松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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人間観
2006年6月

塾生レポート

地球的環境課題に対する人類の責任
田草川薫/卒塾生

ここ25年間の地球表面平均温度が、1600年以降の同期間と比べ最も高くなっている。また、現在の二酸化炭素濃度は過去65万年の間のピーク時より約3割高いことがわかった。手遅れになりそうな地球環境の破壊に対して、21世紀にはどのようなリーダーが必要なのか。

 

 環境問題が、地球規模で対処を求められるようになったのはいつからのことか。人類が農耕生活を始め、一定の土地に定着して過ごすようになった頃から、環境問題は発生したと言われている。従来、地球という「生命体」には自浄能力があるため、人間が集中的に利用、汚染しても回復する力を持っている。しかし、産業革命以降、人間は自然の持つ自浄能力以上に環境に負荷をかけ続けてきてしまった。結果、人間こそが環境問題の根源であるということが次第に明らかになってきている。

 人類は、地球と言う体を冒すがん細胞に等しい。困ったことに、この悪性腫瘍は自己増殖能力に長け、母体を冒すことが自らの存在に影響することを知りつつも、悪行を抑制できないのである。塾主は人間を、「万物の王者」としているが、果たしてその王者に自己制限を求めるにはどうすればいいのか。無視も先送りもできない「環境問題」という地球的課題に対する人類の責任を問う。

誰もやりたがらないことをする

 塾主は、著作『リーダーを志す君へ』の中で、「言い出しべぇになること」について説いている。それは政経塾設立にあたって、それで社会的課題が解決するか、という問いに対する答えとして述べているわけであるが、政経塾で世界をよいものにするリーダーを育成しようとしたところで、本当に世の中が良くなるのかについて塾主の想いを率直に語る一面が紹介されていた。

 現役の塾生としては「政経塾を設立したのは世の中を変える人材を育てるためである」と答えて頂きたいところだが、塾主の解はそれほど単純ではない。十年、二十年、いや、百年と塾が続く中で、逸材が一人誕生すればいいのではないか、というスタンスなのである。むしろ、政経塾に期待するのは、「漣(さざなみ)を起こす人」を育てることにある、という考え方に、ふと自身を振り返る機会を与えられたような気がした。というのも、自分が取組んでいる個別活動のテーマである「持続可能な社会の構築」というものは、耳さわりはよいものの、実践に移すとなると非常に困難なテーマである。困難であるが故に、誰もやりがたらない。その誰もやりたがらないことを、あえて試みること。そのことこそ、塾主のおっしゃる「言い出しべぇ」になることではないか、と考えた次第である。

 持続可能な社会の前提条件として、環境問題の解決、というものが一つある。人間に限らず、あらゆる生命体が地球上で生存し、繁栄し続けるためには、地球環境そのものを維持していかなくてはならない。地球環境を維持すること、そして生命システムを持続し発展していくのは万物の王者である人間の使命と言えるだろう。しかし、現状を鑑みると、人類は地球環境を発展させるどころか、維持することさえ危うい状態である。

 化石燃料の枯渇、砂漠化、森林の減少、水質汚濁、土壌汚染、オゾン層の破壊、北極の氷の減少など、ここ数年耳にするのは環境がいかに破壊されたか、という情報ばかりである。環境を保全することが人類に課された使命であり、そのミッションを誰かがきちんと果していたならばこんなに次から次と問題は発生していないはずである。

 私たち人間は「環境問題の解決は、21世紀を生きる人類に与えられた課題である」と声高に叫んでみたところで、積極的にその解決策に乗り出そうとしていないという事実を認めなければいけない。そして、解決策に乗り出していないのが何故か、という問題を把握したうえで、どうやったら解決できるかを考える必要がある。

 どんなに効果的な解決策があったとしても、それが万人の共感を得られず、一部の「心ある人」によるものであったならば、真の問題解決にはならない。

 リーダーを目指すものならば、誰もがやりたがらない難しい課題に果敢に挑戦すると同時に、より多くの人が参加したくなる策を練る必要があるだろう。自分ひとりで大きな波を起こすことは難しい。別に起こす必要もないのかもしれない。むしろ、リーダーを志す人間に与えられているのは、漣を起こす小石になることではないのだろうか。

グローバルな課題を解決する小石になる

 グローバル問題という言葉があらわす対象はいくつもあるだろう。環境問題も一つであるが、世界的な貧困、社会問題、政治不安、天然災害など、人類が起因するものもそうでないものも、グローバルな課題といえる。

 このような課題の厄介な点は、二つある。一つは責任の所在が曖昧なこと。今、中国の南でおきている干害は、その近くを流れる川の上流で森林の皆伐が行われたせいかもしれないが、そのような皆伐が行われたのも、IT化が進んだインドで誰もがプリンターを所有するようになり、印刷用の紙が必要になったからかもしれない。というのもインドでは勉強熱が高まり、だれもが自宅で熱心に勉強するようになったが、それはアメリカでインド出身のIT事業従事者が重宝されるようになり、アメリカの大学院に留学することがインドの学生の憧れになっているからかもしれない。それはアメリカが拡大する中国に対抗するために知的財産の強化に力を入れ始めたからであり、そもそもは中国で大量生産による製品価格の大幅引き下げが起きたことから自国経済を守るために選択した国家戦略の末の出来事かもしれない。

 たとえが長くなってしまったが、一つの問題が必ずしも一つの原因によるものではなく、多数の事柄が複層的に重なり、互いに連鎖反応を起こし、影響した結果「グローバルな課題」として我々の目の前に現れているに過ぎないのである。これだけ繋がりと影響が複雑化すると、もはや誰の責任かは明らかにできない。まさに気付いた人、心ある人が積極的に解決に乗り出さないと、何も起きようがないのである。

 もう一つの厄介な点は、複雑になりすぎたシステムの中で負の結果がどんどん見えにくくなっているとう点がある。問題が複雑で見えにくくなると、誰もがそこから目をそらそうとする。「ブラックボックス」として、「分からないことは仕方ない」「複雑することは解決できない」「自分が何かしてよくなるものではない」と諦めてしまう。

 実はこの、無関心こそが最大の課題なのである。目の前で飢えている人、瀕死の怪我をしている人がいたら、それを無視する人は少ないであろう。しかし、テレビを通じて何千、何万という人が地震の影響で命を失おうとしていても、それは「遠くのどこか」で起こっている事件であり、自分には関係ないものとなってしまう。「誰かが捨てた」車のエアコンに入っていた汚染物質が海を汚し、そこで「取れた魚」を食べた子ども達が「奇形に」なって生まれてきても、それは自分とは関係ない無関心の世界での出来事だ。

 だから何もしようとしない、社会を変える気にもならない。自分ひとりでは変えられないから、結局何をしても意味がない、という無関心のスパイラルにはまってしまう。

 環境問題も、社会問題も、人権問題も、全ては「自分とは関係ない」という無関心から生じている。無関心に関心を引っ張り込むには、声高に訴えることだけが手段ではない。環境問題の対策を進めることが楽しい、自分にとって有益だというスタイルを見せ付けること。面白いこと、心地よいことだと感じてもらう。その仕組みさえできれば、声高に訴えることなく、耳にした人が自発的に参加してくれるようになるのではないか。

サーバントリーダーとして

 政経塾は、リーダーを養成する機関である。全ての人間に偉大なリーダーになることは期待されていないかもしれないが、少なくともリーダーになりたいという志を強く問われ、在塾期間中は研修や自身の活動を通じて研鑽されていくものである。

 リーダーには、力強い理念や強制力を活用して集団を引っ張っていく「牽引型」と後方から支援し全体のバランスを見つつ集団を前進させる「調整型」の二通りがあると言われている。このよう指導者と言われる人材に求められる素養を意識すればするほど、それを満たせない自身の能力の限界に悩んだものである。そんな中、最近、サーバントリーダーという言葉に出会った。

 サーバントリーダーとは既存のリーダータイプとは異なり、全体に「奉仕」することから始まり、大きな目的を実現させるために邁進している人たちに対して支援するタイプのリーダーのことを言う。既存のリーダーが男性的な力強さを持つものだとすれば、サーバントリーダーは全てを包み込み、許容する母親的リーダーと言えのではないだろうか。自分の周囲にいる人間のやる気を引き出すこともサーバントリーダーの重要な役割でもある。

 地球的課題、環境問題を解決するに当たって、じつはこのサーバントリーダーの能力が活かされるのではないかと感じることがある。というのも、グローバルな課題、時間を越えた課題であればあるほど、たった一人の人間の努力で解決できるものではないことが明白だからである。リーダーでありながら、全体の意識をまとめていく。そんなタイプのリーダーを目指すことで、より大きな課題解決に挑戦できるのではないだろうか。

 ここで注意しなければならないのは、サーバントリーダーとして支援すべき「大きな目的」だと思われる。小さな集団、または国家という特定できる集団の利益のためではなく、可能な限り、大きく、長期的な目的のために使えるのが理想的ではないだろうか。リーダーの役割と、満たすべき利益について考えたとき、松下幸之助塾主も、社会的な公共の利益を優先させるべきだという考えを持っている。また、リーダーは全体の幸福を高めるための存在であるはずだと折に触れて述べている。

 このような全体益を高めるために、リーダーおよび関連する人に求められているのは、個人ではなく公共の利益を優先するような公徳心であろう。人間の心にはいい面もあれば、悪い面もあり、必ずしも公益のために自分を犠牲にできるような人ばかりではない。よってリーダーは人間のよい面、公に尽くしたいと思う面を引き出すことを心がけねばならない。みんながよいことに参加したいという環境づくりもまた、リーダーの重要な役割なのである。それは「何か大きな使命や目標を訴える説得力」を持ち「人の言うことが聞け」て、「共感に基づくコミュニティが作れる」サーバントリーダーがふさわしいと言えるだろう。

地球的環境課題に対する責任の果し方

 21世紀がどんな世紀になるのか。それを予測するすべはない。20世紀の後半に生まれた自分自身、生存できるのはどんなに長くても、今世紀半ばまでであり、そこから先どうなるか、どの程度責任を果すべきか、掴みかねている。21世紀は環境の時代、水の時代、戦争の時代など色々呼ばれているが、たとえ自分自身が生き残っていなくても、今よりも豊かで、今よりも過ごしやすい社会を次世代に残していきたい。

 環境を破壊するのは人間であるが、と同時に、人間には環境を回復させる力もある。その回復のための力を最大限引き出し、人類全体で活動していくこと。それが地球的課題に対する責任の果し方だろう。

参考資料

ロバート・グリーンリーフ『サーバントリーダー』 グリーンリーフセンタージャパン http://www.gc-j.com
松下幸之助発言集3 「指導意識の涵養を」関西経営者協会 第10回中小企業問題研究全国大会
松下幸之助 『リーダーを志す君へ』 PHP研究所
2006年6月 執筆
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