松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2006年9月

塾生レポート

街づくりにおけるLOHAS的視点とは
田草川薫/卒塾生

個人の生活・価値観の一種であるLOHAS。個別活動を通じて事例調査してきたが、最近LOHASを街づくりに反映させたいという話をよく耳にする。本稿では、日本各地でLOHASを意識せずに街づくり、価値観共有に取組んだ結果、生活者の「自覚」を高めた例を挙げてみることとする。

 

 LOHASという切り口で個別活動を始めるようになり、国内外の様々な街づくりの事例を視察してきた。「健康」や「環境」というキーワードは個人のライフスタイル、生活様式の中でも重要な意味を持つが、最近では街づくりにも影響をもつようになってきた。「健康」や「環境」に対して積極的に取組む自治体の努力が評価されるようになっていることを鑑みると、今後、自治体が個性ある街づくりや政策立案する中で、「LOHAS」的判断が無視できないものとなってくることが予測される。また、健康や環境、街づくりという分野においては、個人の努力だけでは改善できないことがある。特に都市景観構想など公共の判断を要する場合は、個人のライフスタイルを越えた次元での政治的判断も必要となろう。住民や来訪者の関心を高め、個性のある街づくり、持続可能な街づくりにどのようにLOHAS的視点を織り込めばいいのであろうか。

 アメリカの町を例にとって見てみると、コロラド州のボールダー市では、1960年代に「非成長政策」というものを発表し、町の周囲にグリーンベルトと呼ばれる自然保護エリアを設けた。不必要に町が広がりすぎないように制限をかけ、大型商店の出店を防止することも意図したのに加え、個人に対しては新築家屋工事許可数を制限し、勢いだけで開発が進むことを抑制したこのである。経済的成長に対する抑制効果のようにも思えるが、今ではボールダー市は住民の平均年収が9万ドル以上というアメリカでも裕福な街の一つになっている。人口は約10万人程度と、決して大きくは無いが、コンパクト・シティの効果もありアメリカにしては珍しく公共交通(市バス)が充実している。そしてこのボールダーこそ、LOHAS発祥の地と呼ばれ、今では日本からの視察が後の絶えない街となっている。

 このように、行政がLOHAS的視点を取り入れ、街づくりをしている例はアメリカだけではなくヨーロッパにも多数ある。また、今後そういった取組を始めたいと思っている町は国内外に潜在的に多数存在しているはずである。本稿では、国内のLOHAS的街づくりの事例を取り上げつつ、そこから得られるものについて考察を試みる。

LOHAS×エネルギー 長野県飯田市

 LOHASというライフスタイルを実現するにあたって、検討が必要な重要なものとして、エネルギー利用がある。近代社会での生活を営む上で、エネルギーの消費は欠かせない。車を所有していなくとも、電気は必ず使うものである。また、公共交通を使用していたとしても、それは何かしらのエネルギー、特に化石燃料を消費して造られ、動いている。しかし、化石エネルギーの消費は環境に対して大きな負荷を与える。最も望ましいのは省エネに努めることかもしれないが、何かをしてはいけない、という否定的な解決方法ではなく、代替案を積極的に導入する肯定的な解決方法でエネルギー問題に取組んでいる自治体がある。

 長野県の最南端に所在する飯田市は、日本のほぼ中央に位置している。年間日照時間が1000時間以上の実測結果があり、日本でも最高レベルを誇る街である。NPOの実施する全国環境首都コンテストでは上位入賞を果すなど、環境意識の高い町として知られている。

 2004年度に環境省の「環境と経済の好循環のまちモデル事業(通称「まほろば事業」)に選定され、保育園や公民館といった公共施設に太陽光市民共同発電所を設置する事業が始まった。もともと住民の3割近くが太陽熱温水利用を活用していた飯田市では、当該事業が始まる前から、市が独自で補助金を用意し、個人設置に対する助成を積極的に行ってきた。1996年より始まった太陽光発電設置普及事業は2000年には人口約10万7000人、3万7000世帯の町で、1.24%の設置に貢献しているが、これは全国でもトップクラスの数値である。2010年までには全体の3割に普及することを目指しており、かなり野心的な目標であるといえよう。

 自治体の取組が積極的であることに加え、市内で活動する環境NPOも、適切な情報発信を図っている。そもそも太陽光発電は屋根に設置すると目に付きやすいため、人々の意識喚起には適している。その意識喚起「装置」を幼稚園や公民館といった人の集う場所に適切に配置し、意図や目標を解説する資料を用意し、さらに取組む難さのハードルを下げるための助成システムを用意する。まさに多方向からの多角的・多層的取組により、街中に自然エネルギーを普及させることに成功している。

 自然エネルギーを個別住宅に設置すると、発電量を意識するようになり、自ずと省エネが進むという傾向がある。この仮定に基づけば、自然エネルギーを設置する家庭は、自らの電力消費に化石燃料を用いることなく、さらに省エネという強制させるのが難しい行為も積極的に行うという一石二鳥の効果が出ることになる。経済的にも環境的にもメリットのでるWIN-WINの関係こそ、LOHASで理想とする暮らしに近いものである。

 生活の中で特に「意識」することのなかったエネルギーの利用に対して、個人の「自覚」を強めるために行政が支援する。町全体で協力し、目標達成へ向けての一歩を踏み出すという取組はパブリシティ効果もあり、「見られている」「注目されている」という感覚が、行動変化要因となるかどうか、今後の取組を見守りたい。

 太陽光発電に関しては、日照時間や設置できる屋根面積の問題など、導入に対して容易であるところとそうでない場合がある。飯田市のように助成金を設け、設置に対する呼びかけを行政が行うのはまだ珍しい例である。呼びかけが行われたとしても、それを理解する市民がどれだけいるかは測定できるものではない。機器への補助だけではなく、情報発信といったソフト事業への助成・補助も視野にいれ、自然エネルギー普及政策を導入する自治体が今後も増えていくことを期待したい。

LOHAS×農業 山梨県白州郷

 健康で、かつ環境を意識した暮らしをすることに「食」が欠かせない。安心して食べられる、美味しくて安全な食。それを作るためには天候や土地といった様々な条件が必要であるが、欠かせないものの一つに「水」というものがあげられる。生物の大半は水分でできており、人間の身体の7割が水であるということは周知の事であるが、水はまさに生命の根幹をつかさどるものであり、美味しい水のあるところには美味しいものが育つという。従って、LOHASな食を実現させるには、安心して飲める、美味しい水が欠かせない。

 美味しい水を得るためには、森作りが必要とも言われている。湧き水の名産地として知られる土地の中でも、日本の名水として評価が高い山梨県北杜市にある白州も森があってこそ生まれた。長い年月をかけ、花崗岩の岩盤からにじみ出る清らかな水は、代々と続く針葉樹の森の中を通ってようやく出てきたものである。街中を歩いていると、いたるところで水の音がし、豊かな水量をあらわしている。その水を使った農業を行っている白州郷牧場の現場を視察した。

 ここでは「発酵」の原理を用いて、基質となる野菜の生ゴミ、鶏糞、糠などにバクテリアを混ぜ、発酵液を作っている。この液体を畑に散布したり、鶏に飲ませたりすることで、循環する農業を行っている。もともと「子どもが裸足で過ごせる畑をつくりたい」という思いで出発したため、いかに安全な土地を作れるかに苦心してきた。自然の摂理で食べ物が育ち、それを感謝して食べるという物語を子ども達に見せるため、「嘘はつけない」と現地のスタッフは語る。

 LOHASを食や農業といった切り口で分析しようとすると、「有機」か「有機じゃないか」という選択や、「地産地消」「一物全体」「身土不二」という言葉での定義を試みる事例が多い。公正性を保つためにはある程度の分類必要なものかもしれないが、実際に現場の畑を見てみると、言葉では説明しきれない生命の動き、エネルギーのようなものが発せられているのを感じる。畑が生きているのである。

 土が生きており、そこでそだつ野菜も、野菜に付く虫も、全てが「生きよう」という想いを発しながら成長している。その中に入るだけで感じられる幸せというものが確かに存在する。言葉の分類なくしても、LOHASか否かは現場で体感できる。

 このような畑は小規模の手作業で進める農業の現場にある場合が多い。効率性や合理性を考える大規模農業ではどうしても機械や薬品に頼りがちとなる。機械や薬品も、使い方や量によっては畑を「殺さずに」済むのかもしれないが、生憎そのような例は少ないようである。

 日本を「救う」ための有機農業のあり方には別のレポートで述べたため、ここでは詳しく記載しないが、生産者と消費者、両方の気持ちがわからないと、LOHAS的農業とは何かという結論を出すのは難しい、とうい点を強調しておきたい。環境問題と農業という人間の生存に欠かせない二つの柱を融合させると、有機農業という方策は望ましい。アメリカやヨーロッパでも確実な伸びを見せており、今後日本でも有機野菜が標準化するかもしれない。今もそのような動きは始まりつつある。

 有機野菜を広めるに当たって、認証を取っているから正しい、取ってないからよくない、という単純な二項対立に陥ることなく、消費する個人がどのような基準で選ぶかという点に留意し、情報が普及されることを願う。生産者や販売事業者には、企業としての説明責任が発生することはもちろんであるが、その情報に基づいて選ぶ目、というものを個人が持つようになければ、言い換えると、個人が成熟し、肥えた目を持つようにならなければ、伝えるべきAUTHENTICITYが伝わらないという点である。

 命をつかさどるものだからこそ、安易に合理性や経済性で切り捨てることができない。だからこそ公平で公正な基準が必要となってくる。
この二点を意識して、個人が自己責任で選んでいく。選ぶための選択肢は多い方がよい。素材なのか、生産地なのか、作り手の家族の物語なのか。付加価値を決めるのは自身であり、それを伝えるのが生産者の務めである。売り手側も買い手側も成熟した関係になった時、LOHASの食がもっと身近になるのだろう。また、食に対する意識が高まるということも、前述のエネルギー利用同様、どのような生活をしたいのかという「自覚」の第一歩といえる。食糧が廃棄されている日本に住み、「自覚的に選択した農業製品の購入」という手法で、自分自身の健康と環境について変化を起こす。選択される農家も、全国からの期待を裏切らないためさらなる土作り、環境整備に励む。このような「自覚」の連鎖が都市と農村を結び、持続可能な街づくりの要素となるのである。

LOHAS×文化 香川県直島

 衣食住という「生きる」ことに欠かせない要素がある程度満たされて、人々の関心は文化的なものへと目が向けられる。この生活の中のゆとり、こそ、人間が本能のみでいきる他の動物とは違う点でもある。LOHASの根底にCultural Creativeという文化創造的活動があるとしたならば、街づくりにLOHAS的視点を入れる際に、アートのことにも触れるべきであろう。そこで瀬戸内海で行われている取組を視察した。

 これからの街づくりには「アート」が必要だ、という思いで、個人として街づくりを支援していることで有名なのが、学習教材で有名なベネッセコーポレーションの福武總一郎氏とベネッセアイランドともいえる直島である。瀬戸内海に浮かぶ周囲16km、人口3600人ほどの小さな島で、自然とアート、建築の共生をテーマとした「ベネッセハウス」が来訪者の芸術魂を刺激している。島に残る独特の古民家、建築物を活かしながら、生活と歴史という切り口で建造物の保存再生を図る「家プロジェクト」や建物そのものがアートである「地中美術館」など、福武氏の美意識がいたるところにちりばめられている直島。そもそもこの島がアートの発祥地となったきっかけはどこにあったのだろうか。

 直島はそもそも子どものための文化教育、創造の場としての活動が根底にあった。その活動は昭和35年から9期もの間町長を勤めた三宅親連前町長(故人)の働きかけに始まる。島の振興を図るため、昭和40年代に地主を説得し、民間による開発を期待して藤田観光株式会社に売却。しかし、国立公園の規制などによって、藤田観光は開発事業を進めることなく事実上撤退した。165ヘクタールもの土地が、活かされることなく無駄になろうとしていた矢先、三宅町長はベネッセコーポレーション(当時は福武書店)の創業社長・福武哲彦(岡山県出身)と出会う。1985年のことであった。共に「子ども達のために教育・文化施設が創りたい」という認識で意気投合し、ベネッセコーポレーションによる開発が始まる。

 当初は社員やその子ども達が集えるキャンプ場として、モンゴルのパオやドイツのテントを使い、教育キャンプが展開された。福武哲彦氏はキャンプ場オープン翌年の1986年にお亡くなりになったが、2代目社長・福武總一郎氏が開発を続行。暮らしを豊かにするため、そして暮らしに対する意識を深めるために「現代アート」用いることを試み、1992年に、現在の「ベネッセハウス」が完成した。

 現在、年間6万人から7万人訪れる観光客は、質の高い現代アートに触れるのはもちろんのこと、かつて外国の冒険家に賛美された瀬戸内海の美しい自然を目の当たりにし、豊かさとは何か、という価値基準を自らに問うきっかけを得ている。

 豊かさの価値基準を問うのに、直島についてはもう一つ知っておかなければならないことがある。観光客の目に触れることは少ないかもしれないが、島の北部では1917年以来、三菱合資会社(1918年より三菱鉱業、現三菱マテリアル)の製錬所が操業されており、かつてはおびただしい煙害により周囲の木々がほとんど枯れて、禿山となってしまった。今では植林活動を通じて大部分は復活しており、また煙害に対する規制が厳しくなったが、一見美しそうに見える島の裏側には、このような苦難の時があったことも知っておくべきだろう。

 三菱鉱業の企業城下町として栄えたからこそ、人口増加や豊かな税源、総合病院や映画・芝居等の娯楽など、瀬戸内の離島はおろか香川県内でも稀に見る豊かな生活を手に入れることができた。そうやって育まれた文化を楽しむ土壌がある。しかし、その感性は簡単に手に入れられたものではない。

 また、直島では、不法投棄により土壌が汚染された豊島から運搬される産業廃棄物を処理する施設を儲け、「エコタウン」としての街づくりを実施している。「直島エコタウン事業」構想(エコアイランドなおしまプラン)と呼ばれる事業では、最新の設備で飛灰を処理し、金属などの資源として再生するというエコビジネスが生まれようとしており施設の見学者も多い。

 現代アートといった作品を文化と呼ぶのと同じくらい、社会的事実をどのように捉え、何を感じるかも文化と呼べるのであるならば、直島ほどそれを学ぶのに適した場所はないかもしれない。美術を愛で、自然を愛でることができる人間が、同じくらい環境や自然、他人の健康を害する行為もしかねるという矛盾を体感し、豊かさの価値基準を問いかえてもらいたい。

おわりに

 LOHASというものが多様性に基づく価値観なのであれば、LOHAS的街づくりに正解はないといえるだろう。普遍的に成功する街づくりモデルはない。そこにあるのは、土地に根ざして住む人と、外から俯瞰する人が、共に協力し、切磋琢磨して共通の価値観、伝統を継承していくプロセスの積み重ねである。一つ一つの街を比較した時、互いに参照できることといえば、やる気を引き出すための小技であり、モチベーションが下がった時、どうやって乗り越えるのかというヒントだけである。

 主役になるかならないかの選択は個人に任されているが、それを一度引き受けたならば、途中で放り出すことなく、自分の一挙動どう歴史に刻まれていくかもしれないという思いで、長期的視野・価値を大切にして決定を重ねて頂きたい。自然が豊かで、文化的価値があり、人と人との繋がりが感じられる街。そんな街が一つでも増えれば、日本はもっと豊かで、もっと暮らしやすい国になるのではないか。

 都市計画専門家のリチャード・フロリダは著書、『The Rise of the Creative Class』で、農業や工業ではなく、文化的価値創造に関連する産業の人が増えれば増えるほど、彼らは土地に縛られることなく自由な経済活動を行う、と指摘している。そしてその経済活動は、従来の「所有」による豊かさの評価ではなく、「創造性の供給者」としていかに美しいもの、楽しいもの、人々に夢を抱かせるものを増やすことを目的としている。そのような人種が一箇所に集中するのではなく、点在することで、個性のある地方都市が増え、分散しつつも中核都市が栄えていくことこそ、今後の豊かな国家を創るのに欠かせないことではないだろうか。

 LOHASを街づくりの切り口にすることを願っている自治体も、結果的にそうなった自治体も、向いている方向は等しい。
文化的価値を高め、そこに集う人がイキイキとした時間を過ごせる街にしたい。
経済を地域内で循環させつつ、活力のある街を作りたい。
その地域固有の習慣や伝統文化を貴び、継承していきたい。
この当たり前のようなことが当たり前でなくなってしまった原因を、安易にグローバリズムや市場経済至上主義のせいにするのではなく、現在の高度情報共有インフラの利点を活かして発展させられるようになることを期待する。そのために自らできることは何かを模索し、時に仕掛ける方として、また時には楽しむ方として、街づくりに関わっていくことが自分自身のLOHASを実現する方法かもしれない。

以上
参考文献・資料

小澤祥司 『コミュニティエネルギーの時代へ』 (2003)岩波書店
佐藤由美 『自然エネルギーが地域を変える まちづくりの新しい風』(2003)学芸出版社
Florida, Richard “The Rise of the Creative Class” (2002) Basic Books
2006年9月 執筆
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