論考

Thesis

「格差問題」を考える

人間の幸せとは何なのだろう。今の日本は果たして幸せな国といえるのだろうか。現在の日本は「格差社会」といわれるが、このような状況下で、今後の日本が進むべき道を、松下幸之助塾主の人間観に照らし、熟考してみた。

1.「格差問題」の本質とは?

 人間の幸せとは一体、何なのだろう。私は、社会の中で、的確な「役割」を持ち、その役割に誇りと生きがいを感じ、日々を生きていくことだと考える。では、今の日本は果たして幸せな国といえるのだろうか。かつての一億総中流から、中流層の崩壊による「格差社会」へ。世の中は何となくギスギスし、勝ち組・負け組の言葉が、日本社会の分断を象徴する。私は、この格差問題の本質は、単なる経済格差にとどまらず、それに伴う、社会における「役割」すら奪われた人たちが大量に増加したことにあると考える。

 すなわち「社会的排除」といわれる状態であり、いわゆるワーキングプアやホームレスであり、貧困の連鎖から抜けきれない子供たちである。この問題の根底には、日本の伝統精神を無視し、人間の本来あるべき姿に反した、私たち日本人の漂流する人間観があるのではないだろうか。今のままでは、長い期間で見たとき、日本という国が国家として、持続可能には思えない。なぜならば、分厚い中流層は社会の安定力であり、ここが崩れるということは、社会が不安定になり、やがては民主主義の底割れにすらつながると考えるからだ。

 河上肇の『貧乏物語』にある一文、「富を有するものはいかにせば天下のためその富を最善に活用しうべきかにつき、日夜苦心しなければならぬはずである」との言葉は、今回の問題を考える上で示唆に富む。

2.「新しい人間観」の意義

 松下塾主は「新しい人間観」で、「人間には万物の王者としての偉大な特質が与えられている」と述べている。その意味は、決して傲慢な意味ではなく、「か弱い人間を“偉大なる王者”として認識することで、王者としてふさわしい責務、行動を自ら自覚実践しなければならない」ということだという。

 私はこの思想に共感を覚える。人間とは、時には自分を律し、時には奮い立たせる思想が必要だと思うからだ。近代経済学は、人間の全ての行動原理をインセンティブ、すなわち自己利益のために走ることを前提にしている。1980年ごろから、この行動原理を学び、「人間はこの程度のものだ」と考えた人々が、金融や企業、あるいは政治分野などで活動してきた。その結果は、資本主義の暴走であり、「人間はこの程度」と考えた人たちは、自らも欲望に忠実に行動する。この、欲望むき出しの人間同士の骨肉の争いが、さらなる精神の貧困を招くという悪循環を招いたのではないだろうか。ギスギスした日本、さらに世界を覆う空気は、損得を超えた、人間としてふさわしい精神的美しさ、すなわち「万物の王者たる自覚」を放棄した、成れの果てに思える。松下塾主は恐らく、ともすれば、人間が流され、陥りやすい欲望という列車に安易に乗ることに、歯止めをかけていたのかもしれない。

 特に、政治や経済界の指導者層の責任は大きい。その与える影響の大きさを鑑みれば、より一層、王者たる責務を自覚しなければならないし、王者たるにふさわしい行動を実践すべきだ。単なる弱肉強食では、動物と変わらないのではないだろうか。松下塾主は「新しい人間道の提唱」の中で、「いっさいのものの天与の使命、特質を見きわめつつ、自然の理法に則して適切な処置、処遇を行ない、すべてを生かしていくところに人間道の本義がある。この処置処遇をあやまたず進めていくことこそ、王者たる人間共通の尊い義務である」と述べている。つまり、政治・財界の指導者たるものは、全ての国民が、少なくとも最低限の幸せを感じることができるような処遇を施す義務があるのだ、と私は解釈する。

 松下塾主は、偉大な本質を持つ人間が、それと相反するような姿に陥る原因について、「かかる人間の現実の姿こそ、みずからに与えられた天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする結果にほかならない」とする。逆にいえば、人間が自分のすぐれた本質を自覚すれば、不幸や貧困などの根本的原因を解決できると考えた。そして、自らの潜在的可能性を知ることが重要だと説いた。これは、松下塾主の厳しくも、温かいエールなのではないだろうか。

3.慈悲の心は今も日本人に

 そもそも塾主の「新しい人間観」には連帯・協力の精神が根底にあり、それは一言でいえば、慈悲の心なのだと、私は考える。慈悲とは相手の立場に共感する力だ。たとえば、今の日本のワーキングプアや大量の派遣切りの問題は、他人事なのだろうか。現在の日本社会は誰もが容易に、滑り台のように転落する可能性があることを自覚すべきだ。年間の自殺者が10年連続で3万人を超えたという事実は、やはり異常なことだ。時代の空気に、こわばりを感じざるを得ない。

 私自身、この慈悲の心の重要性に気づいたのは、ある出来事がきっかけだった。それは華やかな繁華街の片隅で、汚れた毛布にくるまり、泣き疲れたような顔で眠る老女のホームレスに出会ったことだった。道行く人々は、同情どころか、誰も気にもとめない。彼らには当たり前の光景だったのだろう。だが、ふと意識が変われば、見えてくるものは全く違ってくる。私自身に関していえば、ふと、彼女の幼少期に思いを馳せた時に、景色が変わったのだ。「彼女にも親がいて、子供の時代もあったはずだ。ここまで転落する前に彼女に手を差し伸べてあげるきっかけがあれば、彼女の人生は全く違ったものになったのではないか」と思えた。彼女の姿が、現在の崩壊していく中間層の姿に重なった。その時から、貧困、自殺、事件など、記者として自分が向き合ってきた問題の向こう側に、社会のひずみと現場から遠い政治の姿が見えてきた。人々のきずなを再生し、現場と政治の距離を近づけ、「困っている人を助ける温かい政治」を創りたいと思った。今にして思えば、これは慈悲の心に突き動かされたということなのだと思う。この慈悲の心は、ふとしたきっかけで湧き起こるものなのだろう。そして、日本人の本質として、変わらずに生き続けているのだと思う。きっかけさえあれば、慈悲の心の再生は可能だと思う。

 保守思想の大家・福田恒存の言葉を借りれば、現代の社会生活は断片化され、ひとつひとつが燃焼しきることなしに、断片から断片に追いやられているという。派遣労働者などはその最たるものではないだろうか。不安定な身分で長時間低賃金労働を強いられ、不必要になれば真先に切り捨てられる。一年前に秋葉原で起きた、派遣労働者による大量殺人事件。真相は分からないが、一方で、彼の置かれた職場状況に対し、彼は、自身の与えられた社会での「役割」が奪われ、尊厳を傷つけられたと感じたのではないか。

4.おわりに~生成発展に向けて~

 この世は常に変化する。だが、松下塾主によれば、その変化はより良い方向に生成発展していくのだという。その解釈の理由を、松下塾主は「仏教の諸行無常を、『世ははかないものだ』という意に解釈すれば、現世を否定し、生きる気力をなくすようではお互いの繁栄、平和、幸福の上に大きな問題だ」と考えたからだとする。非常にパワフルで前向きで、かつ合理的だと思う。今の私たちに必要なことは、この目標に向かって突き進む前向きさではないだろうか。

 松下塾主は「新しい人間道の提唱」で次のように述べている。「人間道は、人間をして真に人間たらしめ、万物をして真に万物たらしめる道である。それは、人間万物いっさいをあるがままにみとめ、容認するところから始まる。すなわち、人も物も森羅万象すべては、自然の摂理によって存在しているのであって、一人一物たりともこれを否認し、排除してはならない」。

 この世に無駄なものはない。ましてや、人間に無駄な人間などいない。全ての存在を生かせるような、21世紀の新しい支え合いの仕組みを、私は構築したい。「失われた10年」と、それに伴う日本社会の歪みは、いわば日本人が自らの主座を捨て、「日本人らしさを急速に失った10年」であり、「生きがい」を軽視した10年だったといえるのではないだろうか。日本人としての「主座を保ち」ながら「衆知を集める」ことで、塾主が目指した「生きがいある」社会の実現が可能となるはずだ。

 また、私たち塾生が唱和する塾是には、「新しい人間観」という言葉が盛り込まれている。

塾是
真に国家と国民を愛し
新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し
人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献しよう

 政経研究所の冊子『「新しい人間観」について』によれば、「『新しい人間観に基づく』ということは、より一般的な表現を用いるならば『人間の本質に基づく』あるいは『真の人間性に基づく』ことを意味している」という。

 すなわち、「人間性を無視、軽視して物事を行っていけば、それは必ず人間自身を苦しめ、人間社会に混乱をもたらす結果となる。とりわけ今日のように、人間の科学が非常に進歩し、いわゆる物質文化が高度に発展してくると、人間がよほどしっかりと人間自身を把握し、人間としての主体性を確立していかないと、人間がみずから作り出した物や制度、組織などにふりまわされ、いわばその奴隷にもなりかねない。(中略)したがって、日本を、さらには世界をよりよい姿にしていくための理念を探求するに当たっても、まず人間の本質の把握、人間としての自己認識、換言すれば、人間観の確立が、その前提として大切であり、(中略)そうした人間に基づくものでなければ、真に人間の幸せに結びつく理念とはなりえないであろう」という。

 では、この格差問題の本質的な解決、すなわち、社会における「役割」すら奪われた「社会的排除」といわれる状態をどう解決し、そして日本という国の生成発展をどう実現すべきなのだろうか。

 私は、これまで述べてきたように、まずは国民意識の土台に、日本の伝統精神、特に「和を尊ぶ」精神を復活させ、また、「新しい人間観」に基づき、人間としての責任を改めて考えてみることが重要だと考える。日本人にふさわしい人間観を持つことで、それを土台に、具体的な制度・システムの構築が可能になるのだと思う。

 私の素志でもある社会投資国家、すなわち、公教育や雇用政策を通じて「社会的包摂」を達成するシステム創りも、結局は、このシステムに対する共通認識を創り、国民に受け入れてもらう土壌がなければ、机上の空論になってしまう。少子高齢化が進み、財政状況が悪化する中、社会的排除に陥った人たちは、あるいは彼らを手助けする福祉は、国家のお荷物なのだろうか。決してそうではないと考える。むしろ彼らの天分を生かす、あらゆる階層、年代の人たちに、実質的に「機会の平等」を与え、より高みにジャンプできるような、目の細かい、トランポリンのようなネットを張り巡らせることは、国民の連帯感を高め、国の経済成長戦略になるはずである。何よりも、慈悲の心を重視した、日本人の生き方に合致するのではないだろうか。

参考文献

松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年
松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』PHP文庫 1994年
財団法人松下政経塾 政経研究所編『「新しい人間観」について』財団法人松下政経塾 1981年
福田恒存『人間・この劇的なるもの』新潮文庫 2008年
河上肇『貧乏物語』岩波文庫 1965年

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千葉修平の論考

Thesis

Shuhei Chiba

千葉修平

第30期

千葉 修平

ちば・しゅうへい

仙台市議会議員(太白区)/自民党

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