダーとして取り入れる戦略が必要だろう。そして、日本にはその橋渡しとして、大番頭のような調整役として果たせる役割があると考える。

 日本はともすれば、終戦後には自分の世界に閉じこもり、極力、世界秩序を積極的に創りだす行動を慎んできた。だが、現在の不安定な時代、そして勢いのある新興国を説得する作業が必要となる時、時代ごとに各国家・民族に役割があるとするならば、今度は日本が役割を果たす時代が訪れたのではないだろうか。今こそ、「世界を経営する」位の気概を持って、人類のあるべき姿を世界に発信する覚悟が求められる。

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千葉修平の論考

Thesis

Shuhei Chiba

千葉修平

第30期

千葉 修平

ちば・しゅうへい

仙台市議会議員(太白区)/自民党

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