論考

Thesis

次世代の国家の理想は子供たちがよく知っている

地球規模での経済活動は地球規模でのヒト、モノ、カネの移動だけではなく同時に、環境やエネルギー、水、食糧などの課題を我々に提示している。その解決策はどこに求めたらよいのか。日本が古くから培ってきた神々に対する姿勢に何らかのヒントがあるのではないか。

Introduction:

小悪魔たち:エロイッサーム、エロイッサーム!
メフィスト:この世に地獄などない。地獄を生むのは人の心だ。
メフィスト:ささやかな欲望がより集まって大いなる戦争を巻き起こすのだ
メフィスト:この世は欲望だけ。欲で動く世界。欲の深い人間ども、地球は欲の塊この世に欲のある限り争いは終わらない。悪魔の政界は不滅なのだ

—-オペラ2幕 美女と野獣

Cool Japan:

 私は日本のサブカルチャーが好きだ。特にマンガ。小学生の頃、少年ジャンプは毎週欠かさず買っていたし、高校生になるまでマンガは身近にあった。高校2年生で一年程アメリカに行き、帰国してから、連載物のマンガはわからなくなり、読まなくなった。それ以来、マンガは縁遠くなってしまった。

 大学生になりバックパックを背負ってヨーロッパを周遊した際、奇妙な人物に遭遇した。スペイン産のオタク達である。彼らは日本の漫画を持ち寄り、同人誌を書上げ、日本語の練習がしたい、これをどう訳すのか、と執拗に主張してきた。とりわけ鳥山明の『ドラゴンボール』は人気で、特にスペインでは暴力性の強い内容としてテレビ放送が禁止されているらしいのだが、それがまた逆にオタク達の興味を刺激し、日本のサブカルに触れてみたい、という想いを強くしていた。

 日本のサブカルの人気はヨーロッパ全土だけではなく、NYでもポケモンやキティちゃんが流行し、子どもたちから圧倒的な支持を得ていることから全世界に広がっている。先日、ネットでアメリカのテレビニュースを見ていると、子どもたちが欲しいクリスマスプレゼントのほとんどは、カード、フィギュア、テレビゲーム、DSなどで、ほとんどが日本製品で占められていた。世界の子供たちは日本が作りだしたキャラクターが大好きなのだ。“Cool Japan”。今日本のサブカルは世界から敬意をこめてこう呼ばれている。

欲望を是として発展したヨーロッパ近代:

 個人が欲望を肯定的に捉え始めたのはいつのことだろうか。それは「我思う故に我あり」という言葉を残した近代哲学の父デカルトからではなかったか。彼は近代の幕開けを「自己」という精神を示すことで出発させた。人間同士がお互いの存在を制御しながら、かつ調和させつつ生存できる社会システムの構築を目指し、その発露が社会契約論となり、その契約を保証する法体系が整えられ、さらにチェック機能や補完機能を兼ね備えた機構が整備されていく。資本主義と民主主義が西洋の長い歴史の中から表出するには、カルバンとロック、そして国家をリバイアサンに見立てたホッブスなど、貴族の利害、王権から絶対王政へ辿る道と宗教改革や市民革命を通した様々の制度的実験、その成功と失敗、矛盾と論理的整合性を繰り返し試みた結果を待たねばならない。曰く国家の役割は、「国民の生命と財産を守るために」存在する。その国民一人一人の私有財産制を明らかにしたのはロックであり、ロックの自然権に着想を与えた「考える自己」の概念の誕生を論理的に解明したのはフランスの哲学者デカルトであった。

 それまでのヨーロッパは、ウェーバーが描写したように「永遠の昨日」、つまりヨーロッパ的伝統主義が人々の思考のほとんどを占有し、個という感覚は生まれない。いかに昔日の習慣を永続的に繰り広げるかに苦心する。新しいことは試みることすら困難な時代が中世をとおして一般的であった。それがカルバンによる宗教改革と言う名の「労働」のとらえ方の見直しを経て、神に対する姿勢の革命が「予定説」を以して修正される。かかる労働への姿勢は近代資本主義の大前提となり、神が決めた「労働」に勤しむことが善となる。かくして、宗教的な意味合いが薄れた現在はその資本主義的倫理が人々の利益を飲みこみながら巨大化し、人の欲望は増殖され、発展的に促されることによって市場を創生する原点と位置づけられる。

国益とはなんだろうか:

 政治は公益、つまり人々、社会の利益の追求と実現のために行われる。『戦争論』を著したクラウゼヴィッツは、戦争は政治の延長にあり、国益を確保する事こそ重要である、と考える。戦争を遂行してまでも確保しなければならない「国益」とは何だろう。個人の利益、企業の利潤、そして国民の福祉や幸福を包含した利益の総体が「国益」というのだろう。では、さらに広げて考えて、国家規模グローバル化した世界において「国益」とは何か。

 各国は近隣諸国、地域と様々の国際条約、特に経済面において連携し、アメリカは北米大陸で、欧州はEUで、アジアはアセアンでそれぞれ排他的な経済地域圏を囲い、独自にFTA、EPAなどの締結を急いでいる。それまで一国内部だけでの利益の追求が、国の枠を超え、より広域な範囲を策定して「利潤」を追求している。ブロック経済化の恐れもなんのその、地域の繁栄と一国の繁栄を同等に据えることでグローバル化の波に乗ろうとしている。そこで疑問に思われるのは、果たして一つの国と、その地域を覆う地域が同じ利益を持ちうるのだろうか、またその同一の利益をめぐって争うことはないのだろうか。

 例えば、中国の日本海における油田の調査や韓国における竹島問題を見るまでもなく、同地域を共有する国家間でも解決しなければならない課題は山積しているのが現状である。まさしく東シナ海では、国家間の利益を巡り、それぞれの国のエゴがむき出しになっていると考えてよい状況にある。つまり国家の利益とは、元来自国の繁栄がもたらせれば他は関係ないという排他的な要素が多分に包含されているのだ。国益とは国民の幸福の追求や福祉も含まれているはずであるが、それらを追い求めた先に争いがあったとしたら、誠に本末転倒と言う以外はないであろう。

欲望と利潤追求:

 こうした人間の欲望の進む先を、地球規模で考えた場合、一国の利益や個人の利益、また一企業の利潤に帰結させて、それを守る時代は、これから通用しそうもないようである。特に、利潤追求の論理は見直しの時期に来ているのではないだろうか。国家の運営を考えると、近代国家の成り立ちそのものが私企業によって運営されてきた歴史がある。東インド会社、西インド会社、あるいはハドソン湾会社、そして日本の満州鉄道株式会社など、植民地運営を任された「私企業」がそれである。利潤を追求することは国家を運営していく上で大前提となっている。他者と争ってまで確保しなければならない「国益」の追求。このシステムこそが見直されなければならないのではないだろうか。手放しにしていると、結果的に紛争につながり、戦争をもたらす。個人の利益が他人の利益と同じではないように、一国の利益も他国の利益と同じであるはずがない。

 しかし、その利益がもし同じだとしたら、またその利益を同じ方向に向かわせることができたとしたら、諸々の国は和合し、協力して呉越同舟を体現できるのではないだろうか。塾主松下幸之助の掲げる政治理念の一つに「人間の欲の善導」がある。曰く「相手を考えない自分だけの欲望だと、それは共同生活に反するから、欲望を善導して国民それぞれのもつ欲望を合理的にみたしてやろう、それが繁栄の姿であり、平和の姿であり幸福の姿であるというのが、政治理念の根底である。」

 人間誰しもが欲をもつ。それはごく自然のことであって、否定されるべきではない。また禁欲的になる必要もないし、罪悪感を持つ必要もない。あるのはその欲望を自覚して人の為になるように方向付ければよいのである。では、いったいどのように欲望を善導する方向付けをしたらよいのであろうか。それは、人類が共通に直面している課題を真摯に見つめたときに見出される。

人類共通の課題:

 今まさに我々の目の前にある危機は食糧、エネルギー、そして環境である。国連によると世界人口の6分の1にあたる11億人が安全な飲料水を確保できない状態にある。食糧生産には水資源が不可欠であるが、WFPによると食糧は人口の爆発的な増加に伴って8億5千万人が飢饉にさらされている。そして巨大な人口を抱えるBRICSの台頭による大量エネルギー消費時代、さらに環境問題として、二酸化炭素の排出量が掲げられる。また気候変動にともなう洪水、砂漠化によって難民となってしまうケースがアフリカだけで486万人(05年UNHCR調)に上り、バングラディッシュでは毎年100万人が家を失っている。いずれの問題も、地球規模の対策が求められる。それを解決させるにもまた、地球規模の連携が必要である。短絡的に考えれば環境にかんする諸事情、関連事業をいかに利潤の多い事業に転換させて企業の目を環境保護に向かせるかなど思いつくが、それでも思想の根の部分が変わらなければ、またもとの木阿弥になることは必須だ。

神=自然との和合:

 見直される国家のシステムをどこに求めるか。それは日本が従来培ってきた自然との関係に大きなヒントがあると考えられる。先進国の中でも環境問題に積極的に持続可能な技術を有する国は日本以外にない。豊田自動車のハイブリットカーは語るまでもなく、環境に配慮した商品が巷に溢れている。なぜこうした環境に配慮した商品が多く作られるのか。それは日本が共有する自然観、この世のすべてのものに生命が宿り、神がいる、という宗教観から来ている。

 現在、「勿体無い」と言う言葉が世界をめぐっている。環境分野でノーベル賞を受賞したケニア前環境副大臣ワンガリ・マータイ氏が推し進めている運動の一つでもある。日本が伝統的に培ってきた考え方を、その背景を含めて広げるのに大いに活用すべき運動ではないだろうか。なぜならば「勿体無い」は深く日本の宗教、浄土真宗の考えに根ざしているからである。日本人には悉有仏性、全てのものに仏が宿り、仏性があり、仏であるという敬いが前提にある。心の奥底に「仏様にいただいたものは無駄にすることはできない」という感覚があるから、合理的に捌こうとするし、無生物も大事に扱い、無駄をひどく嫌う。もう一つ例をあげれば、クジラの扱い方がある。クジラを仏の化身と捉えれば、その神の化身を「有難く」いただけるのは仏の慈悲である。それを無駄なく利用しなければ罰があたる、と考えるだろう。捕鯨に際して欧米諸国がクジラの油だけを採取し、後は捨てていた事実がある一方、日本人は油、肉だけではなく文楽で用いる鬚もすべて無駄なく利用してきた。

 クジラだけではない。仏がすべての事象に宿る考えは対人関係にも見られる。「江戸しぐさ」と呼ばれる江戸の町衆の精神態度は、争いを回避し、見知らぬ他人同士が上手く隣人になれるように教唆している。その根底にあるのは「人はみな仏の化身と思え」である。一寸の虫にも五分の魂という感覚は日本独自の感覚であり、人間にだけではなくこの世に存在するすべてに慈悲を以て接している証である。慈悲の心は相手を慈しんだり、相手を思いやる心である。その相手は人間だけではなく、モノにもいかされ、他者を大事にする態度が自ずとあらわれる。

 悉有仏性は日本の古代信仰から派生した日本独特の考えである。八百万の神、汎神論が最も一般的な概念である日本はカミ様を敬い、あらゆる事物に精霊が宿るため、「カミ=もの」を大切にしてきた。リサイクルもごく当たり前のこととして実践されてきた歴史があるし、言葉にさえ神は宿り大切にされてきた。来る持続可能な環境社会には導入されなければならない精神態度ではなかろうか。このような精神性を持った国が形成して作り出す国家システムこそが今後の大きな課題を抱えた地球には必要になってくるのではないだろうか。

答えは子どもたちのなかに:

 地球規模で展開されている資本主義。それは人間の欲望を是ととらえることで社会発展につながった。しかし、今後の地球を考え時、従来のような、私有財産を守るためだけの国家機能だけを国民が欲していては、未来は暗いものになる。日本人の多神教的な宗教感覚が必要で、全ての人、事物が仏であり、神である。それゆえに大事に大切に思いやりを以て接しなければならないことを世界は学ぶ時期に来ているのではないだろうか。外国を旅した時、頻繁に言われたことがもう一つある。「日本人はなぜ優しいんだ?」その疑問に答えるのは非常に難しかったが、私自身、日本文化を掘り下げていく中でよく理解できた。

 国益ではなく人類のために。その萌芽は西洋諸国の子供たちが悉有仏性を反映したアニメや漫画といった日本のサブカルチャーを受け入れている姿に見出されていると考えるのは私だけではないだろう。

 私は、鳥山明作品が好きで、その中でも『Dr.スランプアラレちゃん』の世界観に他の追随を許さない要素がちりばめられていると感じる。『Dr.スランプ』で展開される世界観は極めて日本的な思想を背景として描かれ、また流通されている。主人公のアラレちゃんが住むペンギン村では、「境界」という概念がほとんど見られない。アラレちゃんは「豚クン」や忍者に仮装した犬と遊び、恐竜と対決する。天使のような姿をした「がっちゃん」はパートナーであり、また、彼女たちは宇宙と地球を自由に往来し、宇宙人の友達もいる。ウンチがしゃべり、草も木も主張し、太陽が歯を磨いている。ペンギン村ではすべての生命が平等に存在を認められ、受け入れられている。みながお互いを大切に思い、互助の精神がいきいきと描写されている。そうした世界観を「山川草木悉有仏性」と捉えることに何ら違和感はないだろう。

 このような全てに神=八百万の神があらゆる生命に宿っている、という極めて日本的な感覚を反映したマンガ文化が世界に受け入れられているだけではなく、“Cool”という形容詞まで戴いている状況に私たちは、これからの未来のあるべき姿を予見している事実を発見すべきではないだろうか。なぜなら、マンガ好きの大多数が今後の未来を担う世界の子供たちなのだから。

参考文献

ハンナアーレント著 大久保和郎 訳 『全体主義の起原 Ⅰ 反ユダヤ主義』 1972年 みすず書房
同著 大島通義・大島かおり訳 『全体主義の起原 Ⅱ 帝国主義』 1972年 みすず書房
同著 大久保和郎・大島かおり訳 『全体主義の起原 Ⅲ 全体主義』 1974年 みすず書房
ホッブス著 水田洋訳 『リヴァイアサン 2』 1964年 岩波文庫
大久保昌一良 『美女と野獣』 2008年 財団法人日本オペラ振興会
越川禮子著 『子どもが育つ江戸しぐさ』 2007年 KKロングセラーズ
小室直樹著 『日本人のための宗教原論』 2000年 徳間書店
佐藤悌二郎著 『松下幸之助 成功への軌跡』 1997年 PHP研究所
橋爪大三郎著 『政治の教室』 2001年 PHP新書
同著 『人間にとって法とは何か』 2003年 PHP新書
PHP総合研究所 研究本部 松下幸之助発言集編纂室 『松下幸之助発言集42巻』 PHP研究所 1991年
鳥山明著 『Dr.スランプアラレちゃん』 1985年 集英社
山折哲雄著 『日本文明とは何か パクスヤポニカの可能性』 2004年 角川書店

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熊谷大の論考

Thesis

Yutaka Kumagai

熊谷大

第28期

熊谷 大

くまがい・ゆたか

宮城県利府町長/無所属

Mission

東北地方全域における再生復興計画の包括的研究

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