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100キロ行軍レポート ~千里の道も1歩から~

 2008年の100キロ行軍は、10月2日(木)10時から始まり、全員完歩という偉業を達成し、10月3日(金)10時に幕を閉じた。寮室のベッドに倒れこんだ私は、こんこんと10数時間の眠りにつき、起きてから自分の足を見て驚いた…。右足首が大きく腫れあがり、痛みで右足を引きずりながら歩くのがやっとだ。寮室内で、ベッドからトイレに行くのすら一苦労である。なんたるザマだろう。そして今、私は塾の寮に籠っている。週末は家に帰るつもりだったのだが…。足が言うことを聞かないのだ。整形外科で撮ったレントゲンによれば、骨には異常無しとのことだ。それとは別に、医師である同期が心配して診てくれた。そしてしっかりと冷やすようにと言い、氷嚢をくれた。相部屋の同期は、土日のごはんを差し入れてくれる。妻に週末会えなくて申し訳にないと電話すると、「ゆっくり休んでね。」の一言。同期や家族の優しさに、思わずじんとなる。私は1人で寮室のベッドに寝転がり、天井を見上げながら、あの100キロ行軍の1日を振り返った。

 私達「ろ組」には出発前から大きな不安があった。それは3人のメンバーのチームワークだ。各人がそれぞれ2人ずつで歩いたことはあるが、3人が一緒になって歩いたことは無い。加えて、100キロ行軍を前にした早朝研修では、メンバーの2人が行軍の方針の違いで揉めていた。私は決心した。「ろ組」の調和役にならなくては…。序盤はハイスピードで展開し、「ろ組」は4組あるチームのうち1位をキープしていた。好調に歩いていたのも束の間、25キロを過ぎたところで私は右足首の筋に違和感、30キロで足の裏に違和感を覚えた。今思えば、メンバーに伝えるべきだった。しかし、不調を訴えることがチームの士気を低下させてはという思いが、言葉をぐっと飲みこませた。35キロを過ぎたところで、右足の裏に激痛が走り、1歩踏み出すごとに痛みが広がる。脂汗が出る。最も辛い時だった。後でわかったことだが、私の歩き方の癖とO脚がその状態を生んだのだ。本来ウォーキングは、かかとから着いてつま先へというのが理想であるが、私は足の小指の付け根からついていくような歩き方であった。普段の歩行距離では何ら問題はないのだろうが、100キロ行軍ではその歩き方は致命的であった。

 最も辛かったのが40キロ地点。歩き始めてまだ9時間。全行程の半分も終わっていない。残り60キロ、残り15時間を思うと気が遠くなった。その時に、私は3つのことを思い出した。私は中学生の時に陸上部に所属していた。その際に、ある先生は「マラソンランナーはゴールを考えない。辛いながらも次の電柱まで頑張ろう。それが達成できたらその次の電柱まで頑張ろう。そういう思いを積み重ねるのだ。」ということだ。「ゴールは意識しない、5キロずつ全力で頑張っていく!」と私は覚悟した。もう一つは、松下幸之助の『道をひらく』の一節だ。「自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。(中略)道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。」ただひたすら懸命に1歩ずつ歩くしかないと私は決心した。

 そして最後に、古山塾頭の顔が浮かんだ。「7年連続、塾生全員が完歩という偉業がかかっている」という出発の際にいただいた激励の言葉。偉業に泥を塗るわけにはいかない。これを達成してこそ政経塾生。私は腹をくくった。

 痛みを抱えながら歩く中で、「ろ組」のメンバーの2人が「つまちゃんのかばん持つよ」と優しい一言。自転車で伴走してくださった先輩からの「大丈夫ですか」という温かい言葉。10キロおきのサポートポイントでは、塾のスタッフと先輩塾生が待機し、私のカチカチになった足をほぐしてくれた。サポートポイントに着いて休憩したら痛みが取れ、歩き始めたら痛みが増していく。それの繰り返しである。そんな中、65キロ地点で、メンバーの1人に大量のまめができていることがわかった。深夜のコンビニ前の駐車場で、同期の1人は懸命に痛みに耐えながら、先輩達に処置してもらっていた。彼は人一倍我慢強いのだろう。辛さはおくびにも見せなかった。正直、元気そうなメンバーの2人を見て、不安になったのだが、辛いのは自分だけでは無いと思いほっとした。そして、そこを契機にチームはゆっくりとしたペースになった。

 85キロを過ぎたところで、夜が明けてきた。鎌倉の由比ヶ浜のカーブがうっすらと見えてくる。さらに歩くと、遠く江ノ島が美しい。このあたりに来ると、足は棒のようになり、残りは気力で歩くしかない。歩道のわずかの段差や傾斜も足にひびき、なめらかな車道がいかに歩き易いことか。歩道よりも車道のほうが歩き易いとは、皮肉なことだ。95キロ地点で100キロ行軍初参加の関理事長と合流し、99キロ地点で妻を迎えて、そのままゴール。妻が合流する時にこちらに走ってきてくれた姿は、今でも目に焼き付いて離れない。仕事を休んでくれた妻に感謝の気持ちでいっぱいだ。100キロ行軍は、塾のメンバーと家族に支えられた24時間であった。

 こうして、私たちの100キロ行軍は終わった。しかし、自らの志の達成という険しい道は遠く続いている。目標に向かって、ただ歩いていかなければならない。大いなる志の達成には、平凡な一歩を継続することが大切であり、千里の道も一歩からだ。道はただ懸命に歩まなければならない。志へ向けての行軍は、まだ始まったばかりである。

参考文献

『道をひらく』 松下幸之助 PHP研究所

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