論考

Thesis

農業を通じて考える持続可能な社会のあり方

食の安全、安心への関心が高まると共に、日本における農業のあり方が見直される時期に来ている。農業の果す過疎化対策、雇用対策、自然環境保全といった機能を捉え、持続可能な社会と農業について考察を試みる。

 日本は国土の7割が森林に覆われ、四方を海に囲まれている国である。近代になってからこそ加工技術を生かした工業先進国として有名になったが、日本という国は本来、自然と調和し、自給自足を営む農耕生活を中心としていた。農業こそ、日本人の原点の一つであるといえよう。

 残念ながら、現在の日本は食糧自給率が右肩下がりの傾向にあり、農業や林業といった国の基盤を守る事業に対する支援策が遅れている。保護することだけが良策ではないが、日本を形作る地方、そして国民の生命にも関する農業をどう計画するかは、リーダーに欠かせない視点となる。当レポートでは、農業の現場をふまえて、日本と世界の平和、豊かさに貢献するための持続可能な社会作りについて考察を試みる。

高齢化・過疎化対策に農業を

 日本の食糧自給率は40%。農村の過疎化、高齢化は深刻な社会問題になっているものの、それを解決する手段はなかなか見出せていない。誰もが漠然とした危機感を抱いており、食に対する安心安全の要求は高まっているにも関わらず、国内の農業支援策に画期的な打開策は見出せない。

 日本は農業、中でも「米」を中心に国家を形成してきた。稲作を行うということは水を供給するということであり、水を供給するということは土壌を豊かにするということに繋がる。土壌を豊かにするには、森林の手入れを適切に行わなければならない。山があって、土があって、水があって、田がある。畑ができる。その循環を大切に守ることで、日本という国家は存続してきたのである。しかし、今の日本は世界に誇れる豊かな土壌を手放し、自らつぶそうとしている。

 自国の土壌をつぶし、農業を止めると言うことは他国の土壌や水資源を略奪するということであり、それは大きな目で見ると、地球環境の破壊にも繋がる暴挙である。また、自国独自の農業は、伝統芸能といった文化風土に関係していることが多い。よって農業を止めるということは、日本文化、日本人としてのアイデンティティの放棄をも意味する。

 今、日本の農業政策は揺れている。効率化を目指し、国内生産物の価格を引き下げるために、大規模化を進めたほうがいいという案がある。しかし、地方独自の農業スタイル、田園風景を守るためには、昔ながらの手作業を大切にし、景観保全や環境保全という波及効果を狙った小規模農業を推奨すべきだという案もある。大規模にするならば、機械化や化学薬品の使用による管理が必要になってくるだろう。食の安全や安心とは一見矛盾する手法となる。

 価格か、味か、安心感か。農業政策に活路が見出せず、農業離れの心配が進む中「有機農業」を行い、若者に農業を実践させている場があるという話を耳にした。農業で生計を立てられる。若者が就農したいと思える場所がある。一体どんな場所なのか。噂を頼りに農業の現場へ飛び込んだ。

北の大地に懸ける夢

 「消費者金融の社長が、北海道に有機農業の『工場』を作ったらしい。」初めて「そこ」のことを知った時、戸惑いと否定的な感情を抱いたことは否めない。消費者金融に対して、前向きな感情を抱けないのは筆者だけではないと思われる。それに追い討ちをかけるように、「工場」内での「ハウス栽培」を行っているという情報を入手した。ますます「持続可能性」の定義に疑問符がつく。東京大手町にある大手人材派遣会社が都心の地下で行っている農作業の事が頭を掠めた。一体どれだけのエネルギーと人手を費やしているのか。考えれば考えるほど、支援したくなる明快な点を見出すことができなかった。

 ともすると湧き上がる否定的な考えを打ち消しつつ、現場へと向かう。札幌から国道275号を北上すること1時間半。浦臼町の道の駅を過ぎると、道端に「農業生産法人・有限会社神内ファーム21」の看板が立っていた。意外なほどシンプルな掲示は、意識していなければ見落としてしまうほど周囲の環境に溶け込んでいる。そこからさらに車で10分ほど進んだところだろうか。突如として現れる近代的なコンクリート建造物。まさかそこで一年を通して有機野菜や南国果物が育てられているとは誰も想像することはできないだろう。工場の隣に建つ牛舎がかろうじて農業を営んでいる気配を感じさせる。

 平成9年に建設された神内ファーム21は、消費者金融プロミスの会長である神内良一氏が私財を投じて作った巨大「農業工場」である。代表取締役である神内氏が長年の思いを実現させるために創り上げた神内ファーム21には、氏の夢と憂いが両方込められている。

 19歳で終戦を迎えた神内氏は、食糧難のさなか、農業の重要性を強く感じる一方で、小作農という職の現実がいかに厳しいかも、家業を通じて体感していた。農業学校で学ぶ中、「北海道で自分の農業をしたい」という思いが募り、開拓実習訓練所の話を聞くやいなや、頼るものも無く北の大地へと向かう。しかし、真冬の二月に到着した青年を待ち受けていたのは「受付終了」の非常な現実だった。理想の地での就農するという夢が破れ、一時は別の道に進むことも考えたが、やはり農業が忘れられず、農業試験場で働くなど、回り道をしながらいつかは自分の手で農業をという思いを忘れずに時を刻むこと50年。70歳の時に縁合って600ヘクタールの土地が手に入るという話を得た時、迷うことなく農業生産法人を設立。そこから新しい物語が始まるのである。

挑戦の果ての果実

 北海道での農業は容易ではない。耕地面積は内地の10倍あるが、一年間の半分以上が雪の下に埋もれてしまい、収入は半分にも満たない。大規模農業は一見華やかで、収益も多く思われがちだが、機械の手入れや土地の管理などをするにあたって、決して楽な仕事ではない。神内氏は「克冬制夏(こくとうせいか)-冬を克服し夏を制する-」をコンセプトに、生産性を高める農業にチャレンジすることにした。

 冬をどう制覇するのか。掲げた目標を達成する方法はあまり選択の余地がなく、年間を通して温度と湿度を適度に保つ植物生産工場「プラントファクトリー」が誕生。ハイテクを駆使した2675坪の施設は、最新農業技術の実験場でもある。

 「こちらをご覧ください。」快適に保たれた室温と、白衣を着て作業に取組む人々。まさに「畑」ではなく「工場」である。プラントファクトリーの中には太陽光の温室が12室、人工光の温室が13室あり、主にサンチュやレタス、サラダ葉といった葉もの、トマトなどを育てている。また、品質の改良・研究のための栽培管理室や研究室も充実しており、大学並の実験設備が備わっている。さらに、冬の冷気を用いて水を凍らし、年間を通じで予冷室を5度に保つことに成功。冷房用に余分な電気は使っていない。

 徹底的な栽培管理をコンピューターシステムで行い、温度と湿度をコントロールできるようになっている。北海道では従来、年間に一期しか出荷できないトマトを例に挙げると、4ヶ月を1サイクルとして年3回の出荷に成功している。もちろん、春と冬を比較すれば生産量は落ちるが、年間の合計では従来の倍近くの出荷量となる。育苗や発芽、植え替えも高齢者や女性でも作業ができるような配慮がなされており、まさに生き残りをかけた農業のための工夫があちこちにされている。

 新規参入者として、過度な競争を仕掛けることを良しとせず、「北海道特産物には手を付けず、新しい作物を見出し、画期的な産地形成を作出して規模拡大につなげる」ことをモットーに、得意のハウス栽培でバナナやパパイヤ、マンゴー、ドラゴンフルーツなど、もともと北海道では不可能と思われていた果実の栽培も実現した。高付加価値をつけて販売することも念頭にはあるが、そもそも完熟した南国果実を道民に食べてもらいたい思いで、新しい品種の栽培に取組んでいる。ここでも南国の気候を生み出すために化石燃料を使うのではなく、北海道の恵まれた天然資源である地熱と太陽光から得られる熱を中心にハウスの管理をしている。まさに、試行錯誤と尽きること無いチャレンジ精神が北の大地に南の果実をもたらした。

農業に「経営観」を導入

 農家の方の作物に対するこだわりは、デスクワークで働く人間のポリシーよりも強い場合が多い。哲学や思想があるからこそ、過酷な条件の中でも誇りを持って仕事ができるのであろう。だからといって、生産からマーケティング、販売にいたるまで、全てに強みを持っているとは限らない。

 所得の増える農業を行うには、収穫量を倍にするか、付加価値をつけることで実現可能だ。しかし、できあがったものを販売する流通システムを持っていなければ、宝の持ち腐れである。ただでさえ収穫量の予測が難しい農産物を生産しつつ、販売システムまで開発するのは個人農家ではなかなかできない。そこに法人としての強みを生かしているのも神内ファームの特徴である。

 物流センター、直営店設立を進め、農業に経営の手腕を発揮する。その試みは既に始められている。2006年8月、北海道農業企業化研究所(HAL財団)と大手スーパーのイオンが農協を通さずに低農薬野菜を直接出荷し、イオンで販売する協力契約を結んだことが発表された。HAL財団は、神内ファーム21代表取締役社長の神内氏が出資して設立した財団である。当財団は、計画的な農業の実践により、農業を企業化することを目指しており、農薬や化学肥料の使用などに関して財団独自の認証基準を設けている。この度のイオンとの契約では、独自基準を満たしたキャベツやジャガイモ、カボチャなどの農産物を出荷し、イオンの全国店舗で販売する計画だ。完全有機栽培とまではいかないものの、低農薬を始める農家の数を増やしつつ、最終的には完全な「オーガニック野菜」の生産・販売を目指す。

 北海道では、千歳市でもオムロンの出資している「おさつフロンティアファーム」がハウスのトマト栽培に取組んでいる。しかし、有機野菜を計画的に「生産」することの難しさは、衣料品会社ユニクロによる異業種展開の失敗でも証明されている。「でも誰かがやらないと」工場を案内してくださるスタッフからも、強い決意が伝わってきた。食べるものに対する人間の欲求と、それを満たすために必要な労働の間に生じる「価格」という経済ギャップを技術力がどう埋めていくのか。今後の展開に注目したい。

 北海道での視察を終え、出発前の否定的な感情がやや和らいでいることに気付く。美味しくて安全なものが食べたい。でも高くては困る。そんな矛盾を埋めたいと頑張っている人たちがいる。今までの常識では考えられない手法を新たに開発したことに対して、戸惑いを覚えても、否定的な目で見ては生成発展はないのかもしれない。それでもやはり、大地の上でしっかりと育った野菜の現場も見てみたい。そんな想いを抱き、次の現場へと向かった。

帰りたくなる場所、畑

 照りつける太陽。抜けるような青空。どこまでも続く緑の大地は、遠目には美しいが、処理しなければならない雑草、下草が延々と続き、容赦なく蚊や虻、蜂、蚋といった虫が作業者を襲う。

 「安心して食べられる有機野菜」都会に住む人々は簡単に口にする言葉で、生産を要求するが、作業をする方としては決して楽なことではない。全てが手作業で、手を抜くとたちまちだめになるのが目に見えて分かる。一日でも作業ができないと、それがすぐに影響を表す。終りの無い過酷な労働が続く。それでも何故、あえて厳しい道を選ぶのか。しかも、代々の農家ではなく、東京から移り住んだ人々が、、、

 「子ども達が裸足で歩ける畑が作りたかったんだ。」独り言のように語る椎名氏は、以前足立区で学習塾を開いていた。東京という大都会の中で生まれる経済的・社会的格差。それは往々にして学歴の差から生じる場合が多い。よく学び、知識や技術を身に付ければ、豊かな生活が保証される。高度成長期に誰もが信じ、従った図式に疑問を感じ、「生きる」とは何か、「学ぶ」とは何かの答えを見つける場所として、白州の地で「学校」を始めることにした。こうして生まれたのが「キララの学校」である。

 春休み、ゴールデンウィーク、夏休み、冬休み、といった長期的な休暇と田植えや稲刈りといった目的に合わせて、年に7回開催される宿泊型体験学習は、自然や農業、食にたいする意識を、仕事(労働)や技、学習を通して触れる絶好の場である。しかし、その場を提供するためには年間を通じて「生きている」畑が必要だった。こうして誕生したのが白州郷牧場だ。

 完全循環型農業であるBMW(Bacteria Mineral Water)の手法を用いて、鶏4000羽と牛、そして有機野菜を生産している。BMWとは聞きなれない言葉だが、そもそも自然界では、動物の死骸や枯れ葉などをバクテリアがエサとして分解することによって、健康な水と土をつくりだしている。この自然の浄化作用を見習った技術のことをBMWと呼んでいる。その土地に合ったバクテリアに、基質となる動物の糞尿、野菜くずなどを投入し、「活性水」と呼ばれる発酵液を作る。その活性水を鶏舎に撒くと、雑菌が増えるのを抑え、健康な鶏が育っていく。鶏から出た排泄物は再度BMWシステムの中に還元され、野菜づくりに利用される。無農薬で育てた野菜のクズは鶏たちのエサにもなる。このように、余すことなく何も無駄のない農法を有畜複合の循環型農業と呼んでいる。

 白州郷牧場ではこの有機複合の循環型農業を始めて20年になる。全てが手探り、手作業の中で進められており、出来上がった有機野菜は初め、口コミで販売していた。今では生協や有機野菜販売ネットワークの会員へ向けて、毎日のように出荷されている。作業は決して楽ではない。スタッフは朝の6時前には自分の持ち場へと動き出す。鶏の管理、野菜の水遣り、成長具合の確認、出荷内容を決めてのスケジュール管理。少ない人数でもキビキビと仕事をこなすのは、少人数だからこそ生まれるチームワークによるものか。

 「人数が多いから効率的に働けるわけでもないんです。」白秋郷牧場で収穫したものを販売する拠点である「白州森と水の里センター」で代表を務める高草木里香さんは微笑む。少ない人数でも、自分の仕事内容を把握し、時に互いをサポートしあって適正規模、適正効率で作業を進めているという。野菜というもの成長自体が管理できるものではないため、天気、働き手の健康、やる気など毎日変化するものと合わせて、一人でも多くの人に美味しさを届ける努力を惜しまない。夏野菜の出荷中は一年でも最も忙しく休みはなく、自由時間も少ないが、それでも自分の働いた結果、作業した結果が美味しさとなってお客様の手に届き、喜びの声を聞く度に充実感が高まっていくものらしい。

 スタッフの顔ぶれは20年間で大分変わった。充実感があるからといって、一生を白州の地で過ごそうという決意を出す人はまだ少ない。むしろ、有機農業に関心があって、学びに来る若者が後を絶たず、そのうちの数名が順番に長期滞在し、作業にあたっているという。人の流動を絶やさず、持続可能な作業を行っているとうい点では特異な現場かもしれない。

憧れの就としての農業

 現場に滞在中、偶然東京から就農希望の若者が訪れた。東京生まれの東京育ち。親の職業も、自分自身の経験も全く農業とは関係が無い。しかし、ある日突然「自分には農業だ」ということを自覚し、就農の地を探している青年が、研修したいといって白州郷の門をくぐった。直前まで近県の有機農場で働いていたという青年の真っ黒に焼けた顔は、新しいものを学びたいという期待の光に輝いていた。

 白州郷牧場で働くスタッフの年齢層は低い。学校を卒業してすぐ働き始めるパターンが多いが、詳しく話しを聞いてみると、実家で農業をしているわけでも、全員が農学を専門に学んだわけでもないという。

 大学院で農業経済を学んでからここで働くようになった青年は、幼い頃から「夏の学校」の常連だった。裸足で育った畑の中で働くということは、違和感のない選択肢だったという。また、自分が育ってきた場所だからこそ、もっとよくしたい、未来に続けていきたいという思いで、大学での専攻を選んだとのこと。畑が持つ魅力が一人の青年の生涯を決めた。

 「農業」に対する関心は一般社会の中でも高まっている傾向がある。農林水産省の調べによると、平成11年には1607箇所あった市民農園が5年後には2258箇所、面積にして1.5倍増加している。クラインガルテンと呼ばれる滞在型の市民農園も、4年間で3倍近くの伸びをみせ、アグリツーリズム人気もあって、今後も成長の余地が予想される。

 市民農園増加の背景には、都会に住む人々が持つスローライフへの憧れ、自然志向の高まりなどが考えられる。こうした市民農園において、有機栽培に取組む利用者が多いのも、農作業をしたいという感覚から一歩進んだ新しい価値観が生じてきた結果と言えるのではないだろうか。

 農業を職として選ぶ人の数も増えている。農業従事者の数が激減し、このままでは日本の農業はだめになるのではと危惧されていた時期もあったが、平成2年に4000人台まで落ち込んだ新規就農青年者数は徐々に回復し、平成14年には1万2000人となった。生涯続ける職業までは決意が固まっていなくとも「WWOOF(発音は「ウーフ」)」というシステムを活用して農業を体験したいという人々もいる。WWOOFとは、Willing Workers On Organic Farms の頭文字を取ったもので、有機農業で一日約六時間働く代わりに食事と宿泊場所を無料で提供してもらうという旅の仕組みである。一泊二日から一年以上、と期間を決めず、自分にあった農業を求める青年達が放浪している。

 職業として引き受ける覚悟がないことを批判するのは容易だ。しかし、こうして迷い、体験を繰り返す青年が増えることが、日本の農業の将来に大きな影響を与えるのであるならば、今後も彼らを受け入れ、支援する制度こそ必要なものではないだろうか。異なる農業の現場を見つつ、より大きな制度設計をどうするか。現状を知っての課題が次々と浮かんでくる。

比較できない事例

 持続可能な農業の現場が見たい。その一心で回り続けた中、出会った神内ファーム21と白州郷牧場。目指すものはそう違わないはずだ。安心して食べられる安全な野菜。生産者と消費者を繋げるコミュニケーションの実践。だが、選択した手法も、結果も全く両極にあるといっていい二つの事例。これは、ある意味日本の農業が今後どうなるかを象徴的に表しているように思えて仕方が無い。

 有機農産物への要求は今後増えていくだろう。そして、農地の高齢化・過疎化による労働力不足はますます深刻になっていくだろう。それをどう解決するのか。

 正しい答えなど持っている人間はいない。解決策があったら、とっくに実践されていなければならないほど、日本の食糧事情は脆弱である。だからこそ、多様な選択肢が必要となっているのではないだろうか。白州の若者に北海道での試みを話すと、驚きの声が発せられる。その後に続くのは、やはり若干否定的な意見の連続である。自分自身、現場を見るまで、そして現場の声を聞くまで同じ想いを持っていた。

 もし北海道に、白州での手間隙のことを語れば、似たような反応があるかもしれない。「そんな重労働、息子や娘にさせられないし、してくれない」と。

 首の後ろに刺さる陽射しの痛みを感じながら、一枚いちまい虫に食べられた葉ものをむしっている間は、確かに「こんな生活続けられない」と泣き言をこぼさんばかりだった。しかし、自ら収穫したトマトを畑の中で口にした時の感動は、簡単に得られるものではない。また、作業が辛いからこそ、食事の時の一口ひとくちに感謝が芽生えるのも事実である。

 「価値」よりも「価格」を優先する市場主義経済の影響を受け、日本の農業は壊滅的状況になっている。農産物輸入自由化により安価な海外産農産物が輸入されるようになったことにより、競争力の低い国内農業は廃業するか付加価値の高い品種に移行した。有機農業はその付加価値の高い品種の一つと言われている。しかし、その中でもまだ模索しなければならないことが山積みである。

 人は食事をしなければ生きていけない。水や空気、大地というものがあって初めて創作的な活動や経済的な活動ができるのである。残念ながら、今は現場での「労力」がなかなか貨幣価値に換算されておらず、また、作り手も価格に応じた質のものを提供してしまうような部分もある。生産する側であろうと、消費する側であろうと、互いに敬いあい、感謝する関係を結ぶにはどうすればいいのか。また、様々な「有機」農法があるなかで、ベストな選択肢はどれなのか。

 きっと答えはでないだろう。答えは出ないが、その中で、その時の自分自身の状態に最適なものを選び取ればいいはずだ。そのための情報と比較基準を自分の中に育てるということが重要だろう。特定の地域や物語性に親近感を選んでもよいだろうし、利便性で選ぶのも継続するのに必要な条件ならば軽んじてはならない。循環させるには継続が必要であるという前提条件は破ることなく、関係した人間全てが満足感を得られるような持続可能な生産が広まることを願って筆を置くこととする。

以上

参考文献・資料

沼田勇 『日本人の正しい食事』(2005)農山漁村文化協会
富山和子 『日本の米 環境と文化はかく作られた』(1993) 中央公論社

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田草川薫の論考

Thesis

Kaoru Takusagawa

松下政経塾 本館

第25期

田草川 薫

たくさがわ・かおる

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