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人間観
2007年6月

「新しい人間観」の考察 -その発想の原点を探る-
熊谷大/卒塾生

「人間は偉大である」という塾主松下幸之助の考え方は、新しい人間観として提唱された。この考えの基底には「万物の根源」という唯一無二の発想が横たわっている。「根源」を探りながら、塾主の人間観の「根源」を見つめる。

 

1.根源の社

 大阪府門真市にある松下電器産業本社に「創業の森」と命名された木立があり、その中に松下創業者夫妻の銅像、少し奥に「根源の社」と書かれた立て看板がある。さらに進むと比較的大きなお社が佇んでいる。このお社の説明は次のようになっている。

「宇宙根源の力は、万物を存在せしめ、それらが生成発展する根源となるものであります。その力は自然の理法として、私どもお互いの体内にも脈々として働き、一木一草の中にまで、生き生きとみちあふれています」

 松下幸之助氏(以下松下)の重要な考えの一つに、宇宙には万物の生成発展があり、一切を生み出す大きな力が働いている、というものがある。それを松下は「根源」と称し、お社を組み、お祀りした。これを根源の社という。時に松下はこの根源の社の前に座り、日々大きな存在により自分が生かされていることへの感謝を奉げた。実際に足を運び調べてみると根源の社は松下電器産業にとって重要な拠点に鎮座している。一柱目は松下電器本社の創業の森、二柱目はPHP研究所京都本部、そして三柱目は松下電器の迎賓館、真々庵にある。松下は、特に真々庵の根源の社の前に円座を敷き、瞑想に耽ることが多かったと聞く。このことから根源の社が松下の精神的な拠り所として機能していたことがうかがえる。

 根源の社は、松下の「新しい人間観」を考えるとき、まさにその思惟の「根源」となっている。人間を「新しい」視点、つまり「人間は偉大である」という考え方によって認識し、捉える術。今までの「古い」人間観とは全く違った見方。従来はマキァベリズムのように「獅子の如く猛々しく」「狐の如く狡猾」でなければならなかったり、あるいは教会の権威に捉われていたり、また性悪説や性善説といった荀子、孟子の捉え方が人間観の基礎であった。こうした人間観とは一線を画し、松下は、「人間は万物の王者である。この天命を自覚し、宇宙の動きと自然の理法に順応し、生成発展する一切のものを活かす役割を与えられている」とし、「物心一如の真の繁栄を生み出すことが人間の使命である」という。私は、この考えの源泉が知りたいと単純に思った。それを、根源の社、龍神信仰、そして伊勢神宮というキーファクターで解きほぐしたいと思う。

2.繁栄は約束されている?

 松下は後年、事業の大成功の理由を当時松下の秘書、現PHP研究所社長江口克彦氏に尋ねられた際、次のように語っている。「なんも恵まれておらなかった者が、一応の成功をしたということは不思議やろ。それらしい説明は、聞かれればしてみせるけどな。正直言うと、なぜこうなったのか、ほんとうのところの理由はわしにも、ようわからんのや。」江口氏はその成功の源を「大きな存在」によってもたらされ、万物の根源という考えにつながったのだと解説する。

 根源の社の発想について、根源の発想がPHPを考えた際に出てきたこと、そしてそれは様々な経験や人の話、宗教の見聞を繰り返した結果、浮かんできたことを、松下自身、作家下村満子氏との対談『松下幸之助「根源」を語る』の中で次のように語っている。

「(人間観の発想について)ぼくは、宗教とかそんなものに入っておったら、あんな発想できないですよ。何にも入ってないでしょう。入ってないけれども、何か神様とか仏様を信仰するという、そういう信仰心というものは必要やと思うんです。(中略)それで結局、人間というものは、自分が信仰する神様をつくることができる。それならPHPも神様をつくっておこうと…」。
さらに続けて、万物の根源である天地自然の理に従うことによって
「人間というものは、天地自然の理によって繁栄して、それが幸福に、平和にいくようにちゃんとなっているんや。それを自覚しないために、自分の知恵とか、欲望とか、そういうものにとらわれて喧嘩になったり、病になったり、餓死したりする」
と定義している。万物を支配する大きな法則。それを根源としたPHP運動は「宗教を超えた心の建て直し運動」として捉えることができる。繁栄、成功は自然の理法を産出する根源によって導き出される。その象徴に根源の社を考え出した。松下は『松下幸之助の哲学』において、信仰心は人間の本能と位置づけ、天地の恵みはすべての人に平等に、宇宙根源の力によって既に用意されているのだ、と主張する。人知を超えた根源の生成発展によって生まれた万物の一つである人間は、その根本的な誕生から「偉大」であったのだ。

3.根底に流れる幼児体験

 人間観の出自が根源様であり、宗教を多分に意識したものであるのならば、松下の宗教観も合わせて考える必要がある。松下の宗教に対する態度は『人間本来の姿に立ち返ろう』の中で「政治に限らず、すべての社会的事象は、宗教に根底をおかなければいけませんな」と発言していることから、真摯なものだったとしてうかがえる。さらに船場で丁稚として修業した松下は、大阪商人が一通り信仰するような商売の神様を敬うことを、礼儀やそろばん、言葉使いと同じように日常の仕来りとして学んでいたと想像できる。この真摯な姿勢は大正7年、松下電気器具製作所の設立の際、松下家の氏神であった白龍大明神を守護神として祀っていることにもよく表されている。彼の大きな存在を敬うという信仰心は幼いころに経験した下記の原体験があるのではないだろうか。少々長くなるが『経営秘伝』からの引用である。

「昔な、わしがふたつか、三つのときに和歌山の家にな、大きな蔵があったそうや。むろんわしは覚えておらんが、会社がほどほど大きくなったころ、昔あなたの家でお手伝いをしておったものですが、といって訪ねてきた人がいてな、そのおばさんが言うにはその蔵には主と言われていたへびが一匹住み着いておったそうやが、ある日、わしの兄さんや姉さんたちが集まって、まあ子供だから遊び半分ということもあってそのへびを石かなんかで殺してしまったというんや。
 あなたは小さかったからそれに加わらなかった。遠いところから眺めておっただけやったということや。それでな、その人がいうにはあなたの兄弟が早死にしたのはそれが原因です、あなたが成功したのはそれに加わらなかったからです、とそういうことを言いにきたことがあったな。まあ、そうかどうか知らんが、ああ、そういうこともあったんかと思ったことがあったな。(中略)まあ、だからどうと言うことでもないけど、へびはいじめんほうがええようやな」

 民俗学者南方熊楠によると、蛇は日本人にとって信仰の対象であって、神社の注連縄、鏡をはじめ、正月飾りから田んぼの案山子まで、造形化され、祀られる。松下は松下電器の事業所が増えるごとに、松下家の氏神である龍神をその事業所に配置した。実は、蛇と龍の関係は深い。龍は蛇などうろこをもつ鱗虫類の長であり、龍のもともとの由来は蛇を人格化した人面蛇身である。龍を祀ることは、すなわち蛇を敬うことにつながる。元をたどれば、龍神は和歌山の生家付近で盛んに信じられていた民間信仰の一つであり、農家であった松下家の家には龍神を祀る祠があったといわれている。

 実際、松下電器産業本社に白龍、光雲荘には善女龍王、松下電池には青龍、松下電工グループには黒龍など、計130余のお社があり、加藤大観師の指導により勧請された。

 さらに浅草寺に雷門を寄進した際、龍神の彫刻をあしらっていることからも龍神信仰に深く影響されていることが理解できる1)。松下電器産業株式会社で最も重要な施設、真々庵に鎮座している根源の社の東側に凛として立ち上る杉の木々が枯山水の白石から伸びているが、筆者はそれらの杉を根源の社の守護神として上り龍を表現したのではないかと想像する。ここに根源の社と龍神の習合が為されたわけである。先に述べたような幼児体験を経て、氏神を敬う姿は、松下に古来から実践されてきた日本人の、ごく当然の慣習を喚起させたのだろう。この「当然」とする日本人の態度の根拠を伊勢神宮に見出したのではないのか。

4.伊勢神宮

 「日本人の心のふるさと」と呼ばれ、日本神話の聖地伊勢神宮は、天照大神を内宮に、豊受大神を外宮に迎え、質素で素朴、しかし永遠ともとれる永い年月の積み重ねをその佇まいとともに披露している。

 神宮崇敬者総代を務めた松下は神宮茶室を献納し、神宮の発展とその意義深さに敬服を示していた。彼は若かりし頃、伊勢神宮との出会いを、平安神宮と八坂神社との比較において次のように表現している。

「伊勢神宮は平安神宮、八坂神社の絢蘭豪華と比べ、鳥居、橋といった素材のすべて余分な装飾がない。非常に質素であり、清楚さを醸し出している」。
神宮の佇まいそのものが飾り気なく、自然であり、日本人の心そのものを表していると感じた。深い感銘を受けた松下は、西行の次の歌が心に染み渡ってきたと述べる。
「なにごとのおはしますかは知らねども 忝さに なみだこぼるる」

 すべての日本人がお伊勢様をよりどころにしてきた、と彼は感じる。そして、「日本人が持っているこのこころもちを素直に出しさえすれば、日本の秩序が保たれ、みんな幸せになっていくんだ」と吐露する。神宮から溢れ出る「何か」は、理屈ではない。「何があるかわからないが、何かしらそこに尊いものが感じられる。知らず知らずのうちに心が清められ、日本人としての在り方について何かしら教えられる」と率直に述べている。

 その後、松下自身の心のよりどころとしての神宮、ひいては宇宙の存在は何か、自然の理法とは何か、という答えを神宮に発見したのではないか。伊勢神宮を敬うことの効用を彼は二つ挙げ、一つには自らを律することができる、もう一つには人間の存在を深く考えるようになる、としている。曰く「宇宙、天地自然がある。その作用によって人間が生まれたとするとその行為に対して応えるものがあっていい。それに応えることが一つの礼であって、神を祀ること」

 伊勢神宮の存在は、宇宙観や自然の理法、そして、日々新たな生成発展の思想につながっている。なぜなら神宮は、仏教と違い死生観を極めることをせず、永遠に生き続ける生命の源を祀るからだ。その大きな特徴として、式年遷宮がある。これは20年に一度、心身を新たに、神宮のすべてが新しく取り換えられる儀式である。1300年の歴史を持ち、今もなお継続されるこの儀式は、まさしく生命という有機体が久遠の時を経ても受け継がれていることを淡々と示している。生命というのは古くならず、日々新たに発展し、常に新しい。この考えはなにも式年遷宮を待たなくともよい。下記のように神棚の祭り方にも記してある、神道にとってはごくありふれた考え方なのだ。

「お神札は、新しい年の始めに、あらたに、おむかえするのが、昔からのならわしです。自分自身も、家族全体も、社会全体も、日々あらたに更新しつつ発展したいと願う心構えは、こうして新しいお神札をお迎えすることから確立します。」

 松下が重要な事業所に龍神だけではなく、神宮の内宮を模した「根源の社」を鎮座させたのも合点がいく論理ではないか。8分の1という大きさにも、従来日本人が「八」という数字を末広がりであったり、全世界を表す「八荒」であったり、あるいは天下を表す「八紘」、八百万の神々も「八」を使用し、とても多いこと、大いなる存在に思いを寄せる姿勢が読み取れるのではないか。そして日本は「八」百万の神々が、意見を出し合い、他者の言い分に耳を傾け、相談し、話し合いで物事を決定する国なのだ。松下の言葉を使えば「衆知」を集め、「和」を以て物事に臨む、となる。

5.「新しい」人間観の根底にあるもの

 「根源」とは何かを認識し、根源の偉大な力によって生かされ、この世に生み出されことを有難く思い、感謝する。松下は堂々と高らかに宣言しているように思う。「人間は偉大である」と。彼の言葉を借りれば、万物の「経営」を人間は任されている。なぜならそれは人間が、何度も強調するが、「偉大」であるからに他ならない。松下が唱えた「新しい人間観」とは、人間を客体化し見つめ直した結果、「根源」という大いなる力に気がつき、その深い洞察力を以て探求した末に「原日本(人)」というべき古神道や伊勢に辿り着いたのではないか。古来、日本の神々は衆知を集め、「和」という合議制を用いて社会や組織を経営し日々発展してきた。

 松下の「新しい人間観」は、衆知、主座、和という日本が伝統的に培ってきた精神と、万物の頂点に立つ人間としての経営責任を再生産し、われわれの目の前に提唱したのではなかろうか。

6.結び

 松下政経塾の塾生には、使命が与えられている。もちろん、繁栄、平和、幸福を日本だけでなく、世界規模で実現させることだ。しかしながら、世界には星の数ほど生き方、文化、宗教、紛争、欲望、習俗がある。それを生み出し、営んでいるのは人間である。とすれば、何にもまして、「人間」をまず知らなければならない。人間を知る手だてとして、この「新しい人間観」を体得し、実践していくことにすべてがかかっている。松下政経塾の塾是には「真に国家と国民を愛し、新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探究し…」とあるが、私は、人間観の根底にあるものを自分なりに調べた後は「政治の経営理念を探究し」と手前勝手に解釈するようになった。しかしながらそれが塾生としての使命を自覚する第一歩だと確信している。


1) 明記しておくことは、松下はあくまでも宗教に対しては中立を貫いたことである。そこでもいいものは取り入れ、長所を伸ばすという人づくりに長けている松下の気質が見て取れる。会社移転の際、門真地区は「鬼門」だとして移転をやめるように忠告されたことがある松下は、「そんなことを言ったら細長い日本の地形は鬼門ばかりでしょう。だから日本に住んでいる以上、気にしてたらあかんと思うた」しかし、「頭からは否定しない。聞いておく程度」にすることを明言している。

参照文献

松下幸之助 千宗室著 『物とこころ』 読売新聞社 1972年
松下幸之助 立花大亀著 『人間本来の姿に立ち返ろう』現代史出版会 1976年
松下幸之助 田川五郎著 『明日をひらく経営』 読売新聞社 1982年
松下幸之助著 『人間を考える 新しい人間観の提唱』PHP研究所 1972年
同上 『私の行き方 考え方 わが半生の記録』 PHP文庫 1986年
同上 『人生談義』PHP研究所 1990年
同上 『人間としての成功』 PHP文庫 1994年
同上 『リーダーを志す君へ』PHP文庫 1995年
同上 『君に志はあるか 松下政経塾塾長問答集』 PHP文庫1995年
同上 『松下幸之助の哲学 いかに生き、いかに栄えるか』 PHP研究所 2002年
俵孝太郎著 『PHPの世界 松下幸之助の現代への提言』 日本能率協会 1970年
『日本人のための日本再発見① 伊勢神宮』 旭日出版 1972年
大久光著 『志伝 松下幸之助』 波書房 1975年
プレジデント編 『松下幸之助の研究 終身現役をささえるものは?』プレジデント社 1980年
下村満子著 『松下幸之助「根源」を語る』ダイヤモンド社 1981年
渡部昇一著 『松下幸之助全研究 日本不倒翁の発想』 学研 1983年
藤木二三男著 『松下幸之助のこころ その魅力と成功の原点』 日本文芸社 1989年
南方熊楠著 『十二支考(上)』 岩波文庫 1992年
江口克彦著 『経営秘伝 ある経営者から聞いた言葉』PHP文庫 1992年
同上 『成功の法則 松下幸之助はなぜ成功したのか』 PHP研究所 1996年
佐藤悌二郎著 『松下幸之助 成功への軌跡』 PHP研究所 1997年
谷口全平 「南無根源!-松下幸之助の宗教観」『論叢 松下幸之助』第2号 PHP研究所 2004年10月
2007年6月 執筆
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