論考

Thesis

LOHASを流行で終わらせないために

「個別活動のテーマはLOHASにしようと思います。」二年次以降の活動予定を発表する場で、このような宣言をし、殆どの方に止められ、反対されたのは一年前のことだ。国内外の現場を巡り、実際に実践してみて感じたこと、気付いたこと、今後の関わり方などを年間の総括としてまとめてみたいと思う。

LOHASとの出会い

 LOHASという言葉を初めて単語として知ったのは2004年の1月、松下政経塾に入塾する前のことだった。東京都内の地下鉄で配られているフリーペーパーに掲載された記事が目に飛び込んできたのがきっかけである。
「環境に関心があり、社会的正義感を持ち、将来に対して憂慮しているし、今後が気になる。世の中のために何らかの貢献となることがしたい。」
フェアトレードのチョコレートやアメリカ発のコーヒーショップを紹介する記事であったが、そこから発せられるメッセージが頭に突き刺さり、「日本にLOHASを紹介した」とされるデンマーク人「ピーター・D・ピーダーセン氏(環境コンサル会社、イースクエア代表取締役)」の名前が忘れられないものとなった。

 「いつかこの人に会って、LOHASについて伺いたい。」漠然とした想いを願ったものの、何の接点も無い会社の社長に会えるとも思わず、一時はLOHASのことを忘れ、入塾してからは学生時代の頃から取組んでいた環境政策の研究を専門的に進めたいと考えていた。市民出資による再生可能エネルギーの普及促進や廃棄用食用油を回収して石鹸や代替燃料を製造するコミュニティ・ビジネスを通じて、地域の環境価値を地域で培っていく。そんなスキームを頭に描き活動を進めていた。

 ピーダーセン氏と実際に会う機会が生まれたのは、2005年1月、LOHASという言葉を知ってちょうど一年経った頃である。研究テーマをLOHASとした瞬間から、まず会いに行くのはピーダーセン氏と心に決め、あらゆる手段を活用したところ、知り合いの知り合いがイースクエアに勤務しているという。

 恐る恐るとったアポイント。指定された時間は朝8時。そんな時間にアポを入れられたことは初めてだった。LOHASを志向する人は早起きなのか。それとも単に忙しいだけで、その時間帯しか空いていなかったのか。緊張を感じながら、事務所に向かった。

 面会の目的は、二つ。一つは当たり前ではあるが、LOHASについての概要を伺うこと。もう一つは自分のイメージする社会像についてプレゼンし、フィードバックを頂くこと。その頃使っていたキーワードはLOHASではなくSPO、Social Profit Organizationだった。NPOという人の善意やボランティア要素に頼るのではなく、プロとして提供したサービスで利益を得、それを再度世の中に還元する。そんな機関、利益をSocietyに戻す機関があってもいいのではないか、と思いSPOの可能性を模索していた時のことである。コミュニティ・ビジネスの研究なども進めていた矢先、偶然ピーダーセン氏と話す時間がもらえた。知見の深いご本人からお話を伺えると思い、嬉々としてイースクエア社に向かった。

 プレゼン資料を持っての面接。与えられた時間は20分。何が伝えられるのか。
稚拙ながらも精一杯、自分が今まで取組んできたこと、これからの願い、SPOのことなどを話してみると、たった一言。

「LOHAS会議に行ってごらん。」

その言葉だけを頼りに、全く未知の世界に飛び込んだ。
意外にも、始めたその瞬間から馴染みやすい、すいすいと乾いた土壌が水を吸い込むかのようにLOHASが理解できるコトであることを感じる自分がいた。LOHASは学問ではない。特定の「モノ」でも「コト」でもない。単なるライフスタイル、生活様式の一種である。正解・不正解や上流・下流などは存在しないものだ。地球と自分に嘘の無い生活ができているか、それをただ問うだけである。

 難しい政策としてではなく、NPOとしてのスローガンでもなく、個人が、気付いた時から変えられるものがライフスタイル。無理をしなくてもいい。誰かにやらされているという強制的なものではなく、自分がやりたいからやっている自発的なこと。多用な選択肢の中から選べる主体性。こういったことが、個人を変える基本といえるのではないだろうか。
また、変化が具体的に目に見えるので、取組んだ分だけ結果が自分に跳ね返ってくるのも、ライフスタイルを変えたからこそ得られる反応といえる。そんな小さな事柄の蓄積が、結果として社会を変えているということを決して忘れてはならない。そのような手ごたえを自ら感じつつ、手探りの個別研修が始まった。

LOHASを受け入れること、広めること

 何の抵抗も感じず、自分がLOHASをすんなりと受け入れることができた理由は主に二つあると思われる。一つは、LOHASには以前から学問として研究していた環境課題やサステナビリティと重複する部分が多い点。スローライフやこだわりといったキーワードもLOHASと同分野の言葉であるため、考え方に共感できる部分が多かった。二つ目は、このような価値観を広めるにあたって、NPOの草の根的運動や官僚による政策的取組に限界を感じていた点が挙げられる。正しいことを正しく伝えようと思っても、国民の大部分には伝わらない。そして結局社会は変わらない。もっと大きな変化を起こす仕組みが必要だった。
社会を変える。チェンジ・ザ・ワールド。松下政経塾に入塾した動機にも重なる。

 今まで様々な手法を試しても、実践例を見てきても、主流(メインストリーム)になれなかった環境や将来を守るための価値。そんな新しい価値観を普及させる答えは、実はマーケットと、消費者にあったのだ。どんなに個人が環境に配慮した商品を欲していても、売っていなければ変えられない。企業も、政策の要件を満たすような環境配慮型製品を作りたくても、売れなければただ廃棄となるだけでは、なかなか取組めない。そこにLOHASというマーケットを作り出すことで、消費者と生産者のマッチングが実現可能となったのである。

 環境が市場でもてはやされる枠組みができ、勢いが生まれた。
マーケットの勢いが、今まで表舞台に出ることのなかった商品やサービスを主流へと押し上げ、選択肢が増えることにより商品やサービスのレベルが上がっていったのである。まさに切磋琢磨で次々と新製品が、しかも環境配慮型のものが生まれていった。リサイクル素材の折りたたみかばん、保温性の高いポット、オーガニックコットンのタオル。毎日使う日用雑貨から、耐久消費財まで、LOHASマーケットを意識した製品が次々と紹介されていく。その中には、自分が携わったものもあり、製品やサービスが広まっていく喜びを感じると同時に、そもそもそれらがLOHASかどうか、誰が決めているかの不安感が存在するのも否めないでいた。いつのまにか、LOHASファッション、LOHAS音楽、LOHASマンション、LOHAS、LOHAS、LOHAS。何でもLOHASという言葉が安易に使われるようになり、本物LOHASと偽者LOHASなる分類まで繰り広げられるようになってしまった。

 大手調査会社の結果によると、LOHASという言葉の認知率が45%に達したのは2005年の秋である。夏には22%しか知られていなかったにも関わらず、ほんの数ヶ月で倍以上の人が単語を認知し始めている。電車に乗ったら中吊りの中にLOHASの文字を、雑誌でも、ラジオでも、テレビでもLOHASという文字が躍るようになった。誰もが気にかけている。誰もが乗り遅れまいとしている。それがメインストリームになるということなのか。

 確かに、考え方としてLOHASに問題はないと思われる。Lifestyles of Health and Sustainability。自分自身の健康と、地球環境に配慮した持続可能な暮らし。文化を大切にし、伝統を大切にし、他人を受け入れ、世の中を良くしようと思い続けること。思いを「消費」という形で示す生き方。自分らしく生きる。価値観を持つ。このような考え方が、反対をされることの方が稀だろう。放っておいても自然と広まりそうな理論である。そして実際にLOHASは広まった。それが、認知率45%という数値で表されたのだ。

 だが果たして、本当にLOHASという言葉は「理解」されているのだろうか。国内外の事例を見てみると、言葉の認知率は低くとも実践が伴っている現場と、言葉は知られているが誤解されている現場があるのに驚かされる。一体その差はどこから生まれてくるのだろうか。受け入れることと、広めること、そして理解すること、さらに実践することは同じ次元ではないかもしれないと思うようになってきた頃、LOHAS本を出版する話が舞い込んできた。

 本の出版に向けて、更なる事例調査と、LOHASとは何かの分析を改めて行なってみる。すると、次から次に曖昧な点、決めかねる点が浮かんでくる。現場からの声と期待。消費者の趣向。それらの間に存在する溝をどう埋めるのか。LOHASを活かして持続可能な街は作れるのか。また新しい問いかけが発生した。

LOHASを活かす

 アメリカのLOHASフォーラムに参加し、その結果をレポートにまとめたことがきっかけで、様々なLOHAS事例を見せていただいた。LOHASな音楽、LOHASなカフェ、LOHASな洋服、LOHASなマンション。LOHASな街というものまで登場するようになり、この頃からLOHASとは一体なんなのか、と疑問を感じるようになる。日本人の29%がLOHASである。都市部の過半数はLOHASという言葉を知っている。さらには意識して暮らそうとしている。メディアを通じてみる言葉と現場に乖離が生じ始めていた。

 とある人口数千人規模の小さな町で、LOHAS的だと思うから見て欲しいといわれた際に見聞した驚きは今でも忘れられない。
「うちで作っている商品にLOHAS印を付けてくださいよ。そうしたら東京でも、なんでも高値で売れるんでしょう。」
目を輝かせる一次産業に従事する皆さん。その期待を裏切るのは辛かったが、嘘はつけない。LOHAS印も、認定証も存在しないし、仮にそのようなマークをつけたところで、それだけを信じて買うような消費者は本当の意味でのLOHAS層ではないのである。

 ポール・レイとシェリー・アンダーセンが研究したLOHAS層は、確かに意識が高く、価格やブランドといったもの以外の理由が購買動機になっている。たまたま学齢が高く、収入が平均より上の層だったというだけであり、そこを部分的に取り上げて、LOHAS印を付けたら高く売れると信じさせてしまっていることに、情報発信者としての責任の一部を感じた。
LOHASはビジネスになる。そういった思い込みがどんどんと広まってしまっているのを、どう止めればいいのか。一方で、LOHASを意識した街づくり、商品作りを進めれば、消費者に受け入れられますと言わざるを得ない立場で、心が揺れた。一体LOHASとは何なのか。そこまで人を魅了するものなのか。

 LOHASの事例として取り上げられる場所は、決してLOHASを吹聴していない。例えば、多くの雑誌でLOHASの聖地として取り上げられているアメリカ、コロラド州のボールダーも、どこを見回してもLOHASのLの字も見当たらないし、街の住人にLOHASという言葉を知っているか、と聞いても肩を竦められることの方が多い。しかし、個の街の何がLOHASなのか。答えは現場の生活と、そこに暮らす人々の価値観にあった。

 街中の喫茶店に入ろうとすると、入り口に一枚のシールが張られていることに気付く。そしてそのシールは隣のアイスクリームショップにも、ネパール料理の店にも、本屋にも貼ってある。顔を近づけてみると「THIS SHOP IS WIND POWERED(この店の電力は風力発電で賄われています)」のメッセージが。屋上に太陽光パネルが付けられなくても、店側が電気を購入する(契約する)際に、当たり前のように自然エネルギーを選択しているのだ。自然エネルギーを、電力使用量に応じて証書で買うという試みは日本でも数年前から始まっているが、ここまで街中に溢れていること、しかも小規模の個人事業主が取組んでいることは稀である。

 そして一歩入った店内でも、メニューには「オーガニック」「フェアトレード」「ローカル」といった文字が並ぶ。「有機栽培」「南北格差の緩和・公正な貿易」「地産地消」といったことが実践されているわけである。ここまでなら日本のLOHASカフェでもやっていることではあるが、驚かされるのはむしろ価格にあった。コーヒー一杯の値段が、決して高いものではないのだ。もちろん、99セントでバケツのような人口甘味飲料が飲める国で、数百円のコーヒーは高いとみなされるのかもしれない。しかし、そうだとしても、けっして払えない価格ではない。むしろ、おかわりをした場合の割引サービスなど、多くの人が楽しめる仕組みができている。

 この特別視しない、当たり前のようにしていることが、LOHASの肝なのではないか。つまりLOHASとは、後から人工的に作られたものではなく、自然に浸透しているライフスタイルだからこそ、この街のLOHASには本物を感じるのである。

 もちろん、行政としての取り決めは厳しいものがある。町並みの景観を守るための高さ規定、市街地を拡大させすぎないグリーンベルト、旧い建物を保護し乱開発の防止に努めるなど、街のアイデンティティを明確に示し、それをきちんと守っているのである。理想的なことばかりではない。街には若者も住んでいるし、「遊び」の要素も必要だ。しかし、それらは地域を決め、範囲を決めた中に納まっているのである。誰もがある程度の価値基準を共有しており、それを乱用しようという様子は伺えなかった。もっとも、学生の多く住む地域では、パーティ三昧で地元の商店街が苦労しているという話も耳にしたが、それも学園都市としの副産物として受け入れる、ないし話し合い(お互いの受け入れ)によって解決を見出そうとしているところが、LOHASの聖地と呼ばれる所以のように感じられた。

 お互いに対する尊敬と、理解しあおうという心。「調和(バランス)」がうまくとられている状態。そんな街こそが、LOHAS的な街といえるだろう。

LOHASの鍵は「誠」にあり

 既に日本で進められようとしているLOHASな街づくりについては簡単に説明した。過疎化が進む山村。見渡せば百年以上の古民家が並び、身近なところに里山がある。人々は自分の食べるものは自分で作り、旬の味を楽しんでいる。移りゆく季節と、日本的な価値観のある生活、だからLOHAS。

 物語の出だしとしては悪くない。が、それではスローライフとの違いが説明できない。都会の喧騒を離れ、地方で半自給自足的な生活を送る。それはそれで一つのライフスタイルであり、LOHASのLifestylesの中に含まれていてもおかしくはない。

 間違いは、LOHASな街や地域でできたものはLOHASな商品となり、都会のLOHAS層と言われる人たちに買ってもらえるに違いないという構図を信じてしまったところから生じている。それはまやかしに過ぎない。手織りのひざ掛けがLOHAS印を付けたらそれだけで売れるほど、都会は物が不足していない。むしろ過剰なくらいである。だからといって全ての商品に物語をつけようとする昨今の風潮も、本当などうか疑いの眼差しで見なければならず、なんとも悲しい世の中になってきたように感じる。

 本当にLOHAS層に訴えたいのであれば、それはLOHAS印が無くても、LOHASを謳ってなくても、品質の良さや魅力で消費者をひきつけられるだけの「実力」である。ボール博士はこれを「AUTHENTICITY」、日本語に訳すると「誠実性」や「真性」という言葉になるが、そのように言い表している。誠であること、がLOHAS層の心に響く鍵なのである。

偽りのない姿。
あるがまま。
自然。
自ら然る。

LOHASの意味することはここにあるのではないか。

 「誠」には、相手に対する「思いやり」という意味も含まれる。相手を思いやる、地域を思いやる。そして地球を思いやる。もちろん、自分自身に対して思いやりを持つ。思いやりの連鎖反応が、真性、LOHASに繋がっていくのではないだろうか。

 塾主は、物心一如の繁栄を実践するためには、精神作興、道義道徳心の涵養を図らねばならないとしている。道徳とは、人間の本性を生かすにふさわしい生き方、考え方であり、国や時代を超えた普遍性を持っている。そして道徳によってもたらされる善は、お互いの繁栄、平和、幸福を広めるのに寄与する、という。

 道徳は善を実践するための手段であり、しかも個々の生き方、暮らしの心構えで終わるものではない。塾主も、道徳を「人間生活根本に及ぶものであり、社会の政治や経済、宗教、教育、芸術、学問といった分野でも正しい道徳に適った活動であるべきだろう」としている。つまり、道徳をわきまえていたならば、個人的な生活だけではなく、社会的な活動までも善に基づいたものになる、という意味だと解釈した。

 LOHASもこれに通じるものを感じる。自分自身のライフスタイル、生活様式だけではなく、社会、地球をも持続可能な方向へと導く生き方。それを示しているからこそ、個人的にはひきつけられるのだと思う。最も、本当に今の時点で世の中に溢れているLOHASが道徳や善を意識したものであるかは断定できない。むしろ、多くはLOHASを謳っているだけで、本質を伴わないものである可能性が高い。しかし、形だけでもそういったもの、「道徳」や「善」や「環境」といったキーワードが売れる=マーケットに必要とされているという雰囲気を作り出した点ではLOHASの果した役割は大きかった。

 迷いを抱きつつも、本の取材の関係で現場を回っていた。執筆には間に合わなかったが、後日のLOHAS取材の中で、浄水器をつくっている企業の社長から

「水は生命の源。だから水を商売にしてはいけない。ただ、誰もがいつでも美味しくて安全な水を飲めるようにすることは、世の中に必要な仕事だと思う」

というメッセージを頂戴した。これの「水」という言葉を「LOHAS」に置き換えて考えることができるのではないだろうか。

 つまり、LOHASを商売にすることは正しくないが、LOHASを実現するための様々な商品、サービスを多種多様に作り出すことは必要なことである、という考え方のことだ。個々でもう一度、商品の本来持っている価値観、利便性が見直されさらに、プラスαとして環境配慮や長期使用、素材、使い勝手(ユニバーサルか)などが問われるようになってくるのが正しい順序なのだ。

 誠実な商品やサービスとは、売り手と買い手のバランスが取れているものでもある。片方が多大な利益を受けたり、恩家を授かったりするものではない。お互いに尊敬し、尊重していれば、自ずと成り立つ関係だ。不要に安く買い叩いたりしようとしなければ生産者も無理な方法をとらずにすみ、外部不経済を大きくしようとはしないだろう。

 このような考え方、経営哲学は、現場で知己を得た食材メーカーの方からも伺った話である。

「取引相手から少しでも安く買うことを第一とするのではなく、相手にも利益が出るような形で取引をすること。天候や流行に左右される食材を調達するには、日ごろからの信頼関係というものが欠かせない」

 相手あっての仕事であるという姿勢を守り、価格競争ではなく、常に高品質のものを提供しようという姿勢を貫いているこの企業は、創業以来毎年増益を果している。成長は少しずつ。相手のことを思って、利益を出す。そんな経営方針を貫き通しており、社是、つまり企業内の道徳として根付いている。

 偶然こちらの製品を使っているエンドユーザーの方の話も伺うことができたが、その方は地元企業であるこの食品メーカーを自分のことのように誇らしげに語っていた。地元に愛されていること。これもまた、LOHAS企業に欠かせない要素の一つである。製品やサービス、社長や従業員の中に「誠」があるから、利害関係にない人も、口をそろえて褒めてくれるのだろう。

結局LOHASとは

 Lifestyles of Health and Sustainabilityの頭文字をとり、綴った言葉LOHAS。日本ではロハスと短く呼ばれることが多く、言葉の認知率こそ高まってはいるものの、意味を認識している人はまだ少ない。2005年度は私のようなものでさえ、雑誌や新聞に感想を書き、ラジオやテレビ、そして講演という形でLOHASについて語る機会を多く頂いた。しかし、語れば語るほど、自分の中でLOHASが分からなくなってきた時期もあった。

 それは初めから曖昧だと認識しているからでてくる揺らぎではなく、深く知れば知るほど、自分の中で境界線を引けなくなってきてしまうことに気付くからに近しい。例えば、LOHASを始めていた頃は、白米よりも玄米を食べればいい、ということを信じていた。精米していないほうが栄養価が高く、LOHAS的である、と。しかし、農家の現場をまわってみると、精米しないお米や雑穀は、無農薬のものを選ばないと、農薬を丸ごと摂取しているのに等しいため、健康には非常に悪いという指摘を頂いた。ハッとさせられる瞬間である。恐る恐る日々食べていた雑穀を確認してみると、そこには「減農薬」の文字が。無農薬ではなかった。体にいいと信じていたことが、実はよくなかった。でも、多くの消費者は玄米や雑穀か健康にいいと信じているのである。そう吹聴する雑誌やテレビというメディアを信じて。

 このような経験を幾多も繰り返し、結局LOHASとは、自分なりの自己責任、というところに集約されるのではないかと感じるようになった。多用な選択肢の中から、自ら考え、自ら選択し、結果に対して責任を持つということ。今までは、選択と責任の間に一貫性が無かった。生産者か消費者か、どちらかが責任を負うという関係だったのが、互いに責任を持ち合うという風に、少しだけ変化したのである。

 選択眼と責任力を持った消費者のことを、私は「自覚的消費者・自覚的生活者」と呼んでいる。一方的に受容するだけではなく、自ら積極的に求めていく姿勢を持った消費者である。その求めた結果に対しても、責任を持つという覚悟ができている生活者。このような層が増えることによって、初めて持続可能な社会が形成されていくと思う。

 選択も責任も他人任せという無関心社会が、環境破壊を進めている。里山が消えようと、空気が汚染されようと、化石燃料が枯渇しようと、自分には関係ない。どうだっていい。別に気にならない。その無関心さが社会を崩壊させるのだ。LOHASという運動を広めることは、そいうった無関心さを改革することでもある。世の中の全てのことには繋がりがあって、一つの作用、一つの選択が空間、時間を越えて影響しあっていることを認識する。結果に対して責任の取れないことはしない。こういった毅然とした態度が社会を変え、持続可能な社会を作り上げていくと信じたい。

おわりに

 一人でも多くの「自覚的生活者」を増やしていくために、今後も個別活動を続けていくつもりである。必要であればLOHASという言葉を用いても、用いなくても、人の中の「自覚」スイッチを押すコツは掴めてきたような感じがする。現場のライブ感と、それに参加したい、関わりたいと思わせる何かを伝えること。語り続けることで、参加型の社会を作っていければと思う。自分自身を、変化を起こすきっかけ、いわゆる「触媒(CATALYST)」と、上述の「語る人」とかけて、カタリストとしての三年目の個別活動にチャンレンジするつもりである。

以上

参考文献・資料

NPOローハスクラブ 『日本をロハスに変える30の方法』(2006)講談社
塚越寛 『いい会社をつくりましょう。』(2004)文屋
松下幸之助 『遺論 繁栄の哲学』(1999) PHP研究所
松下幸之助『人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて』(1995)PHP研究所

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田草川薫の論考

Thesis

Kaoru Takusagawa

松下政経塾 本館

第25期

田草川 薫

たくさがわ・かおる

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